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Asu no chikyû sedai no tameni (1975)

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Asu no chikyû sedai no tameni

(1975)–Willem Oltmans–rechtenstatus Auteursrechtelijk beschermd

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41 野ロ武彦

野ロ武彦教授は、一九三七年九月ニ十八日東京で生まれ、一九六三年早稲田大学を卒業した後、東京大学大学院の博士課程に進んだ(一九六六年)。一九六八年から神戸大学で文学を媾じている。この対談も神戸大学で行なわれたものである。ー九七〇年から七ニ年までハーバード大学ィエンチン研究所の客貝研究員。主著に『三岛由紀夫の世界』(一九六八年)、『江戸文学の特と真実』(一九七一年)、 『谷崎潤ー郎論』 (一九七三年)などがある。

 

現代日本は一つの民族なのでしょうか、それとも大きな部族なのでしょうか。

 

日本は、言語的にも民族的にも、いわゆる単一人種国家です。もっとも日本人の起源については、錯綜した議論が現在でも行なわれていますが。現代日本の特微は、とりわけその強い均質性にあると申せましよう。

 

集団としての一体性が重視されるということですか。

そうです。そう言わざるを得ないでしょう。

 

首いかえれば、大衆の精神的な健全さないし安心感は、集団を通じて得られる安心感によって保たれているということでしょうか。

その場合、「集団」という言葉をどう定我するかが問題でしょうが、「集団」が、家族あるいは小社会もしくは会社といつたような家族に類似したシステムのことを意味するのであれば、確かにおつしやるとおりでしょち。

 

あなたのおっしゃる会社の中には、三菱、ヤマハ、 ソニー、ホンダといったような会社が含められていますか。

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第二次大戦前は例えば三菱は、非常に重要な家族あるいは巨大な家族トラストとして強い影響力を持っていました。しかし、この集団の性格は変化したと思います。

 

どのようにですか。

単なる家族ではなくなったのです。狭我での家族システムを超えた別の集団システムに変わったのです。

 

小社会によリ似たものにですか。

そうです。その中には多様な社会的要素が含まれています。

 

そして描級の違いもですか。

いろいろな階級を抱えこんでもいるでしょうね。三麥はー個のスーパー階級です。他の多くの日本の会社さえ、その影響下に、かれています。その中には、会社に対して強い忠賊心を抱いているホヮィトヵラー労働者のシステムがみられます。

 

新聞によれば、急逸的な学生逮は、お互い同士を攻繫し合ってぃるそぅですね。モスクヮ派の左霣と北京派の左翼といったよぅに。

この頃の新聞に頻繁に出ている衝突は、モスクワ派でも北京派でもない若いラディヵル達のニつの主要なグループの衝突です。そのニつの集団といぅのは、中核派と革マル派です。この両派は元来は同じ一つの組嵌から分かれたものですが、ほとんど悲劇的な形で絶えず衝突し合い攻擊し合っています。これらのグルーブは、モスク7や北京はもちろん日本共産党の政治的な影響からも、全く独立しています。流血をみた暴動が何度かあった後で、日本の警察力は非常に強大なものになりました。そのため、これらのラディヵルのグループ が政治的目標に向かって攻撃を企てることは、日増しに困難になっています。

 

しかしその他にモスクワか北京を支持する共産主義者の学生連もいるのではあリませんか。

いますね。しかし状況は相当複雑です。共産主義世界の周知の多極化が起こる以前には、日本共産党の影響下にあること自体が、モスクワあるいは北朿に忠突であることを意味しました。中ソの分裂の後の今日では、政治

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の風向きは変わりました。日本共産党の影響下にある「民主靑年同盟」と呼ばれる靑年のグループもあります。かぐその他に日本共産党とは独立な北京派の小さなグループもあります。

 

ラディカルな学生達が仲間を攻擊している背最にある事情は、どのようなものでしょうか。

精神分析学にはそれを説明するための專門用語があります。シブリング・コンブレックス(近親惟悪)というのがそれですが、これは例えば兄と弟との間にみられるような、血縁同士の者の間の憎悪を生むもののことです。学生達の間のこの激しい衝突は、密接な親近関係を持つ集団の間にかつてみられた同種の衝突に比べることがてきます。

 

友人同士の間の衝突もそれに入リますか。

そうでしようね、私はこのシブリング・コンブレックスという言葉をどちらかといえば比喻的な意味で使つたのです。

 

何がこの憎悪を育むのでしょうか。

それは非常にむずかしい問題です。第一に、これらの若いラディカル達の中には、共通の政治的なビジョンを失ってしまった者が多いのです。

 

警察の弾圧のためですか。

そうです。第二に、日本のラディカルの運動には伝統的にメンバー相互間の一種の悄悪がみられます。その理由は、若いラディカル達は理論的な問題にあまりにも敏感過ぎることにあります。お互いの政治的な見解の相違をめぐって、激しい対立が発生するのです。それらは、例えば革命辆領のごくこまかな細目についての考え方の逸いのように、苻通の人の目からすればほんの拖かな相違にすぎないものであることが、しょっちゅうです。しかしこれらの若者達にとっては、ほんの僅かな相違でさえ、決定的な重要性を持つものとなり得るのです。

 

何人もの学生と話し合ってみたところから、私は既 存の権力機構を変え得ないという点でー般的な悲観主義ムードが広がっているという印象を受けました。

私の考えでは、若い進歩主我者逹は、突然の変化をもたらすような具体的な計両を立てることには、実際のと

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ころあまりに絶望的ですね。自由民主党は依然としてきわめて強力です。半永久的な政権を維持するに足りるほど強力です。若者連は失望しています。彼等の考えで は、共産党も、社会党も、単に体制の補完物として存在しているにすぎません。

 

しかしお国は豊かであリ、ほとんどの人にとって福 祉はたっぷりと与えられ、経済は強力かつ雄全であるように思われます。ですから人々は理想のために戟ったリはしないでしょうに。

残念なことにこの国では事態はそのようなものではありません。日本経済については陳れた真実があります。普通の日本の労働者の誰にでも尋ねてごらんなさい。彼は自分が豊かだとは感じていません。日本は国家としては豊かにみえるかもしれませんが、モの国民の大多数は馥かになったという感じは持っていません。福祉は、いつも立ち遅れているのです。

 

世界的なエネルギー危機の前では、とリわけそういうことになリますね。ー九七三年の終ゎリに出された政府の緊急事態宣言は人々にどのょぅな影響を与ぇましたか。パニックが起こリましたか。大衆の反応はどうだったでしょうか。

これまでのところ、日本人が深刻なパニックに、われた兆はほとんどみられません。国民は、ィンフレーションの進行をくい止めるための政府の経済政策に徐々に改 碎がみられると期待しているようにみえます。しかしながら、社会的な不快感の深刻な蒂欲もまたみられます。この大衆的な規換での欲求不満がどのような結果をもたらすかは誰にも予測できないでしょうが、現在の社会的 な棼囲気は、第二次大戦前夜を思い出させるものがある、と言う人もいます。

 

日本の普通の勤労者は、豊かさの分け前を得ていますか。

そうは思いません。豊かさのーつの指標として海外旅行のできる人々の数をとることができるでしょう、私は今ョーロリパから痛ってきたばかりですが、ョーロッパでは多数の日本人の旅行者をみました。われわれには海外旅行をするゆとりができた、ということは認めます。海外旅行をするお金があることはありますけれども、そ

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れはつまり、家を持つだけのお金や、あるいはましなアパートを借りるだけのお金がないということでしょうね。

 

あなたが教えていらっしゃゐ学生逢の今の気持はどのようなものですか、彼等は何を考えているのでしょうか。

ある種の雰囲気の変化が起こっています。どういうことかと言うと、ニ、三年前はどの大学も学生達のいわゆる学囡紛争の時期を迎えていました。しかし今では、大学での雰囲気は非常に穏やかになっています。なるほどいくつかの大学には、依然としてラディヵルな学生の強力な運動がみられます。しかし全体として苜えば若い世代はより穏健になりました。

 

アメリカのようにですか。

どうも日本では一種の循環があるようです。高揚期の後に沈滞期がきています。

 

四季のようなものですね。

そう思いますね。どうしてそういうことになるのか、私にも不思議です。今の上級学年の学生達は、その兄の世代、つまり彼等の先にきていたラディカルの世代から多くのことを学びました。彼等は、誇大な希望が引き起こす弊害に気づいたょうに思います。

 

彼等は悲観的ですか。

必ずしもそうではありません。むしろ実際的かつ現実的になったのです。勉学と卒莱後の人生計画に力を集中しています。

 

アメリカの行動科学者のジョン・プラット〔本害第ー巻対談9参照〕が私に指摘したところでは、一九六〇年代のサンフランシスコの匕ッビー達のほとんどは体制の中に入リ、郊外に家を建て、ガレージにはニ台の車を持つよ、フになったそうです。

私は自分でもアメリカのヒッビーを詳しく観察しましたが、これらのヒッピー連にはほとんど期待が持てませんでした。というのは彼等は金持ちであり當裕な家庭の出身者だったからです。日本のヒッピー逹も、アメリカのやり方を真似しています。そして、おっしゃるょうに、遅かれ早かれ彼等もまた体制の中に入り、ホヮイ

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トヵラーになるでしよう、しかしながら、同時に、世界的な現象としてのヒッビーは、社会的な雰囲気をかなりの程度変えました。大学を卒業して大会社に職を得たのに、その安全と地位とを捨てて大学院に通ってきた学生の例を、私はここでも何人か知っています。彼等は就職して途方に、れてしまい、そのような会社の巨大な機構の中の一個の小さな要素となることに失望したのです。今一つ著しい現象は、いわゆる自由萊者、例えば筆一本の評論家やnビーラィター達です。わが国の職菜人ロでこの部分が占める割合は、急速に增 加していると思います。この人々は、日本社会で最も普通にみられる終身屉 用制から脱け出しているのです。

 

個人主義が堆大しているのてすか。

そうです。個人主義を、自分の社会的な地位よりも自分自身の自発性を大切にする態度のことだと定義すればの話ですが。

 

三島由紀夫の事件は、日本の若者にどのような影響を与えたとお考えですか。

それは日本の若い世代にとっては非常に扱いにくい問題です。三島は若者達に、自分が理想を持っているならばそのために死ぬ党悟がなければならない、と教えました。これは私の意見ですが、三の死が惹起した最初の所産は、いわゆる浅間山荘事件だったと思います。浅間山荘事件というのは、若いラディヵル達が集団的なリンチによって山中で自分の仲間を殺し、その後、機動隊と銃解戦を演じた事件ですが、ある意味でこれは三岛取件の最初の所産でした。第二次大戦後の二十五年間にわたって、われわれはこの種のオヵルト的な伝 統を失ったと思っていました。ところが、突然それが三岛の自殺というシンボルの中に再現したのです。三岛の自殺の直後 に、最も左興的なグループの指導者のー人が、「三岛は、われわれが自分の政治理念のために死ぬにはどうすればよいかを教えてくれた」と語ったことを宽えています。三島の行動は日本の右翼運動を再編成するための一独の衝擊となったのです。

 

三島の行為は成功だったと思いますか。

いいえ、そうは思いません。少なくとも現在までのところでは。三島は、いかなる右翼組嫌とも関係を持っていませんでした。彼は基本的には文人でした、彼は作家

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として生き。作家として死にました。彼自身、自分が作った「栀の会」という名前の罾ぬ軍隊のァィロニィを知っていたと侰じます。それが軍隊の戯画であったことを、他の誰にもまして三島自身が知っていました。彼は作家であったのと同時に、諷刺家でもあったのです。

 

三島は日本文学にどのような影響を与えたのでしょうか。それとも評価にはまだ早過ぎますか。

おそらく。彼の主題は、日本の現実の文学状況にきわめて逆説的な形で関係していました。逆説的だと言うのは、彼の主題が、天皇偁仰のような過去の伝統からの反動的なィマジネーシヨンによって日本文化をいかに改革するか、ということにあったからです?更に言えば、三岛のスタィルを発展させることは。あるいはそれを模做することさえ、きわめて困難でしょう、今日では日本の若い作家逹は、自分自身の文学の世界を自分自身の主題によって满たし始めています。それによって彼等は、三岛の例を偏見のない観点から批判し、そし てある意味で評価ています。

 

しかし三島は文学上の論義を喚起させたのですね。

そのとおりです。彼が提起した問題を無視することは誰にもできません。

 

物質主義の世界的な勃興とともに、日本の若者達は幾世代にもわたる日本文化に基づいた価值観を裏失し変化させるだろうとお考えですか。日本はきわめて特殊な伝統を持つきわめて特殊な国ですね。

それは非常にむずかしいご質問です。と言うのはそれは、文明の広範な領域に及び、またそのさまざまな側面にわたっているからです。

 

日本の若者連は、世界の他の若者連と同じように、非常にオープンで率直なようにみえますね。

そうです。今の日本の若者達はョーロッパやアメリヵの若者達にもっとよく似てきています。彼等の新しい態度は、ブルー・ジーンズに象徴されています。私自身は今ネクタィをしめていますが、これは私が中年になったことを、ある程度象徴しています。ブルー・ジーンズをはく日本の若者逹は、全世界の同世代の人々との間の新しい型の親近性を表明しているのです。

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その着ているものによってもですね。

みんなで洗いざらしのジーンズをはくことによって自己主張をしているのです。

 

しかし全ての若者達をもっとお互いに近づけ得るようなもう少し違った型の行動があるでしょう。

それはそのとおりですね。そしてさまざまな国々の若者逹の間の絆が緊密なものになればなるほど、日本の若者達はそれだけ多く変わって行きます。同時に、日本の若者はやはり日本の若者だという事実を、私はいつも思い出します。それは全く当たり前のことじやないかとおっしやるかもしれませんが、この問題には二つの面があります。日本の若者は、国際的なレベルでのある均質のー体性に近づきつつあると同時に、それにもかかわらず彼等は優れて日本人的でもあります。

 

彼等は自分に固有の同ー性を失ってはいないということですか。

そうです。わが国の文化には三つの滘あるいは三つの次元があると思います。その第ーは、日常生活の表層です。平均的な日本の家庭ではパンを食べ洋服を着ることが当然のことのようになっています。しかし時には、お 正月のように伝統的な習惯に埽る時もあります。お正月には若い女性でさえ着物を若ます。これが私の言うわが 国の文化の第二の層です。そしてその他に、日本人的なメンタリティの核心部分、あるいは無意識の国民性とで も呼べるような第三の描があります。三岛の自殺については今お話ししましたが、この事件は 非常にショッキン グな影響を与えたので、三岛の自殺に批判的であった者でさえ、少なくともそれについて考えをめぐらし、そし て日本人としての自分の同一性を再発見した場合さえもありました。三島は、われわれの過去を、そして深い根 を持った行動形式を、われわれに突然思い出させたのです。

 

それは心理的な部分ですね。

そうですね。そう言ってもかまいません。ほんの二十年そこそこ前に、日本人の大多数は自分を日本人だとみなすために、依然として天皇制にしがみついていました。それは一つの大家族としての国民に属するための統合の象徴でした。とはいえ、このような状況がもうー度

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現われるとすれば、私はそれを非常に嫌恶することでしょち。

 

もうー度やってくるかもしれない危険があるのですか。

そうならないことを望みます。その意味では、日本人は幸いなことに独自の象敢を失いました。日本人は統合のための新しい型の象徴を捜し求めていると言ってもよいでしょう。

 

そのかわリにもっと小さな、例えば日航のような象徽が現われた。

いやとんでもない、あんなものは象徴と呼ぶにはあまりに皮相なものです。それよりももっとましな例は、全国いたるところにみられる国鉄のポスターの「ディス力 バー・ジャパン」といちキャッチフレーズだと思います。あるいはもっと些細な例としては。伝統的な活花や茶の湯の復活があります。若い女性達は、結婚する前にそれらを身につけたがっています。その他多くの伝統的な技術や工芸の再認識もあります。あるいはまた、われわれの民族衣裳であるキモノが再び人気を取り戻しつつあるという事実さえ、その例としてあげ られます。

 

日本の中産階級は今や苷の上流階級のように振篱い 始めているということですか。

いいえ、そうは思いません。以上の話は階級溝造とは何の関係もありません。むしろそれは単に日本人が祖先から受け継いだものを再び受け容れつつあるという事実を示すにすぎません。

 

ー九七O年代のコミュニケーションの爆発的増大と共に、日本は国際化されると思いますか。

はい。とりわけ若い世代はそうなるでしょう、海外旅行の機会を持つ日本の若者の数が増えています。もっともこのグループは常に少数であり、直接には多数に影響を及ぼすことはないでしょうが。日本にやってくる外国人の数も增えるでしょう、全体として、日本人が外国の人々や文化に接触する機会が增えて行くでしょう。このような傾向はすでに始まっており、それはほとんどの日本人にとって全く新しい経験です。

 

それはそのような人々にとPていいことだとお思い

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[p. 398]

ですか。

非常にいいことです。ー見無関係なことをここで申し上げてもよろしければ、一年足らず前に、わが国の流行作家の小松左京氏が日本の沈没についてのSFを进きました。この本はベストセラーになりましたが。その事実は、たとえ日本がほんとうに沈没するとは誰も倍じてはいないにせよ、未来学や環境に対する関心が、著しく堦大したことを示しています。

 

つい最近小松氏と対談しました〔本書対談43参照〕あの本を窨くのに八、九年かかったそうですね。ところでもうーつだけあなたの評価というか予苜をお聞きしたいのですが。日本は、海外からのェネルギーと资源の輪入に非常に強く依存しています?未来学者は世界的なエネルギー危機を予想しています。破局を予想する人さえいます。日本人は将来このような災厄にどう反応するでしょうか、もうー度覃事国家になって、必要とする資源を入手するために東南アジアを侵略ナるのでしょうか。

超然とした首ぃ方のょぅに聞こえるかもしれませんが、そのょぅな劇的な形では何事も起こらないと思います。私は突然の破局は予想していません。とはいえ、ェネルギー危機がわれわれの生活に徐々に影響を及ぼして行き、何らかの経済的政治的危機が日本人をして東南アジアを、再び、少なくとも経済的に侵略する方向に追いやる可能性があることを否定はしません。発展途上国でのナショナリズムは確かに理解できます。しかし先進国では、それは帝国主義として表われます。しかしながら、現時点では、私は日本人の雔全さを信じ ています。可能性が蓋然性になる前に、経済構造を改革して、現在の過度に工業化された状態とは異なったところに行ければょいがと思っています。経済的には小国でも文明国である方が、軍国主我の影のもとに経済大囯であるょりは、ずっとましだからです。

(公文俊平)


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