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‘Seicho no genkai’ o meguru sekai chishikijin 71-nin no shogen (1973)

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Titelpagina van ‘Seicho no genkai’ o meguru sekai chishikijin 71-nin no shogen
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‘Seicho no genkai’ o meguru sekai chishikijin 71-nin no shogen

(1973)–Willem Oltmans–rechtenstatus Auteursrechtelijk beschermd

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[pagina 110]
[p. 110]

13 ポール・エアリック

ボール・R・エアリック(Paul R. Ehrlich)は一九三二年ベンシルパニア州フィラデルフィアで生まれ、カンサス大学で生物学の博士号を得た。一九六六年にヵリフオルニア州のスタンフォード大学で生物科学の正教授に任命された。

一九六九年から七〇年にかけて、「人ロゼ成長の会」の会長をつとめた。蓍書『人口爆弾」は発刊当時改訂なしで二十二版を重ねた。またこれに続くベストセラー「生きのこるには」をR・L・ハリマンと共著で発表した(一九七一年)。また妻のアンとともに「人口、資源、環境」(一九七〇年)を出している。

 

『成長の限界』の人口に関するデータは、人口成長に関するあなたの見解を例証するのに十分でしたか。

あのデータはひじょうに大まかなものでしたが、モデル自身の目的にとっては完全に十分でした。いいかえれば、あの本を論評はするが著者が述べている諸々の点を十分注意深く検討する労をとろうとしない人たちのことで、私はいろいろ考えさせられるのです。

 

スキナーGa naar eind〔註1〕も苦情をいっています......。

 

彼の本だってだれも本当には読んでいないのです。『成長の限界』の仕事をした人たちが種々の留保条件をちゃんとつけているのですから、あの仕事はまったく適切なものだったといえます。あの研究によって導き出された結論は、これまで全世界の状況を観察してきたあらゆる有能な科学者によって導き出されたものと同しだと思います。

 

パリー・コモナーGa naar eind〔註2〕は『成長の限界』を一歩後退だといっていますが。

 

コモナー博士は、全体の状況をながめていないよう

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[p. 111]

に私には思われます。なぜなら、コモナーの場合その政治的信念のために、環境の危機をもたらす上で人口成長が画ずる重要な役割りが承認しにくくされているからです。コモナーのグループの中には生態学者がいないので、彼がこの種の誤りをしないように助けることができません。残念なことです。多分彼は、人ロや豊かさが重要なのではないのだと人々を説得しようとしているコモナー十字軍の立場からすれば、『成長の隈界』は一歩後退だといいたかったのでしょう。その点からすれば彼 は正しいと思います。

 

大衆的な世論に警告を発するには、世界の終わりの日かやってくる的なもののいい方が唯一の方法でしょうか。

 

さあ、問題は、世界の終わりの日的ないい方をしたいのか、あるいはしたくないのかというようなことではないと私は思いますが。たいせつなのは、今おこっていることの最善の診断を下すことです。基本的にはそれがメドウズた ちGa naar eind〔註3〕のやろうとしたことであり、また私が試みていることです。それは、病状の見通しをたてることであって、楽観論に立つか悲観論に立つかとか、世界の終わりの日が来るか来ないかといった問題ではないのです。いまの趨勢がどこへ向かっているかをまずみきわめる。その上で、われわれにできる最善の推定からすれば進路をかえ ない限りその趨勢はこの方向に進み、そしてその結果はおそらくよくないものになるという。そこのところがたいせつなんです。いわゆる世界最後の日論者たちは悲観的にすぎる、と評する人々の大部分は、生態学の基本的事項についてまったく無知な人々にすぎません。すでに多くの人々が、現在の人ロ動態の状況について、あるていどの理解をうるにいたっている-話は簡単なことなんですから。私たちに、学部の学生に、二回の講義で、世界の人口動態の状況を理解するのに必要な限りの人ロ学の すべてを教えます。そのあとで、資源を理解するとか生態学を理解するとか、社会、政治体制を理解する-これはかなりむずかしい話になりますが-とかが問題になってくるのです。物理学と生物学と生態学が及びうる範囲では、一般的にいえば、解決がどこにあるかをわれわれは知っています。しかしわれわれがほんとうにわからないのは手おくれにならないように是正行動をとるためには社会制度をどう変えたらいいのか、ということです。

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[p. 112]

どれくらいの時間的余裕が残されていると思いますか。

 

さあ、それに問題によります。西欧世界を完全な破局がおそうまでにどれだけ余裕があるか、ということなら、私はMIT報告は楽観的すぎると思います。私の考えでは、だいたい今後二十年以内です。多少の遅い早いはあるでしょうが、その判断は困難です。事態がどう進行するかによるからです。いつ行動を開始すべきだったのかということでいえば、もちろん、一九三〇年代ないしおそくとも四〇年代には軌道修正を開始すべきでした。たとえばもし四〇年代に低開発国で人口抑制に関する突貫計画 が実行されていたとすれば、今日政治学者や社会学者がどうしようもなくて手をこまねいているようなひどい失業問題に直面せずにすんでいたでしょう。失業の増大をさけようとすれば、たとえばインドは今後十年間に一週間当たり十万以上の職をつくり出さなければならないでしょう。現在では、ぼう大な数の人たちが、職もつくってくれない経済の中へ、またどうしようもない食糧問題やその他の問題をかかえる社会の中へ、生まれ出つつあるわけです。なんとか進路を変えるための突貫計画を作 るべきだった時期は、遠くすぎさってしまいました。現在あるもう一つの問題は、たとえ進路を変えはじタイム・ラめたとしても、システムに内蔵されている時間遅れのためにどのみち破局は来てしまいはしないか、という問題です。もうとりかえしのつかないところまで、すでに来てしまっているかもしれません。多くの生態学者の心をとらえている主要な問題は、これだと思います。

 

豊かな社会と貧しい社会とのギヤップについてはいかがですか。

 

ええ、そのギャップはたえず拡大してきました。今でも拡大中です。そしてこの問題に対する凡庸な経済学者たちの答は、それが国家間のギャップであれ国内のギャップであれ、今までと同じ古い動力ハンドルをもっともっと早く回せ、ということです。つまり経済をさらにますます成長させ、今まで以上のカウボーイ経済(スルーブットの大きい経済)にしていきさえすればよいというのです。

 

そういえば、マクナマラGa naar eind〔註4〕がストックホルム会議Ga naar eind〔註5〕であえて唱えたのはその点ですね。

 

経済が成長すれば貧乏人の状態をよくするための残飯

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[p. 113]

もふえるだろうという考え方です。しかし、いうまでもなく、それが今までわれわれのやってきたゲームなのです。それはうまくいきませんでした。過去二十五年ばかり、われわれはあれだけやってきたのですが、今やギャッブは拡大するばかりだということがはっきりしたのです。したがって、そのやり方が決してうまくいかないものだという絶対的な証明はありませんけれども、われわれとしては、この「永遠の成長方式」はうまくいかないのだという判断を下さざるを得ないと思います-特に それは、生態系の破局をもたらすものですから。われわれがやらなければならないことは、過度に富んだ国々で、均衡経済を、それは宇宙人経済ともよばれていますが、その均衡経済をできるだけ早く実現するために努力するということです。その上で、富の再分配問題にあたらなければたりません。もちろん、後者は、もっともむずかしい政治的社会的問題の一つです。

 

環境の改造についてはどうでしょう。行動科学的建築家の役どころはどんなところにありますか。

 

問題は、人間の行動をどうやったらもっと生存志向的な様式とでもよびうるものに変えられるか、という一点につきます。

 

生きのびること、それこそスキナーが生命の目的とよんだものでずね。

 

多くの面で私はスキナー主義者です。後の具体的な解決策は、現時点では実行不可能ですけれども。私が望みをつないでいるのは、われわれのとは異なった文化を観察しているとわかることですが、人間というのはかならずしもただひたすら浪費したがるばかりの存在ではないということです。人間の性質をどうやつて変えるかという間題は、おもしろい問題ですけれども、現在のところ私にとってはあまりたいした問題ではありません。むしろ人間の制度をどう変えるかということが問題です。

 

「世界人口協会(World Population Institute)を設立ようという提緊が陰されていますが。

 

まあ、協会とか委員会とかに反対はしません。しかし、率直にいってその種のものには心を動かされません。協会とか委員会とか学会とかいうのは、これまで二十五年間にわたって世界を管理し世界を着実に破滅に向かって追いやってきた体制側の科学者や政治家たちがき

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まって出す対策です。彼らは軍縮の道さえ見出せない連中です。自動車がアメリカ合衆国を破壊するのを止める方法をも見出しえない連中です。アメリカで年率五ないし八バーセントというエネルギー利用のたえざる指数的成長を止める方法を考えだすこともできない連中なのです。いいかえれば、全米科学アカデミーの会員とか、アメリカ連邦政府、イギリス政府、米州諸国の政府その他にいる連中を考えても、忘却にいたる過程の進路を転ずることなどのできない人たちばかりです。これと似 たような機関をもっといっぱいつくればシステムを変えることができると期待するのは、まさにばかげています。彼らについては、「私自身がその証明だ」というよび名の理論があてはまるわけです。いいかえれば、これらの人々がシステムのてっべんにいるという事実そのものが、彼らにとっては、そのシステムが完壁であるにちがいないことの証明なのです。そうでなければ彼らはてっべんにまでのぼらなかったでしょうから。この世の中で彼らこそ、世界をほんとうに変えるなどということをも っとも期待できない入たちです。

 

ジョン・R・ブラットGa naar eind〔註6〕はこの仕事にとりくむために科学者を動員することを提案していますが。

 

この危機に対応するために科学者を動員しなければならないという点ではジョンに賛成です。同じことを、われわれは第二次大戦中にしました。しかしまずしなければならないのは、国民を、そして次に政治家たちを動員することです。

 

しかしわれわれはいま戦時体制にいるんでしょう。

 

私がいいたいのは、今や戦時体制にあるのだということに政治家や国民が気づくまでは、科学者の動員なんかおこらないということです。何といっても、科学者というのは世界でももっとも保守的な部類の人間に属します。彼らは研究室にいて、政治家たちが命令したことをやり、口をつぐんだままでいるように訓練されています。多少の例外がないわけではありませんが、約三十万人の科学者のうちおよそ二十九万五千人は産業か政府のどちらかに完全に身売りしてしまっているのです。

 

体制側に属しているわけですね。

 

もちろんそうです。彼らは何も動員しようとはしません。すでに職をもっているんですから。彼らが望んでいる

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[p. 115]

のは宇宙計画を動員することであり、それをもう一ぺん動かそうとすることです。ご存知のように、NASAGa naar eind〔註7〕では、あらゆる種類のナンセンスを続けて行くために、科学者が一生懸命働いています。リーダーシップが科学者によってとられるなどということは期待できません。

 

この点についてのマスコミの役割リはどうでしょう。

 

もちろん、アメリカのマスコミはどれもこれも、現状維持を利益とする同一グループの人々によって所有されています。われわれがアメリカでかかえている問題の一っは、マスコミをジュネラル・モーターズその他の支配から解放するということです。これはひじょうに大きな問題です。それに可能かもしれません。しかし結局また同じところにもどってきてしまいます。つまり、もしマスコミを変えなければならないのなら政治を変えなければならないということです。マスコミを統制している機 関は連邦通信委員会ですが、いうまでもなくこの委員会は、規制をうける側の人たちによってだいたい支配されています。きつねが鶏小屋を守っているのです。結局われわれは政治問題にもどらざるをえません。生態学は比較的簡単です。人口学ときたら、信じられないほどたあいのないものです。政治学や社会学なんかになると、きわめて複雑でむずかしくたります。

 

そうしますと、あなたは一九七四年の世界人口会議にあまリ期待をおいていないということになりそうですね。

 

何かブラスが生まれるかもしれません。政治家たちが生態学という言葉をはじめて覚えてから四年たっただけなのに、ストックホルムで環境会議が開かれたということは、ある意味では奇跡でした。ストックホルム会議はある程度プロバガンダとしての意義がありました。しかし直接的な影響という点では、基本的には何もありませんでした。アメリカでは、ポピー・フィッシャーのチェス対局のニュースのほうが、環境会議のニュースよりはずっと重要だったのです。ですから......。

 

しかし人口会議は正しい方向への一歩になりうるのではありませんか。

 

たしかに正しい方向への一歩です。しかしそれは沈んでいくポートからだれかが盃で水をかい出そうとしてい

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[p. 116]

るようなものです。それにしても、船外へ捨てる盃の水の一杯一杯がすくいだといえないことはありません。しかし、水が一分間に十トンずつはいってきているのに、一時間に盃三、四杯しか水をかいださないとすればー、そうです、たしかにそれは正しい方向への一歩にはちがいありませんけれども。-そうすることが何とか一命をとりとめることにつながるのだと胸おどらせるわけにはいかないでしょう。

eind〔註1〕
B・F・スキナー教授。ハーバードの心理学者。対談7を参照。
eind〔註2〕
対談26<バリー・コモナー>参照。
eind〔註3〕
デニス・L・メドウズ教授の指導するMITの研究チームで、ローマ・クラブの委嘱により、地球が当面している全世界的な問題に関する報告書『成長の限界」を作成した。
eind〔註4〕
ワシントンにある世界銀行の総裁。
eind〔註5〕
一九七二年六月五日から十六日まで開催。
eind〔註6〕
対談9<ジョン・ブラット>参照。
eind〔註7〕
アメリカ航空宇宙局(National Acronauticsand Space Administration)

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