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Asu no chikyû sedai no tameni (1975)

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Asu no chikyû sedai no tameni

(1975)–Willem Oltmans–rechtenstatus Auteursrechtelijk beschermd

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[pagina 409]
[p. 409]

43 小松左京

小松左京氏は、一九三一年大阪で生まれ、京都大学でィタリア文学を学んだ。一九六三年に、処女作『地には平和を』が出版された。氏はその作品の中で、一種の学際的なアブローチを展開した。一九七三年には、きわめつきのベストセラー『日本沈没』を出版した。当時『ニュ|ョーク・タィムズ』紙上でリチャード・ハローラン記者が本書の書評として述べたよぅに、この作品の中には地質学の專門知識が縱横に駆使されているので、恐るべき現実性を持った読物となっている。最初の六か月間に約三六〇万部が出た。氏のその他の有名な著 作には、『地図の思想』、『未来因の世界』、『地球を考える』などがある。

 

ガンジー夫人〔本書対談1参照〕はニュー・デリーで私に、世界最後の日についての声が喧しいにもかかわらず自分は人間の未来について基本的には楽観的だ、と言いました。

ある程度までは、ガンジー夫人は正しいと思います。というのは人類は窮極兵器つまり水素爆弾を発明したからです。最初一九六〇年代にはアメリヵとソ連との関係は悪いものでした。しかしこのような武器が発明されてから後は、この両大国は新しい事態に適応する道を選びました。

 

全面的な破壊という圧力のもとにですね。

 

そう思います。この種の武器を使うことを余儀なくされずに済む道を見出そうと試みたのです。彼等はそれに成功したと思います。

 

しかし、それは恐怖の均衡をつくり出すことによってにすぎません。

 

そうです。しかし、人類というものは、そのような非人間的な武器によつて脅かされない限りは共存の道を見

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出そうと試みたりは決してしないものだ、ということを念頭にとどめておかねばなりません。

 

それが人間の本性というわけですか。

 

ある程度まではね - と言うのは人間は自分の行なう革新について、非常に素朴な考え方をしてきたからです。西洋人が十六世紀に大洋航海術を発見した時、彼等はその技術を他の大陸に渡るために、他の世界を発見するために、用いたと思います。当時、彼等はまた相対的に強力な武器、つまり大砲を持っていました。

 

彼等はそれを自分達が発見した土地の住民を征服するために用いた - 植民地主義でナね。

 

そうです。例えば彼等はインド亜大陸を征服しました。あるいはまた、黄金を求めてやってきた冒険家の銃によって、いかに多数のアメリヵ・インディアンが殺されたことでしょうか。しかしながら徐々に、西洋人の心の中に多少の疑念が生じてきました。そしてだんだんと彼等はそういった残虐行為をやめるようになりました。現在では、ロシアとアメリヵとの間にはいわゆる平和共存の状態がみられます。しかし、だからといって、ガンジー夫人のように、未来に関して楽観的になってよいでしょうか。実際、未来に関しては非常にさまざまな 問題があります。エネルギーや資源の不足があるでしょう。石油がなくなってしまうでしょう。人口爆発と世界的な汚染が起こるでしょう。これらの問題は水爆よりもはるかに対処がむずかしいことでしょう。あなたはインド首相と人口問題の議論をなさいましたか。

 

しましたとも。私はガンジー首相に、権威主義的なやリ方でこれらの問題を処理する中国方式をどう思うかとたずねました。首相は、民主政治の責任ある指導者としては、上からの強制はあってはならないと答えました。

 

ガンジー夫人は原則的にはまちがっていません。しかし彼女がインドの人口問題にうまく対処できるとは考えられません。私はインド社会の若干の側面を知っています。インドの文化は、日本やョーロッバの文化とは非常に異なっています。私はインドの街路で、一億七千万頭もいるという牛の一部をみました。あなたもよくご承知のように、牛はインドでは依然として聖なる生き物であり、人々と共存しています。牛は食物として用いられて

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はならないのです。

 

実際日本人の生活態度とはたいへんな違いですね。

 

はい。私は、ベナレス(またはバラナシ。ィンド北東部、ガンジス川沿いの都市。ヒンズー教の聖地。)の低いヵーストに属する一人の男を知っていますし、それについて調べてみたことさえあります。彼は自分が文字通り餓死しかかっているのに、最後の食物を自分の牛に与えようとしました。

 

今ではすっかリ有名になったあなたの終末小說を書こうと決心した理由を教えてください。

 

それは話せば長いお話です。先ず第一に、日本はきわめて特殊な国であることを説明しなければなりません。日本は他のアジア諸国に比べれば幸運だったと思います。と言うのは日本列島は広い海峡によって大陸から隔てられていたからです。中国本土からの距離は少なくとも二〇〇キロありました。われわれの祖先は、約千数百年前にこの列島の征服を始めました。わが国の歴史は、自らを大陸から孤立させることによつて始まつたのです。

あなたは「カミカゼ(神風)」という言葉の起こりを知っていますか。カミカゼとは自殺ということです。それは、この前の戦争中に行なわれた非常に特別な攻撃方法につけられたあだ名です。この言葉の源は、十三世紀に遡ります。強力な蒙古軍が海を渡ってわが国を攻めようとした時のことです。蒙古の艦隊は九州の海岸に現われました。日本の武士が海岸線を守って戦いましたが、今にも負けそうになりました。しかし、まさにその瞬間非常に大きな台風が襲ってきて、艦隊を全滅させました。実に奇妙な偶然ですが、十年を隔てて、全く同じよう な事が二度も起こり、そのために侵略者達はわが国の西海岸に上陸できなかったのです。わが国の民衆はその台風のことを「カミカゼ」つまり「神の風」と呼びました。これは一つの著しい例ですが、歴史を読めばわが国はこのような幸運に満ち満ちていることがわかります。

思ってもごらんなさい。ョーロッバではフン族のアッチラ大王がローマ帝国の領土を易々と侵略し、それがゲルマン人の移動を引き起こし、ローマ帝国の没落の原因となりました。蒙古の侵略もまた、ユーラシアの地図に大きな変化を引き起こし、暴力に满ち満ちた長い歴史をもたらしました。

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ユーラシア大陸の民衆は、多くの人種的および民族的、国民的な悲劇をみてきました。国家の没落、都市の破壊、大虐殺、文化や言語の絶滅、疫病等々をみてきました。

 

そこで『日本沈没』を書こうというあなたのィンスビレーションの話に帰ってくるわけですが。

 

これはまだほんの初めです。根本的な動機なのです。ここから私は、われわれ日本人はよその世界での悲劇的な歴史についてあまりにナィーブだと思うようになったのです。

概して日本の歴史は東南アジア諸国の征服を試みるまでは、きわめて幸運なものでした。侵略の試みはごく短期問成功しただけで、再びもとの四つの小さな島にわれわれは引き籠りました。それ以前の歴史上では、独裁者秀吉が、朝鮮を攻めようとしたことが一度あります。彼は平壤Ga naar margenoot+に到達しさえしましたが、結局のところ失敗しました。日本は十九世紀のアジアの中で工業化の発展に成功した唯一の国でした。われわれはきわどい時期に近代的な国民国家を打ち建て、日本の民衆を植民地主義と帝国主義の侵略から守る ことに成功しました。アジアにおける今一つのそのような例は、タィです。しかし、タィは農業国、主として米を生産する国、にとどまりました。しかし日本はアジアで工業化した唯一の国です。その一つの理由は、日本が世界の他の部分から完全に孤立していたのではないことにあります。征服者がわが国に攻めこんで占領することには失敗しましたが、われわれは中国からの学問や書物に加えて、広く海外から財貨を輪入することができたのです。わが国の社会が進歩したのは、そういった外との接触のおかげであり、それが自然にわが 国を豊かにしたのです。

 

まだわかリません。何があなたをしてあの本を書かせる動機になったのですか。

 

日本人に、自らの民族的な経験として他国や他の文化に直面してもらいたかったのです。世界には非常に多くの異なった文化があります。まずわれわれ自身の日本の文化、われわれ自身の社会をとってみましょう。

日本人の心は当然のことながら閉じています。あるいはむしろ、当然のこととして閉じがちです。私はこの国の内側からこの国の話をしています。私が『日本沈没』を書くことで試みたのは、この閉じた壁に穴を開けてや

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って、わが国の民衆がその穴から外部の世界を眺められるようにし、巡礼のように現実世界の中に入って行くようにする道を見出すことでした。あの本に書いてあるのはそのことなのです。私は、わが国の人々に今日の わが国の置かれた真の状況をみるための「しかけ」を提供してみたかった、外部からみたわが国の国民性をみせてやりたかったのです。そのために仮構的な状況、すなわち「祖国の消滅」を創り出しました。それは、日本の中に未だに広がっている日本人の超民族主栽的な情感、心地よく、そして歳月を経て受け継がれ てきたあの情感、を消去してみせるためだったのです。『日本沈没』は、日本民族の興亡の物語の序説にすぎません。

 

あの本は、あなたの意図したとおりの自覚を引き起こしたとお考えですか。

 

今の日本人は他人の目を通して自分自身をみています。私が試みたのは、日本の読者が自分自身の目で他の文化、他の民族、他の国家をみるようにさせることでした。

 

そうするとあなたのベストセラー小説の意図は、日本人に世界中のさまざまな文化の再評価をさせるところにあったのですね。この本の扱ったテーマがそれであり、この本はたちまちにしてセンセーションを卷き起こしたというわけですね。

 

そうです。ただ残念なことに、私はこの本を書き上げてはいません。私の出版社は、この本を早く欲しいと言いました。そこで第一部だけを渡したのですが、それだけにこの九年間かかったのです。

 

そうすると第二部は - 」れからということですね。いつ完成しますか。

 

まだはっきりしませんが、少なくとも西暦二千年以内に仕あげたいと思っています。第二部を書くのは、第一部よりむずかしくなるだろうという気がしています。第二部では、世界のさまざまな場所に「難民」として住みついた日本人がさまざまな異なる国家や文明によって、どう扱われるかということを取りあげたいと思っています。

 

あなたは終末論の雑誌にも寄稿しておられますね。この種の出版物の目的は何でしょうか。

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[p. 414]

はっきりとは知りません。私は『終末から』といぅ雑誌の編集者ではありません。現在の日本には、破局ムードが一般に広がっています。

終末論、つまり破局の研究が今のところ流行しています。ある意味で、日本人は現在の新たに勝ちとられた不慣れな「豊かな社会」に直面して混乱してしまっています。実際日本人は経済成長を熱狂的に支持していますが、同時に彼等は、この日増しに加速を続け、拡大し、ますます制御しがたくなる「新しい経済機械」の爆発を恐れています。最終的には、われわれの生命と社会の全面的な破壊がくるのではないかと恐れているのです。

 

しかしあなた自身はこの終末論の哲学を信じておられるのですか。

 

はい。何らかの手を打たなければ、いつの日にか破局はやつてくることがあり得ると思います。

 

ぁなたは未来にっぃて悲観的なのですか。

 

いや。

 

なんだか矛盾しているみたいですね。

終末の日という考え方は、宗教的であり象徴的なものだと思います。それは、わが国の国土や国民が消滅することを直接意味するものではないのです。経済・社会システムの煤発は、贫困、飢餓、パニック、暴力、暴動、無政府状態、等々といった悲劇を引起こすでしょう。その場合には、第二次大戦以前よりはるかに低い生活、社会水準に帰ることを余儀なくされるでしょう。そしてわれわれの中には、必ず生き残って、この悲劇の厳しい経験を通じてより賢明な生き方を見出そうと努める人もたくさん現われるでしょう。

もちろん私自身は、そのような「経済の終末の日」が避け得るものであることを希望しています。ですから、私はあの本の中で、ある意味ではわれわれの社会に対する警告として、外部から日本をみた場合のわが国の自然的、国家的、および国際的な状況の大筋を示すことにしたのです。

 

日本人は、将来何らかの生態学的な、あるいは経済的な危機にさえ直面する精神的な準備ができているとお考えですか。

 

そうですね、ある程度まではできていると思います。

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[p. 415]

私があの本を書いた一つの目的は、日本社会を取り巻いているさまざまな危険に対する自覚を、日本の民衆にもっと持ってもらいたい、ということでした。われわれは農業時代の伝統から大工業国に突然飛び込みました。日本の民衆や指導者連は、この新たに見出された産業時代の力に熱狂してしまったのです。彼等は、幼い赤ん坊のょうにこの力を扱いもてあそびました。

 

そして第二次大戦中に、われわれは広島の原爆という一種の終末の日に、そしておそらくは日本全体の破壊にも、直面したのです。そして戦後には、一番新しい玩具Ga naar margenoot+、つまり経済力を手に入れました。

 

強力だが危険なオモチャですね。

 

そうです。例えば、東京は今や世界の最大の都市の一つです。東京の人口は一、二〇〇万を超えています。新しい近代的な建物は全てガラスでできています。わが国の自動車道路は中空高く建設されているか、あるいは川の底を抜けて走っています。今ではわれわれは都市の下の大きな迷路のょうな地下鉄や地下商店街を持っています。都市圏の中心に集中した大企業のオフィスがあり、八〇〇万以上の人々がこの都市の中心部の非常に狭い区域に日中働いています。ほんの二十年の間に、都市のあらゆる設計と計画は効率を最大にし経済活動に資 するようにつくり変えられました。しかし他方では、われわれは一般市民の生活の安全の保護を無視しました。この点ではほとんど何もなされなかったのです。にもかかわらず東京および日本に大地震が来る可能性は充分にあります。おそらく近い将来にくることさえあり得ます。しかし民衆はそれについて考えることさえ拒否しています。

 

それはSFですか、それとも事実の話ですか。

 

それはわが国の最も著名な地質学者による予測です。

 

つまリ科学者の予想ということですね。

 

そうです、そのとおりです。

 

あなたは日本が西暦二千年を迎える準備をナるのを助けるために、別の本を書く計画をお持ちですね。

 

そういった本を書いてくれと頼まれてはいます。

 

そのためにもう九年間かかることがないように祈リたいものです。

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[p. 416]

そうですな。あなた一つ税務署を説得して、私の今年の所得の十バーセントを取り上げないょうに言ってくれませんか。(笑い)日本では、今いわゆる累進課税制度をとっていますが、ご承知のとおりこれは大変きつい。もう少し残してくれれば、仕事に集中できるんですが。

 

あなたは、これからの四半世紀の未来を、とりわけ若者について、どのようにごらんになリますか。

 

私自身は樂観的です。もちろん新聞にも週刊誌にも日本全土に終末の日を予言する非常にシニヵルな人々がいます。しかし私は、若者はわが国の未来にいかに対処すべきか、この巨大な経済力をどうすべきか、そして最後にしかし決して最小の問題ではなく、国民性の諸問題をどう処理すべきか、などという点ではるかにはっきりした見解を持っていると信じます。

 

そして生存一般についても。

 

生存についても。若者達は、新しい秩序、未来のための新しい世界を、打ち建てる上で大きく貢献すると思います。

あなたのご意見では、日本の現代の若者が、これらのとてつもなく巨大で、考えられないほど困難な課題を達成すべく、自ら準備している徴候がみられます。

 

日本の若い世代は年上の世代に比べて、とりわけ人間的なものとなった世界の新たな諸段階について敏感であるといぅ点で、はるかに優れていることを示すいくつかの徴候がみられると思います。彼等は、例えば国際的な連帯、平和、幸福、おょび外国人に対する友好などの点で、ょり現実的な感覚を持っています。彼等は、年長の「飢餓世代」が依然として苦しんでいるあの貪欲から自由です。彼等はまた、かつての「帝国主義日本」が持っていた高慢さや差別感からも自由です。彼等はいわゆる「ビユーティフル・ビーブル」ですが、同時に、 世界の進歩のこの新しい段階をしばしば無祝したり、あるいはしっかりした知識を持たなかったりします。時にはまた、誤まって暴力やテロリズムの行為に走ることもあります。わが国の全く時代遅れの教育システムが、これらの「ビユーティフル」な若者達に現代的で確実な知識を与えられなかったのは、残念です。

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[p. 417]

あなたは日本や一般にこの地球について楽観的ですか。

 

人間の知恵は最後には勝つと思います。それはあらゆる人々の魂の奥底から湧き上がってくるでしょう。

 

あなたは日本が海の底に沈んで行くことについて本を書かれたのに、実際には知識が湧き上がってくると信じておられる。

 

そうなんですよ。(笑い)

 

それでは、あなたの次の本は、人間の魂の奥に皤れていた知恵が人間を終末から救うベく表面に出てくる話になるはずですね。

 

そのとおりなんです。人類はほとんどの人々が考えているよりははるかに賢明だと思います。人類史を細かく読んでみると、人間の残酷さや愚かさ、攻擊性や高慢さを示す恐ろしくたくさんの例が容易に見出されます。いやになり、人間性について絶望してしまうかもしれません。しかし、悲劇というものはわれわれの注意を引きつけやすいことに気づくべきです。慎世な解明がなされれば、いつの日か次のようなことが発見できるでしょう。すなわちほとんどの悲劇は、異なった文化に基づいた異なった価値相互間の恐怖と誤解によって引き起こ sdされたものであり、それが人々の間の隠れた攻擊性と残酷さを引き出し、時には彼等を野獣に化さしめた、と。

しかしながら、野獣でさえ、この全地表にわたって、多数の種やそのポピユレーションと共存しています。われわれは、同一の特定の文化的境界の中で、突際の衝突を避けることをあらゆる生き物に可能にしているような、きわめて精妙なシステムを持っているのです。一九七三年のノーべル賞受賞者であるローレンッ博士とティンバーゲン博士は、長期間にわたる注意深い観察の末に、このよく設計され信じがたいまでに巧妙なシステムの存在の証明に貢献しました。

もちろん、それと同じシステムは、人類の大衆の内部にも存在しています。人間の歴史を注意深く読めば、そのあらゆる記述の背後にそれが存在することに気づくはずです。あえて申しますが、いわゆる歴史記述においては、われわれは悲劇的な出来事にのみ注意を払う傾向があります。もちろん悲劇は落ち着いて平和的で楽しい生活の詳細よりも、はるかにセンセーシヨナルに書けます。

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結局のところ、人間は平和に共存する道や、お互いの相違を調整する道を探すべく永遠の努力を続けてきました。人間はその努力に部分的には失敗しましたが、一般的に言えば、さまざまな人種や文化の間のより調和のとれた閲係をつくり出すことに成功したのです。どうして成功しなかったと言えるでしょうか。われわれは未だに生存し続けており、いくたびかの気候変動、大戦争、疫病や数えきれないほど多数の文化的衝突などをくぐり抜けて未だに存在しています。ホモ・サピユンスは、依然として成長し続けているのです。今日では、異 なった人種や文化に属する約ー五〇の国家が、この地上に共存しています。これはわれわれの成功の最も明らかな証明だと私は思うのです。もちろんこの成功は、完璧なものではありませんが。

大問題についても、それほど大きくない問題についても、多数の対立や難問がこの世界には残っています。その中には、しかるべき時がくれば解決されるものもあるでしょう。また中には、未来における人間の存続にとってほとんど決定的な重要性を持つものとなるものもあり得ましょう。例えば、人口爆発、食糧不足、天然資源の相対的な不足、汚染、貧困、戦争、巨大な「戦争機械」の普及、部族間の歴史的な憎悪、世界の中での富の不均等な配分、等々がそれです。私は、人類の行手に、最も恐るべき悲劇が待ち構えているとは認めたくあり ません。時には、全面的な大災害がほとんど不可避的にみえることさえあります。しかし私はそれでもなお、こう信じています。もしも終末の日が近い将来ほんとうにやってくるとしても、それでも人類の一部はやはり生き残り、われわれがやってきたよりももっと賢い仕方でこの世界を再建しようと試み、そのような巨大な悲劇の経験から学んだことを基礎にして、新しい秩序を生み出すだろう、と。私は予言者ではない。自分が予言を行なっているとは思いません。私はまた、未来の終末の日の恐ろしいビジョンをつくり出して一般の人々の真 の平安を乱す気もありません。またわれわれの現代社会の声高な非難者になりたくもありません。私にとって最も重要だと思われるものは、われわれの社会の中の加熱した攻擊性を冷やし、そして減少させる試みです。これら全ての脅迫的な言辞や大声は、人々の興奮と不安を誇張し播き立てます。ですから、私は自分の考えを一般の人に提示するために、サイエンス・フィクションの形を用いました。私は、大災害のビジョンが読者によつて一つの警告とし

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て受け取られ、少なくとも、わが国の社会や国家としての状況の全面的な再検討の必要を自覚させるようになるという祈りをこめて一種のひょっとすればあり得るかもしれない悪夢を示したのです。私は、終末のロが確実に日本にやってくるとは決して言いません。限定された終末でさえこないでしょう。私はただ、自分がいくつかの禍々Ga naar margenoot+しい兆候をみてとることができ、われわれの社会にとっての差し迫った危険の増大の可能性をみていると思うにすぎません。

しかしもしも終末が真にいつの日かくるものとすれば、自分がその衝擊を少なくすることに貢献できると期待したい。おそらく人問の中の人間性を救うことに役立ちさえするかもしれません - 私の貧弱な能力と貧しい作品を通じて - 。つまり少なくとも「ビユーティフルな魂」、自己犧牲と謙遜の念に導かれた勇気ある「人間性」、を救うかもしれない。私が同時に悲観的でもあり楽観的でもある理由を充分明らかにし得たとは思いませんが、それにもかかわらず、読者は私が伝えようとしていたことをたぶん感じ取ってくれたと期待したいのです。

(公文俊平)

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