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‘Seicho no genkai’ o meguru sekai chishikijin 71-nin no shogen (1973)

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‘Seicho no genkai’ o meguru sekai chishikijin 71-nin no shogen

(1973)–Willem Oltmans–rechtenstatus Auteursrechtelijk beschermd

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[p. 428]

49 メリー・マカーシー

アメリカの創作家メリー・マカーシー (Mary McCar-thy) は一九一二年ワツントン州シアトルに生まれた。ヴァッサー女子大学に学び、はじめ演劇解論の仕事をする。一九四八年セアラ・ロレソス大学で英文学を教えた。

現在パリ在住。経済協力開発機構 (OECD) 本部に務めるアメリカ人外交官と結婚している。

メリー・マカーシーは最近数年、アメリカ対外政策批判にょっても知られる。彼女の著作『ベトナム』一九六七年) と『ハノイ』 (一九六八年) は、広く好評を得た。近著に『壁の落書き』 (一九七〇年) と『アメリカの鳥』(一九七一年) がある。

 

シャルル・ド・ゴールがサルトルについて言ったことを書いなおせぱ「メリー・マカーシーもまたアメリ力である」ということになりますね。危機的な世界的状況の進展の中でアメリ力人としてヨーロッパに暮らしていて、どんなお気持ちですか。

 

ここ、パリには十年以上暮らして来ました。しかしヨーロッパ的なものの見方をしているとば全然おもいません。合衆国から少し離れているブラスはありました。何しろ嫌な時期ですものね、ベトナム戦争という。まだそれが終っていないことは明らかです。マイナスは、何か行動をおこそうとすると、ここからでは無理だということ。反対運動を組織したいとおもっても、長距離電話ではとてもムズカシイの。つい今しがたもそうなんだけど、『ヘフルド・トリビユーン』 紙Ga naar eind〔註1〕に、戦争に関した間題について投書したいとおもっても、それじゃ在外アメリカ人にしか読まれないんですものね。

 

『ニューヨーク・タイムズ』紙のハリソン・ソールズベりーかジョン・B・オークスに送ればいいじゃありませんか。ご意見をアメリカで印刷しますよ。そうすべきだなあ。

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[p. 429]

ええ、でも、なぜだか自分の住んでいるところの新聞に投書したい気持ちになるものね。横道にそれるけど、フランスに住んでいるとずいぶんうらやましがられるみたい。アメリカ人てのは国外に住んでるひとをとても、とても、うらやましがって、そのせいで引きずりおろそうとするの。でも、わたしは国籍放棄者じゃない。夫がOECD(経済協力開発機構) で働いているからここに住んでるのよ。

 

この時代の経験はいかがです?一方においてニクソンは中国やソ運に門を開き、同時に、世界に先例のないような規模でクリスマスの「じゅうたん爆撃」を組織している。

 

まったく不可解。ニクソンの交渉に誠意なんかがあると思ったことはないの。一九七二年十月二十六日の協定Ga naar eind〔註2〕なんかも信じない。ニクソンがそれを守って行くなんて思わないの。

 

選挙のための手品ですか。

 

選挙がそんなに大きな役割をもっていたとは思わないわ。とにかく再選することは間違いないと思ってたんだから。でもニクソン政策に反対の多くの人々が、戦争を終らせることについては彼は本気だったと思っている。ペトナムと平和条約を結ぶことが彼の利益になると思っていた。中国やソ連への道を開いたとなると、彼には東南アジアの平和が絶対必要だと考えたわけ。でもそんなに必要を感じていたように見えないわね。なぜアメリカがべトナムに、一般にインドシナにいるのか、不可解だ わ。わたしに考えられる唯一の解釈は一種のマルキシスト的解釈。そう、これは政治の問題だけど、経済が根本に同程度にあるのかな。単純なマルキシスト的解釈じゃだめね。われわれは彼らの原料を必要としていない。彼らの米を必要としていない、どころか、いまはわれわれが米を南ベトナムに輸出している。彼らのゴムも必要としていない。いずれにしても、われわれは彼らの農場を破壊し、樹木の多くを破壌してしまった。彼らのバナナも必要としない。ぺトナム沖かどこかで油田が発見され たけど、これはかなり最近のこと-一九六九年でしょう-だから今でもあきらめない理由にはなるかもしれないけど、初期の決定を解釈する助けにはならない。チューと離れない理由は純粋に植民主義的動機によるのでもなければ、新植民主義的動機によるのでさえもない。

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[p. 430]

しかし、わたしの考えでは、選択は南ぺトナムのべトコンならびにべトコンに従うひとびとによってなされた。非資本主義的生活様式を選択したわけ。これは一つの採択であって、ボーランド、チェコスロバキアその他でおこったこととはいささか違うの。これらの国では国民にじつは選択がなかった。ポーランドが共産主義だからって、アメリカふう資本主義の黒星じゃないわ。だけどぺトコン共鳴者によって行なわれた自由選択が......

 

チリーのように?

 

そうよ。じつにチリーに似ている。もしベトナムで勝てるとしたら......

 

力ール・P・ロジャーズが強調したのは、悲しいことに彼のいわゆる「政治における途方もない偽善」が拡がったということです。

 

そう、同感だわ。まったく恐しいこと。「クリスマスじゅうたん爆撃」にもまして恐しいくらいなのが、それについて行なわれた公式のウソ。ハノイ病院その他についてのウ ソGa naar eind〔註3〕。それから今度はわれわれが戦後の再建を大いに助けてやる、なんて、何というヒドイことでしよう。まったく気ちがい沙汰。それでアメリカ人の罪は消えて、気も晴ればれというわけ。しかしニクソンの停戦作戦の話に炭りましょう。わたしの想定では-違ってるかもしれませんよ-ニクソンははじめ十月の協定を受け入れたいと思った。が、キッシンジャーが規定条項の同意を得て戻って来たのを見 ると-たとえじっさいの署名は済んでいなくとも-急に悟ったのね、「もっとウマイこともできたはずだ。ハノイ政府がこれに同意したといらことは自分にもっとウマイことをする余地があったということだ」って。これがわたしの分析よ。ニクソンはまた次の協定でも逃げると思うわ。

 

-そんなものですか、ニクソンの思考のレベルは。

 

そうよ。しかし、これはどのアメリカ大統領も同じようなもの。形はいくぶん違ってもね。

 

-しかしアイゼンへワーが朝鮮戦争を停止したことを認めざるを得ないでしょう。それも選挙されてからあまリ日の経たないうちにね。ニクソンがニュー・ハンプシャー州で大統領候補に立ったとき、私はそこ

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にいました。彼は何度も繰り返しいっていました-「私はアイゼンハワーにならってベトナムの戦争をやめるんだ」と。でもまた爆撃をつづけています。もう五年も経つというのに!

 

ええ、おぼえてますよ、それは。それが選挙運動の標語の一つでしたもの。アイゼンハワーは朝鮮戦争をやめましたけれど、あれでほんとに終ってはいない。いまでも七万五千人のアメリカ軍が韓国にいます。みんなそれを忘れている。一方においてアイゼンハワーはベトナムに関して比較的慎重で穏健な政策を行ないました-彼の後継者たちに比較してね。地方、彼は一九五四年のジュネーブ会議後にべトナム選挙を行なわないことを決定した大統韻です。コ・ディン・ディエムの暗殺をゆるしたワ シントンが丁重にチューを捨てればよいのに、そうしないということは意味鮮明です。われわれアメリカ人が支持しなければチューは存在しなくなるでしょう。チューが存在するかぎり、わたしにとって、アメリカ人がペトナム国外へ去ることをいさざよしとしない証拠だわ。

 

しかし私にわかりませんのは、アメリ力人はもう蒋介石を支持した教訓を学んでいい頃じゃあリませんか。蒋はチューと変りありません。蒋支持の結果が毛沢棄です。バチスタを支持してツィデロ・カストロを得るたぐいです。いつになったらワシントンは教訓を学ぶのでしょう?

 

ええ、しかし、もう今じゃ中間の人たちがほんとはいないのかもしれません。つまりリベラルな線がないのかもしれません。バチスタを支持するよりは何かよい社会民主主義者を支持すればよかったのに。そうすればカストロを相手にしなくてよかった。ひょっとするともうほんとは伸びるような中間層がないのかもしれないわね。アメリカに関するかぎり。アメリカにとっては「中間」というのがすでにあまりに左寄りなのね。だんだんそう思うようになって来たの、チリーでヒドイことがおこっ ているのを見ているうちに。アジェンデはわたしのいう意味で申し分のない社会民主主義タイプのすばらしい人物でしたのに。

 

本題に戻りまして、ジャン・フランソワ・レベルの

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いわゆる「文化のアメリカ化」についてどう感じられ。ますか。

 

そうね、その答はわたしにはわからないということでしょう。現在行なわれている形には単なるファッション、流行というものもあって、あまり長つづきしないんじゃないかしら。わたしでも、麻薬文化なんか、あまり長つづきしなければいいと思うわ。わかりませんね。アメリカ人って、それはそれは流行の波に動かされやすいの。そして彼らがスタイルを決めるとそのスタイルは拡がる。また、この現象については消費社会のメンタリティが奇妙な役割を演じていると思う。音楽、衣服、宝石細 工、特殊健康食など、こういうものについては親しい営利チャンスがあるわけね。ドロップアウト衣服を売る店ではヒッピーが働いているわ。ということば新しい若者の市場ができたということで、それが世界市場になったのね。

 

日本が一方において今も完全に日本的でありながら他方、おそらく他のいかなるアジアの国にも例のないはどの規模でアメリカ人を模倣したのは驚くはかリです。

 

そうしたこと全部についてわたしの気持ちはとても、とてもべシミスチックだといわざるを得ないわ。ちょっと見まわすだけでもわかるわ、ノートル・ダム寺院がモンバルナス観光団と共存なんか、ほんとはできないんだってこと。できないのよ。そして、もちろん、わたしはノートル・ダムのほうがどんなにいいかわからない。でも両方ってわけには行かないわ。両方なんていえば死よ、保護都市、博物館都市ね、まわりをあのヒドイ公団住宅に囲まれて、じつに冷笑的な......住宅よね、労働者の ための-概していえば貧しい人たちのための。そのなかに化石になった博物館都市があって観光客が見物に来る。いやだわ。

 

バオロ・ソレーリは細密化によって新しい部市を設計しようとしていますが、ご存知ですか。

 

ええ。

 

ジャン・フランソワ・レベルは世界政府をつくらなければ何も残らないだろうと書いています。

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[p. 433]

わたしは世界政府には反対。とりわけ現代社会には危険な、全体主義的な傾向があるんですもの。世界政府は今あるものよりも隈りなく悪い可能性があると思うわ。レベルはステキな民主的世界政府を想像する。まるで違うものになるかもしれないのよ。たとえばヒットラーをいただく世界政府ができたとしてごらんなさいよ!現在の複数組織のよい点は、まだ逃げて行ける場所があるということ。第二次大戦中にはスイスとかスウェーデンとか、最後はアメリカとか。わたしは何によらず世界統合の 傾向には反対。いったん新しい全体主義世界専制になったとき逃げて行くべき場所がなくなるんですもの。

 

ええ、ですが.他方『成長の限界』はわれわれが資源において、汚染において、人口において限界に来ていることを大いに警告しています、論じたいという気にもなりませんが、富んだ国と貧しい国のあいだでもっと正当な富の分配をどうしたらよいのでしょう。どうしたら地球というこの惑星をもっとよく管理できるようになるのでしょう。やはり.国連よりももっと効果的な政治装置が必要じゃないのでしょうか。

 

そんなことになるとは、わたし、思いません。

 

そうなるべきだとは感じませんか。何とい, てもすでに国連とかOECDのような機構はあるわけです。

 

そう、でもそういう機構に力はありません。わたしはそんなことになると思わない、としかいいようがないわ。世界政府ができるとすれば、それは専制政治に強制された世界政府でしょうね。

 

トインビーGa naar eind〔註4〕さんがいわれたのですが、ローマ人は危機に際しては一時的独裁制に戻り、それから危機が過ぎると民主制になったわけです。

 

それは考えられます。でも、世界政府ができるときは同意や円卓会議を通じてできるのでにないと思ち。力によってできるんだと思う。力によってできた上で、いつか遠い未来に、この力がいくぶん和らいで、緩和して来るということは考えられる。しかしそれがわたしの考えるかぎり唯一の可能性。わたしの感じではまた世界はいま何らかの平和状態、半平和になろうとしているといっていいのじゃないかしら。少くとも三大強国のあいだ、中国、アメリカ、ソ連のあいだではね。そして一種の半 権力主義、半全体主義社会で.たくさんの消費物資のあ

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る社会が、それぞれ違った特色をもって、こうした国々の主流を占めるといっていいのしゃないかしら。

 

ソ連と中国を含めてですね?

 

ええ。わたしの感じでは近づいています、特にアメリカとソ連は。アメリカ合衆国は次第に反動的になり、全体主義的になっていますし、ソ連の少くとも消費者に関アドウレスアンするかぎり、わずかなりとも「緩 和」が行なわれています。中国にもっと望みをかける人もいます。一つには新しい国ということがあり、一つには、わたしの考えですけど、中国のことをあまり知らないからです。ソ連のことは知り過ぎています。知り過ぎてあまり望みをかけられない-変化とか発展とかいう形では。アメリカがファシストだと思ったことはないけど、何か新しい型の一般的圧制の方向には地すべりするかもしれないと思うの。

 

新聞・テレビの抑圧を含めて?

 

権力主義が合衆国に発展することはじゅうぶん考えられます。いくつかの点でソ連とは一種異質の双生児ね。歴史が違い、生活様式が違い、その他いろいろ違うけれど。

 

ほんとに、そういうことで二つの国は近づきましょうね。

 

ええ、そう思うの。

 

こうした領域で深く憂うべき理由があるというローマ・クラフに同感なさいますか。

 

ええ、もちろん、同感しますとも。ローマ。クラブの論題をわたしの理解するかぎりの同感です。でも、やはり、その大部分は実行されないでしょう。たとえその「部でも実行されれば価値があるでしょうね。

 

与論を通じて政治家や政策決定者に圧力をかけることもできましょう。

 

さあ。アメリカの汚染問題をごらんなさい。アメリカ合衆国は世界でもまずこの上なく汚染された国ですよ、たとえライン河を考慮しても-

 

-ヨー口ッバの下水問題ですね。

 

ええ、アメリカは-騒音と空気汚染と河川ならびに

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湖水汚染をいっしょにすれば-アメリカは最悪です。それについてはたいへん騒いで来たわけです。人々は声を大きくして努力した。生態学の流行があった。その成果といえばゼロよ。

 

その領域での陰られた目的達成に使う金さえニクソンはごく最近引っ込めてしまいましたね。

 

ということは、わたしの考えでは、与論なんて影響力のないものよ、大規模の場では。与論をおこす努力をやめてはいけないけれど、わたし、だんだん、もう与論だなんてものは存在しないんだなあっていう気になっているの。

 

じっさいには大部分が戦争反対なのにアメリ力国民の六十八バーセントがニクソンを選挙して選んだというふうな事実をお考えになるわけですね。

 

作家として-小説を書いているときじゃなくて、べトナム問題を扱った三冊の本の場合だけど-わたしは与論に呼びかけようとするわけ。でも、じょじょにわかって来たことは、わたしは真空に呼びかけているんだってこと。何もないのよ、そこには。与論というのは新聞に基盤のあるものなんでしょうねえ、テレビやラジオでになくて、新聞の読者が、事件に反応する、考える公衆をつくりあげていたのね。テレビの視聴者じゃないのよ。

 

マーシャル・マクルーハンGa naar eind〔註5〕が、いったいテレビはわれわれの心に何をするのか知ろうとたいへん努力しています。

 

ええ、でも彼はテレビを受け入れる。わたしは反対。わたしはテレビに大反対で、テレビなんかやめたらいいと思う。

 

精神を汚染し墜落させるとお考えになる?

 

そうよ、本気の話よ。わたしのテレビはド・ゴール将軍が政界を退いてから-死んでからじゃないのよ-押入れの中へしまったまま、出したこともないわ。ええ、買ったことは買ったのよ、友人のために。作家の友人がフランスのテレビに出るというのでね。ええ、ほんとうにわたしはテレビ反対。買ったテレビを押入れにしまっておいて何の痛痒も感じないわ。押入れに入っていることも忘れているの。

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[p. 436]

偶然いまフランスのテレビとおっしゃいましたが、フランスのテレビはかなリコントロールされています。CBS、NBC、ABCGa naar eind〔註6〕のニュースにも反対ですか。

 

そういう会社の人たちって、ほんとうの話、ナンセンス。彼らがいかなる意味にせよ急進主義を代表するなんてバカげた話よ。わたしがテレビを弁護するなら、いちばんいいのはBBC-一般にイギリスのテレビがいいわ。それから、あなたのお国、オラソダのテレビね。見ましたよ。クリスマスにオランダに行ってましたから。ある程度見た範囲では優れていました。色彩がすばらしい。世界最高だと思うわ、フィリップスのテレビの色は。とにかくテレビには反対。この、与論ということですけどね、わ たし、自分におこった影響に気がついたことがあるの。たまたま日本からバリに帰る途中、ニューヨークにいたの。ちょうどカンボジア侵略のあとで、ケント州立大学殺人Ga naar eind〔註7〕のとき。みんなテレビの前を離れられなかった、少くとも一日は。二日だったかしら。一時間おきのニュースのたび。同じものを何回も繰り返して見せるのよね、ニュースのたびに。同じ写真が毎時間出て来る-ケネディ暗殺のときと同じよ。ケネデイが撃たれる、葬式、オズワルドが撃たれる、同じシーンを何回も何回も何回も見るわけよ。最初の一日が終るころには、もうケント州立大学事件について何の感情もなくなっていることに気がついたの。

 

免疫になってしまう-

 

テレビに出るイメジが完全にみずからを殺してしまったのね、奇妙な化学反応のように。まるで力を失ってしまったの。

 

テレビ視聴者にはもうジョン・ウェインとミライGa naar eind〔註8〕の区別がつかないんです。

 

いえ、わたしはそんなモラリスチックなことはいいません。麻痺がわたしにおこった。そして、わたしにジョン・ウェインをミライと取り違えたりするおそれはない。わたしはメディア自体の影響効果だと思います。まったく麻酔効果です。人々ははじめすばらしいといった。だれもがアメリカの家庭で、ケサンGa naar eind〔註9〕やハンバーガー・ヒ ルGa naar eind〔註10〕の恐怖を見ることはたいへん意味があるといった。この間のクリスマスにはみんなクリスマス・

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[p. 437]

ツリーを囲んでハノイのじゅうたん爆撃を見ていたに違いない。まあね。しかし確かなことは、あらゆる感情が死んでしまったということ。新聞を読んだのでは、そんな麻痺的効果はないでしょう。逆に、刺激を受けて何かしようという気になる。たとえ投書だけなりとしようという気になります。新聞にはそれを囲んで消息通の多数がいて、それが与論というものですが、しかし与論などというものは中世には存在しなかった。中世にはイメジが支配し、噂がロコミで拡まった。中世には感情の 波、激発がありました。それが全国に拡まるのです。紀元一千年になる直前には「至福千年」が来て、この世は終るんだということで人々は恐れおののいていた。ローマ・クラブにそのような恐慌の波をおこせたら!しかし当時、与論なんて、そんなものはなかった。それは現代のブルジョワ現象で、新聞とともに消えつつあると思います。

 

レヴィ=ストロースGa naar eind〔註11〕教授にコレージュ・ド・フランスでお会いしたのですが、世界の現状を悲しんでいらっしゃるようで、百年か二百年前に生きていたかったといわれました。

 

同感だわ。ほんとにそう。百年まえはいい。とても興味のある時代だわ。二百年でもいい。十六世紀に生きてもよかった。わたしも今の世界は悲しい。とりわけ悲しいのは、若者たちじゃなくって、いまの赤ちゃんたち。赤ちゃんたちを待っている未来。何ていったって、わたしたちは最悪の事態は見ないで済むわ。それまでは生きないんだから。わたしたちの子どもだってそれまでは生きないでしょう。でもわたしたちの孫たち、わたしの孫たち、わたしの年齢の人間の孫たち。

 

それをローマ・クラブは憂慮しているのでず。アウレリオ・ベッチェイGa naar eind〔註12〕には七人の孫がいます。南米にフィアット自動車工場を建てたあと、余生は地球上のあらゆる赤ちゃんたちのため条件をよくしようといつしょうけんめいなのです。

 

もちろん努力は必要です。が、大規模には何もできないだろうと思うんです。夢だと思います。小さなイニシャチブならできるでしょう。

 

しかし全地球となると?

 

わたしには可能と思えない。現実的に不可能でしょ

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[p. 438]

ら。原子兵器さえ追放できないんですよー原子兵器が追放されたら、わたしも人ロコントロール、環境コントロール、食糧資源などの世界的協定の可能性について、いくらか信じるようになるでしょう。原則から見れば兵器のほうがやさしい問題ですよ、政府間の交渉で協定するわけで一般市民の協力を要しないんですから。しかしわたしの知るかぎり、力のある者がだれ一人として、全世界協定はおろか、双務的原子武装解除 (縮小じゃなくて解除) の遠い希望さえ提示していません。同時にだれもが核兵器拡大の危険を知っています。まもなくどんな国でも自国用の核爆弾をつくれるようになるでしょう、子どもが台所でLSDをつくったり、親の野菜畑でマリファナを育てたりするのと同じように。次の段階は核爆弾のたぐいの密造です。未来を心配する人へのわたしの助言は、デカイことを考えるのはおやめなさい、「全地球」的な考え方をおやめなさい、そうして個々の国に自由社会主義をつくるようにしなさい。ここ、ヨーロッパでは小国がそ れには一番向いている。だからといって、それもやさしいことじゃありませんけれど。

eind〔註1〕
ここでは『ニューヨーク・タイムズ』紙のパリ版を指す。
eind〔註2〕
パリ交渉でキッシソジャーとレ・ドク・トの間に行なわれた最初の休戦協定。
eind〔註3〕
ハノイ病院はアメリカのB52に爆撃されたが、ワシントソのベンタゴンは、はじめこれを否定した
eind〔註4〕
対談5<アーノルド・トインピー>参照。
eind〔註5〕
対談12〈マーシャル・マクルーハン>参照。
eind〔註6〕
アメリカの三大テレビ・ラジオ放送局。
eind〔註7〕
カンボジア王国の不法侵入によるニクソンの東南アジア戦拡大に抗議する学生四名が、一九七〇年五月四日, 国家警察に殺された事件。
eind〔註8〕
ぺトナムの村名。アメリカ兵が村民の大部分を虐殺した。
eind〔註9〕
ベトナム戦においてアメリカ兵が残虐を行なった。
eind〔註10〕
ぺトナム戦においてアメリカの若い兵士が最後の一兵まで死守せよと命ぜられた丘。エドワード・ケネディ上院議員がそのような無謀な軍事命令に反対、介入した。
eind〔註11〕
対談24<クロード・レヴィ=ストロース>参照。
eind〔註12〕
ローマ・クラブ会長。対談70を参照。

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