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Asu no chikyû sedai no tameni (1975)

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Asu no chikyû sedai no tameni

(1975)–Willem Oltmans–rechtenstatus Auteursrechtelijk beschermd

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[pagina 361]
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38 林 雄二郎

林教授は一九一六年セ月ニ十七日生まれで、東京工業大学の電気化学科を卒業した。ー九四七年には総理府技官と なった。一九六ニ年、経済企画庁炫合計画局参亊官となり、一九六四年には経済企画庁経済研究所長となった。ー九六七年ょり一九七五年三月まで東京エ業大学の教授を務 めた。現在は財団法人未来工学研究所長である。氏の主著 としては次のものがある。『情報化社会』 (一九六九)、『超技術社会への展開』(ー九六九)、『断絶の時代』(訳書) (一九六九)(原著、P・E・ドラッカー The Age of Discontinuity)、『高度選択社会』(ー九七〇)、『教育の変革と未 来像』 (一九七一)、『成熟社会』(ー九七ニ)。

 

あなたは日本社会の未来について楽観的でナか。

 

それはたいへんむずかしいご質問です。平均的な未来を考えるためには、多くの条件を置かなければならないでしょう。しかし基本的には私は楽観論者です。

 

今日の科学者は、全体としての国民に資任を持つベ きだとお考えですか。

 

もちろんです。しかしそれにお答えする前に、テクノクラートや科学者の持つている手段やまた彼等に与えられている二ーズを規定しておきたいと思います。今日までのところ、いわゆる専門家は多くの過ちを犯してきました。しかし将来には、われわれは新しい種類の技術すなわちソフト・サィエンスやソフト・テクノ卩ジーを発展させなければなりません。

 

アルパート・セント=ジェルジ〔本書第一卷対談6参照〕が私に話してくれたところでは、贄の科学者や人 類は過ちを犯してもかまいませんでした。しかし今日の原子カ兵器をもってすれば、ぼんの僅かな過ちでも、決定的に致命的なものとなるでしょぅ。ところで、あなたのおっし・るソフト・サィエンスとか、社

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会学とか、心理学とかー行動主義とはどういうものですか。

 

科学と人間との間のより密接なつながりのことです。 一般の人々、つまり大衆、あるいは人間の窓識、これが 今問題となっていることです。いうまでもなく、人間社会には、きわめて多数の個人がいます。ですから、人間 の意識について語ることは、それほど簡単ではありませ ん。

 

そしてわれわれは、これについては依然としてぼとんど何も知らない。

 

今までのところ、技術と科学は、人間の意識との関係では、あまりに硬直的でありました。われわれはこの方向での発展をよりいっそう押し進めなければなりません。われわれは計算機を開発し、計算機の利用という面ではソフト・ゥェァの科学を発展させました。他の部面 では、たくさんのハード・ゥェァ科学を生み出し、それが飛行機や自動車やタン力ーやその他のものを生み出しました。そしてまたこのようなハード・ゥエアの利用のために、われわれは多数の異なったソフト・ウェアを開発しました。しかしハード・ゥエァの発展に比較すれ ば、ソフト・ゥェァの発展はきわめて不均等です。今日 緊急に開発する必要があるのは、いわゆる社会的なソフ ト・ゥエァ科学なのです。

 

つまy社会科学、すなわち人間の精神や頭脳に開する知雄のことですね。

 

そうです。 私はそれを社会的ソフト・ゥェァと呼んで います。

 

マーガレッド・ミード〔本書第一卷対談4参照〕がこの成長の限界に関する対談集の第一巻て描ったところ では、彼女は現代を「頭脳の時代」と呼んでいます。 西欧ては、ホセ・デルガード〔同対談38参照〕のような精神病理学者やその他の人々は、人間の頭脳の働きについて革命的な研究を行なっています。日本でもその ような関心は抱かれていますか。

 

そのとおりです。もっとも医学的な意味での精神病理学ではありませんが、われわれは人間の意識とそしてー般的な社会システムとの関係を科学的に研究するための新しい学問分野をつくらねばなりません。

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その種のソフ卜・ウェア科学を真に発展させなければならないのは若者逢である、という意見にもちろんあなたは賛成なさるでしょうね。初めに私の印象を申し上げておきたいのてす。か、日本の若者連は年長の世代に強い不倌感を抱いていますね。

 

ほとんど全ての若者は。ー見そうみえるほどには工キセントリックではありません。全くそうではないのです。日本の青年達は非常に多くの常識を持っています。いうまでもないことですが、新しい社会をつくるのは常に若い人々です。若者の行動や意識は、未来の社会のシンボルでさえあります。それゆえ、何よりも先ず、われわれは若者の行動を観察しなければなりません。それが未来社会の指標となるからです。

 

若者逢は過去の世代とどのように違っていますか。確かに彼等はずっと解放的であリ率直であり、またはるかに伝統から自由でしょう。たぶん未来の日本の社会は中根千枝さん〔本書対談14参照〕の首葉を僅リれ ば、縦型ではなくなって、より横型の社会になるでしようね。

 

そうですね、疑いもなく未来の日本の社会では人間を取り巻いている境界の性質は変化するでしょう。今日の境界は部分的な境界であるにすぎません。例えば、日本とアメリカとの間、アメリカとフランスとの間、あるいはオランダとインドとの間には、多くの相違があります。にもかかわらず私の考えでは、未来の地球社会で は、若い世代と年上の世代との間の相違は、世界中の若者の世界相互間の相違よりははるかに大きなものになるでしょう。

 

人々の間の平等性はもっと大きくなるでしょうね。

 

そうです。例えば、アメリカと日本とインドから、それぞれ十五人ずつの若者を無作意にとったとしましょう。彼等はもはやそれほど大きくは違っていません。しかし他方、日本の社会だけから十五人の親と十五人の子供をとったとしましょう。その場合にみられる十代の世代とその親の世代とのギャップは非常に大きなものがあります。

 

アメリカと日本とインドからそれぞれ十五人ずつのー右者を選ぶと首われましたね。ソ連とナイジユリア、

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あるいはチリから十五人の若者をとった場合はどうなるでしょうか。

 

私は今日の世界での変化の傾向について申し上げたのです。現段階では、ソ連とナイジェリア、あるいはチリから十五人の若者を選ぶとすれば、それらの人々の間の相違は非常に大きなものがあるかもしれません。しか し、私が申し上げたいのは、将来には、ソ連やナイジェリアやチリの国内での世代間のギャップの方が、ソ連や ナイジェリアやチリの間での国民間の相違よりも、はる かに大きくなって行くだろうということなのです。

 

実は、あなたのお括はかなy希望の持てるもののように聞こえます。と首いますのは、あなたのおっしゃっているのは、未来の世界は今日までの世界に比べ て、人々の間の文化的・心理的な差異がずっと少なく なるだろう、ということを意味しているからです。

 

私の信ずるところでは、未来の世界を地球的な規模で 組織することは今日よりもずっと容易になるに違いありません。と言うのは、人々の問の差興や人々を結ぴつける上での陣害は実際ずつとタなくなるでしようから。

 

つまリ、年ごとにそれが容易になって行くわけです ね。そしていつの日にか、世界はーつの大きな家族になってしまうことでしょう。

 

その点に関して、今日残っている主要な陣苗の一つは、偏狭なナショナリズムです。未来社会では、現代よりもはるかに強く地球化が進むことでしょう。今日で も、日本の若者にとっては、彼等の親逹の時代に比べ て、外国ははるかに身近かなものになっています。その若者が外国語を話すことができないとしても、あ るいはまだ外国旅行をしたことがなかったとさえしても、世界の他の部分はもはやそれほど不可解なものではなくなっているのです。

 

おそらく未来の地球社会は、世界政府さえ可能なものとするでしょうね。

 

疑いもなくそのような理想を達成することは、もっとずっと容易になるでしょう。例えば、二ューヨークで毎日行なわれている国連での空虚な論議をみてごらんなさい、例えば各国の相互関係・改善・あるいは南と北の諸国との間の関係の改善についての論議を聞いてごらんな

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さい。この日本国内でさえ、われわれは、解決が不可能なょうに思われる問題について、限りない議論に更けっています。

 

どうしてですか。

 

これまでは常に、偏狭なナショナリズムあるいは地域主義が、絕対的な障壁になってきました。しかし将来の人類社会では、そのょうな障壁は疑いもなく消え去るでしょう。

 

そうなれば全地球的な社会ができるでしょうね。ョーマ・クラブがわれわれにそれを今日示そうと努めているような。

 

そうです。わが国つまり日本では、若い世代はもはやその親逹が持っていたょうな種類の愛囯心は持っていません。

 

若い人々が愛国心に欠けていると言ってしばしば非難されるのはそのためなのですね。例えば若いアメリカ人逢がべトナムで戥争するのを拒否するょぅな場合 がそれですか。

 

おっしゃるとおりです。しかし私はそれはまちがいだと思います。若者達は今でも愛国心は持っています。しかしその愛国心の型が変わっています。

 

それは人類の他の部分と、よリ讕和した型になって いる。

 

全くそうです。何十年も前、例えば明治時代に日本の中に完璧な愛国心がみなぎっていた時、私達はしばしば他国の人々を殺しました。だが今日では、若者達は戦ったり戦争を起こしたりすることを拒否しています。わが国の若者逹は、他国の侵略をもはや愛国的とは考えていません。彼等はむしろ自分逹のェネルギーを人類あるいは社会のために使うことに関心を持っています。まあ結 局のところ、これもまた愛国心にとっての目標に充分なり得ることでしょうが。愛国心は社会の中での条件が変化するにつれて常に変化してきたと私は信じています。

 

「力ミカゼ」のようにでナね。

 

そうです。

 

しかしあの若い有望な作家三島由粑夫が自殺した時

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には、彼はあたかも古い考え方を依然として抱いているようにみえましたね。

 

しかし日本の若い世代の大多数は、三には賛成しませんでした。

 

三島の行為はあまリにラディカル過ぎると思ったのですか。例えば自分のファシス卜的な私的「軍隊」をつくったことのように。

 

私は三島事件を愛国心との関係で取りあげるのは適切だとは思いません。三島の事件を、日本人の愛国心を代表するものだと考えるのは正しくありません。あれは、愛国心の問題ではなくて、三岛の美学の問題なのです。ですから、それをここで謎論するのは適切だとは思いません。

 

権威主義的な独裁制によって洗脳されたお隣yの若い世代と、自由に行動できる民主社会の中で育った日本の若者連との間の関係は、今後どのように展開して行くとみていらっしゃいますか。

 

中国社会の型は、もっと穏健なものに変わって行くと思います。例えば、ソ連をとってみましょう、四、五十 年前に比べて、ソ連社会の内部条件は、かなり変わりま した。中華人民共和国の歴史はソ連の歴史に比べれば、まだ短いのですが、今後十年あるいは二十年のうちに、 中国の条件や事情が変わって、もっと穏健なものになる でしょう。

 

未来学者のハーマン・力ーン〔本書第一卷対談46參照〕は、日本が美しい庭になる日がくるだろう、と信じて います。

 

ご承知のとおり、 私もまた基本的には楽観主義者です。しかしそれにもかかわらず、ハーマン・力ーンの見解には日本人の気持が入っていない、と感じます。

 

日本という木の本当の根を摑み得なかPたということですか。

 

ヵーンは、西欧流の論理に引っ張られ過ぎていると思 います。例えば、彼がGNPの評価について語る時、何が言いたいのか明らかではありません。彼はGNPが繁栄の象徴だと言いたいのでしょうか。しかし結局のところGNPは繁栄の一つの指標にすぎません。われわれ日

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本人は、繁栄を示す別のいくつかの指標を発見しました。

 

例えばどんな指標ですか。

 

そのためには、各人にとっての望ましい生活が何であるかということや、各人にとっての望ましい環境が何であるかということを具体的に知る必要があります。それは、何にもまして歴史的おょび文化的な条件に依存しています。厳密に首えば、一人一人の人間はそれぞれ違った希望を抱いているかもしれません。しかしそれにもかかわらず何らかの共通の基盤を見出すことができるかもしれません。あるいはまた人々の意識と生活状態との間に何らかの共通の関係を見つけ出すことができるかもしれません。私は、生活の質を量的に表わす方 法が見つけられるかもしれない、それはたぶん可能だろう、と考え ています。

 

首いかえれば、問題は、大多数の人が受け容れるこ とができるような生活の質の数学的な計算式をどうやってつくればよいか、ということでしょうね。そういった研究にあなたはコンビュータをいくらかでも利用 していらっしていますか。

 

はい。しかし言うまでもありませんが、それはきわめてむずかしい問題です。私に質問させてください。日本人にとって何が幸福なのでしょうか。

 

日本人は「幸福」という言葉を使ったことさえな い、と私は思っていました。か、あなた方日本人にとっては、人生は決して完全なも、ではない。違いますか。

 

いずれにせょ、幸福はGNPではありません。GNPは、幸福の指標としてはおょそ不充分なものです。

 

しかし、ハーマン・力ーンやアメリカにとっては、それでいいのかもしれませんよ。

 

たぶんね。しかしわれわれ日本人には、もっと多くの ものが必要です。

 

この分野でのあなたのご研究が実を結んで、ゎれゎれが読めるようになるのはいつ頃のことでしょうか。

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[p. 368]

まだわかりません。私はこの仕事を、 二ューョーク州 立大学と、ハヮィ大学のィースト・ゥェスト・センター と協力して進めています。

 

しかし、あなたはたぶん。外国人が日本をよく理解ナるのはきわめてむずかしい。ということをお認めで し、うね。

 

ハーマン・力ーンは、日本人の半面を理解しています。他の半面は彼にとっては未知の領域です。もちろん、日本人を理解するのはむずかしいということを私は認めます。ことによると、他のいかなる国民を理解するよりもむずかしいかもしれません。私逹の社会は、他の国々とは全く異なつています。

 

それはお国の歴史のせいですね。

 

わが国をたずねてくる外国人にとって、きわめてむずかしいのは、最も典型的に日本的なものを見出すことです。例えば、あなたは田中首相や、銀行の頭取や、宇宙開発本菜の指導者逹に、会われたわけですね。しかし彼等は、あなたとの会聒の中では、典型的に日本的な見解は述べないでしょう。ことによるとあなたの目には全く入らなかったかもしれませんが、日本社会の意思決定過 程は、人々自身によって行なわれます。全体としての日 本人民によって行なわれるのです。首相が決定を下した ようにみえるかもしれません。しか しそうではないので す。

 

ですが、田中さんは今モスクワから帰ってきたとこ ろですね。彼は新しい形の日本外交を始めました。彼は、レオニド・ブレジネフ氏との会話の中て、かなリぶっきらぼうなものの言い方をしたので、新聞報道によればブレジネフはテープルを叩いたリしたこともあったそうです。このことは、日本の首相の外交活動にとって、全く新たな出発をなしているように思われます。あなたは、ニれもまた日本人民の全体としての意思決定の結果だとおっしゃいますか。それともここでは、ある一人の人間の特別な気質の表われがみられるのでしょうか。

 

田中首相の場合、彼は自分なりのやり方で物事を進めて行くのに成功した非常に強い個性の持主です。他方、大衆の側からの彼の行動に対する反応は、きわめて強いものがあります。佐藤前首相は一見無能な人間の代表の

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[p. 369]

ようにみえたかもしれません。しかし彼は大衆的な意思決定の利点をうまく利用した政治家でした。その結果、佐藤さんは八年の長きにわたって、国務をとり統けることができたのです。

 

田中さんは、日本の新しい世代をよリ多く反映して いるというわけでしょうか。たぶん、田中さんはウィリー ・プラン卜やリー・ク了ン・ユー〔本書対談32参照〕の夕ィブに近い首相なのでしょうか。

 

いやそうは思いません。田中首相は日本の若い世代の間ではそれほど人気はありません。若者逹の目からみれば田中さんは依然として愛国的であり過ぎ、充分な国際 性を持っていないのです。

 

最後に、お国の若者逢についての質問をーつさせてください、私はー橘大学で将来の経済成、に関するティーチ・ィンを準備した学生達に話をしました、私 は、過去ニ十年にゎたってアメリカの学生達に謂演をしてきました。そして私は、お国の学生さん連が出した質問と、質問のために彼等がとった時間の長さと に、深い感銘を受けました。しかもその後で、学生の代表連七人が私の宿舍の帝国ホテルにまでやってきて、夜中まで討論を続けました。お国の学生さん違 は、まるで海搞のよぅに情報を吸収する、といぅ印象を受けました。

 

基本的にはあなたのおつしやることは全く正しいと思 います。しかし、私自身の経験に基づいて申し上げると、わが固の音年で優秀な学生だと言われているものには好奇心を欠く場合がしばしばあり、学校の成软の悪い連中は、好奇心に満ち满ちています。

(公文俊平)


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