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Asu no chikyû sedai no tameni (1975)

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Asu no chikyû sedai no tameni

(1975)–Willem Oltmans–rechtenstatus Auteursrechtelijk beschermd

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33 モヒト・セン

モヒト・セン(Mohit Sen)氏は、一九ニ四年三月二十四日、カルカッタに生まれ、イギリスのケンブリッジ大学で歴史学を学んだ。本書でも後に登場する (本書対談45) スリランカの外務長官ティッサ・ウィジェイェラトネ氏 (氏とセン氏とは互いに友人であることを、編者は両氏とのインタビューを終えた時に知った)と同様、英国留学中 に共産主義の学生団体に加入した。 ー九五三年以来インド 共産党(CPI)の活動家であり、なかんずく、遇刊おょび月刊新聞『二ュー・ ェージ』の投集长を務めている。 一九六五年共産党全国協議会の、つ まり事実上党中央委員会のメンパーとなった。 一九七一党政治局貝に選出される、ー九七三年以来党大学の学部長に選ばれた。氏の主要な著書には『新路線と教条主義者たち』、『共産主典と新左翼』、『インド共産党とナクサヲイト(注)』、『インド革命 - その反省と展望』がある。この対談は、ニユー・テリー中央にある現代的なニ十階建の兑本部で行なわれた。

 

西側のほとんどの観察者達は、人口問理は人類が抱えている最も緊急な問理であると考えています。世界では毎年七千五百万人もの人ロ增加があリ、インドでも毎日約五万五千六百人もの赤ちやんが誕生しています。お隣リのインドネシアでも、ー年間に三百万人も増加しています。しかし、ガンジー首相〔本書対談1参照〕は私に、人口抑制は自由意志に任せるべきだと おっしゃっておリます。

インド共産党もインドの人口増加率には少なからぬ関心を払っております。この率はなんとか下げたいものです。しかし、胶も緊急な問題だとする話には资成できません。私逹の贫困、悲慘、不平等は人口過剰によるものといぅより、インド資本主我の生産および再生産によるものです。もぅ、四分の一世紀以上も支配し統けている国民会議党が、わが国を资本主義的発展の道に乘せてい

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ます。ィンド国民ー人当たりの平均所得は、毎年三三四 ルビーで、一日当たり一ルビー、コカコーラー本の価格を傾かに上回るに過ぎません。このような慘めな状態にしたのも、帝国主義と大地主主義との妥協を許してしまった、資本主義路線にあるわけです。更に、社会 - 経済 搆造に革命的転換がなければ、人口抑制の問題においても、画期的な成功は望むべくもありません。そして何より も、産児制限のための適当な思想的雰囲気を招来するためにも、そのような転換しかありません。ィンド共産党 は、単なる「赤 ん坊大洪水」というスローガンだけを掲 げて、この本当に根本的な問題に取り組もうとしない政府と支配階級の諸政策には、強力に反対しています。いろいろな家族計画のやり方にも、新植民地主義の浸透がみられるので、これにも反対しております。同時に、ィンド共産党は、大衆に影響を及ぼし得る時にはいつでも、最善を尽くして科学的方法による家族計画を実行するよう説得しております。

 

マハ卜マ・ガンジーは、かつてィンドの農村はアジアの心臟そのものだと首ったことがあリます。今でもアジアでは第一の市民は農民だと首うことには、変わリはないと思います。独立以来二十五年を経た今、インドの農民達の現在の運命はどのようなものでしょうか。またその未来についてもおうかがいします。

インドは国全体としても貧しいのですが、わけても、 農村は煅も贫闲です。統計数字では、私連の農村同胞にふりかかっている農村生活の悲惨さと惨めさをうまく言い表わすことはできません。この贫しさは解放後二十五年経っても少しも減じてはおりません。主要な生産手段である土地の所有の不平等はひどいものです。一家族当たり三十工ーヵー以上も所有している農村人口の三バー セントにも足りない人逹が、全耕地面積の三十パーセントも占めています。他方、一家族五エーヵーしか所有していない約七十五バー セントの人逹は、全耕地の傲か十六パーセントしか持っていないのです。インドの農村の 大多数は、飲み水さえも充分保障されていないのです。国民の七十パーセントは文肓ですが、それが農村にいたっては九十パーセントにも逹しています。

しかし、インドの農村では、独立以来何の変化もなかったかと言うと、そうではありません。変化はあったのです。資本主義が広範かつますます大規模に典衬へ沒透

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してきたのです。封建的大地主主義は哀えてきました が、非常な規換でそれにかわって特殊な資本主義的大地主主義が今度は生まれてきたわけです。一定程度、典民 内部の分化が進み、その結果、ィンドの全労働者の約ニ十六パーセントは農業労锄者からなっています。しか し、この典業労働者逹は多くの点で半封建的特質を残しており、その結果、隸属的労勘を強いられる傾向があります。资本主義的形態が優勢ではありますが、農萊剰余の半封建的おょび資本主義的収奪様式が渾然としている のが、広大な農村で の生産関係と所有関係を特徴づけて います。そして生産力向上を進める上でも支障となっているのは、この陣冉物なのです。「緑の革命」といった 技術的進歩が全てつまずいたのも、この岩にぶつかったからでした。ィンドの経驗から、私逹は思いきった農地改年が農業の生産拡大をはかるための必要条件 - 十分 条件だとは言いませんがーだとの確信を抱いています。

しかし、政府機関の調査結果でさえ明らかにしていることは、農村地方に現存する権力構造が不変のままにとどまる限り、この農地改革は実施できないといぅことなのです。ィンド国家は、地主陏級と非常に密接な関係を持っているだけでなく、ほとんどの地域では、支配政党のリーダーシッブはこの地主階級をバックアップしているのです。

そういうわけで、ィンドの農村地域でほんとうの革新をやり遂げようと思うのであれば、農業・典民革命を避けて通るわけにはいかないのです。下からの力強い突き上げによってしか、麻痺しかかった寄生的体制を空中分解させて葬ることはできないのです。この下からの突き 上げは、例えば、州政府のような権力機構を動かし得る 進歩的勢力によっても進めることができます。例えば、共産党の首相が左派と民主主義派の連合を率いているヶララ州の経験がこれを証明しております。この贫しい農民大衆の革命が成功す るためには、幅広い典萊労働者、 贫しい農民、中位の農民の統一哦線が結成されなければ なりません。それによって宫裕な農民達も抱き込むこと ができるか、あるいは少なくとも中立化させることがで きます。半封建的、および資本主我的地主喵級の同盟に 集中的に攻擊をあびせる必要があります。

この大衆運動の形式を、今、正確に予測することはできません。もちろん、ィンドの特殊車情をも考慮しなければならないでしょう。例えば議会制民主主典の存在や

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支配政党の異質的陪級構成などです。

それに、この大衆運動は孤立しては起こり得ません。この運動は、今インドがその間際まできている民族民主革命の本質的な、決定的でさえある部分だと思います。インド共産党は、この革命成功のために自らを捧げています。

 

ー九七三年の世界的なエネルギー危機の到来で、インドも非常事態に直面しているようですね。ー九七三年には、あなたの国は、ニ千四百五十万卜ンの石油および石油製品を消费しております。千七百万卜ンは五億ドルかけて、イラクとイランから輪入しています。インドは、一九七四年には同程度の餘入に対して十四億ドルを使うことになるようですが、これは全貿易収人の四十パーセン卜にも当たるだろうと『ニユーョー ク・タイムズ』紙は報じています。また、ノーマン・ ボー口ーグ氏は化学肥料生産の鐽とし て、潤沢な石油供給の必要性を強調しておリます。世界は、すでには 化学肥料の不足に悩んでいます。アラブ諸国は豊かな国に損害を与えるつもリだつたようですが、かえって発展途上国に大打擊を与える結果になってしまったわけてすね。

石油製品の価格の上昇は、インド経済に有害な影響を与えているのは本当です。それによって物価は商騰し、また肥料やディーゼル燃料の不足によって農菜生産にもかなりの損害を与えております。

しかし、インド共産党は、この問題の短期的展Mに立つた議論を偁じません。

先ず第一に、いわゆるエネルギー危機は、本質的には世界帝国主義の最も戦略的なセクターにおける危機であり、それによってその内部矛盾の全てが急激に悪化する可能性を開いたものです。そして、いかなるものであ れ、帝国主義の弱体化はインドや全ての発展途上国にとつてよいことです。

第二に、進歩的産油国 - こういう国は西アジアのみに限られません - は、自分達の主権を主張し、世界资本主義の国際価格体系によるひどい不均衡を是正しようとしています。アラブ諸国の統一と協力、それに勇気ある行動を、他の一次産物に関してもインドや他の発展途上国は見習うべきだと思います。

第三に、第三世界の産油国の行動は、賢明にも、国連特別総会の開催の主導権を取るという形で維統されました。この総会では、発展途上国の反帝国主雜的統一とソ

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連との同一歩調が、再度大々的に示されました。これに よって、巨大な可能性が開かれました。

第四に、帝国主義と多国籍企業の追従と圧力に屈して、ィンド政府は石油に全面的かつ安易に頼り過ぎ、基本資源である石炭の利用を無視するというまちがった工ネルギーおよび肥料対策をとってきたということが明らかになっております。これに加えて石油資源開発の怠慢と発電および送電の際の信じられないほどのへまが、わが国の深刻な電力不足と危機を招いたと言えます。

それゆえ、問題の解決は、全ての発展途上国のいっそうの団結により、過去の過ちを正して行くしかありません。ソ連が石油製品を、ィラクが原油を好意的に供給してくれたので、この困難を充分和らげてくれるものと思いますが、これには、感謝の念を禁じ得ません。

 

FAOのアデック・ベルマ氏〔本書対談48参照〕によリますと、世界の小麦備蓄量はかつてないほど底をついているとのことです。農家の予期せぬため込み、やみ市場、それに政府の不明確な計画などが、社会的規律を乱すもとになっているようですが、この深刻かつ危櫬的情況は、インド中央政府の決断とリーダーシツブの欠如によるものだとお考えでしょうか。

インドの食糇危機にはニつの原因があります。両方とも人災です。しかもそれは、インド自身がつくり出したものだとつけ加えるべきでしょう。穀物生産の成長ときたら全く贫弱で、お粗末過ぎます。これまでの十年問の年成長率は、年ニ・七ないし三パーセントですが、もし 小麦の分を除いたらまだその率は著しく下がるのです。 その結果、一日一人当たりの毅物摂取进はこの十五年間というもの四百四十五グラムにとどまっていますし、それに、天候次第でこれも上下に大きく揺らぐわけです。インドの典村には未だ 古い生産所有制度が残っているの で、季節風に大きく左右される贫弱な農業経済だと言えます。それが政府の権力の性格と全社会経済システムの 結果であるとともに、その一原因であるということは、つとに指摘されていることです。

第二の要因は、地主、金货し、および独占商人の同盟が殺物の市場向け余剰を握っているということです。しかも、インド経済の大動脈上にのしかかっているこの同盟は、インドのトップの独占商工萊者逹によって熱烈に支持されていることは注目に値します。また、政府や官

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僚機構のあらゆるレベルに強力な代表者を送り込んでもいるのは、この同盟とその熱烈な支持者達です。これらの、経済的および政治的権力の結託こそが、国をユサにしてあまい汁を吸っているだけでなく、围全体を独占的 に支配して行こうとも企んでいるわけです。この両者 は、一九七三年小麦の卸売り取引を政府がかわってできるようにすることをねらった、なお部分的にすぎない措置に反対しただけでなく、翌年には、それを廃止するよう政府に圧力をかけております。その結果は、殺物の 公定卸売価格が一九七 三年に三十パーセントも上昇した だけでなく、翌年の一九七四年の四半期には、更に十な いし十二パーセントもすでにつり上がっているわけで す。

この危機的状況の一つの重要な要素は、莫大な「ヤミ 金」の保藏です。数年前の政府委员会の発表では、三百五十億ルビーもの「ヤミ金」の茶欲があり、しかも、毎年百四十億も増加しているとも言っています。 Y・B・チャバン籤相の国会での証言によりますと、この「ヤミ 金」は政府のコントロールを受けない、独立の一系統の経済活動を操作しているとのことです。問題は、この 「ヤミ金」経済が政府に少なからぬ影響を及ほしているということです。

ですから一概に政府の決断と指游カの欠如を臾めるわけには行かない面もあるわけです。責めるべきは、支配的資本家陪級とその党 - インド国民会議派 - の意向や内部の矛盾を反映している意志とリーダーシッブとの性格だと思います。ですから国全体の階級の性格を変えて行かない限り、インドの独立以来の体制の危機を解決することはできないのです。

 

ガンジー首相は、しばらく前に「私連は、自分に合 つた社会主義を発展させて行くだろう」と言つていました。インド共産党は何をねらうのですか。純粋な社 会主義ですか。それとも、新国民会議派と協調可能な穩健左爾主義でしょうか。

インド共産党の究極目標は社会主義と共産主義の建設 です。ここで首う社会主義とは、主要生産手段を社会的所有に移すことと共に、労働階級や働く農民、労働階級に指導された都市中間潜の政治権力を意味しています。 しかし、インド共産党は、 一九四七年の民族解放の勝利と、その後の資本主義的発展路線にそつた前進があつたにもかかわらず、民族民主苹命がまだ逹成されていな

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いという認識を持っています。わが国はまだ経済的独立も逹成し、封建的、半封建的搾取形態の完全廃止や独占資本的経済構造の除去もしなければならないのです。言いかえれば、社会主義のための過渡を準備するための革命の段階をまだ経過してはいないということです。要するに、三つの敵 - 帝国主義、大地主主義、独占資本 -を四つの友 - 労働者、農民、小市民、非独占的ブルジョアジー雇 - が擊破しなければならないのです。 労働者階級は、この四つの友の同盟づくりに主導的役割を果たすとともに、まだ自己のリー ダーシッブが確立される以前でも、資本家にょる国家の排他的支配を打破しなければならないのです。非独占的ブルジョアジーはニ重性格的な階級です。このクラスは、一方では、帝国主 我者や地主階級、それに独占資本家達とは客観的にも異 なり、またますます性格を異にしてきており、民主的革命にも参加する可能性があります。その上、ィンドでは非独占資本家潜には大衆がつき従っており、しかもこの大衆は従うだけでなく、圧力もかけるのです。他方、そ れは押取階級で、虐げられた大衆の力が大きくなるのを 恐れており、そのために、帝国主莪、地主主義、独占资本と妥協する傾向があります。それゆえこの階級には、統一と閼争の二本立ての政策で当たって、民族民主革命に引き込む政策と、帝国主義者らの排他的支配とリーダーシップからこの人逹を引き離す政策をとる必要があります。

インドの国家は、独占および非独占階層を合わせたインド資本家階級の国家です。この特徴は、与党会議派にも当てはまります。国家の支配とコントロールの排他的獲得をめぐって、資本主義諸階曆間の激しい鬪争がずっと続いており、深まってさえおります。政策の銳い対立が不断に喷出し、一九六九年のよぅに、劇的分裂になることもあります。このよぅな抗争対立に並行して、またそれとオーバーラップして、労働者階級や虐げられた勤労大衆の不満と、急進的改革要求、民族民主主義を求め、 资本主義的発展の道 に反対する行動があります。このニつの抗争の組み合わせと相互作用こそがインドの革命的発展過程の弁証法なのです。

インド共産党は、この過程の特異な祓雑性を充分考漱に入れて、与党国民会議派に対しては、岡争と協力の両面作戦をとっています。この党の中には、独占資本家や大地主の代理人とともに、非独占資本や小ブルジョアジ ーの代表者連が含まれています。国会議員の中にも、民

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族民主革命の段階では、労働者階級の敵も味方もこの党の中に見出されるのです。インド共産党はなお、後ニつ の要因を考に入れています。その一つは、一九六九年 以来、非独占資本家の代表者、つまり、セントリスト (中央派)が党の主導権をとるようになってきていると いうことです。この階屉と潮流の最も強カな代表者がインディラ・ガンジー首相なのです。そのニつめは、依然として支配政党および階級内の勢カバランスがしばしば揺れ動いているということです。しかし、この動揺は、統一戦線アブロ ーチに基 づく国民大衆の拥争と行動によ って決定的な影響を受けております。

ところで、インド共産党は、インドの革命運動が、世界苹命過程を構成する一部分であるという事実に大きな意味を持たせていることを強調しておかなければなりません。この世界革命には、ソ連や世界の労锄者階級の運動が主導的役割を果たしています。インドの革命運動は、帝国主義と反帝国主義が決定的な抗争に入っている 時代、そして、後者の方に有利に力のバランスが展開している時代に遂行されているのです。ですから、インド共産党は政府の反帝、非同盟政策を稹極的に評価し、強力に支持しています。こ のような政策は、世界の反帝国主義運動を強力にバックアップし、その一部をなすだけでなく、国内の民族民主勢力の統一を促進して、民族民主革命運動を前進させてもくれるのです。まさにこのゆえに、私達は、国際的にも、そしてインドにおいても、反帝民主戦線をぶち壊そぅとしている有害な毛沢束思想に極力反対しているのです。インド共産党も、毛沢東主義者逹にょる有害きわまる分裂主義活動の苦い経験を持っております。この分裂は、わが国の極反動勢力側を著しく助長する結果になったのです。それに反し て、ソ連の平和と友好親善の政策は、インド全体にとってのみならず、何ょりわが国の進歩的革命勢力にとって多大な利益をもたらすものです。

インド共産党は、また、民族民主革命の形態の問題についても大きな関心を払ってきています。わが党の見解では、現在の資本主義国家の転覆と新しい民族民主国家の設立は、武装闞争が關争の主要形体になることなく、また、内戦が革命闘争のクライマックスを形づくることもなく、可能だとみております。しかし、わが党はこの道も可能性に過ぎず、しかも、多くの可能性のぅちの一つに過ぎないと考えていることを強調しなければなりません。労働者階級とその他の同盟者達が、反革命勢力

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が銃剣を日程に上らせるのを阻止することが不可能になり、批判の武器の使用から武器の批判の使用に移らざるを得ないという可能性も同様に存在するのです。民族民主勢力は、平和的移行の可能性を現実のものにするよう努力するとともに、いかなる状況の急変にも充分備えておく必要があります。

この民族民主主義への平和的移行の可能性がィンドに 生じたのは、次のような理由によります。すなわち反革命の輪出がますます闲難となっているような世界で階級努力の新しい均衡が生じたこと、議会制民主制度の存在、民族民主勢力の設立のために結集し得る広範な社会的同盟、それに、現支配階級の一部を労働者階級の動機はやむを得ない同調者として民族民主哦線に抱き込むことが可能でありまた義務である、といった諸条件です。もう一つの可能性、つまり非平和的な移行も同じ程度の可能性があります。なぜ なら、反革命努力の強さがあなどりがたいということは疑い得ないからです。特に、この努力は現国家権力の各レべルや機関に浸透しておりますし、そればかりでなく、大衆への影响力の強さという点 で言えば、デマゴギーや封建ィデオロギーの魅力に取りつかれやすい広範なインテリゃ都市中問附級もその努カの一部なのです。ですから、たとえ直接物理的に介入はしなくても、帝国主義諸国の破壞活動があれば、民主勢力が党悟しておかなければならない非平和的移行は決定 的可能性になるわけです。

最後に、インド共産党は革命の形態について、あと三つの論点を持っています。その一つは平和的移行も立派な革命の一形態であって、その代用品ではないということです。つまり、平和的移行においては、主要な力点を大衆の革命運動、行動、閊争に眩くということであり、これらは高まってゼネストになり、同時に、典民大衆の土地獲得の行動となり、それに商店、会社、市場の閉鎖が結合されます。第二にインドの状況下では、平和的移行も文字どおりにそれほど平和的ではないだろうということです。たとえ、武 力によって内戦が避けられて、また武装岡争が主要な脚争形態にならなかったにしても、い ろいろな形での、また浦々の激しさでの武力衝突は避けられないだろうという点については、わが党は何ら幻想を持ってはおりません。これらの衝突は避けられないで しょうし、われわれもこのことに備えて、今でも訓練を息ってはおりません。第三に、インド共産党は、平和的 移行のための努力は、仮りに武装内戦が不可避になった

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場合でも、それに成功を収めるための最も好条件をつくり出すものだと考えています。

 

私が対談しました、スリランカのテイツサ・ウイジェイェラ卜ナ大使〔本書対談45参照〕は、インドのいわ ゆる民主的政治過程に最も強い批判を表明していました。氏は、選韋の栗の買収という腐敗を語リました。 そこで近い将来のことをうかがいたいのですが、軍事 クーデ夕ーはあリ得るでしょうか。

発展傾向を埘にー般的に理解しただけでは充分だとは言えません。具体的なインドの危機の現段階を具体的に把握しなければなりません。

ここで腐敗の問題を指摘するだけでは不充分です。確かに腐敗は座祝できないほどの程度に逹してはいますが。しかしいずれにしても、腐敗は表而的现象であって、职因ではありません。例えば、ビタミン、仕褀、学校の腰掛けの不足を指摘するだけでは充分ではありません。 これらは、過去の四半世紀もの問、敢も不当に扱われてきた問題なのです。ほんとうの問題は、この失敗が政治過程に与えるインパクトは何かということを問うことなのです。

明らかなように、私達が現在直面している問題は、セントリズム、すなわちブルジョア改良主義的あるいは自由主義的民主主義の支配体制の深刻な危機なのです。 一九七一年と七ニ年の選举で国民会議派は立法府の多数派となったのですが、それは、ィンド統治に期待された安定をもたらすことに失敗しました。その理由は、会議派 が、社会経済改革のことであれ、自立的・安定的経済発展のことであれ、唱えていた選举公約の実現に完全に失敗したことです。「贫乏の追放」は、首相の錦の御旗だ ったのですが、その 後の年月は、大衆の悲惨の恶化をみたばかりです。

しかし、围民会議派が自分で出した公約の実現に失敗した原因を深く検时してみる必要があります。この失敗 は、冷笑主我や偽善によっては説明し得ません。失敗の 职因は、突行させるべき綱領には国の民族民主的刷新の要素が大きく取りあげられていたのに、会課派のリーダーは民族民主勢力との協調を拒み、失われていた民族ブルジョアジーの支配権と資本家階級の勢力の統一とを再現するためにその綱領を利用しようとしたことにあった のです。つまり、辆領とその実現のための手段が、両極 分解していたとい うことです。セントリストは、おそら

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く、左派的綱領の実現は、右派をその指導下に莳き、左派の努カを抑えることをもってなし得るものと考えてい たのです。

他方、左翼も銳く分裂しており、強力な各セタトの狭い視野のためセントリストにとってかわる政策を提示できませんでした。左派もまたセントリストとの同盟を打ち建てることに失敗しましたーこの同盟のみが、民族民主的革新にとって、本質的な諸政策を含む辆領を実現することを可能にしたはずだったものです。左派もまた統一の中心として主導権を握るのに失敗したわけです。左派は、セントリストを左に動かすことができず。結局ィンドを左に動かすのに成功しなかったわけです。

これと時を同じくして、この課題逹成のための巨大な好機が到来しました。それは、国際情勢の好転と、一九七三年十月のブレジネフ書記長の訪印の結果としてソ連から与えられた巨大な援助です。ィンドとソ連の友好協力体制は、世界的規槐で反帝国主義闘争に大きく貢献しているたけでなく、国内の民族民主諸勢力の統一と経済的独立への前進のためにも、空前の可能性をもたらしています。それゆえ、国内の搔反動勢力、特に与党、政府、官僚組嵌内の反動は、これらの印ソ友好関係の実現を阻み範囲を狭めよ うと、やっきになっているのも偶然ではないのです。それにもかかわらず、このような有利な要因は客観的に存在しているのです。

農村地带の敢も貧しい農民階屉も含めて、ますます広 範な大衆の過激化もみられますが、これはもうーつの無 限に力強い要因です、具体的に言いますと、一九六九年の国民会議派の分裂の後、更にパングラデッシュ解放岡争への支援活動の嵐の日々以来、広範な勤労一般大衆の意識は決定的に左に移ってきております。今や労働者階級は、独立以来かつてみられないほどの統一と、頑強さと、意識性を持って行動しております。このことは、ィンドの政治的発展の重要要な特敢です。

ところで、このような有利な要素を認め、その発展をはかりつつも、ィンドが粗かれている現在の危機的状況を見過ごさないことも枢要なことです。先例のない大衆の不満 - これは危機に瀕した資本主義的発展路線への国民の自然で正当な反応なのですが - 、これを充分頭に入れ、更に、セントリストのどっちつかずの政策や反動への屈服路線を利用して、ィンドの右派は、権力獲得を目指し、全面攻擊を開始しました。右派はまた、アナーキーと混乱をつくり出して議会制民主主義を破壊しよ

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うとはかっていますが、それは、議会制民主主義の廃墟の上にいわゆる㈤民政府の仮面をかぶった新植民地主義 的反革命独裁政治を打ち迚てることができるょうにするためです。アメリヵ帝国主義と国内のその手先は、全作戦の準備におさおさ怠りなく、インドをインドネシアや ブラジルやチリに変えょうと企んでいます。インドの右派反動勢力の新しい傾向は、憲法と議会を無视した岡争形態に公然と転向してきているということです。かつて は、共産主義者を蘗ヵ的だと批難していた人達が、今や会議派政府を 暴力手段で街頭に引き出し、やっつけるしか方法はないと公然と首っているのです。インドの右翼の口吻は,今やー九五〇年代のドイッのナチスのそれと異なるところがないのです。

たいへん不幸なことですが、インドの左派政党や勢力は、概して反革命の危険性を大雑把な気持で軽視しています。毛沢東主義者連は今では分散化して取るに足らな いものに減っていますが、彼等は、現状自体がすでに新柚民地主我的、ファシスト的状態だと考えているので、崩壊は歓迎すべきことだと公首しています。共産党(マ ルクス主我)は、左翼日和見主我路線に傾斜しています が、彼等は、現在のセントリスト主導ぉょび支配の政府は、主要な敵であり、それをやっつけるには、右派との共同攻擊作戦計両をも 立て得ると言っております。ィンド社会党は、更に一歩進めて、いわゆる「既存体制」を轚破するには、右派とも開かれた統一戦線を形成して行くべきだと提案しております。これら全ての左派政党は、反革命勢力の脅威に関してばかりでなく、国民会議 派内の左派努力についても、異なった見解を持っています。すなわち、わが党は、会嫌派内には有力な左派がおり、会議派内の大衆は左に転向していて、ただ、会議派への忠誠は保持しているのだと考えております。

ィンド共産党は、現状では、戦う主要な敵は右派だという見解であります。この右派と戦うためには、全ての左派と民主勢力 - 与党内の者も含めて - の幅広い統ーが実現されなければなりません。更にわが党は、右派に打ち勝つには、セントリストのどっちつかずの態度や右派への譲歩を矯正し、左に押して行くことが不可欠だと考えています。わが党はまた。現状を守ることによって右派を打ち負かすことができるという見解には絶対同意できません。右派と戦い、これを擊退させることによってのみ左派も動かすことが できると同様に、左派を動 かすことによってのみ右派を負かすことができるので

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す。わが党のスローガンは、それゆえ次のようになって います。 - 「右派を打ち負かすために左派を動かせ。左派を動かすために右派を打ち负かせ」 - 右派に碘歩し、屈服しても、それは右派の食欲を高め、大衆を困惑させるだけなのです。右派と戦わずしては、左興はセントリストの動揺を沈静させることもできないばかりか、左への転向を可能にする唯一不可欠のものである大衆の波動的動きを勝ち取ることもできないのです。

インド共産党には、政治権力に関するスローガンがないわけではありません。わが党は、左傾化のための闘争は、帝国主義や独占主義の擁護者を追放して政府や官僚機桃の構成の変化を確立しようという目的を、その展望の中に持つているという見解をとつています。右派の追 放は日程に上っています。そしてこれ自体が、左派の政府と、中央における民主的統一を勝ち取る途上の一段階となるでしよう。

これが、今インドが、破滅か、稔り多い未来か、という瀬戸際に立たされている危機的歴史的転換期における、インド共産党の方針なのです。

(注)インド西ベンガル州のナクサバリ地区を中心にして起こった過激派反政府集団。 一九六〇年代に暴動を起こしたことで有名。

(中村哲雄)


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