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Asu no chikyû sedai no tameni (1975)

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Asu no chikyû sedai no tameni

(1975)–Willem Oltmans–rechtenstatus Auteursrechtelijk beschermd

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48 ァデヶ・H・ベルマ

ァデヶ・H・ベルマ(Addeke H. Boerma)氏は、一九二一年四月三日、オランダのドレンテ州ァンローで生まれた。一九三八年、オランダ農業省に入った。第二次大戦後、臨時食糧供給局長となる。その後、FAO(国際食糧農業機閱)で、初めはオランダ代表となり、更に、全ョーロッバ代表も務めた。一九五一年から一九五八年まで、FAOの経済部長を務め、一九六七年以来ローマのFAO本部事務局長となる。このインタビューは、このイタリアの首都の氏の書斎で行なわれた。編者が本書にオランダ人を一人加えたのは、部分的には編者の祖国オランダに敬意を表する ためであるが、それょり、ベルマ氏が全人類のために食料問題を取り扱っているといぅ理由の方が大きい。

 

ここ数年、あなたは機会あるごとにEECのョーロッバ理事会あるいは国連で、世界の食糧事情は年を追って悪化しつつあることを強調して警告されていますが、あなたの警告に耳を傾ける人は少ないようです。もしかすると、現在、一九七四年になってやっと反応をみせ始めるかもしれませんね。

 

食糧問題に関する発言に対する人々の反応が遅いのは避けがたいことです。第一、富裕国は食糧の大規模の不足の問題が実際どんなものであるかについて何も理解していません。今日、これらの国においてはそういうことはほとんど起こらないのですが、しかしその富裕国自体の内部でさえ、その貧困地域のほとんどで充分な食糧を得ることのできない人々がいることはいるのです。この人々の収入は食糧の支払いにさえ充分ではないのです。

世界の世論は多くの国々におけるこの絶望的な食糧事情について充分知らされておらず、誰も関心を払わないようにみえます。食糧は、いくらでもあるのが当然だと常に考えられてきました。一度どこかで食糧が不足すると、人々は買いだめをし始め、その結果、価格はますま

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す上がってしまいます。先進国においては、まだ、人々はこのょうな状態もどうにか切り抜けることができます。それにもかかわらず、世界の食糧事情に人々はしかるべき注意を払っているとは全く思われません。普通は、人々が事態の推移をラジオやテレビ等でょうやく知り、初めて対策を講じるのが常なのです。

 

今のお話を聞いていて私は禿鹰が人間の死体にたかっているのを描写していたオランダのテレビ映画を思い出します。その映画はバングラデシュへの救援金を集めるために製作されたものでしたが、その効果はたいへんなものでした。一夜にして一千万ドルも集まったものです。

 

同様なことが、現在飢饉に苦しめられているアフリヵのサーヒル地域において起こっているのです。この地域の住民が実際に飢えている状況がテレビで報道されるや否や、世界は感銘を受け始めました。多数の死者が出て初めて人々は心配し始めるのです。人間というのはそういうものなのです。仮りに私などが一般的観点から語り、事態が更に悪化し得ると警告を発したとしても、人人は現実に危機が到来するまで静かに待つのです。現実の危機に直面しない限り、最も深刻な警告も全く効果が無いのです。

 

あなたは、テレビが正しく利用された時の、きわめて有用な側面のことを指摘されたことになりますね。

 

まさにそうです。あれは確かC・P・スノーだと記憶しますが、彼は、ブラゥン管の上で人々が実際に死んで行く様が写し出されて初めて、世界は真の緊急事態を認識できるのだ、と言つたことがあります。

 

第二次大戦の最後の数日間のことですが、アメリカやィギリスの爆撃機から大量のバンを投下していたのを今でも覚えていますが、これはオランダの飢餓地域にスゥェーデンの赤十宇社から贈られたものでした。アフリカのサー匕ル地域はまさに当時のオランダのような状況にあるのです。にもかかわらず、何千機もの飛行機を遊ばせている世界各国が、なぜこれらの飛行機を使って飢えとの戦いを遂行しているアフリカ諸地域に食糧を運んでくれないのでしょうか。

 

残念ながら、そうした輪送を組織することはできないでしょう。少なくとも現時点ではできません。現在支配

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的な人々の精神状態では、できません。FAOにできたことは、ほんの限られた数の飛行機をアフリヵの飢饉地帯の救済のために獲得することだけでした。これらの飛行機は確かにきわめて有用でした。しかし、この空輪のためのコストは、関係する国々の国防長官によって一定の予算勘定に計上されましたが、彼等はもうこれ以上の金は全くないと言っております。もっとも、ィスラエルやべトナム戦争で巨額の金と飛行機が使われたことを考えると非常に考えさせられる状況だということは、もちろん言えますが......

 

このような狂気については、ゥ・夕ント前国連事務総長〔本書第一卷対談1参照〕も私に力を込めて指摘しておられました。

 

まさに狂気です。だから、それを考えるとシニヵルな態度もとりたくなります。ここから引き出し得る唯一の結論は、人々の道徳的価値感が少しばかりズレてしまったということです。例えば、昨年、サーヒル地域内でも特に急を要する場所に食糧を供給するため、われわれは、もっと多くの飛行機を使ってもよさそうなものだったと考えられましよう。しかし、とんでもありませんでした。山なす困雔をいくっも切り抜けて、やっとFAOの必要最少限の空輪を確保するのが精一杯でした。全てが最初の計画どおりに運んだわけでは決してな かったのです。今年は一九七三年より、国によっては事情は悪化しています。例えばニジェールでは、目下事情は非常に深刻です。

 

確かに、最近同国で起こったアフリカで最近三十二番目の軍事クーデ夕ーも充分說明されるというわけですね。

 

おそらくそうでしよう。どんなクーデターでも、その正確な原因を言うことは常に困難ではあります。しかし、ある国に飢饉といった長期化する問題が生じた時には、急進的な解決方法の芽が萌していることだけは確実に言えます。ニジェールは、目下、最大の難関に直面しているサーヒル諸国の一つです。この国に続いて、マリおよびチャドが重大局面に向かっています。

 

あなたは、かって、勇を鼓してこんなふうに言われたことはあリませんか。っまリ - 「もうたくさんだ。状況はそんなにナマやさしくないのだ。私は、ニクソ

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ン氏に直談判に及びます。ニクソン氏だったら国連加盟百余か国全部を合わせたよリ多くの飛行機を持つ軍隊の最高司令官として、少なくとも全く無駄足を踏ませるようなこともあるまい」 - と。

 

実際問題として、そんな変則的手段でょい結果を期待することは困難です。常に正規の手続きを踏まねばなりません。

 

そうかもしれませんが、あなたもFAOの事務局長ではあリませんか。数十万の人命に関わる問題なのてすよ。これはもう戦争状態です。

 

思い切った方法をとる場合は慎重さが必要です。常にそうした手段のあらゆる準備と結果とに備えねばなりません。特に補給業務に関する場合にはそうなのです。と言うのは、ここにこそ問題があるからです。当然、アメリカからサーヒルまで食糧を空輪するのは容易です。ただし空輪するには必要な食糧が多過ぎるかもしれないのです。つまり、一部分は、海上輪送に賴らざるを得ません。また、食糧を港から配給センターまで運ぶために多くのトラックが必要です。これら全てにはたくさんの時間がかかります。その上これら の輪送に要する莫大な費用も看過できません。つまり、結論としてこう言えます - 私逹はこれまで各国政府に飛行機の提供を慫慂してきましたが、欲しいと思うだけ確保するのは全く不可能でした。

 

実際、FAOのような機構てさえ執行能力を依然として欠いているということは破滅的なことですね。

 

私達の組織はまだ超国家的な組織ではありませんし、また、そんなことは期待すべき筋合いのものではありません。現時点では、世界の人々は、FAOのような国際的機構に権力を賦与する準備ができた段階には至っていないようです。FAOのバヮーは、その都度一定の決定に逹したメンバー諸国の結合に依存しているのです。しかし、超国家的な機構として活動することは不可能です。このことはEEC内だけでも不可能なことがわかりました。

 

かつてあなたは一種の世界食糧銀行、つまリ緊急食糧供給計画(EFS)を提案なさったことがあリますね。

 

これはオランダ政府が、一九七〇年ハーグの世界食糧

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会議で提唱したもので、その目的は世界的食糧備蓄を創設しようというもので、それは国際的に資金をまかないます。つまり、全ての国が資金もしくは現物を提供し、全世界的に利用し合おうということです。実際、これと同様の提案は、一九六四年にすでにFAOからも出されています。オランダ政府はこの計画を単に復活させただけです。しかしこの計画は共同財源の問題について、つまり、各国の負担額について、意見の一致が得られず具体化しませんでした。したがって、この共同的世界食糧備蓄に関しては純理論だけにとど まっている状況です。私の提案がこれらと違っているのは、それぞれの国は自分の国で必要な備蓄量について責任をもって負担しようということです。つまり、各国は、自国の備蓄分について自ら支払うのですが、しかも、その備蓄食糧の現物も自国で產出されたものにしようというわけなのです。こうすることによって、充分な数の各国別食糧備蓄が創出され、それらを国際レべルで互いに協調して利用して行けるわけです。

 

こうしたデー夕がコンビュー夕に記憶され、食糧備蓄量がどれくらいあるか一目てわかるようにしておこうということですね。

そうです。その目的は、豊かな国々 - と言わせてもらいます - に、食糧輸出国としての自国の必要分だけを備蓄するのでなく、食糧危機で苦しんでいる人々に援助できる程度余分に貯えてもらおうということです。これに関連して貧しい国においても、自国の生産物によって自国の備蓄をしてもらおうというわけです。それでもこれらの国々はおそらくある程度の援助を必要とするでしょう。もっとも、ィンドでは数年前に九百万トンの食糧備蓄を自前で創出するのに成功しています。

 

貧しい国への食糧援助についてはどういう見通しをお持ちですか。

 

それらの貧しい国々が自前の備蓄を設けるに当たっては、窗んだ国々から食糧の直接現物援助を受けるか、あるいは備蓄のための財政的援助が必要になると思います。この財政的援助は、例えば世界銀行やIMFを通して与えることもできます。大事なことは備蓄量を増やすに当たっては、各国の協調が必要だということです。任意の時点において食糧備蓄をいかほどにしておくか、また将来、これ以上極端な食糧不足の状態がないようにするにはどれくらいの蓄えが必要かを全ての国が協議して

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決めなければなりません。食糧不足が生じるのを防ぐことは不可能です。と言うのは、ある国で凶作にみまわれたとして、その国の備蓄量が少なければまたたく間に使い果たされてしまう、といったことが起こります。その場合にはこの国は外国の援助を必要とするでしょう。それゆえ、目標とすべきことは、いろいろな措置の結合によって、事実上、世界的な食糧備蓄ができあがっている、という状態を実現して行こうということなのです。その際、この備蓄は、国際的に財源を負担するのではなく、各国がそれぞれ独自に負担 し、また、全く当然のことと考えられるように、富んだ国には、貧しい国よりは多く寄与してもらおうというわけです。根本的には各国が自国内での食糧供給を自前でまかなうことによって、全世界のより安定した食糧確保に貢献しようということなのです。

この一九七四年の春に発表された資料によると、現時点における世界の食糧備蓄量は二十七日分しかないそうですね。

 

一九七四年に収穫される分を加えても、せいぜい三週間分の備蓄量しかないというのは全く事実です。ということは、アメリカの備蓄が著しく減少した、ないしはほとんど最低レベルになってしまったということです。ですから現在の世界の備蓄量よりも少なくすることは絶対に避けねばなりません。この地球上で何か予期せぬ事態が起こった時に、緊急に融通できるような過剰な食糧はほとんどありません。もちろん新しい収穫はあります。FAOには、各国の予想される収穫量を記録する専門部が設置されています。一九七四年初夏 現在の予想によりますと、今年の各国の収穫量は大いに期待できそうです。ただし、おそらく例外はソ連ですが、この国からは直接の情報は入りません。しかし、モスクヮの最近の発表によると、一九七四年春の穀物作付量は予想を下回っており、したがって収穫高も予想を下回ることは大いにあり得るものと思われます。ソ連では年間収穫量の約七十パーセントを春に収穫するので、この情報は非常に重要なものです。しかし、この情報の真の意味についてはFAOも知りません。ソ連についての詳しいことは知られていません。当面 は私達は『ィズべスチャ』の報道によって判断するだけなのです。アメリカやカナダの一九七四年の予想される収穫量は、かなり期待できます。が、しかし、これは、世界のどこかで事態が悪化しない

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保障を意味しないわけです。アジアでたちの悪いモンスーンがあると、米の収穫はかなり減ります。アジアの米の生産は消費量に追いつかず、また、この地域の備蓄量も非常に少ないので、米の不足分は小麦で補わなければなりません。この小麦は実際上、アメリカおよびカナダ、ないしは備蓄量がまだいくらかあるオーストラリアやEECからしか入手できません。

 

もし仮リにアメリカの収穫高が滅少したら、いったいぜんたいどんな大騒動がもちあがるでしょうか。

 

理論的には、それは、他の任意の国における収穫が悪かつたのと結果は異なるところはありません。しかし、相違は次の点です。つまりアメリカは、食糧備蓄を供給できる唯一の国だという点です。ですから何らかの理由でアメリ力に問題が生ずると大きな悪影響を及ぼすことになります。特に、もしアメリカの不作と並行して世界の他の国でも同じような事態が重なりますと、そういうことになります。そして、これは充分起こり得ることなのです。現時点の状態のまま推移しますと、一九七四年度のアメリカの剰余榖物は一千万トンく らいになる見込みです。

ハーバード大学のジーン・メィヤー教授の推定によると、二億一千万のアメリ力国民は、ごく普通の生活をする十五億の中国人の食糧に匹敵するだけ消費していると言われています。

 

西側の贅沢な社会では、穀類に比例して多量の肉を食ベています。食物のカロリー当たりでは肉はコストが高くつきます。つまり、計算単位である穀物べースに直すと、この肉を生産するには多量の殺物を要する勘定になるのです。その結果、例えば多量の肉を摂取しているアメリ力のような国では、肉を生産するためにも多量の穀物が使われ、それが肉の生産高にも反映しているのです。もしこれだけの穀物が直接消費者のもとに向けられるならば、もちろん、もっと多くの人々を養うことができるわけです。

 

資料によると、アメリカ人は年間一人当たリ二千二百ポンドの穀物を消費していて、そのうちの百四十ポンドがバンやその他の食物の原料に使用されています。中国人は年間一人当たリの殺物消費量が四百ボンドで、そのうち三百六十ボンドが主食に当てられています。

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富んだ国においては蛋白質の摂取は他の地域に比べて、はるかに高いのです。結局それが工業国の人々の好みです。それに比べて、私逹は炭水化物をはるかに少なく摂取します。中国では主食は炭水化物で、これに蛋白質が添加されます。これは健康的な食事だと言えます。富んだ国においては普通の食事にはるかに多くの蛋白質が含まれていますが、それは蛋白質の浪費というものです。この過剰蛋白質も穀物でつくられるものですから、この切実に必要とされる榖物が全世界の食糧生産高の中から差し引かれてしまうことになります。

 

世界のある地域ては餓死寸前の大勢の人々が苦しんでいる中で、他方においては食糧を理不尽に浪費している、この狂気 - そう言わせてもらいます - を改めさせることができるという希望があるとお考えですか。いったい富んだ国て家畜の飼料として消費される毂物だけでもどれくらいあるのでしょうか。

 

正直な話、私はょく知らないのです。富んだ国の人々を、この問題について教育し直せるものかどうか、私は知りません。

クリスチャンは常に「汝の隣人を愛せよ」とは言わないのてしたっけ。彼等の連帶感はいったいどこに行ったのでしょうか。

 

繰り返して言いますが、人類の結束の必要性は、彼等の同胞が、死んで行くのをテレビのブラゥン管を通して自ら目擊した時にやっと人々の頭に萌してくるかもしれないようなものです。現実の問題として何が起こっているかを。おそらくその時初めて多くの人々が自覚するようになるのでしょう。現在のところ、先進国の人々にとっては「飢餓」も「対岸の火事」でしかないのです。自分の住んでいる街の片隅で起こったちょっとした事故の方が彼等にとっては関心があるのです。それを新聞で読んでも、その痛みに耐えるのはそれほど 困難でありませんし、アジアで天災による被害があるということを聞いたにしてもほとんど気にとめないのです。結局、人間とはこういうものなのでしょう。これが、現実に直面していることです。これらの問題に関してキャンべーンが行なわれていることは大いに結構ですが、たとえそうしたことがあったからといって、短期間で大きな変化が生じるなどという期待は持つていません。政治的観点からみ

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ても、何らかの著しい進展がない限り、現時点では食糧の一種の再分配はあり得ないでしょう。もし可能であるとすれば、先ず最初に、家畜の飼料に使われている穀物の量を制限するでしよう。そうすることによって莫大な穀物が節約できるでしょう。それはまた獣禽肉の節約に自動的につながることになります。

 

それに関連して、中国のお括をうかがいたいと思います。あなたは昨年中国へ行かれましたが、その時の印象をお聞かせくださいませんか。

 

先ず第一に印象深かったことは、とにもかくにも七億から七億五千万 - これがおおよその中国の人口ですが - もの人々が食糧に関しては、飢えの兆もなく生活しているということでした。更にそれだけでなく、備蓄することさえ可能でした。これは中華人民共和国の政府と国民の密接な協力の賜物です。ですから、このことに関しては不満を持っている人がいるかもしれないとは言えません。それどころか、彼等は全員が一緒になって働いているようです。もちろん、中国は、確かに、世界中にほとんど全くと言ってよいほど類のない政治形態を持 つ国です。そこで、中国で行なわれているようなことが他の国でもできないものだろうか、と考える人もいるかもしれません。しかしやはりそれは無理な話だと思います。と言うのは、中国でなされたように全ての国民が平等に貧困を甘受するよう説得することは、他の国においては容易にできないことです。少なくとも中国では、その結果として極端な貧困者が出現しないような状況が生まれました。中国では、もはや食糧が買えないような人々はなくなりました。餓死する人は、誰もいません。しかし、こうしたことは、繁栄も貧乏も公平 に全国民が分かち合える社会体制だからこそ達成可能だったのです。

 

中国のように、全人民に、この非常に特有な、しかし必要な団結の精神を洗脳によリ叩き込むようなやリ方は、富裕国に住む私達にはなじみにくいものかもしれません。しかし、最終的にどういう結果が生じるかが、誰にとっても重要ではないでしょうか。

 

全くそのとおりです。もちろん、中国におけるこれまでのような発展がいつまで続くか、また、これまでの精神搆造を維持するのが可能かどうかをみきわめるには、かなりの時間がかかりそうです。しかし、私は、中国がこれまでやつてきたことには強い感銘を覚えました。

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インディラ・ガンジー夫人〔本書对談1参照〕と対談した時、夫人は、政府の指導者として、当然、国民に対し、産兒制限を強制することはせず、ただどうか子供をもっと少なく産んでくださいと頼むだけだと述べておられました。中国では人口問題について何か別の方法がとられたかもしれませんが、しかし、インドに比べれば、中華人民共和国の一般人は、もっと秩序と繁栄を享受しているということは言えますね。

 

少なくとも第三者からみた限りでは、中国は強制によってここまで発展してきた、という印象は受けません。不満や反対運動もほとんどないようです。少なくともこれが現状ですし、また以前のどの時点に比べても国内の治安維持もうまくいっているようです。以前とは比べものにならないほど中国の個人の生活と安全の保障がなされています。その国民性からして、インドでは中国のような成果をあげることはきわめて困難だと思います。私の考え方はまちがっているかもしれませんが、インドの文化の中にはすでに西洋の文化が浸透 し過ぎているように思えるのです。

 

スラトコフスキー〔本書対談9参照〕教授からモスクヮで聞いたのでナが、例えばィンドでは全耕地面積の僅か三十バーセントしか灌既されていないのに対し、中国ではその数字は七十七バーセントだそうです。いったい、財源もない開発途上国がどのようにして耕地を拡大して行けるのでしょうか。

中国では、容易に使用できる莫大な数の人間を効果的に利用し、例えば、灌溉工事などのような建設作業に利用してきたのです。

 

そこでまた、連带精神の問題になるわけですね。

 

そうです。このような相互協力精神が非常に大事なことです。しかし、中国では疑いもなく強制が一定の役割を果たしたことも確かでしょう。しかし人々はこの強制を認めてきました。なぜなら、国民全体にとって利益になることが示されてきたからです。中国では、他の国だったら失業しているかもしれない非常に有用な人力を確保しておくことができました。私の中国訪問で一番印象深かったのは、職のない者が一人もいないことでした。少なくともそれが私には印象的でした。

 

インドの失業者はおよそ六千万にも達していると推

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定されています。

 

インドは、巨大な数の失業者を抱えています。これはインドの抱えている難問題のうちの一つです。この人達を、生産過程に有用に雇用するにはいったいどんな方法が考えられるのでしょうか。その一つの方法として、農業振興事業の一環で彼等に職を与え、貸金のかわりに食糧の現物給付を行なう試みが行なわれています。ところがこれを大規模に実現するための食糧さえ不足しているのです。このことは何もインドやインドネシア、その他過剰人口を持つ国々だけでなく、アジアおよびほとんどの開発途上国の根本問題だと言えると思います。

 

先進国の家庭では、全収入の中で食費の占める比率は二十バーセントくらいです。それがインドネシアでは、実に六十バーセント、更に悪い多くの国々では八十バーセントというのもあリます。

 

確かに、エンゲル係数は、生活水準を知る一つの目安になります。

 

「緑の革命」の実際の効果はどうだったのでしょうか。問題解決に役立つでしようか。

技術的な面から言いますと「緑の革命」にはまだ多くの可能性がありますが、現在、この「緑の革命」は特有の困難も持ち合わせているのです。と言ぅのは、穀物の改良には同時に充分な肥料、殺虫剤、それに灌溉用水が必要ですが、一九七三年に起こったエネルギー危機との密接な関係で、現在すでに世界的に肥料が不足してきています。これは石油不足の結果だけではありません。特に先進国においては、肥料が過剰生産されて、生産制限に追い込まれたこともありました。ところが、現在これらの国では肥料を增産しよぅとはし ません。その結果、肥料の価格は、資金のない零細農家には入手できないくらい高価になっています。ほとんどの開発途上国では肥料が全く入手できない状況さえ現出しています。インドでは、百万トンもの肥料が不足しています。

 

当然、この肥料不足もインドの食糧生産に大きく影響しないわけにはいきませんね。ブーメディエン大統領は去る一九七四年四月、ニューョークで行なわれた原材料産出国会議て世界の肥料生産の九十パーセントは富裕国の手に委ねられていると指摘しています。

 

このような傾向は改めて行かなければなりません。富

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裕国での肥料増産にはあまり期待できません。今すぐ肥料の増産が要求されているのは、開発途上国自体の内部におけるものです。この点に関しては、私は原材料を自国内に持つ開発途上国を先ず念頭に置いているわけです。もちろん、肥料生産のための原材料のことです。

 

例えばアラビア湾一帶の国々ですか、もしサウジアラビアの油田で地上に放出されている天然ガスの四分の一でも利用されると、この一国だけで全世界の肥料を供給できるのです。

 

確かに現在、貴重な肥料の原材料を文字どおり空に放り投げているこれらの国々に、肥料工場設立のための投資が必要だと思います。そうすればアラブの国々は、長期的にみれば、大量の肥料を、必要としている開発途上国に供給できるょうになるでしょう。

 

『タィム』誌は、かつてあなたのことを、用心深く分析的な人物ではあっても、決して警告家ではないと評したことがあリました。最初の話題にもどリますが、食糧事情に関する限リ、世界は今まさに戦争状態にあると言えます。このあたリで、「用心深く分析的人物」から脱して、警告を鳴らすよう、転換すべき時ではあリませんか。今度は、これまであなたの発した警告よリは、はるかに成功のチャンスは大きいと思うのですが。

 

世界の食糧問題について私が考えていることは充分論じ尽くしたと考えています。同時に、われわれは希望が全くないのだといった印象を与えないように、注意深くなければなりません。と言うのは、世界中に食糧を供給することについて、科学技術の利用から、まだかなりの余力を期待できると考えるからです。開発途上国で最も進んだ技術を稼動させることは、事実上まだ始まっていません。「緑の革命」は別ですが、これは主として優良新品種の導入に専念しています。開発途上国でさえ、多くの浪費があります。例えば水が無駄 使いされています。それは管理がまずいからで、まだ改善の余地が大きいでしょう。それにはかなりの時間と資金が必要です。この点で、例えば農業研究は、現在よりもっと拡大すベきですし、成果も大きいでしょう。この分野では、地域的にも国際的にも、もっと各国の協力が必要です。FAOでも、世界銀行や、国連の開発計画と協調して、世界

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的規模での研究促進の双務諸計画を通じて作業を進めていますが、ここでは、当然ながら、強調点は発展途上国にあります。この目的のために二千五百万ドルもの資金を準備しています。この資金で、例えばメキシコのトウモロコシ栽培研究や、フィリピンでの米の栽培研究といつた、一連の研究団体へ資金の援助がなされています。その他に小麦の研究にも援助がなされています。

 

インドネシアの米の研究もそぅですか。

 

違います。現在のところ、この関連でインドネシアへの資金援助はなされていません。援助金を支給する場合は、研究機関の選定を注意深く行ない、われわれが最も急を要していると判断されるところに優先して与えています。私達は、例えば、インドで、デヵン髙原上のヒデラーバードに、いわゆる旱魃地域研究のための研究所を設立しました。西アジアには、地中海地域全域を事実上ヵバーする生態学的地域のための研究所も設立の予定ですー現在、ベルーにはじゃがいもの研究に従琪している研究所もあります。私は食糧不足は単に 生産技術の問題だけでなく、同時に社会的、経済的問題でもある、ということを強調しておきたいと思います。これらの問題は非常に複雑で、また、相互に密接な関連があります。他方では、先に述べたょぅな研究を世界的規模で組織するために、はるかに多額の投資が必要です。と言ぅのは、それこそが、手持ちの技術を利用して、深刻な食糧不足に対する闘い - 少なくとも技術のレべルでのそれ - を強化するための可能性を発見する方法であるからです。

(仲里一彦)


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