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Asu no chikyû sedai no tameni (1975)

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Asu no chikyû sedai no tameni

(1975)–Willem Oltmans–rechtenstatus Auteursrechtelijk beschermd

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21 ビクター・L・ウルキディ

ビクター・L・ウルキディ(Victor L. Urquidi) 教授は一九一九年メキシコで生まれた。ロンドン・スクール・オブ・ェコノミックスで経済学を学び、メキシコ中央銀行の経済研究員となる。一九四七年から四九年まで、国際復興開発銀行に勤務。同四九年経済担当官として、メキシコ財務省に入った。

一九五一年から五二年まで、国連のラテン・アメリカ経済委員会(ECLA)で働く。一九六六年以降、ウルキディ教授はメキシコ大学(El Colegio de Mexico)の学長を務める。現在同教授はローマ・クラブのインナー・サークルのメンバーである。

数ある著書の中で、 Free Trade and Economic Integration in Latin America, 1962' The Challenge of Development in Latin America, 1964' などがある。

 

ローマ・クラブとは当初から関係していられたようですが。

ローマ・クラブのことについて初めて話しを閒いたのは、アゥレリオ・べッチエィ氏〔本書第一卷対談70および本書対談49参照〕の友人でもあり私が国連で仕事をしていた頃の一友人からで、一九七〇年のことで、この友人は、人口増加や開発と科学技術との関係等から惹起されてくるいろいろな問題に対して私が非常に関心を抱いていましたから、いつも私にことの真相はよくみきわめるようにと忠告してくれたものです。

私は国連でこういった問題と関わりを持っていましたので、自囯における人口成長問題、開発事業問題に関していくつかの調査を実施しました。ローマ・クラブの生い立ちを読んで非常に関心を持つようになったのです。と言いますのは、こういった問題はもはや国家レベルの問題ではなく、まさに国際レベルの問題であることに気がついたからです。そういうことから、私はローマ・クラブに加わることになりました。

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メキシコが将来の全体計画に着手するようになった理由を、かいつまんでお話ししていただけますか。

 

メキシコの将来にどういう選択の道が残されているのか、それを体系的に研究していくための地域的研究組織はまだできあがっていないのです。バリローチェ財団でもその事業として現在、ラテン・アメリヵ未来モデルを作成しつつあります。しかし、メキシコには現在、さまざまな研究グルーブがあって、研究方法を検討したり『成長の限界』その他のモデルのもたらす結果を分析したり、いろいろと研究が続けられています。メキシコ・モデルGa naar margenoot+を開発して行くための研究体制を組織して行く ことにわれわれも非常な自信と希望を持っています。われわれがモデルの開発に着手したのは、単に知的な必要性からという理由だけではありません。それは現在メキシコに長期計画立案に対する官民あげての熱望が高まりつつあるからなのです。メキシコは今、急激な人口増加のために、困難な問題に直面しています。二十年以内に人ロは今の二倍に逹するものと推測されております。都市人口の増加問題は、すでに多くの国々がその過去において経験し、また現在のブラジルやチリ、コスタリカがこの十年問に経験 していることなのですが、人口統計学者達でさえ、その特効薬を未だに見つけ出してはいないのです。この都市地区における人口増加は何に起因するものなのか、はっきりとした原因はわかっておりませんが、地方からの大幅な人口流入という本実と関係していると思われます。これらの人々は教育レべルが非常に低いために、小規模家族運動を推し進めてもそのようなことで動かされることがないのです。人口を減少させるために何をなし、どういう必要処直をとるべきか彼等は知らないでいるのです。一九七〇年度の国勢調 査によりますと、メキシコ人の平均教育は三年以下という結果が出ています。そして、メキシ コ人口の五十七パーセントに相当する一千三百万の労働者は事実、学校教育を全く受けていないか受けているにしても四年以下の教育しか受けていないのです。

以上のことから正常な人口推移を達成して行くことについては社会的・文化的にも非常に困雔なもののあることがおわかりいただけたと思います。しかし、一方、死亡率は減少しており、一九四〇年の二十五パーセントが現在では九バーセントに減少しております。その比率はややにぶってきてはいますが依然として下降を続けてい

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ます。

こういった種類の問題をみるとわかるのですが、過去五、六十年にわたる社会的大変革にもかかわらず、また、全般的にみて、進歩的政府をして深刻な社会改革と発展の促進とにとりかからせ得たにもかかわらず、メキシコは今でも食糧供給、都市生活、都市への人ロ集中、住宅、教育、更に、最近では雇用といった多くの困難な問題に今なお直面しているのです。また、失業は存在しないということになっていたのですが、最近のデータは失業の存在を示しました。一九七〇年の顕在失業者は少なくとも百万人であ ったし、潜在失業者も同様に百万人でした。この両者で労働力総計の十五バーセントに当たります。

死亡率の高い幼児期を生きぬき、現在では学校に行くべきか就職すべきかといった年齢に逹している世代の人人の声に、政府はやっと耳を傾けるょうになりました。充分なデータに基づいて推測しているわけではありませんが、失業については二十歳以下の年齢層が特に深刻な事態にあります。メキシコはつい最近まで、かなりょい成長率を維持してきました。メキシコが二十年以上にわたって六・五バーセントの成長率を堅持してきたことは印象的でさえあります。メキシコはこれまで、開発はメキシコの内包する 問題に対して一つの答を与えるものだと考えていました。要するに開発は急増しつつある人口の需要に幾分か答えるものがあるだろぅと考えていたのです。しかしメキシコは今別の観点に立っており、政府は最近その人口政策に関する姿勢を変えています。つまり、これまでの無政策的態度から、家族計画にょって人口の成長率を低下させて行こぅとする積極的な態度へと変わってきたのです。

 

家族計画は必要だけれども、それはあくまで自主的な形でなされるべきだと、ィンドのガンジー首相は語ゥておられましたが......

 

メキシコはカトリックの国であり、教会のとる立場や、これらの話題をめぐって発展する狂信的な考え方が多々あるものですから、メキシコ政府は夫婦のとる個人的な決断は大いに尊重することをはっきりと言明しています。しかしながら・これまで、実情を掌握することが非常にむずかしかったことは事実です。

現在政府は各地方の病院系統や、社会保障制度、更に国立病院を通して家族計画を推進していますが、さしあ

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たり、著しい情報の不足を感じているところです。

メキシコ政府の今なすべきことは、国民が自らの家庭事情はもちろんのこと、国家の問題と関連づけてこの問题を理解するようにさせ、また彼等が対処すべき方法を見つけ出すことのできるような情報を政府が提供してやることです。強制的な家族計画はそれがどんな種類のものであろうとやがては失敗します。

話はもとにもどりますが、われわれはすでにメキシコの長期展望計画シリーズを発表しています。二十年以内に起きる人口倍増問題ばかりでなく、わが国の経済の国際的依存度をいかに低減させるかという問題、輪出品を増大し国際市場における競争力を商めて行く問題、わが国の主要輪出品 - それは未だに一次産品ですが - の防衛問題、またわが国の国際収支の面で大きな比重を占めてきた観光産業の振興の問題などがその中で取り扱われております。

現在の中期的な見通しによると、メキシコの国際収支は非常に暗く、メキシコはその外国借款を、たとえそれが将来非常な重荷となるにしても、必要な程度の増加ははかって行かなければなりません。

メキシコとアメリカとは親密な関係にあつたけれども、アメリカはその社会を建設することでいろいろと失敗を演じてきましたし、またアメリカがメキシコや他の外国に対してその経済的限定政策をとり続けている限り、メキシコはこの南=北関係を打破しなければならないし、現政府の下でメキシコは現にそうしつつあるのです。メキシコは、自国の基本産物や製品を輪出して行くというだけでなく、メキシコ資本と提携した外国の投資を魅力あるものにして行くょうな考え方を持って、ラテン・アメリカ諸国とはも ちろんのこと、欧州共同市場や東洋諸国と相提携して行ける独自の方途を見つけ出して行かなければなりません。

 

ヘンリー・キッシンジャー氏が国務長官になった時、彼は、自分の最初の仕事はメキシコを訪問し、アメリ力が西半球に与えている重要性を強調することであると言っていました。『こユーヨーク・タイムス』紙は、このことが真実ならばたいへん結構なことだというふうに論評するにとどまリましたが。

 

あなたはラテン・アメリカに関するニクソン大統領の有名なスビーチを想い出しておられるょうですが、これは全く新鮮味のないもので、ラテン・アメリカに対する

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アメリカの威信を低下させたにすぎません。あの政策声 明や、ラテン・アメリカがその開発のための道具として利用してきた米州開発銀行の果たす本質的な貢献の確保が著しく困難になったこと、また贸易に関するアメリカ院外圧力団体にょるラテン・アメリカ輪出品の輪入阻止行動(メキシコにとってはこれが一番痛手となりました。特に野菜や海産物の加工品について)、これら全ての行為は、それがいかなるものであろぅと、アメリカの意図や積極政策に対する信用を完全に失墜せしめる結果を招いたのです。

一九七二年にエチェベリア大統領がアメリカを訪問された時、アメリカの対外政策おょび米州機構に対して、非常に批判的な態度を表明されています。大統領はメキシコと米国との協カ関係については、細部事項に関わる問題にわたる協力が必要であることを強調しておられました。これらの問題の中には、メキシコ北西部の広大な農耕地を文字どおり破壊してしまったコロラド川からくる塩分の問題が含まれています。大統領はこぅ語っています。「われわれは、友好国同士の間で問題解決のため何らの努力も なされていないのにひきかえ、敵対国と協定を締結するために莫大なエネルギーと努力が払われているのをみるのは驚きである。」と。このことがあってから、アメリカ政府は直接反応を示し、この問題は遂に十八か月以内にメキシコが大いに満足できる程度の確固たる解決をみるに至っております。

 

私は、アルジェリア会議の経済委員会の議長を務められたチリのヘルナン・サン夕・クルーズ大使とジユネーブでお会いする機会があリましたが、その時の括によりますと、いわゆる第三世界は独自の開発銀行を設立する計画があるといぅことでした。

 

ご承知のとおり、ラテン・アメリカには地域銀行おGa naar margenoot+よび米州開発銀行とがあり、また三つの地区銀行、Ga naar margenoot+中央アメリカ銀行、アンデス・コーボレーション銀行、力リブ開発銀行などがあります。

 

資金は全てラテン・アメリ力諸国によってまかなわれているのですか。

 

関心ある国々からの援助によってまかなわれています。米州開発銀行の場合ですと、大口の援助国はもちろん米国ですが、今ではカナダ、ョーロッバのいくつかの国々も、またつい最近から日本も援助するようになりま

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した。しかし、いずれにせよ、これは実際に働いている制度です。米州開発銀行は設立されてからすでに十年以上経ち、相当の経験を積み、今では全世界の資本市場に接近しつつあります。今や同銀行にとって必要なことは、米国議会やソフト・ローンのための同銀行特別信託基金への出資、あるいはまた同銀行の米国側の理事の投票力の中などにも現われているような米国の意志に対して、その依存性を減少せしめて行くことなのです。そして遂にその機会はやってきたのです。つまり、ベネズェラ、エクア ドルというラテン、アメリカの二大石油産出国が、アルゼンチン、ブラジル、メキシコなどの主要ラテン・アメリヵ諸国に加えて、米州開発銀行に対して更に大幅な出資を行なうことができるようになり、したがって投票力を更に拡大できる見込みが出てくるようになったからです。

 

進歩が更に進歩の圧力を生むというわけですね。特にブラジルでみる限リ、基本的な目標は成長であると思われます。メキシコでは経済成長は幾分かスロー・ダウンされるべきだ、あるいは将来それはスロー・グウンすることになる、とぃったことを感じてぃる人はいるてしようか。

 

これはむずかしい質問ですね。まあ、生活水準が平均的に非常に低くて(メキシコは今日でも国民所得は一人当たりおよそ七、八十ドルしかありません)、工業化を進め雇用を拡大する必要のある国々の場合ならば、どの政府でも経済成長は促進されるべきだと言わざるを得ないと思います。しかし所得をうまく配分できないような経済成長は社会目標とはなり得ません。これはここ二、三年来、メキシコがはっきりと証明したことなのです。わが国の経済学者の研究は、収入のよりよい配分がよりよい雇用形態をも たらしていることを明らかにしています。

しかしながら現在メキシコに起こつていることは,僅かな人間の雇用しか必要としない現代農業と大幅な雇用を必要とせずにむしろ先進工業国で開発された労働力省力化のテクニックを駆使して商品の生産を行なっているような產業とを、不本意にもわれわれ自身が育成しているということなのです。したがってわれわれは、メキシコの政治的背景とメキシコ革命およびその目的を、あるいは過去五十年にわたって実行してきた諸政策などを考慮して、社会的、文化的目標を重視して行かなければな

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らないのです。つまり、いわゆる社会的公正を同時に逹 成しようとしない目搮のバターンないしモデルを追求することはできないのです。要するに所得の再配分政策を推進して行かなければならないのです。社会諸集団間の参加のバランスもとらなければなりません。

われわれがもし、金持ちを激励するだけでなく、彼等の経済的地位に対して好意を抱き、またこの実業家の地位を利用して行なう政治的圧力を許すような社会目標を目指したり、あるいはこれら財閥以外の他の諸階層をひとまとめにしてこの特権的システム、あるいは公然たる資本主義システムの中に統合して行くようなことにでもなれば、われわれはいつまでもメキシコの構造に根ざした基本的な問題を解決することはできないでしょう。

メキシコ革命の真の目的は自由な社会の中に社会正義を生み出すことでした。

 

私がィン夕ビューしたアフリカ人の中には今の段階で学生達に『成長の限界』について語ることは早過ぎるという人がいましたが、メキシコの学生にも、これらの問題について語ることは時期尚早だとお考えですか。

『成長の限界』に関するメドゥズの研究はメキシコでたいへんな好評を博しています。これはメキシコだけでなく、その他のラテン・アメリカ諸国やスペィンでも幅広く読まれています。この研究は、一方では、多くの人々がこれまで出会ったことがないほど明示的に、また劇的に世界問題を解明しています。更にまた他方では、これまで成長自体がやがて社会的にも正しくない社会構造を生み出すものであることも多くの人逹に理解させていると思います。

正常な感覚を持つ人であれば、誰もメキシコが成長を停止すべきであると提言する人はいないでしょぅ。事実われわれだって、先進工業国が当分の問でも成長を停止すべきであるとは言いません。なぜならばわれわれ自身の成長は先進工業社会の成長と大きな関わり合いを持たずしてその発展はあり得ないからです。

しかしながら、メキシコには今さまざまな考え方が広まっているのです。例えば成長バターンの転換をはかるべきであるとか、工業社会おょび脱工業社会における消費の姿は浪費であるとか、あるいはまた、裕福な生活をしている一部の人々は先進国の生活を模倣しそのために不必要な消費とエネルギーの浪費を繰り返し、また環

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境、特に都市環境の悪化やその他諸々の局面から起きる 消極的価値を彼等は自らのために創り出しているのだといったようなことなどです。

こういった考え方が髙じ、将来の危機に対する思惑が国民の中に広く浸透して行くならば、浪費という点からわれわれの今日を大いにみなおすといったような人知が生まれてくるに違いありません。事実、一九七三年暮れのエネルギー危機の時、メキシコはこのような危機で影響を受けるようなことはないと考えていました。なぜならばメキシコは石油からガスに至るまでの燃料は、自給自足できる分は少なからず持っていると考えていたからです。これがその時のメキシコの直接の反応でした。

しかし、事情はやがて一変しました。われわれにはそのような能力はないばかりか、逆に総需要の十五バーセントを輪入に頼らなければならなかったのです。しかもその輪入コストはたちまちにして四倍にはねあがることになったのです。ですからメキシコはこれから自給自足できるようにあらゆる努力をしなければなりません。その上、ユネルギーを浪費しないようになおいっそうの注意が必要なのです。

何事にも限界というものがあるGa naar margenoot+と思います。資源は一夜のうちに有益なものへと転換できるものではありませんGa naar margenoot+。またメキシコ市のような規模を持つ都市ならばどこでもみうけられることなんですが、人口の過剰集中は有害となることがあるGa naar margenoot+のです。更に社会的圧力を助長する不平等、贫困あるいは文化的不同化といった問題と絡んだ事態はどんな囯家にとっても決して健全な状態だとは言えないのです。

二年前には誰もこういった問題に気をとどめるようなことはなかったとすれば、今や、『成長の限界』という劇的発表があってから、もちろんメドゥズ報告の持ついわゆる宿命論的見方に対しては反対論がないわけではないけれども、人々はこれらの問越について絶えず疑問を持ち統けるでしょうし、また、少なくとも重大な関心を払うだけの理由がそこにあることを承知するでしょう。「われわれは、一方の解決策がだめならば別の解決策を見つけ出すこともできるし、また世界も黙って見てはいないだろうか ら、完全な崩壊といった最悪事態とはなるまい」というのがこの種の問題に対する人々のごく自然な反応なのです。それでは今、誰がどのようにして、どういう手段を使ってか、ということになると誰も本当には知らないのです。しかしメキシコの知識人や政府に信

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頼を寄せる人逹は悲観論や沽命論には陥るまいというはっきりした認識を持っています。なぜならば悲観論的・宿命論的見方というものは、なすべきことは唯一つしかなく現代工業資本主義の発達のもたらす結果がたとえ何であろうとそれを単に受け容れることなのだというふうに考えているからです。われわれは今いろいろな点から考えて、現代工業資本主義社会にあると言えましょう。しかし自国の歴史と自国の人材開発に対してはょそと異なる側面を持っており、それがわれわれをして何かなし得るとい う感じを起こさせているであろうと思われるのです。

 

若い世代のことや失業增大問題、また大学はこみ過ぎて研究に入れない学生が多いなどといった問題について、あなたがお話しなされたことに私は感銘を覚えたものですが、これはまさにメキシコの将来と関係したことだと考えます。したがってこれらの若者達を葛藤のふちに追いやらないために、将来どういうことがなされ得るのか、また何がなされるべきなのか、あるいは彼等の未来を希望に満ちた信頼のおけるものにするためにはいつたいどういうことがなされるべきだとお考えなのでしょうか。

これは非常に深刻で重大な問題です。メキシコはほんとに若者逹の国なんです、全人口の四十六バーセントは十五歳以下の人達です。出生率は高く乳幼児の死亡率は減少しつつありますからこのバーセンティジは今世紀末まで上昇し続けるであろうということが、これまでの報告から明らかにされています。

メキシコの教育システムは他のラテン^アメリカ諸国のそれと異なっています。例えばチリやアルゼンチンの、あるいは、ある意味ではコスタリカの教育と比べてさえも進んだものとは言えません。しかし、メキシコ政府は革命後の二十世紀初頭以来、僻地教育を含めた基礎教育の推進には多大の努力を払ってきたのです。しかしながらこういった注目に値するような教育的な努力があったにもかかわらず、メキシコは未だにおよそ二十五バーセントの文盲を抱えているのです。先にも言っておきましたが、メキシ コの労働人口の五十七バーセントはほんとに四年以下の教育しか受けていないのです。だから、その部分は、実際上は依然として文盲です。

学齢児童の平均的な就学率をみればわかることです

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が、都市地区ではかなり高い就学率を示している - 例えば小学校なら、百バーセントに逹することはないまでも実質六、七十バーセントには逹していま - けれども、地方ではそれが非常に低い比率となっているのです。

これは子供逹が学校で学ぶということに充分動機づけられていないことにもよりますが、小規模のコミュニティーに必要な学校と教員とを政府が供給できないことによるものなのです。

こういうことを間くと驚くかもしれませんが、メキシコの総人口五千七百万人の中の一千五百万の人間が、要するに総人口の二十五バーセント以上の人間が、僅か千人にも満たない単位のコミュニティーに住んでいるのです。したがってこういう小規模なもので、学齢人口のほとんど三分の一に学校施設を供給していくことがいったいどういうことを意味するか想像してみてください。

われわれは過去十五年間にわたる初等教育の進展ぶりから、中等教育のあり方を充分早く予見することはできませんでした。また過去七、八年間というものは、文字どおり中等教育の爆発的な発展がみられ、政府は全国津津浦々に中学校、職業学校、高等学校を気狂いじみるほどに建設してきました。しかし突際生じたことは、国民 - 靑少年 - は、職業についたり商業学校に通いたいというよりも、一般教育を身につけたいという志向を示すということでした。その方がむしろ社会的な地位を得ることができ、事務職 につくことができるのです。そうすることによって違ゥた服装をすることができるし、ホヮィト・ヵラーとなって高い給料が貰えるのです。

大学の影響も全く同様なことです。換言すれば大学というものは伝統的に、単にものを習う場所とか技能修得の場所ではなくて、全てから超越した一つの威信を意味するものでもあるのです。この点でメキシコの大学教育制度は、他のラテン・アメリヵ諸国のそれと違うところはありません。われわれの教育制度の異なる点と言えば、総合的な一貫教育、国家目標と呼応した画一的な教育制度ということに重点が直かれているということでしよう。まだ他と異なるところがないのは,われわれの中学校、高等学校 教育制度でしょう。われわれはそこで、教育というものが持ち得る目的の多様性に対しては全て充分な注意を払ってきたわけではありません。この教育の目的とは、単に国民を高等教育機関に進めて法律家や機械技師あるいは経済專門家や会計士などといった人間を

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養成するために、歴史や数学や科学知識を彼等に教え込むことではないのです。単にそれだけでは、人々は、現代的な社会のバターンに充分適合することはできないでしょう。このこともまたよく承知されていることなのです。そしてメキシコは現政府の下で、教育制度の中で一つの変革を遂行しつつあります。例えば小学校では、子供述が現実的な世界や、コミュニティー内の、あるいは多様化したコミユニティー間における人間の社会的な相互関係などといった身のまわりの世界を理解できるように新しい 教科書を開発しています。私もその新しいテキストの作成に加わっておりますが、うまく行きますと子供逹は、小学校を卒業するまでにすっかり考え方が変わることと思います。またメキシコの問題についても社会的な立場からこれまで以上によく理解することができることでしょう"またテキストから単に何かを学ぶだけでなく、身辺の日常生活を理解する何か有益なものを学びとることに違いありません。

話を大学のことにもどしますが、メキシコの大学は今ようやく入学者の增大という量的な問題に直面するようになりました。これら中等教育修了者が大学に押し寄せてきているために、大学は文字どおり泥沼化し途方に暮れているところです。その上、大学の主な財政的支えとなゥている連邦政府からの割当資金が、こぅいったなだれ現象を乘り切るだけの充分な額でないといぅ事情が加わっているのです。その資金の大部分が教室を供給するための校舎建築だけに使われてしまいます。教授陣の強化と適切な給 与の引き上げには、国立大学は別として、ほんの僅かな資金しか使われないのです。常勤教官のポストも不充分です。ほとんどの教官が未だに非常勤です。あるものはエンジニアとして、医者として、弁護士として、あるいは経済専門家としての仕事を持ち、週に二、三時問だけ大学に教えにやってくるのです。また学級規模が非常に大きいために学生はお互いに他をょく知らないままでいます。これは全く人間性を失わせる教育ィなのです。図書館は私のいるメキシコ大学のょぅに学外にある大学もあるのですが 、普通は学内にあります。いずれにしても一部の学部図書館を除いては全く貧弱で価値あるものとは言えないものばかりです。授業も、メリットの高い一部の大学や特定の学部を除けば、全般的に質的な低下がみられ、アヵデミックな雰囲気などキャンビバスのどこにいっても感じられないほどにみじめなものとなつているのです。

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規律らしい規律もないために、学生の評価や教官の用いる基準まで、しばしば政治的同情に妨げられるという、狭い意味での政治的干渉の問題にも直面しています。

学士号をたずさえて大学を卒業しても、政府や商社その他いろいろな場所で取り扱わなければならない問題を処理することができないほどに彼等は不適格者なのです。そういう事情にあっても、聡明なニリート学生がいることはもちろんです。彼等はメキシコやアメリヵ、ョーロッバその他の国々の大学院に進学し、帰国してエリートとなり重要なポストを獲得します。メキシコでは有能な大学卒業者が就職することで困ることはちっともありません。実際そういう職茱の需要も多く、いい仕事について高給をとっていることも事実な のです。しかし一方では同時に、平凡で未熟で技能の劣る技術者を数多く生産していることも事実です。彼等は工業化時代という現代社会の中で職を見つけ出すこともできず、また政府やその他の研究機関で研究して行くこともできないためにフラストレィションの中にあるのです。そしてまた彼等はあらゆることに不幸を感じているのです。こういった事情の背後には、大学の狭き門を入りそこねた者とか、就職ができるほどには充分な中等教育さぇロクに受けなぃでいるとか、低い給料の仕事にはつきたくないという社会的な目標 を持つ十七、八歳の靑少年達がいるのです。

 

メキシコの作家オクオヴィオ・バズは最近こんなことを言っています。「ラテン・アメリカはますます理想の廃墟と犧牲者の骨の山になっている」、と。

 

メキシコばかりでなくアルゼンチンやその他多くの国国の情勢をみるならば、例えば一九七三年チリで起きた暴動をみるならば、おそらく悲観的にならざるを得ないでしょう。しかしそれは全く悲観的なものばかりではないのです。なぜなら、常にわれわれがよく言うように、 ‘contra viento y marea’ (風と潮に逆らって)「トップに舞い出る」少数の人逹がいるからです。こういう少数者こそが将来のラテン・アメリカとメキシコの経営者としての、また行政官としてのエリートなのです。しかし彼等は、この画一的な一般大 衆 - 政治参加は望んでいても真に重要なボストに耐えられるほど教育を受けていない大衆 - をうまく扱えるものなのかどうか......

 

先進国は何をなすべきだとお考えですか。あたかも、スぺィン語ができてメキシコで教鞭をとリたがっ

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ている二千五百人ばかりの米国の若者達を導入してもよさそうにみうけられるのですが。

 

それは全くできない相談です。現在メキシコは教育改本を含めた社会改革を進める必要を声を大にして訴えており、また例えば七、八年ほど前よりはるかに重要となってきていることを実行してきているわけですが、まだ、独立の社会として必要なだけの技術者を養成することと、そのような人々が形成され得る社会構造を創り出して行くのに充分な資金供給ができない状態にあるのです。

 

それは単に資金の問題なのですか。

 

いやそれは資金以上の問題です。もちろん資金の問題でもあります。なぜならば、現政府の下で大学を援助するお金がもっとあるならば、大学は当然それを欲したであろうからです。しかし何よりもわれわれが今必要としているのは技術者です。そういうわけですから、技術者の養成にわれわれは先ず第一に着手しなければなりません。しかし問題はなおそれ以上のものがあります。

過去二十年間、メキシコは社会的な下部構造への政府投資、対外国借款、電力普及、灌溉、道路建設、都市の基本施設等々を通じて、経済成長の方に重点を置いてきました。同時に民間企業に対しては奨励と政府保護、長期融資、外国ローンの保障などを与えることによって企業政策の推進をはかってきました。

メキシコの歴史的環境の中で起こったメキシコ革命とその成果を役立てて行くために、また民間企業団体がその蓄積資本を投資できるよぅに奨励して行くために、税金は将来も軽減の状態にしておくことが暗黙の諒解として広く存在しているのです。今われわれは社会および教育上のへこみを埋め合わすために膨大な資金が必要なのです。しかしそれは適切な税制によって支えられていなければなりません。税金の総量はありとあらゆる税金を含め、また有料道路料金を合わせても、GNPの僅か十四バーセントにも逹 しないのです。いかなる基準をもってしても、またいかなるモノサシをもって計ってみても、メキシコの税金は世界一安いものの一つです。このことが米国やョー口ッバでは雑誌の記事となり、いろいろと書きたてられているのです。こぅいった問題は私に言わせれば政治的な問題であって技術上の問題ではありません。脱税が多かろうといった議論はできましょう。そ

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う、そういうことはどこの国にもあることです。メキシコの脱税がそれ以上かどうかは誰も知らないことです。もしあなたが大型コンビュータを使い全ての人間に番号をつけてこういった問題を追求して行くならば、また行政を改善して完全に忠実な政府を創り出すことができるならば、税金ははるかにたくさん集めることができるでしょう。しかしそれは基本的に政治の問題なのです。メキシコに、政治家を含めて、公正不正とを問わず私腹をこやしている人逹 - 土地財産を蓄えて膨大な資本を得ている中産階 級、法外な高給をとっている職人達をも含めて - がいて、ある意味で身代金でも強要んばかりに、儲けがなければ財産を賭けることも協力することもしないという態度を持ち続けている限り、メキシコに適切な税制を敷くことはしごく困難なことなのです。こラいった問題を解決しないで別の問題を扱うことはできません。私は自分の研究からしてこの問題に関しては悲観的な見方を持っています。一九四〇年代の税金問題を私は初めて手がけてみたのですが、メキシコは一九五〇年代に税制改革をする必要があると 害いておきました。一九六〇年代に私は、メキシコの税制改革を行なうべくニコラス・カルドア氏のアドバイスを受けていた髙水準の研究グルーブに加わっていました。そして以前よりわれわれははるかにいい提案ができるまでになっていました。しかしその後私は研究に加わっておりません。なぜならば、同じような研究が二年ばかり前に行なわれましたが、結果はまたもや失望でした。つまり、問題解決の可能性すら持たず、問題の解明だけに二十年もかかるという結果に終わったわけです。

まあ、これはさておいて、社会的優先順位に従った富の再配分は可能かどうかというあなたの質問にもどることにしましょう。メキシコは技術者を養成し、そしてまた、メキシコのような国が必要としている髙等教育機関のための図書館を建設して行くことができるべきなのです。そのために資金は使われるべきなのです。

 

あなたのお話を聞いておリますとメキシコはもう一度大革命を起こす必要があるように思えてなりませんが。

 

そうです。われわれはメキシコ革命が何を意味するものであったのか、はっきりさせる必要があると考えています。メキシコ革命は既存の規則制度の破壊はもちろんのこと、全くの無政府、無秩序状態の大動乱であり、百万

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余にも昇る人命を犧牲にしたものなのです。その混乱は およそ十年間も続きました。そしてやっと革命の中からやや保守的な勢力が現われて国の再建と統一にとりかかったのです。その後に何が起きたかを振り返ってみて感ずることは革命のやや急進的な面がかなり抹殺されているということです。翻訳することはむずかしいのですが、‘Mediatizados’ というスぺィン語を使っています。革命は最初意図されたとおりには進んでいませんでした。そういうわけで、土地改革、教育改革,社会正義、労働者の権利等とい った問題が当初意図していたとおりに、あるいは革命指導者達が国のために必要だと考えていたとおりには進行していませんでした。ロージャー・ハンセンの著書『メキシコ発展の政治学』(Politics of Mexican Development)の中でこの種の問題が広範にわたって扱われています。ハンセンはこれらのことを全てメキシコ人自身にかこつけて批難していますが、彼が充分考慮しなかったことの中にきわめて重要でしかも長い間忘れ去られていたものが一つあります。メキシコ革命や一九二〇年代の新政策が外国の干渉によって、実質的 には米国によって、どれほど脋かされていたか、部外者などが理解できることはないのです。石油立法についてもメキシコは、米国政府の意のままに敢大かつ大幅な譲歩をしなければならなかったし、また武力介入の脋威が目前に存在していたこともしばしばだったのです。

認識しておくべき第二の点は、一九二〇年代から三〇年代の初期までの全期間にメキシコの行なう新開発はそれがいかなるものであろうと、全て外国援助なしにやって行かなければならなかったことです。そればかりでなく、資本さえ外国へ流出して行ったのです。

人心も細分化されて非常に微妙なものがありました。外国の庄力によることでもあったのですが、それは急進的な目標で石油産業を没収し、極限まで土地改革を押し進めて行った、かのカルデナス政権に当てはまることでもありました。いわゆる世界市場、特に米国へ商品を売りつけ、更に米国資本に対して少なくとも非敵対的な立場をとっておく必要があったことなどから、あらゆるものを危険にさらしてしまったことによるものです。米国との間で少なくとも政府対政府を基盤とした関係が民主化されたのは ルーズべルト政権が現われてきてからなのです。したがって、例えば最近のチリのように、国策が自国の国家目標にそって遂行されて行くことを妨害する巨大な外部圧力によって、メキシコは長期問悩まされて

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きたのです。またチリのァジェンデは、遂に自ら銃弾に倒れました。一九二〇年代から三〇年代のメキシコ行政はヵルデナス政権を除けば、率直に言って皆妥協した行政でした。それは全てがそうだったというわけではありません。なぜならば地方行政や教育や社会事業が決して無視されていたわけではないからです。しかし、歴代のメキシコ大統領の政策声明の中にはしばしば煽動的なロ調が現われていたことは事実です。それでもシステムは揺ぐことはありませんでした。利害の均衡は網の目のように絡ん でおり、メキシコの労働運動が厳密な意味で独立していたことは決してなかったほどです。それは今でもなお社会的制度の一部としてよく保たれているのです。外部圧力の脅戚に直面してもボートがひっくり返るようなことがあってはならないのです。

 

一步踏み出すのに急ぎ過ぎてはならないということですか。

 

そうです。その一歩のためにボートのバランスがくずれてはならないということです。

事情は以上のとおりですが、この事情が、武力介入から始めて、一連の社会改革に進展して行ったメキシコ革命の特殊形態をうまく説明してくれるのです。今でもわれわれは、現実が多くの点で革命的な発展から離れ過ぎる場合にもなお「革命的」だという言葉を用いて表現するのですが、このことは過去二,三年来の社会不安をよく表現しているのです。例えば一九六八年に発生した危機がそれを如実に物語っています。それは厳密には、単に学生運動だけと受け取るべきものではないのです。それ以外の何か があるのです。これは全て、今後の社会変革、深層の社会変革および基本論争の必要性を強調しているものなのです。これをあなたが新しい革命と呼びたいならば、それはョー口ッバ人の語感で革命だと言えます。

メキシコでは新しい革命などという表現をしてはいけません。と言うのも、新しい革命という言葉は、メキシコでは更に別の暴動的社会変動を意味するからです。あるいはまた - それはメキシコで大勢を得ていることであるわけではないのですが - 、チリやキューバなどのような社会主義体制の実現を意図したものと受け取られるかもしれないからなのです。

(東江 優)

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