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Asu no chikyû sedai no tameni (1975)

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Asu no chikyû sedai no tameni

(1975)–Willem Oltmans–rechtenstatus Auteursrechtelijk beschermd

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40 エシャン・ナラギ

エシャン・ナラギ(Eshan Naraghi)氏は、一九一三年九月十三日にィランのヵチャンに生まれた。ー九四七年、ジュネーブ大学の経済学科を卒業し、一九五ニ年、同大学で社会学博士号を取得*その後、しばらく、ィランで種々の役職に就いた後、一九五六年、冉ぴ、はパリのソルポンヌ大学から社会学博士号を取得した。一九五七年からー九六七年まで、テへラン大学で教鞭をとる、一九六八年、ユネスコのメンバーとなり、翌年、青年活動局の局畏となる?著畜としては、特に次のものがある。『不完全な統計を持つ国々の人口研究の ための方法論』『社会科学とその歴史的発展』。

 

UNESCOは、ー九六九年に出版された『背年との対話』の中て、若い世代と世界との対話の促進と維持をその目的の一つとしているものと承知しておyます。それは、中でも、ー九六九年発行のパンフレット『青年とのパー卜ナーシップ』から読みとれます。過去五年間に、この分野で何らかの進展はあゥたとお考えですか。

第一に、若い世代に関するいろいろな問題は、社会の他の問題と切り離しては考えられないといぅことを知りました。装、教育、科学、文化、政治等の諸問題は社会的背景の考慮なしには論じることができません。社会から遊離した靑少年問題自体なるものはありません。

 

しかし、ソ連のワレンティナ・テレシコワ女史は、ソ連では、子供連に小さい頃からソビエト社会が若い人違を切に必要としていることを教え込んでいるといぅ意見をお持ちです。子供逢は、ー種の「目的感觉」をいつも教えられているわけです。それゆえ、おそらくあなたは今、社会主義国の状況についてはお話しではないと考えます。

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そのことについては後で触れたいと思います。(前の話に統けますが)それゆえ、ユネスョは青少年問題は全社会システムに関連していると考えます。それゆえ、ー九七〇年から私逹は新しい時代に入ったのです。今や私連は青少年問題を社会問題として扱っています。若い世 代は、 - この点の理解が肝心なのですが - 社会的、政治的生活のあらゆる次元に関述しています。一九七〇 年以来、私達の活動は、社会生活のこれらの局面を靑少年と結びつけるということを課題にしてきました。例えば、一九七四年七月に開催されるような、现 代社会における芸術家の地位をテーマとしたシンポジゥムを組嵌する時、大勢の若い芸術家が参加しています。

 

つまり、あなた方は、みんなを代表しようと努カしているわけでナね。

できるだけそうしようとしています。世界危機と環境問題についての科学者連との会議でもそうしようと努めました。ローマ・クラブの報告咨について初めて詳細に討软されたのもこの会議においてでした。

 

ローマ・クラブの提示した問腰を肘議するためにュネスコが会雄を組織したとおっしゃるのですか。

五、六年も前にすでに、将来の生態系について心配していた人逹の中に若者がいたことをご存知かと思います。私達は、その人々を招き、非常に興味深い議論が展開されました。それらの討菡についての報告は当時でもすでに、生態学を研究している人逹に強い感銘を与えたものです。

 

ということは、そのレポー卜はMIT研究の先駆だと言えますね。

まさにそうです。一九七ニ年、ストックホルムで開催された環境会議中に、この問題について若い人逮に意見を述べてもらおうと同様な会議を並行して持ちました。現在、私達は、教育問題についても同様なことをやっています。また、今全世界で教育問題の予備調査も進めています。各国から集まった若い人逹が、ユネスコの援助のもとに教育問題について詳細に討議を統け、その内容は『存在することを学ぶ』というタィトルのパンフレットに報告されています。

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ー九六〇年代、アメリカては、特に学校や大学は、若者達に、社会問題に関心を持たせ、社会に対する責任感を養わせるための尖兵になることを期待していました。しかし、この期待はあまリ報いられませんでした。

先ず最初に、社会主義諸国に関するあなたのご質問に答えたいと思います。

先進諸国、つまり工業化された資本主義国では、若者達の一速の自然発生的反動や活動が起こっています。これらはしばしば予想できないものです。これらはどちらかと言えば自然発生的な表面化であって、あらかじめ決められた枠にはめようとしたり、その方向を前もってブログラムしようとしてはならないものです。私達は以上のように考えています。この点に関して今日の社会主我国の運動に特徴的なのは、靑年層がますます組織に屈することを躊躇したり拒否したりする傾向にあることであると考えます。若い人逹は、自分を 国家組嫌と一体視することをますます拒否するようになつてきています。

 

中国ではどうでしょうか。

中国は別問題です。中国は世界の他の国々とは事情がずいぶん違います。彼等は自分に满足しているように思います。中国は他国と事情が違い過ぎて、他国とは全く無関係だと言っていいほどです。

 

中国の苯い人連の意見もお聞きになリましたか。

中国は進化、革命のただ中にあり、永遠の変化が進行している国です?ですから、ここ数年その発展の成り行きに任せた方がいいと思います。後になれば、より明瞭な概念も得られましょう。現時点で中国の状況を語るに充分な資料が全くないのです。私達の判断が容易なのは、先進国の若者達です。彼等は何に反抗しているのでしょうか。彼等は、非人間化の体制に反抗しているのです。彼等は、この体制が自分連の要求に応えないと考えています。よく社会学で言うように、社会および、その体制と、その文化 - それはあらゆる理念を伴 って展開したものです - との間に「争奪戦」が起こっているのだとも苜えましょう。社会システムが、今成長しつつある理念に合致しないのです。これらの理念は若者連が主張しています。若者逹は抑圧的システムと感じられるものを打ち破って、前進することを願っているのです。

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その結果、世代間に対立が起こるのです。若者逹は以上のように主張します。西側諸国では、抗諶の特に茁要な部分が生徒や学童によって起こされるのはなぜでしょうか。その理由は、特に西側諸国において社会システムが依然として伸縮的になっていないままであるということです。特に未来にとっては、これは問題の最も保守的側面です。大学も含めて、教育の基本は依然として古い、時代遅れの価値感に置かれています。若者連は、確かに何かがまちがっている、社会システムは世界中いたるところで起こっている進化とはもは や折り合わない、と感じているのです。この結果、激しい反対運動や、反抗的行動が生じているのです。つまり、これは、あまりにも抑圧的な、またあまりにも硬直的に感じられる体制 - 実際、それは事実なのです - への反抗なのです。一般的に言って、西側諸国の若者達は、時として、たぶんいくらか混乱した。おそらく原始的なやり方で、あるいは多少無意識にさえ、彼等の社会の欠点を表現しているのです。一九五〇年代からのある種の著作家逹の畨物を読み、彼等の西洋社会についての考え方を研究してみれば、例えば、アメリカの 社会学者D・リースマンやフランスのジェック・エルル等の中に、機械化や独り立ちしている機械に対する批判や反逆の言葉を見出すでしょち。

更に、フランスの社会学者ジョルジユ・フリードマン は、当時すでに、人間の機械化、その結果としての労動の極細分化、それゆえまた、人格そのものの細片化について述べています。これは、すでに二十年も前に言われているのです。人間全体があまりにも機械化され過ぎてしまいました。一九五にすでにフリードマンは孤独な社会、孤独な群像、そして機械に取り囲まれた孤独な人々について語っているのです。そして突然、六十年代の若い世代は、自然の成り行きとして、革命的とも言えるような盛り上がりの中で、同じ考えを表 現したのです。しかし、大衆の大多数は。そのことを理解しませんでした。西洋社会には深い不满の感情が支配的であるということを理解するためには、社会は、若者達の戦いを先ず必要としたのでした。思想家や社会学者逹はすでにこのことを感じとっていたのです。機械化は過剰でした。巨大な規模、大きな祓合体、多国籍企業 - こうし たものの発展は、いつかは反動を生み出さずにはおかな いものでした。若者達がそれを表現しました。西洋の若者達は、ある描の間接的ではあるが、不正な抑圧に反抗

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しているのです。この抑圧は、警察搜樹によるものであるというのではなく、機械化された選択の祓合体によってもたらされるものなのです。

 

私達はこれまで超富裕国について括してきました。しかし、お話をうかがいながら、私はずっと第三世界の何億という貧困で無学の人々について考えておリます。彼等の問題は、ここには表現されていません。い ゥたい、彼等の悩みは雅が聞いてくれるのでしょうか。

彼等のことを、金輪際、「声なき若者」とは呼ばないことにしましよう。例えば工ジプトのように〔モハメッド・ヵッサスとの本書対談46参照〕、低開発国には、学校は出ても職につけない、これからも容易に仕事を見つけられない若者锋か大努います。

 

最近、ィンドを訪問した時、モ匕ト氏〔本書対談33参照〕がこの国の悲慘な状況を話してくれました。

確かに、ィンドは悲惨な状況下にあります。こうした囯々では全く不適格な学校があり、人々を形成Ga naar margenoot+するどころか、むしろ畸型化Ga naar margenoot+しているのです。アフリカの若者をごらんなさい。現在の教育制度は若者を蜂型化している のです。彼等は地方から集められてきて、大都市にほうり込まれますが、ここは失業者のたまり場になっており、その結果、犯罪がどんどん增えます。

 

これは、モ匕卜・セン氏の描るィンドの状況と瓜ニってす。

私は最近、非行少年問題に関する世界会議に参加しました。どの発展途上国においても、靑少年非行は增加しつつあるという点で意見のー致をみました?ある代表のごときは、贫困国における犯罪の増加は、自動車台数の増加に比例する、とさえ述べていました。ある町で、ある時百万台だった自動本台数が一年後にニ百万台に增えた時、青少年非行者の数も倍になったそうです。このことは、ー種の野性化とバーバリズムが生じていることを物語っています。現代の靑少年がガィダンスもなく、いわゆる現代文明にょる保護もなく放置され ているのです。しかし、環境世界から見捨てられ、指導もなく、文化もなく、非文化化された、反文化的な、社会から何の按助の手も差し出されない若者というものは。結局は、人間の破局に導く状況そのものです。若者達は、こうし

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た現実の描牲になるでしよう。もともと、何らの計画性もなく自然発生にまかされた発展とは。結局はパーバリズムの一形態に他ならないのです。そして若者がこのような社会に抗議したり、自己防衛したりすると、彼等はしばしば精神的に、あるいは肉体的に。他の人々の链牲となるのです。これが‘政治の分野で抗議する若者の取り扱われ方であって、彼等は、即座に魔女狩りの対象となるのです。それゆえ世界の将来は、各国の政府が、現代の若者達の熱烈な欲求が满たされる環境すなわち政治的、社会的状況の削造に成功し得る かどうかにかかっています。これは未来の問題であり、開発途上国の問題であり、特に、これらの国の都市地域で生活している若者逹の危険な状況についての問題です。地方に住んでいて典楽に従事している若者達はー例えば伝統や、家庭生活によって - 比較的保護されています。深刻な贫困や、無学文盲にもかかわらず、彼等は、ある面では忠まれているのです。保護を必要としているのは都会に住む若者連なのです。ここには構造がありません。誰も頼る者がありません。都会で生活している若者逹は、社会システムに順応するための何 らの指導もされていません。これが犯罪や破壊的行動に導く要因です。社会の過程への参加の可能性も与えられないまま。都市へ集まってくる若者達の多くは、けんかっ早くなるか革命的になるかします。現在、このような現象は世界各地で深刻化しつつあります。一九七ニ年だけでも、世界中で五十の大学 がこうした理由で閉鎖されました。

 

あなたは、かつて、ある澳脱の中で、人間相互間にある種の同胞愛が目ばえつつあるのが感じられると述ベておられましたね。しかし、いったいどのようにして、文化的、心理的に大きな相違のある世界各国の若者連の間に接近を生じさせることができるのでしょフ か。けだし、日本の若者の基本的機能様式は、アジア の若者とは全く異なるのです。

ご承知のように、人間は、感觉的印象によって非常に影響されやすいのです。例えば、各国から集まってきた子供達が一緒に遊ぶ時、彼等は特定の一言語をしゃべりません。しかし、彼等はただちにー緒に遊びます。彼等の本能と天性が彼等の行動を導くのです。まだ人生 - それが一定の欲求、教育、しつけ、ある種の礼儀感党、惯習などのどれであれ - によって感化されていない若 者はより自然です。この自然状態の結果は、彼等が互い

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に他を受け容れやすいということですが、この点で成人 とは異なっています。更に、観念の変化を促す手段としてのマス・メディア - テレビを含む - の発達もあげられます。これは、巨大な発展をもたらしました。マー シャル・マクルーハン〔本軎第一卷対談12参照〕の言葉を借りれば、「世界は地球村になってしまった」のです。このような世界村の敢初の、そして主要な産物は誰でしょう、子供達です。それは現在二十歳で、この新しい世 界村に成長した若者連です。五十歳、六十歳の人連ではありません。彼等は、この意味での新しい状況 を経験も知りもしないからです。地球を全く別の新しい光の中でみることを学んだのは、若者達です。彼等は、全く新し い地球意識に目覚めたのです。このことを最初に感じたのは、彼等です。反応するのは彼等です。参加している のは彼等です。宇宙ロヶツトが打ち上げられた時、工ジ ブト、アメリカ、スゥェーデン、オランダの子供违は全 く同じような反応を示します。世界中の子供達に、ある事柄を話してやらなければなりません - それは、みな同じように興味を持っている事柄です。つまり、ジュール・ヴェル ヌが言っているように、それは子供達の興味の某盤をなすもの、彼等の興味の世界,宇宙です。彼等の世界発見の興味に含まれるものを、語ってやらなければなりません。また、あらゆる文明国の若者逹は、今日、 社会の分野では正義の観念に特に敏感に反応します。こ れは、世界中の若者の共通の特質になっています。しか し、大人になると、そういうことには冷淡になつてしまいます。大人违は、自分達は現突的だ、と言います。しかし、若者連は、彼等の純真さと理想主我から正義感に燃えているのです。ソ連、アメリカ、ィンドを問わ ず。若者逹が感じていることは全く同じです。

 

あなたは*デニス・ガボール〔本書第一卷対談17参照〕のように、人間の完成を信じますか。

いいえ、佶じません。この完成は、人間の生活条件に依存するものと考えますが、この条件は完成を妨げていると考えます。同時に、私は、本能的に未来を指向する感情を表現している若者連は、私達を統一化された世界 - 特に、人々が互いにもっとずっと親密であるような団結の世界 - に向けて、前進させてくれています。人餌は、畢竟、不可分な種族なのです。しかし、団結の稱 神は育成しなければ生まれないのです。

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それが、あらゆることの出発点となる問題だということですか。

そうです。まさにそのとおりではありませんか。アブラハム・リンヵーンが南北戦争の時に、「自由な人間と、奴隸が存在する限り、アメリヵが一つの国家として存統するのは不可能だ」と言った時すでに、このことを言っていたのです。実際、それは不可能なのです。自由人か、それとも奴隸か、のいずれかになるのは可能かもしれません。しかし、ニつに分裂した国家というのは存在 不可能です。

 

しかし、人類の非常に重要な部分が......

そのことは承知の上です。人類の三分のニは教育も受け幸福な生活を送っていますが、他の三分の一は文百す。私達 - 私達他人 - は、そうした人々に対して文明人的な態度をとっているとは言えません。これがまさに問題の核心です。世界は不可分で一体です。私達が、宗教的ないし文化的諸価値について語る時、これら全てはあらゆる面で互いに関連しているのです。一例をあげますと、昨年、あなたはオランダ人ですからエネルギー危機を経験しましたね。それが示したのは何だったのでしょうか。それは、世界は絶対的に相互依存的だというこ と、また、ョーロッパの繁栄は、ョーロッパ自体には存在しないエネルギーに大いに依存している、ということ でした。もし、われわれが全地球的なバランスを見出し損えば、ョーロッパは永久にエネルギー不足に悩まされ、危険を犯すことになるでしょう。もし他国からの援 助がなければ、ョーロッパの繁栄全体は......

 

日本人の言う「水上に描いた花」(砂上の楼閣)ですね。

全く。しかし、エネルギー危機から学び得る教訓は、若者達がすでに学びとったと思います。論より証拠、彼等が、ここ数年来首ってきたことは何でしょうか、ヒッピーなどです?彼等は何を言ってきたでしょうか。私逹はつつましく生き、自然を楽しみ、自然を破壊したくな い、ということです。

あのエネルギー危機の経験の後では今や、私達は、十 年前にも依然として人々が嘲け笑っていたヒッビー達の考えが根本的に正しかったこと、彼等は物事を正しくみていたことを知っています。世界の未来は自然への回帰

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に、シンプルでずっと浪费的でない生活への回帰に、あります。紙や本の将来をとってみると、大部分の紙資源はすでに破壊され、充分な木材を得ることは不可能になっています?ですから、近い将来、深刻な森林減少、ひいては紙不足の時代がくるでしょう。もし、私達が従来どおり浪费を絞けるなら、他のあらゆる資源についても同様な問題が起こるでしょう。理論家連は、世界の資源の五十パーセントが西側諸国で浪典されてしまったという点で意見が一致しています。特にエネルギーはそうした贵扭な资源です。

貴国オランダやィギリス、アメリヵの若者連が、シンプルな生活を送りたいと主張し、また。極限に達した消费社会の生活はこれ以上不可能だと主張し始めた時、私連は、この若者逹の意見を尊笟すべきだったと思います。彼等は、正しかったのです。若者は充分な経験がないとしばしば言われますけれども、彼等の主張はもっともでした。その上、若者連が、このような問題を社会に提起したのは、史上 - 少なくとも西洋史上 - 初めてのことでした。大人は、彼等に対して、「毎日を楽しく過ごして、勉強に稱を出し、自分の将来を考え ればよいのだ」と言います。しかし、彼等は次のように問い返しました。「いったい、どういうr将来」ですか。何のための?開発?何のための?学校で何をしろと言うのです。」若者連はこのような目的を問う疑問を出しできました。若者がこうした疑問を発したのは初めてで した。

 

あなたのユネスコでの経联からして、政策決定の中にこのような若者連の影響は反映されているとお考えですか。

そう思います。私は、若者速の考え方がュネスコにおいて実際的な役割を果たしていると思います。すなわち、私達は、若者逹が実際に参加するのを保障するだけではなく、若者を酵母のように使うのです。つまり、それを粉に加えて心の若返りをはかり、新鮮さに対して心を開く - ということは、結局、生活そのものに対して心を開くということですが。ようにしているのです。

だからといって、私は、若者達の主張がアブリオリにあらゆる面で正しいなどとは決して信じる者ではありません。一つの人種、ーつの国民、あるいは一つの世代の考え方だけが完全に正しいなどということは決してありません。現代の若い世代も、そんなことは主張していま

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せん。彼等は、古い世代の決まり事への安住と戦う時と同じ真剣さ、ないし同じ動機を持って、自らの悪を認めることもー再ならずあります。しかし私は、彼等は生まれつきの純粋さを保持しているという印象を受けます。彼等が未来の状況を感じとり、また、私達 - 彼等の先輩 - がもはや持ち合わせていないらしい驚くほど正確な観察力と先見を持って未来を予想できるのが、いかなる本能によるものなのか、私には不思議に思えます。彼等は、まるで大洋航海者達でさえ知らないような地平線の彼方にある島々を知っていて、いくつ も大陸を超えて飛んで行く烏のようです。ですから、いつ、どこに上陸できるかも知らないまま、大洋を航海しているような先見の明のない古い世代のわれわれは、若者連の送り出している值号をメッセージとして受け容れて、それらを解 読し、理解するよう自らを強いる必要があります。

 

これまで、世界の多くの若者連と接触しての印象はいかがなものでしょうか。彼等は、紀元ニ〇〇〇年の未来について、ある程度楽観的でしようか。

多くの若者逹は悲観的です。

 

私が、かつてガンジー夫人〔本書対談1参照〕に、「ィンドの子供逢に、何をおっしゃいますか」と質問した 時、夫人は、子供の精神に立ち帰って、「歴史を通じて、子供連は、常にいろいろな問題の解決を見出してきました。これからも、解決を見出すでしよう」と答 えられました。

「私達にいつたい何ができるか」ということをお聞きになっていたのでしたね。

 

まさにそうです。

私達は、若者達の教育に対し、重要な任務を負わされていると思います。しかも、若者逹だけでなく、われわれの世代を教育する任務もあります。年長の人々は、自分達もまた教宵される必要性を持ち統けるのだということを、あまりに早く忘れてしまいます。もし、私達が現在のような方法で教育を統けるならば。今日世界の人々が直面している多くの問題を解決することはできないでしよう。私達は、自分の知識や自分の行動について、はるかにより賺虚になると同時に、若者達の教育にも新しい方法を取り入れて行かねばなりません 。若者逮が、自分

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の生活に対し、もっと早いうちから责任を持てるように教育してやるべきです。もちろん、私達の先輩としての贲任を逃れてもいいというのではありません。人間は、お互いを必要とし合うのです。煅近、私は、五十代で母親を亡くしたばかりの友人へのお悔みの手紙に、「御母堂が御高齢であられたことは承知しつつも、母を失うことは自分の体の一部を失うにも似ているものだということを痛感しております」と害いたことがあります。私が言いたいのは、人が父親や母親を持っている間は、この地上に何らかの支えを持っていると いうことです。老人 が亡くなるということは、海中で起こる渦卷きのような ものです。 それは、人の人生に、埋められない大きな穴 をつくってしまうのです。私はこれを、世代間の相互依存性と称しています。西洋で行なわれているように、諸 世代を二つに断ち切るのはまちがいです。世代が切断されてしまえば、古い世代の人々が孤立して孤独になって しまう結果になります。

それゆえ、私逹は、若者達に灾任を与えると同時に、 年長者として周囲から見守ってやるべきです。私達は、「自分でやってみたまえ」と突き放すべきではなく、「自分でゃってみたまぇ - 私は君の側にぃてぁげょぅ」と言うべきでしょう。世代間には対話があるべきです。現代 社会は、この対話を切断してしまいました。これまでの 学校は、この情況の悪化にー役買っていました。学校は、教育を受けた人々と無学の人々、学位を取得した人人とそうではない人々とに、共同体を分裂させてしまいました?ユネスコ内にさえ、一方に琪 門家や、学識経験者、スタッフ、他方には亊務员や秘害官がいます。しかし、特に秘書官の方が、しばしば、いわゆる専門家途よりも諸問題にはるかに強い関心を示すことが多いのです。こうしたいろいろな形の区別分けは、人々を植々のグルーブに分断してしまいます。若者逹は、その持ち前の感受性をもって、これはまちがった方法だ、これは誤まっていると感じているのです。私達は、システム全体、特 に教育制度に関して、詳細な再検时をしなければならな いでしょう。若者達は、何が問題なのかを充分知っています。そして、彼等は自 分の言っていることの何たるかを知っており、自分が人生に望むものを知っているのです。おそらく、この点に、未来をあまり悲観的にみないで済む可能性があるのです。結局危険があるとすれば、それは、あまりにも理想主義的であると同時に若者逹を局外者的に突生活から引き離すような教育にあります。

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そんなことをすれば、若者の頭には抽象によってつくられた観念ばかりが稹み上げられます。彼等が後に生活そのものに足を踏み入れる時、大きなショックを受けるで しょう。私達は、現実生活そのものの基本的な事柄を徐徐に教育体系に取り入れる必要があります。また他方では、あまりに性急になり過ぎて、若者達に特徴的な理想主栽的情熱を失わしめるようなことがあってもいけません。私にとっては、どの世代層の若者連も反省の源泉です。あなたを見遗ゃる子供も、あなたの前を歩く子供も、私連自身の補完物だと考え るべきです。このような眼で 眺められたら、若者逹は、自分連が私逹に支えられていることを感じるでしよう。

 

そして、その点で楽観諭には根拠がありますか。

もちろん、あります。

(仲里一彥)

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