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Asu no chikyû sedai no tameni (1975)

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Asu no chikyû sedai no tameni

(1975)–Willem Oltmans–rechtenstatus Auteursrechtelijk beschermd

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42 ゾーヤ・ヤンコワ

ゾーヤ・ヤンコワ(Zoya Yankova)教授は、一九二一年ソビエトに生まれた。一九四七年、モスクヮ大学歴史学科を卒業し、以来、ソ連邦科学アヵデミーにおいて、ソビエト市民の日常セぼの社会的諸問題に関する種々の部局で研究に従事。現在、彼女は実証的社会研究所で、あるチームを率いている。彼女の著書や研究発表は六十点を数えるが、なかんずく次のものがある。『社会構造変化と社会的役割』(一九七二年)、『二十世紀と家族の問題』(一九七三年)。このィンタビューは、上述の実証的社会研究所内の執務室で行なわれた。

 

ソビエトでは社会学が人間行動を決定する社会諸法則の研究を意味するものとすれば、あなたの研究所が主として研究なさっているのもそぅいぅことでナか。

 

私達の研究は単にそれだけではありません。私達は、国民の諸欲求、一般的関心、態度等についても調査研究を行なっています。つまり、単に計画の実現だけでなく、私達独自の計画、生活設計案、家族計画案、等を提出もするのです。あるいは、次のように言えば、より正確な定我になりましょうか。

私達の研究所では、労働社会学、ソビェトの社会構造、また、労働時間や余暇に関する研究、家族社会学、家庭生活、それに国民世論というような広範囲の分野の問題を研究しています。

 

ソビエトの社会学では、人間行動は、つづレ織リのように交互に密に織リなされた社会システム、とみているというのはほんとうでしょうか。

 

このご質問については、二つの側面から考える必要があるようです。先ず第一に、私達は家族の内部構造を研究しています。内部構造というのは、家庭内における配偶者間、親と子、あるいは、子供相互間の関係の本質のことです。これが第一の側面です。もう一方では、私達

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は、ある家庭と他の平均的諸家庭との関係、あるいはまた、家庭と広い意味での集団社会との関係、例えば、家庭と隣人との関係についても研究しています。それに加えて、私達は、家庭を他の社会諸集団との関係において研究しています。つまり、私達は外的および内的関係の構造を研究しています。換言すれば、家庭と社会の関係だけでなく、家庭内における家族間の相互関係についても研究しているわけです。

 

あなた方の研究は、国家とどのよぅな関連を持っているのでしょぅか。首いかえれば子供達が家庭を離れて、社会に融和して行けるよぅにするために、どんな教育をなさいますか。

 

私達家族社会学者は、最適な教育システムは、家庭内の訓練と社会教育の有機的結合にある、と考えています。ソビェト政府の下で、家庭、学校、社会の三つの要素から成る教育システムが創り出されました。家庭 - これは明らかですが、家庭内で受ける訓練です。学校教育もまた今更申し上げるまでもありません。子供達は、学校や、他の児童向け施設、例えば寄宿学校や託児所に通つて勉強します。しかし、これらに加えて、地域社会もあって、独自の影響力を持っています。この地域社会について説明しましょう。わが国においては、町は いくつかの地区に分けられ、それぞれの地区は更に人口約一万二千人の小地区に再分割されています。これらの小地区は、管理委員会、あるいは「ジェク(zjek)」と呼ばれる役所によって管理されています。

この管理委員会は、例えば住宅の利用などを管轄しています。ジェク内には評議会が組織されますが、これは地区住民から選ばれた代表者から構成される調整委員会です。この調整委員会には、ジェク内の住居の住民が入る一方、小地区内の学校から派遣される教育者 - つまり、校長ということですが - も入り、更にジェク内で操業する企業の長が入ります。こうして、子供達の教育を助ける組織を、典型的には、地域社会に基礎を置く調整委員会という形でも持つわけです。もし、子供達が家庭や学校にいないで外で遊んでいるような場合、調整 委員会が子供達の世話を引き受けたりします。評議会は、ジェクの建物内にいろいろなクラブをつくり、子供達との遠足を企画したり、育児所を開設したりします。こうして、これら全ての結果、子供達は、家庭、学校、それに地域住民から組織される広範な地域社会によっても教

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育されます。これら全ては、一緒に家族の居住するジェクの領域内で機能するのです。このような、学校 - 家庭 - 地域社会の三要素からなるシステムが最適システムだと私どもは考えています。

 

では国家はどうなのてすか。

 

以上のようなシステムは、国家が間接的に組織する全面教育です。それは、家庭内教育とジク内での社会教育と称すべきものに直接呼応するようになっています。国による教育は、ソビエトにおいては、教育システム全体の一要素です。

 

それぞれのジェクには社会学者はいますか。

 

目下、社会学者を誘致するように最善を尽くしているところです。しかし、いずれにせよ、ジェクには定給を支払われる教育者が一人配置されています。彼はジェク事務所内に勤務します。彼の主要機能は、子供達が学校や家庭にいない時、つまり子供達の余暇に世話をすることです。

 

心理学者はいるのですか。

 

原則としてはいますが、まだ全てのジェクに専門の心理学者がいるところまでは行っておりません。しかし、いずれにせょ、それぞれの地域集団は社会学的サービスを受けています。つまり、ジェク内の住民の要求を継続的に調査研究しています。

 

子供連は、何か問題が起こった時、誰に相談に行けばいいのですか。

 

家庭内で何か問題がぁれば、子供連は、学校の先生のところへ行くこともできるし、あるいは、ジェクの教育者のところへ相談に行って指導を受けてもいいわけです。こぅしたことを通じて、わが国では、新しい形式の教育が生み出されました。更にジェクの領域には、それぞれの年齢の子供達の団体が組織されています。この団体は、最年長組、中年齢組、最年少組に分かれています。

各組の上位には年長者がいますが、彼等は普通コムソモールのメンバーです。これらの各年齢の団体は、教育的細胞として組織されており、そこでは、ジェクの領域内の子供達が何ょり余暇を楽しむことができます。また、宿題も持ち寄り、もし自分で解けない時は年長者が

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手伝って一緒にやるのです。学校や家庭ではなかなか叶えてやれない要求にいろいろな意味で応えるものとして、ここに集まる子供達が一緒になってピクニックに行くこともあります。

私達は、私達の研究所のある地区の二つのジェクにおいて、調査研究を行ないました。私のグルーブは、家庭問題を中心に調査していますが、ジェク内の生活はいかに組織されているか、教育活動はどう実施されているか、人々の要求は何か、余暇の利用をジェクの領域内および領域外でどう組織したがっているか、等について知るために特別の社会学的調査を行ないました。更に、別の進行中の調查では、人々が日常生活の要求を満たすためにどのような施設、設備を欲しているのか、現在の設備に対する满足・不满足は何なのか、あるいは 、どのような新しい生活様式が生み出されたのか、ということについても調査がなされています。モスクヮのチェリョームスク地区に関する私どもの研究結果を少しお話ししましよう。

この地区は、二十八のジェクに区分されていま - つまり、ただの一地区にこれだけの数のジェクがあるのでま - 。私達の社会学的実地調査によると、例えば多数の人々 - 住民の大きなバーセンテージ - は自分の地区内で余暇を過ごすことを望んでいます。また、大きな町に住んでいる人々は、休みなくあっちこっち動き回ったり、都心部へ規則的に通うことに飽きています。都心部や、他の地区にあるボリショィその他のユニークな劇場や、一定の地区まで出かけなければならない中央図書館等のことを考慮に入れなければ、より細々した形の日常生活 があります。そして、この日常生活をもっと発展させなければなりません。特に小地区内の生活がそうです。例えば、人々は、ジェク内でいろいろな円卓集会を持ちたいという希望を表明していま - ジェクでは集会を円卓集会と称しているのでま - 。例えば、学校が休みだったり宿題をする時などのジェク内の子供の教育のように、何か住民に関心ある問題があると、この集会が持たれるのです。住民からは、月に一度とか、六週間に一度というように定例の円卓集会をジェクのクラブ(ジェクには大きなクラブ・ルームがあります)に組織したいとい う希望が出ています。この集会には、専門家や小学校の教師が招待されます。

こうした集会ではまた、子供達が余暇を有効に過ごすことによって彼等の文化的レべルを向上させると共に、

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絶え間なく街をうろつかなくなるようにする方法についても討議されます。私達の社会学的突地調査の示すところによると、老齢年金生活者の組織の問題を討議する円卓集会に多くの人々も参加の意志があるというのが、住民のもう一つの関心事です。モスクヮを始め、世界の多くの大都市には、これから退職して行く人々が大勢います。一度退職しますと、退職直後の新しい生活環境に適応するまでには、かなりの時間を要します。そのため、住民は、特にこの問題に関する講演を再びます。この主題に閲する専門文献を読むよりは、円卓集 会に参加して、いかにしたら若い者がジェクの老齢年金者を援助できるかについて、また、例えば多くの場所に組織されているようなチムール隊を通して奉仕活動を行なう方法などについて討議し合う方を好みます。これらのチムール隊は、戦時中に初めて組織されました。今ではモスクヮのいたる所で再び組織されており、この組織の中で子供達は老齢者、特に老齢年金生活者への奉仕活動の責任を引き受けています。そこで、円卓集会でも、人々は、老齢年金生活者がジェク内で静かな楽しい生活を送れるようにするにはどうするか、あるいは 何をみたがっているのか、彼等が興味を持っているのはどういう内容の講演か、等を知るために話し合いたがっています。以上が、第二の問題、すなわち老齢年金生活者の問題です。もう一つの要求は、人々が、円卓集会で日常生活における人人の要求をどうしたら一番よく满たして行くことができるかを話し合うということです。それぞれの地区に住む人々は、誰でも自分のジェクをできるだけ組織化し、全てのジェク住民の努力を、次のような方向、例えば、ジェク領域内に草花が植えられていて、緑が多く、音楽も聞ける可能性があるように しようという方向に向けたいと思っているのです。

 

あなたご自身は社会学者ですか。

 

いいえ。私は、本来、歴史が専門です。これまでのところ、ソ連の大学では、特別の社会学の講座はありませんでした。私は、歴史の研究を終え、社会学は独学したり、後に特別のコースをとったりして知識を得ました。

 

あなたの研究所スタッフは、男女学生から構成されていますか。

 

ええ、そうです。私のグルーブには学生や若い協力者達 - 少年、少女達 - がいますし、実際の調査研究を

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する時には、経済学、統計学、それに歴史や哲学專攻の学生達も協力してくれます。

 

あなたの研究グループには何人いますか。

 

全部で九人です。

 

このようなジェク・システムは、ソビエト国内の他の所にもあるのですか。

そうです。農村 - ソフホーズとコルホーズ - もまた、もし村が大きい場合には別々の「セツルメント」に細分化されています。村は今度はいくつかの別々の部分に分けられ、それぞれの部分は完全な教育生活を組辙す るのに、それぞれの...... - 何と言ったらよいでしょうか。ここではもはやジェクとは呼ばれないのですが、それでもやはり、領域内住民の単位組織です。小さなセツルメントには、そのような行政区分はありませんが、セツルメントが大きくなると行政区に細分化されます。

 

ソビエトにおける女性労働者の効果に関する研究については、あなたの研究所はどう取リ組んでいるのですか。ソビエトでは労働人口の三十バーセントは女性だと承知しておリますが。

 

その数字は五十一バーセントです。

私達の研究班は、家族の問題を中心に調奄研究していますから、当然、労働する妻達の問題も重要な課題です。というのは社会的生産における婦人労働の要因を、私達は家庭に大きな変化をもたらす要因とみているからです。この事実は、家庭の構造、家庭内の構造的関係、夫からみた妻の権威や子供に対する彼女の榷威等に大きな影響を与えているからです。この点で、私達は、家庭内で演じられる新しい役割が登場しつつあるのをみているわけです。だからこそ、社会的生産過程に妻が組み込まれる という要因は、家庭および生活一般に起こっている変化の場の中でも、非常に特異で进要な要因とみなすベきなのです。

 

五十一パーセントという高い比率からしますと、お国の子供達は、家庭内よリもむしろ家庭外の他人によって教育されているという結論を引き出したくなリます。そうなリますと、彼等の愛着の対象に移動が生じやすいでしょうが、その場合、親子の基本的関係にはどういう影響があるのでしようか。

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文献、特に外国で出版されている書物などを読んでみますと、よく、夫婦共に生活の大部分の時間を社会的生活過程に費したり、政治生活に参加したりして、子供はほって置きにされれば、親子の情緒的結びつきが損われるのではないか、という意見に出合います。しかし、私達の社会学的調査では、全く別の結果が出ています。つまり、親子関係は、もっとずっと複雑なのです。私達の調査では、親子が一緒に過ごす時間はずっと短かくなっているにもかかわらず、家族関係の愛情や意味はずっと深いものになっています。ただ情緒的結び つきが強化されただけでなく、この関係の内容が一般に親子の相互理解の変化を示してきたと言えます。なぜでしょうか。ソビエトでは、週日には夫婦共に七時間ないし八時間までも家を留守にして、社会的生産過程の労働に費します。この間、子供達は学校や寄宿学校に行ったり、他の家族員と一緒にいたりします。彼等はしばしば外出してジェク内で遊びます。両親は、しばしば、ようやく夕刻に帰ってきて子供達と一緒に食事をすることになります。しかし、それにもかかわらず、親子共々に過ごす残りの時間には - これは実地調査で示 されたことであって当て推量などではありません - 晚の夕 刻を互いのニュース交換に当てるのです。両親は職場の出来事を話し、子供達は学校についていろいろ話します。両親は、この時間を利用して、いわば子供の勉強を「チェック」しよぅとするわけです。また、読んだ本や見た映画についても批判し合います。これはメダルの一面です。この結果、親子の絆はますます密になっています。しかし、確かに労働者には、親子が一緒になれる時間は当然少ないのです。それにもかかわらず、土曜と日曜日には - ソビェトでも週休二日制ですが - ますます多くの家族が一緒に過ごしています。彼等は、休日 には、親子で劇場へ行ったり、博物館を訪れたりして過ごすのです。したがって、年間を通して考えますと、両親が子供と一緒に過ごせる時間は決して少なくはなっておらず、相互関係もより強くなっており、家族関係の情緒的側面もより強くなっています。

これに加えて、子供達に対する、働く妻たちの権威は高まっています。子供達は、今では母親から多くの社会的問題に対する解答を得ることができます。最後に、人間の富は、個人の社会的接触の豊かさによって決定されるのです、私達が調查した家庭の七十二パーセントは、週末や 休日には、子供達と過ごしています。

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あなたは、ソ連の家族は二〇〇〇年までにますます小規模化すると考えられまナか。また、ソビエトの家族の未来像についてどうお考えですか。

 

ご存知のように、家族は非常に特別な細胞です。家族は、一方では、社会の他の細胞と同じように、法律や、社会規範、それに伝統によって秩序が保たれています。家族は、他方では、情緒、愛情、尊敬、相互理解等に基づく関係にずっと大きな比重を置いています。このような家族の特性を考えると、次のような結論が得られるように思います。すなわち、社会全体や人間自身がますます理想的な姿へと近づき、より望ましい人格形成が実现されるにつれて、感情、愛情、尊敬等に基づいた自発的関係の重要性はますます增大する一方、過去 において、諸関係や機能を非常に厳格な形で統制していた社会規範や伝統などの重要性は減少して行くでしょう。人間の文明の進歩とは、言いかえれば、人間の情緒的関係や、相互理解、相互扶助、更に援助の進歩だと思います。私達の共同の諸目標を実現するということもずっと重要になつてくるでしよう。

第二点ですが、今日でさえ、家族規模の縮小がみられますが、この傾向はもう相当期間続いています。現在のところわが国の家庭の平均家族数は三・五人です。つまり、三人ないし四人の家族が多いということです。たぶん将来は家族規模は僅かながら増大するかもしれません。と言いますのは、子供の必要性、最も近しい間柄の人々との一体感と愛の必要は年毎に重要性を堆すと考ぇられるからです。個々人の諸要求が増大するにつれ、家族規模も僅かに增大するだろうからです。一般に小集団の最適規换は結局五人ないし七人です。今私が 話していることは推論ではなく、人間の情緒文化が発達すればするほど、堅固な家族的紐帯への欲求が増大する、という事実に基づいているのです。

 

しかし、紀元二〇〇〇年には世界の人口はおそらく七十億に達するでしょう。これら全ての人口に、いったいどのようにして食糧や仕事を供与できるとお考えですか。

 

私は家族規模がそれほど大きくなるとは思いません。わが国のある地域では、生産過程に充分な人口のない所もあります。ですから、もし私達がこの人口問題をわが国内だけで解決して行くならば、わが国においては過剰

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人口で悩むことは当分はないと考えています。更に、私達の目指している生活状況や全体的生活環境の向上や、全般的物質的繁栄によって、二世代だけでなく三世代同居という家庭も增えてくるでしょうから、家族規模、特に子供の数が、急激に増えるとは思いません。三世代同居が多くなるということは、将来布愤が許せば祖父母達が隣り合わせに、あるいはすぐ近所に子や孫達と住むということです。またその結果としても家族規模自体は拡大するでしょう。もし仮りに、一家庭に一人を少し超える子供ができたとしても、これは、家 族規模が一般に非常に拡大することではなく、むしろそれより家族の情緒レベルの向上が結果すると考えられるでしょう。ソ連には一家族に五人ないし六人の子供のいる共和国もあります。このような共和国では、子供の数はおそらく僅かに減少するでしょう。アゼルバィジャンとか。一般に中央アジアや、コーヵサスにある - 東部の - 共和国がそうです。しかしバルチック地方や、モスクワとかレニングラードのような都市地区においては、子供は一人という家庭の割合が多くなっています。これらの共和国や都市地区では逆に子供の数は僅 かながら増えるでしょうから、国全体としてはそれほど大きく増えることはないでしょう。

一般的に言って、私達は将来一定の進歩を目擊できるものと考えられます。なぜなら、私は、家庭内における、情緒的、心理的、道徳的雰囲気は向上して行くものと深く確信しているからです。

このような問題を扱った小説 - 西側のものも含めて - を読んだ婦人が私達社会学者に、社会的生産過程や政治活動で広汎に婦人が働いているという事実が家族関係に否定的な影響を与えることはないか、という質問をしたことがあります。この質問に答えるべく、私達は社会学的調査を行ないました。その調查によると、妻が社会的生産過程に従事し、興味のある仕事や、有意義な仕事をしている家庭では、情緒的な雰囲気もより良好であるということが、確固として示されています。夫の妻に対する態度もはるかによくなっています。このような 家庭では夫は家琪や子供の教育に対してより協力的であるし、妻の意見も尊重されているばかりでなく、妻は家庭内で新しい役割を担いつつあるわけです。今では、妻は、革命前と同様家族への奉仕者であるだけでなく、組織者でもあり、余暇を組織し、また家族のために重要な社会的決定を下したり、子供達の運命を決定したりする

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者でもあるわけです。それゆえ、家を離れて有意義な仕事をすることは、家庭の内的構造に否定的な影響を及ぼすどころか、むしろ反対に、真に集団的な家庭を創造して行く、大きな要因になつているのです。これが、私どもの社会学的調查資料の示すところです。そればかりでありません。多くの科学者や、特にジャーナリスト達は家族の平等と父親の役割という二つの概念を混同しているということも示されました。その結果、多くの科学者は家族問題を解決するには夫と妻が全く平等で、同等の役割を担う時に、家庭の問題は全て解決 するという意見を述べるのです。夫がナブキン一枚を洗えば妻も一枚洗う。一方が部屋の半分を掃除すると他方がもう半分をやる、というわけです。もちろん、これは冗談ですが、スゥェーデンの社会学者達は、この問題を次のょうに洒落のめして説明しています。曰く、「いつたい、父親が母親になれるだろうか」と。彼等はもし父親が母親になれるならば二人は全く平等であると考えるのです。しかし私達はこの件に関して異なる見解を持つています。すなわち、真の平等というのは、夫は夫としての機能を果たし、一般に父たるものとし て留まり、妻は妻たるものとして留まるが、全ての物事は納得ずくの合意と相互協力、援助のもとに二人の間で分担し合うという形をとるべきであるという見解なのです。もし、今日、夫が仕事で疲れている時は、妻が家での仕事を多く負担しなければいけないでしようし、また、日によってはその逆もあるわけです。要するに全ては、夫婦の協力、相互理解、愛情に基づくことになるでしよう。

(仲里一彦)


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