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Asu no chikyû sedai no tameni (1975)

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Asu no chikyû sedai no tameni

(1975)–Willem Oltmans–rechtenstatus Auteursrechtelijk beschermd

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46 モハメド・カッサス

モハメド・カッサス(Mohammed Kassas)氏は、一九二一年七月六日ナィル・デルタに位置する漁村ボロロスに生まれた。ヵィロ大学を卒業した後、ヶンブリッジ大学で生物学の博士号を取得。一九六四年から一九六八年までスーダンのハルトゥーム大学で生物学の講義をした。現在、アヲブ連盟教育文化科学機構(アレスコSLESCO)副総裁であり、更に環境問題科学委員会(SCOPE)副議長である。氏は、ェジブト科学アヵデミーの会員でもあり、ローマ・クラブ会員としても活躍している。

 

エジプトにおける急激な人口増加についてどぅお考えですか。

 

現在のわが国は、人口過密国の典型例です。ェジプトの人口増加率は、年間二・八バーセント、約百万人の割で增えています。一九七三年には、九十万人の増加でした。一八五〇年、つまり約百年前ですが、ェジプトの人口は五百万人くらいでした。それに対し、耕作面積は五百万ェーカーもあったのです。つまり一人当たり平均一ェーヵーの耕作地があったことになります。ですから、私達が、古き良き時代を懐しく思うのも無理のないことです。現在のわが国の人口は、何と、四千五百万人です。これだけの人間が、七百万ェー ヵーの土地を耕作して生活しているのです。つまり、一人当たりの耕作地は、四分の一ェーヵーしかありません。こういう現状ですから、私達は、どうしても次の二つの点について今後努力しなければならないと思います。

先ず、砂漠地带に可能な限り進出して行く必要があります。現在、ェジプトで灌溉され、耕作されている土地は、全土の三パーセント以下にすぎません。国土の九十八パーセントは砂漠です。乾燥地帯で水が少なく、水資源の三分の二は、海に流れ去っています。ですから、私達が、この貴重な水を貯ぇる計画を立てたのは全く当然

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の仕儀なのです。だからこそ、私達は、十九世紀以来、多くのダムや貯水池を建設してきましたし、遂には、ナィル川をせき止めて、アスヮン・ハィ・ダムを建設し、水資源の完全確保に努めたのです。目下、わが国では更に水を確保し、西部地域の砂漠をできるだけ可耕地に変えるための多数の計画が進められています。なぜならこれが農業問題解決の唯一の策だからです。わが国は、ますます農業の生産性を向上させなければなりません。この限られた農地から収穫を增やすために、もっともっと進んだ科学的方法を取り入れなけ ればなりません。現在、わが国にある近代的農業機械の総動員にょって、八百万ェーヵーの土地を耕作することができると思います。それでも、それは全闰土の僅か三・五パーセントだけを、食糧生産にふり向けるにすぎません。残りは、依然として、砂漠の状態に放置されるのです。

 

永久にですか。

 

まさに、永久にそぅでしょぅ。しかし、おそらく、唯一つの例外があります。それは、人類が賢明にも充分な研究費を投入し、安価な海水の淡水化装置を考案することです。もし、世界の国々が、軍備や宇宙計画に巨額の資金を使うかわりに、今述べた装置の研究に真剣に取り組むならば、私達の問題もきっと解決できます。もし、これが可能になって、地中海沿岸や、紅海沿岸に一連の淡水化ステーションが建設されるならば、海水をェジプトの砂漠に「湯水の如く」利用できるのです。もし、私達の夢が実現しますと、農業費用節約の 面でも、一大躍進を遂げることになります。それは、ェジブトだけでなく、全人類に対して偉大な貢献をすることになるでしょう。

ここで思い起こさなければならないことは、地面の三分の一、すなわち、陸地の三十三パーセントは砂漠で、地球の七十五パーセントは海だということです。このことからしても、全人類の緊急な課題である食糧問題に対処するには、無尽蔵にある海水を農業用水に変える装置の研究が、いかに重要かご理解いただけると思います。これが不可能だということは、エジプトのょうな砂漠国にとつては、全くの災難だということです。そうなると、私達は、産業発展に全力を尽くし、外国から必要な食糧を買うのに全力を注いで行かな ければならないでしょう。

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もっと工業化が進めば、エジプトの抱える問題は、ますます多くなると思いませんか。

 

そうかもしれませんが、いたしかたのないことです。エジプトのような国にとっては、選択の余地は、僅かしかないのです。もし、アメリカが新しい油田を発見したとしますと、アメリカにはその油田をすぐ開発するか、 あるいは将来のために残しておくかという二つの選択の道があります。アメリカは、その間、他所から石油を入手できるからです。しかし、ェジプトのような貧乏国が油田を発見したとしても、選択の余地はありません。一刻も早く開発するしかないのです。もし、ェジプトが炭田や憐鉱脈を持っていても、採掘以外の余地 はありません。結局、貧しい国には選択の自由は小さいか全くないかなのです。選択の自由があるのは、富裕国だけです。これが、世界の現状の一側面です。

 

人口が絶えず增加する反面、食糧生産は逆に減少する現状で、エジプトの人口問題を効果的に解決するためのよい方法はないものでしょうか。

残念ながら、ェジブト政府が、家族計画の必要性を公然と提示してはいません。まあ、例外としては、一九六八年ないし一九六九年にその趣旨のことを、遂に声明したことはあります。

 

宗教との関係もあると思います。インドネシアのスカルノ大統領は、産児制限には猛反対したことを思い出します。あるいは浅はかだったと言えるかもしれませんが、イスラム教を考慮し、また、ジャワ島以外の大きい島々では、人口は過少だということを根拠にしていたと思います。

 

産児制限について、イスラム教が同意するとは思いません。他の多くの宗教と同じように、イスラム教も生命を殺すことには反対しています。イスラム教は、いかなる形にせよ、堕胎には反対するでしょう。しかし、堕胎以外の家族計画方法があれば、イスラム教徒も反対する理由はないでしょう。いずれにせよ、過去二、三年をみますと、エジプトの人口増加率は二・八パーセントから、二・四パーセントに減少しています。これは、かなりの減少で、健全な徴候だと言えます。わが国の地方の農村でも、婦人は家族計画に関心を持つように なっています。しかし、男性の方はまだまだです。男性は、ずつ

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と保守的で、ェジブトでは女性の方が進歩的です。ェジブトの各地方に設立されている家族計画センターに大勢の女性が集まってくるのをみるのは喜ばしいことです。男性が家族計画に反対するのは、理由がよくわかりません。男性には、伝統に根ざした古い考え方がまだかなり残っているからでしょう。しかし、エジプトにおいては正しい家族計画運動が徐々に広がりつつあります。一朝一夕には無理でしょうから、まだかなりの時間がかかると思います。政府も、民間団体も、この問題に真剣に取り組んでいます。

 

アスワン・ダムのおかげで、三十五万エー力ーもの土地が灌溉されるようになったわけですね。しかし、自然の中に人間がもたらしたこの巨大な変化の生態学的波及効果はいかがなものでしょうか。

 

一九〇〇年代の初期には、エジプトに流入してアスワンに達する水は、毎秒約三千立方メートルでした。南エジブトでは、毎秒四百五十立方メートルの水を使い、北エジブトのナィル・デルタ全域での使用は、毎秒五百五十立方メートルでした。したがって、その頃のエジブトの水の消費量は、毎秒千立方メートル以下にすぎなかったのです。これは、アスヮンに流れてくる水の三分の一程度でした。残りの三分の二、すなわち、毎秒二千百立方メートルの水が、海に流れていたことになります。一九〇三年、第一アスヮン・ダムが建設される以 前は、こういう状況でした。その後、ナイル川に沿って、一連の貯水池の建設が進められたのです。現在のハイ・ダムは、長期計画の最後に当たる一番大きな事業であるにすぎません。今や、ナイル川は完全にせき止められ、ェジプトは、念願の水を得ることができました。この水は、新たに百万ェーヵーもの土地を灌溉しているのです。

 

その面積は全体の何パーセントに当たるのでしょうか。

 

六分の一です。簡単に言えば、エジプトは六百万エーヵーを耕作しています。現在、更に、百万エーヵーを加えつつあります。約七十五万エーヵーの土地は、いわゆる、流域灌溉によるものです。この流城灌溉は、年一回しか収搜することができないものを言います。しかし、新しく確保された水のおかげで、この流域灌溉地は恒久灌溉地に転換できますし、これによって多毛作も可能になりました。

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ハイ・ダムは、いろいろな分野で、エジプトに節約をもたらしています。ダムの主要構造が完成した一九六四年に、川の氾濫が、未曾有の水位に達したことがありますが、その時、もしこのダムがなかったら、カイロ市はニメートルもの水位の流れに満たされてしまったでしょう。このような洪水はナイル河の史上前例のないことでした。一九六四年には、ハイ・ダムは、エジプトが水浸しになるのを救ってくれたのです。一九七二ー七三年にかけては、逆にナイル河はかつてないほど水位が低くなり、これは一九一三年来の低水位でした。こう したことは、おそらく過去百五十年ほどの間に二度しかありませんでした。

 

このような水不足は、サー匕ル地域(注)や、中失アフリカで現在起こっている旱魃と何か関係があるのでしょうか。

 

たぶんあると思います。おおかたの水源地はェチオピアです。そのェチオビアも、今深刻な早魃に悩まされています。一九七二年から、七三年にかけて、もし、これまたハイ・ダムがなかったなら、エジプトにとつては災雔となるところでした。今年(一九七四年)は農業用水にも事欠いていたでしょう。

ところで、これほどの規模の計画を実現するということになれば、それに伴う一連の副産物も覚悟しなければなりません。例えば、土砂の問題があります。氾濫期である七、八、九月には、ナイル河は数十億キロの土砂をあたりに撒き散らしたものです。この土砂は肥料分や、ヵリゥム、燐、窒素のかたまりですが、それは他方では土壤の構造自体を改善してきました。また、その土砂はナイル河の河岸に集められ、レンガの材料としても使われていました。ェジブトの建材のほとんど九十パーセントはこの土砂なのです。しかし、ハイ・ダムが できたため、土砂層が堆稹されなくなったのです 。土壤を肥沃にする土砂がなくなり、建築産業にとってはレンガの材料も得られなくなってしまったのです。その結果、農場では、土壤に活力を与えていた土砂のかわりに、多量の化学肥料を施さざるを得なくなりました。つまりェジブトは、化学肥料の輪入量を増さなければならなくなったのです。これは以前にはなかったことですが、そうなってしまいました。エジプトの現在の肥料輪入額は、年約三億ドルにも達しています。

更に、流域灌溉から、恒久灌溉に変わったために生じ

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たと思われるもう一つの現象としてビルハルツ症(住血吸虫症)の感染率が高くなったことも指摘しなければなりません。この伝染病は、以前は僅か二パーセント程度の感染率だったのが急に六十から七十パーセントに増えています。つまり、水利用の増加により食糧生産を高め、百人の人々を餓死から救えるようになったとすると、ピルハルツ症の蔓延によって、たぶん五、六人の死という代価を払うのです。これはいたしかたないことのようです。

それから、いわゆる、ナイル・カスケイド(滝)計画(Nile Cascade Project)によって引き起こされた問題もあります。アスワン・ダムからカイロにかけて、多くのダムが目下建設されています。これらのダムは、海に流れる水流を緩やかにするためのものです。もちろん、水力発電にも利用され、この地域の町や村に電力を供給します。しかし、このダムも新たな問題を生んでいます。私自身も、ナイルデルタの河沿いの小さな村に生まれました。もし、このデルタ地帯全域から、土砂と水をせきとめて失くしてしまいますと、ナイルデルタの沿岸線を海にさらし て侵食されるにまかせることになってしまいます。一九〇〇年以前は、例えば、ナイル河によって、一単位の陸地を造っていたとすれば、そのうち、海によって侵食されるのは、〇・四単位でした。現在でも、〇・四単位の海洋侵食は続いているにもかかわらず、河は新しい陸地をもはや造っていないのです。結局、差し引き、デルタの沿岸は現在では実質的には〇・六単位ずつ減少していることになり、ナィルデルタは海に喰われているわけです。ということは、なかんずく沿岸の村々は、漁村であれ行楽地であれ徐々に陸地の一部を失ってい るということになります。エジプトはこうした問題に立ち向かいます。これらの問題を解明するため、国連の専門家のチームが研究を進めています。このナィル・デルタの恒常的侵食をくい止める策を見出さねばならないのです。デルタの中心部に至るまでせいぜい海抜僅か一・五メートルしかないので、この問題はいっそう深刻なのです。この侵食が続くと、人間によって引き起こされた海洋侵食になりかねません。それは次のようなことを意味します。現時点では、まだ、デルタと海の間に細い帯状・棒状の分離帯が残って います。もし、この分離帯 - この自然の障碍 - までも破壊されてしまい ますと、デルタ全体が重大な危険に直面します。

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エジプトや、他のアフリカ諸国の開発のために巨額の資金が必要とされていることを考えれば、アラブのガルフ諸国に流入している数百億といぅドルのいくらかでもリサィクルしてもらぅわけには行きますまいか。

 

アラブ連盟や、アラブ諸国銀行協会等を通して、アラブやアフリヵ、アジア諸国の開発に必要な資金を調達してもらぅ努力はなされています。私達が住んでいるこの地域には、農業を発展させることのできる無限の可能性があることを指摘しておきたいと思います。スーダンだけでも、農業振興策を確立し組織的な開発が行なわれるならば、全アラブ世界に供給できるほどの食糧生産が可能なのです。スーダンの土壤は、著しく農耕に適しています。エジプトでは、百万とか二百万エーカーの可耕地を造成するといった規模の話をしていたのです が、スーダンは、二億五千万エーヵーに可耕地を広げるのは、いとも造作のないことです。必要なのは投資だけです。

 

アラブの石油王達Ga naar margenoot+は、ケンクッキーの成金Ga naar margenoot+地主になつたリ、シヤンゼリゼにビルを買つたリしないで、その棚ボ夕式に得られた富を、例えばスーダンの方向に流してくれたらよさそうなのに、という気になリますね。

 

アラブ世界では農業国として有望な国々として、スーダン、ィラク、シリアの三か国があります。もちろん、この国々以外にも、モロッコや、アルジェリアの一部、チユ二ジアも農地としてはみるべきものを持つています。しかし、ご存知のように、例えば、スーダンは人口の過少な国で、しかも資本余力も全くない貧困国です。このような国では、機械力で労働力不足を補うこともできましょう。エジプトにおいても、例えば西部の砂漠のオアシス地域に憐鉱脈を発見しました。これは世界有数の燐鉱脈である可能性が充分です。しかし、その採 掘のためには莫大な開発先行投資を要します。世界各国における肥料不足も考えると、この憐鉱脈は、非常に重要なものとなり得るでしょう。しかしながら、おそらく今後五十年間はェジプトが自力でこの採掘を開始するのに必要な資金を集めることは不可能なことです。ここに、オイルマネーの使い途の一つがあるのです。

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このあたりで、食糧・農業問題から話題を転じて、アラブ世界の華 - 若者達 - のことについてお聞きしたいと思います。彼等の現状はどのようなものでしようか。

 

エジプトの若者達は、極端な競争の圧力に悩まされています。

 

仕事がないということですか。

 

職業の面だけでなく、日常生活一般についてもそうです。初等学校に通っている生徒のうち、大学へ進学するのは、一七四人に一人の割合です。

 

どうして、そんなことになっているのでしょう。

 

大学が極端に少ないということです。

 

エジプトも、そうなのですか。それなら、生徒の選抜もあるというわけですね。

 

次のようになっています。六歳に達した子供達は、六年間の初等教育を受けます。それから試験に合格しますと、第二段階 - 私達はこれを中間学校と言います - で三年間勉強します。その後、更に三年間、中等学校へ進学し、そこで「バヵロレア」、つまり中等教育修了資格を得ます。それから大学へ進みます。これら全般を通じて狭い門をめぐる厳しい競争に勝たねばなりません。昨一九七三年に、中等学校を卒業した十七万五千人の生徒に対して、大学、あるいは、その他の高等教育機関の定員は、僅か五万人でした。つまり、子供達は六歳で小学 校へ入学すると同時に、何段階もの苛酷な競争を強いられているのです。ェジブトのこのような社会情勢は、彼等の生活態度にも大きな影響を与えています。

世界の多くの国々と同様に、ェジプトでも大学を卒業しないと真に尊敬すべき市民とはみなされません。もちろん、こういった考え方は根本的にまちがっています。私自身、こうした状況を弁護しているのではありませんが、誰もが、大学に入学し、学位を取得したいと欲していることは事実なのです。しかし、今日のエジプトでは、大学卒よりも、しばしばバスの運転手の給料が高いこともあり、また、工場労働者で大学卒よりいい給料を取る者はいくらでもいます。

 

まるでソ連の括のようですね。

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これが現状です。しかし、社会的圧力や、社会のブレスティジの構造によって、親は子供を大学へ進学させるのに必死です。親逹も、大学の学位取得の夢を捨て切れないのです。こういう状態は改めなければなりません。 そして、実際、徐々に変わってきてはいますが、問題はあまりにゆっくりだということです。ェジプトの人口は、あまりに急速に増えつつあるため、必要な社会的対応もこの増加する人口の引き起こす問題にとても追いつかないのです。

 

その上、大学は出たけれど、今度は職がない、というわけてすか。

 

ある程度はそのとおりです。と首うのは、すでに、全ての大学卒業者に仕事を与える責任を政府が自らに課しているからです。このことの実際的意味は、月末には、全ての人が給料を支給されるということです。だからと言って各自がそれぞれの経験や教育が生かせるような仕事につけるというわけではありません。人々に、形式上、職業が当てがわれ、履用されている、ということにすぎません。

アラブの若者達のこのような重荷を軽減するため、アラブのオィル・マネーはどのよラに使えばよいとお考えですか。

 

先ず、教育制度を何とかしなければなりません。主要なことは、人格形成の真の過程を確立することです。私達は、若者達に物資やお金を直接手渡す必要はありません。ほんとうに重要なことは、若者達を単なる消費者にするのではなく、社会の生産的成員に育てるために、若者達に適切な場を与えることです。

 

でも、やはリ「成長の限界」もあリますね。

 

もちろん、「成長の限界」が必ずあり、発展のための物質的手段の問題もあると思います。しかし、多くの社会的、政治的、文化的制約もあって、これらが、手に入るべき資源の充分な開発を厳しく制限しています。しかも、財力のある人々は、必ずしも、手に入る資金を、彼等が当然そうすべきょうに、合理的に、ないし私達が望んでいるように、用いようとしません。私はしばしば、十九世紀は博物学の分野における偉大な発見がなされた世紀だ、と言った賢い人の言葉を思い出します。二十世

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紀は、蒸気、電気、核ェネルギーのような物理学の偉大な発見がなされた世紀になりました。二十一世紀は、人間心理の面で偉大な発見がなされる時代になるでしよう。この時代は、人間の行動や脳を理解する時代になると思います。

 

そうぃった知識が、人間を救うことができるでしようか。

 

少なくとも、それによって私達の行為や行動を合理的なものにすることは可能になると思います。石油をたくさん所有する富裕な人達は、彼等の財産を開発のためにではなく、ロールス・ロィスや、更に悪いことに、武器、爆弾あるいは、見せびらかしに戦艦を購入するのに支出してぃます。アラブ世界地域に真の平和が訪れれば、私達はずっと合理的な態度をとれるでしようし、資源や資本ももっと合理的に使用できるようになると思います。エジプトは、過去二百年にわたって毎年平均約十億エジプト・ポンドもの金を使っているのです。この 金額は、つまり、過去二十年間、毎年、アスヮン・ダムのような大規模のダムを三つも建設できたほどの莫大な金額です。このような現状は、実に悲しむべきことです。不合理なようですが、これが現実なのです。一国が政治的陰謀の罠の中にあって、しかも選択する自由がない時、こういうことになるのです。もし、仮りに、私がェジブトの指導者の立場にあるとしても、彼等がやっているのと同じことしかやれないでしょう。いったい、他に何ができるでしょう。

 

そうかもしれません。しかし、ストックホルム国際平和研究所(SIPRI)が常時流している研究報告が雄弁に物語るように、現在、戦闘状態にはない、ポリビア、プルー、アルゼンチン、のような国々も(ほんの一例ですが)先進国から巨額の武器を購入しているではあリませんか。

 

全く、それが問題です。

 

気狂いじみています。

 

もちろん、それはそうです。全く狂気だとしか思えません。でも、これは、私達の現代社会の確固たる一側面なのです。いったい、人間行動をどのようにして合理的なものにすればよいのでしょうか。

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二十一世紀に向かって急いで歩み、人間の脳がどぅ働くかみたいものですね。

 

それをみとどければ、私達は、「限界はない」と言い切れます。

 

(注) アフリカ西部、セネガルからスーダンにまたがる地域。

(仲里一彦)

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