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‘Seicho no genkai’ o meguru sekai chishikijin 71-nin no shogen (1973)

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Titelpagina van ‘Seicho no genkai’ o meguru sekai chishikijin 71-nin no shogen
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‘Seicho no genkai’ o meguru sekai chishikijin 71-nin no shogen

(1973)–Willem Oltmans–rechtenstatus Auteursrechtelijk beschermd

Vorige
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70 アウレリオ・ペッチエイ

ローマ・クラブ会長および創立者であるアウレリオ・ぺッチエイ (Aurelio Peccei) 氏の求めにより、本書の掉尾は、氏との対談によって飾られることになつた。

氏は、一九〇八年にイタリアのトリノで生まれ、トリノ大学において最優等で博士号を授与された。

一九三〇年にフィアット自動車会社に入社し、第二次大戦勃発前に中国に派遣された。一九五〇年以来フイアットの重役会の一員である。また、アルゼンテインにあるフイアット・コンコード社のラテンアメリカ支社Ga naar eind〔註1〕の社長兼取締役会長でもある。

現在は、ローマに本社をもつ世界第一流のエンジニアリング・コンサルティング企業、イタルコンサルタント社の社長も兼務している。

一九六四年から一九六七年まで、氏は、オリベッティー社の会長兼社長の職にあった。その任期を終えたあとも、同社の副社長として留まっている。ベッチェイ博士はまた、ラテソアメリカにおける開発と民間の発意とを推進するために創設された国際投資会社、アデラ社の設立者であり、バリの大西洋協会の経済委員会の議長でもある。

一九六八年、ベッチェイ氏はローマ・クラブを設立したGa naar eind〔註2〕。

 

あなたは『成長の限界』にたいへんな努力と労力をおさきになったわけですが、特にこの研究が公表された当初に、多くの批判や攻撃が加えられるのを見るにつけて、悲しい思いをされたのではありませんか。

 

いいえ、そのようなことは全くありません。独善的しきたりを風刺し、皮肉り、誤った価値観を暴露し、陳腐化した分別に根底から挑戦し、商業社会を統轄する神聖な成長の女神そのものの神秘の仮面をはこうとしながら、何の批判や攻撃も受けないですむと思っていられるのは、おろかものだけです。時が時なら、もっと悪質な投石やはりつけの刑を受けたかもしれません。とはい

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え、ローマ・クラブの使命は殉教者になることではありません。ローマ・クラブはただ、人類をますます重大な危機にひたすら向かわせているあの集団的競争につきものの自己満足と無分別の風潮に対し、痛棒を加えようとかたく決意しているにすぎないのです。

MITにこのプロジェクトの実施をローマ・クラブが委嘱したのは、われわれの時代の極端な択一的未来像に世界の世論と政策決定者を直面させなければならない時が来たと信じてのことでした。私個人としては、人類をとりまく状況の変化を現実的に再評価するためにわれわれの世代が通過しなければならない試練の一部という意味で、どんな厳しい批判でも喜んでうけるつもりです。それにしても、これまでMIT報告に向けられてきた批判が、枝葉末節的、挿話的ないしはセクト的なものにすぎなかった のは残念なことだと思います。現代社会の支配的特色である人間の無軌道な増殖ぶりと食欲。この地球の限りある脆弱な収容力。いまだこの両者間の根本的不釣合の存在を論破しえた批評家は、ひとりとしていないのです。

私はさらに言いたい。どの批評も、MITの先駆的な世界シミュレーション・モデルがもつ、停滞的かつ願望的な思想状況を打破する道具としての重要性をいかなる意味でも弱めるものではありえない、と。ローマ・クラブは、このプロジェクトを先兵的なプロジェクトと理解し、より広汎な活動の展開がそれに続くものと考えていました。その意味ではこのプロジェクトが成功をおさめたことは、まぎれもない事実です。最初の衝激の波の後、新たな種類の議論が世界のほとんどあらゆる部分で進行中で す。たとえばほんの一年前には考えもつかなかったような新しい次元やダイナミクスが、われわれの思考に付け加えられつつあります。最も希望の持てる事実、かつ、真に驚くべき事実は、現代世界のこの問題複合 体Ga naar margenoot+についての真剣で深い討議が拡がりはじめ、今や政治や産業や科学において最も高い責任をもつ人々さえもが、その討議にまきこまれているということです。たとえば、ご存知のように、あなたの国オランダでは、ローマ・クラブの研究は、一九七二年十一月の選挙でかなりの役割を演じました。

 

あなたは指導的政治家と支配階層に言及されましたが、全ての社会の基礎は、労働者です。オランダの労働組合青年同盟は『限界』を討議するために特別会議

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を組織しました。彼らの考えはこうです。あなたとローマ・クラブは上の方からまず働きかけを始めているようだが、自分たちの任務は社会の下部構造の憂軍に手をかすことにある。それがなければ、あなたとあなたの同僚たちが人類の注目をそれに集めたあの問題複合体なるものに対する真剣で効果的な取組みは決しておこなわれることはないであろう、と。

 

実をいえば私たちは、学会をも含む世界のエスタブリッシユメントの頭をとびこして直接人びとに語りかけたのです。多くの言語に翻訳されたこの本の驚くほどの成功、その結果ほんの数ヵ月のうちに全ての大陸で爆発するにいたった論争にいっそうの活気を与える数百数千の会議や論説や集会、そして異なった環境や信念のもとに生きているさまざまの一般市民が世界中いたるところで示したその論争への参加。すべてこれらのことは、この現象が頂上会談のたぐいのものではなく、世諭そのもの が、いまだ混乱はしているものの、すでに動き出そうとしていることを示しています。ローマ・クラブは常に主張してきました。すなわち、人類および人類を構成している異質ではあるが相互に依存しあったさまざまな礼会が、現在の苦境を脱して新しい、より安全でより健全な進路を進もうとするのであれば、西洋文明諸国だけからでなく、世界の民衆自体の中からわき起こる心と精神の変革が必要なのだ、と。これは文化及び社会そのものの変質に相当します。このような変質は、われわれ自身の 運命をある程度まで自らの手中におさめ続け、またわれわれの子孫も同様な状態にとどまりうる可能性を残すためには、人類の針路の変更が不可欠のものとなった、ということの広汎な自覚に基づく以外には生じえないのです。しかしながら、あえて言えば、労働組合や青年層の指導省たちが、彼らの指導をではないにしても鼓舞を期待している人々の間に、この新しい意識を育てるという方向で常に活動している、とはかぎりますまい。

 

それでは、実際のところ、ローマ・クラブは新しい種類の人類の連帯を進める上での一助となつてきたかもしれないというわけですね。

 

それが私たちのねらいのひとつです。都市、国家、民族、宗教といった次元での限られた範囲しか持たないわれわれの連帯は今日でも過去の遺産として存続しているものにすぎず、今はじまったばかりの技術時代には調和

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しないのです。人類の一体性という観念は、元米ば少数の自由な精神によってのみ抱かれていただけでしたが、現在では、私たちのグループのようなものの仕事のおかげで、異なった文化や言語や習慣をもった老若男女にもだんだん理解され始めてきた、と申し上げたいと思います。これらの入々は、良かれ悪しかれ、さまざまな文化や言語や伝統をもっ人々を入れたこの小さな地球上で、生活の全般にかかわる有機的なきずなによってひとつに結ばれている、と感じるようになりました。つまり 、これらの人々全員が、世界連邦主義者のモットーである「世界を一っに、さもなければ世界はない」ということばが、単なることばのあやではなく真実のひびきをもっていることに気づきはじめているのです。

 

あなたは、人間の条件は変わったといういい方をしていらっしゃいますが、あれはどういう意味ですか。

 

そう、この世界の中での人間の条件は、根本的に変わりました。人間は現在、この世界の中で新たなサイバネティクス的役割を果たすよう要求されています。人間は、一方では、エコシステムの中で非常に支配的な地位に達してしまったために、これまでは神と自然のはかり知れない意図に委ねられていた規則的、規範的役割を果たさざるをえなくなってしまいました。そのためには一番広い意味での「生態学的知恵」の例外的に高度なものが必要とされます。他方では、われわれは非常に統合的で かつ入り組んだ人間システムを創造したために、その調節と機能をもはや自動的なメカニズムにまかせることができなくなってしまいました。人間は、今まで想像もつかなかったたぐいの「社会・政治的知恵」を発展させて、このシステムをみずから運営してゆかねばならないのです。「人間の役割は、彼がそれを望むと望まざるとにかかわらず、地球上の進化過程の指導者となることにある。そして彼のつとめは、一般的な改善の方向へと進化を導いていくことだ」とサー・ジュリアン・ハックスレ イGa naar eind〔註3〕は言っています。人間は、現在危険な状態で漂っている「宇宙船地球号」の真の「キペルネテース (舵手) 」つまり、その操縦士、舵取り、調速者Ga naar margenoot+としての、責任を自覚せねばなりません。これこそわれわれの世代に対する真の挑戦です。われわれがそれを認めるのを躊躇すればするほど、われわれやその次の世代の選択の範囲はそれだけ狭まるでしょう。

環境に関しては、自制と自己規律を覚悟し、われわれ

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の知識や技術を、自然 - あるいは自然の残りもの - や他の生命形態の、遇渡の搾取 (開発) にではなく、むしろその保護に、向けねばなりません。社会的、政治的、経済的秩序のなかで、集団の利益が優先するようにせねばなりません。個人の率先権Ga naar margenoot+や利益は、二の次でなければなりません。

 

ここであなたは社会主義港の社会観に近づいてきていらっしゃるようです。それどころか恐らくは、「自由と尊厳」といった使い古された概念を再評価ずるスキナーGa naar eind〔註4〕流の考え方に近づいていらっしゃるのかもしれませんね。

 

それはそうと、それは誰にとっての「自由」や「尊厳」なのですか。人間が至高の地位を占めるにいたったこの黄金時代に、自分自身もまたその子供たちも何の希望もなく生まれて育って死んでゆくほかない何億もの人人, 教育がなく職もなく空腹を抱えて途方にくれている「限界Ga naar margenoot+的な」男女たち、に対して「自由」, 「尊厳」、「民主主義」、「自己実現」、その他もろもろの概念をあてはめることにどんな意味があるというのでしょうか。もし、わずかばかりの自由や教育機会や自己を実現したり見苦しくない生活を送る機会といったものが人間生得の権利だとみなされるのならば - 私は絶対にそうみなされるべきだと思いますが - 社会の諸価値や目標ばかりでなく、その構造をも根本的に変えてかからねばならないのです。とはいえ私は、このような変化が準備されないうちに、他ならぬ圧倒的で抑制不可能な世界 人口の増加によって、状況はさらに悪化してゆくのではないかと恐れています。現在考えうるいかなる措置をとろうとも、また、新たに得られた生態学的あるいは社会・政治学的な知恵 - それが得られたとしての話ですが - を応用したところでさえ、人口成長の抑制が可能にならないうちは、自由と自己実現という恵みを人類社会にあまねくいきわたらせることは不可能です。来たるべき約十年間、人類の努力の大部分はいちじるしく巨大化されてゆく大衆社会へと人類自身を組織化してゆく、という途方 もない仕事のために吸いとられてしまうでしょう。この大衆社会にあっては、現在すでにわれわれを当惑させ挫折させている種々の問題は、何層倍にも困難なものとなり、時とともに新たに出現してくる諸問題とあいまって雪だるま式にふくれあがってゆくでしょう。それ故、もし早急に進路を変えなければ、生活の質と市民的自由の状況も

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改善されないままで増々悪化していくほかないのです。

 

ジエルメン・M・クヴイシャー二教授Ga naar eind〔註5〕は、ジェイ・W・フォレスターGa naar eind〔註6〕が「たいへん興味深い仕事」をして来た、と考えています。「とりわけ、企業活動の全分野にわたる、意志決定お よび予測のための軽営情報システムの利用に関するフォレスターの研究がそれだ」ということです。ソ連ではフォレス夕ーの著作のほとんどが翻訳されていますが、グヴィシャー二氏は同時に、「残念なことに、私たちは、フォレスターのアイデアやその主要概念を奥地に適用した結果については、あまりよく知りません。社会システムを取り扱う場合、それがあまりにも複雑なため に、これらの複雑な現象を多少ともよく説明するには、マルチ・ディシブリナリーなアプローチが必要なことを強調したい」とも注意されました。

 

グヴィシャーこ博士が言われたことは正しいと思います。私は、彼の教養や知識を非常に尊敬しています。ところで、現在進行中の成長論争に、さらに多数のソ連の科学者、思想家、人文学者に参加していただきたいものです。この論争は、世界のどこへでも野火のようにひろがっていく真に国家やイデオロギーを超越した性格の論争だからです。今こそ全世界をうって一丸とした哲学的・知的努力が払われるべき時代だというのに、多くの社会主義諸国からの強力な貢献がごく徐々にしかなされて いないのに悲しむべきことです。

 

あなたがおっしやられたように、未来に向けての思索や計画が、人文学、教育、経済、科学、安全などといった決定的に重要な諸分野において、単なる個別的な未来予測の総和という以上のものにならねばならないとしたら、われわれの理論的解釈をそれらの緒次元にどのようにマフチさせればよいのでしょうか。

 

個々の問題ではなく、人間の活動や期待がそこにこめられるさまざまなシステムの集団を心に描いて分析するためには、システムGa naar margenoot+ 的接近法にしたがわねばなりません。人間の賭活動間の相互関係や人間活動と自然環境との間の関係、それらの複合した相互影響に由来する迷路のような復雑さをもった諸問題、について研究しなければなりません。さらに、中心的な問題点の中にはその規模が非常に紅大化したために国家や地域の境界を越えてしまっているものも多いために、われわれの接近法は、

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全地球的でもなければなりません。われわれの思考の「空間的範囲」は問題そのものの幅や、われわれの行動のもたらす諸結果の範囲よりも狭くあってはなりませんし、同様に、その「時間的範囲」も、制御せねばならない諸現象の循環周期よりも短くあってはならないのです。われわれの接近法は、かくして、このような時間の連続体のあらゆる契機を包含する通時的Ga naar margenoot+ なものとならねばなりません。そして、最後に - とはいえ重要性がもっとも低いというわけではなく - われわれの接近法は、目標指 向的、いわゆる規範的なものでなければなりません。すなわち、実現可能であると同時に容認可能でもあるような長期的な全地球的目標が、人類のために用意されねばなりません。これはわれわれの前に立ちはだかる最も困難な挑戦でありますが、同時に、人類の進化史におけるこの決定的瞬間において、死活の重要性をもつ挑戦でもあります。

 

フォレスターは「自動車の操縦は人間の知力が完全に理解しうるほほ最も複雑なシステムである」と私に話しました。その頭脳の利用状況に閥するかぎリ、人類の現状はなんとも情ない未発達状態にありますが、こういうことで人類は、あなたが概要を述べられたプロケラムの十分の一たりとも実現できるだろうか、という点でのあなたの期待はいかがですか。

 

基本的には、私は楽観主義者です。私は人間を信頼しています。人間は十分利口で器用でして、おかれている状況や困難を理解しさえすれば、それに見合う解答や抜け道が見出せます。産業人として私が常に申していることですが、問題の条件さえはっきりしていれば、並の経営者でもなんとかそれに対処できるのです。しかし、問題の条件そのものが理解できない場合には、もっとも優秀な経営者でも失敗せざるを得ません。それ故、第一歩としては、人間のシステムの複雑な働きや、それとエコ システムとの間の相互作用を、人々自らが理解するよう仕向け指導することです。それによって入々が少なくとも、人間の集団的な努力を導いてゆくべき一般的な方向というものをだんだんと把握することができるようにしてやることです。MITが実施したローマ・クラブのプロジェクトは、この点で多くの成果をあげました。

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しかし、科学者と人文学者はひとしなみに、コンビュータが人間の頭脳の延長物としての有用性をもちうることに疑いの目を向けています。たとえばマーガレット・ミードGa naar eind〔註7〕は、機械は人間の知性をシミュレートできるかどうか、で琶るとすればどの程度なのかという質問に、こう答えました。「べー卜ーペンがソナタを組みたてた一般的規則をコンピュータに与えてやれば、だれだってこれはベートーペンにちがいないと貫いかねないような曲の断片をコンピュー タが作れるだろうということはわかります。しかコンピュータはソナタを完成はできない。コンピュータに欠けている決定的な一点は、全体をまとめあげる創造的な過程なのです。」

 

そうです。フォレスターの自動車と同じく、マーガレット・ミードのコンビュータも単なる道具にすぎません。テレビやレーザー光線や印刷機も、それと同じです。人間は、それらを利用も誤用もできます。それらの道具は、人間の機会をとてつもなく広げることができます。他方、人間は道具が与えてくれる相対的に大きな力に夢中になるあまり、それを支配できなくなり、他の人間をそしてついには自分自身をも害うような仕方でそれを使い出すこともありえます。特にコンピュータについて言 えば、それが知性をもっていないことはいうまでもありません。いってみれば、それは物言わぬ機械ですが、しかし忠実な機械でもあります。コンピュータは、それと親しく交わりそれに命令し働かせる人間の知性ないし愚かさを忠実に反映するのです。

 

あなたのご本の中で、未来についての省察を試みた個所で、とりわけ次のようにいっておられましたね。すなわち、「決定的な問題は、技術時代の先進国が、七〇年代から八〇年代にかけて出現しつつあるかにみえる新しい種類の大衆・緊張社会に備えて、世界を積極的に組織してゆく意志と能力とを有するか、またいかに」てそれを実行するかということであろう」と。ところでわれわれはいま七〇年代の半ばに向かって突き進んでいます。あなたの出された問題にどの程度よくこたえているで しょうか。

 

さっばりです。たしかにこの七〇年代のはじめには、われわれの希望をかぎたてるようないくつかの重大な事柄が生じたことは生じました。ヨーロッパ共同体が汎ヨ

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ーロヅバとなる決定的な第一歩を踏みだし、現在では声をひとつにそろえて語ろうとつとめています。そして長らく待ち望まれていたヨーロッパ協力安全保障会議 (CSCE) がついに開催され、三十四ヵ国にものぼる国々が一堂に会しました。そればかりでなく、この期間中には、二つのドイツが相互に折り合いをつけるにいたりました。二つの朝鮮もそうです。ベトナムをはじめとするインドシナ諸国においても、とうとう休戦のきざしが見え、新しい生活の夜明けも近いとみなされるようになりました9中国との間に、実効性をもつつながりが確立され、そして国連も中国をその仲間としてむかえ人れる労をとりはじめるようになりました。部分的な核兵器制限協定がア メリカとソ連の間で締結されましたし、ヨーロッパにおける東西相互均衡兵力削減交渉〔MBFR) も開始されました。しかし、いまだなお帳簿の借方に記載すべききわめて重大な事項がいくつか残っています。中東の火薬庫はくすぶっており.その地域の多数の人々が絶望的な状況にあります。このような状況は、慢性的ないやらしい病気のひとつの徴候にすぎません。一九七一年の世界の軍事支出は二一六〇億ドルという記録的な巨額に達し、世界中の武装した人〃の数は二三〇〇万人を若干上まわるほどでした。軍関係の仕事に雇われている民間人を含めれば.総数は約六〇〇〇万人にものはるで しょう。自滅への準備をととのえるこの気狂いじみた競争が恐らく現在では歩調をゆるめつつあるかにみえることは、ほんの気体めにすぎません-世界の核備蓄はすでに地球の総人口一人当たりTNT一五トン相当に連していることを思えばこれは、全く狂気の沙汰です。そしてあらゆる人々が、力のあるかぎりなんとかしてそれを増大させようと奔走しているのです。すなわち、「既開発」国は非核であるが破壊力は変わりのない新兵器を実用化しようとつとめ「開発途上」国は通常兵器に資金をつぎこんで います。この投資は、一九六一年から一九七一年の間に一一四バ!セントも増加しました。他方、掌校教育に関する世界の総支出は、現在のところ軍事支出の八〇パーセント程度にすぎません。しかも、成人の半分にまだ文盲だというのにです。不安な兆しは農業の面にも見られます。一九七一年には、この小さな世界に三億から五億の人間がいまだに飢えと栄養不良に苦しんでいるという時に、世界の農業生産は前年のわずか三パーセント増にとどまりました。それが最も必要とされている開発途上国 では、その増加率はわずか一~ニパーセ

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ントにすぎませんでした。これは年率約二・五パ-セントというこれら諸国の人ロ増加率をも下まわり、年率四パ-セントという「第二次開発の十年」に設定された戦略的目標からは、およそほど遠い状態です。しかもこの開全体的に見た世界の貧富の差は増々広がりつつある-方です。人類の小部分だけがその豊かさを拡大しつづけていますが、人類の約三分の二はその一人当たりの所得の増加という点では、最近二〇年間で一年あたり-ドルにも満たないのです。現在のアメリカの一人当たりGNPの一年間 での増加分は、現在の状況下のインドが一〇〇年かけて達成が期待できる額に匹敵するのです。こういった例は他にいくらでもあげることができますが、あとひとつだけにしておきましょう。世界のエネルギ-危機が七〇年代後半の上にその暗くて長い影をおどろおどろしくさしかけ始めています。すでにいくつかの地域に、困難に逢着しているのです。

ここで別の面に視点をうつさせて下さい。自由経済世界の先進国-アメリカ、ヨーロッパ共同体、日本-の間の関係の著しい悪化がそれです。これらの諸国はこれまで、種々の困難な問題をたな上げしてきました。一九七三年になったら、それとも七四年いや七五年になれば、それをうまく処理できるようになるだろうという希望のもとにです。その結果、現在ではこれらの国々は複雑で相互にからみあったほとんど手のつけられない多数の難問からなる恐るべき懸案事項に直面せざるをえなくなってし まいました。それには他ならぬ次のような問題が含まれています。国際通貨制度の再編成の問題、ドルや特別引出権 (SDR) やそしておそらくは金の役割の問題、多国間通商、貿易プロック、奨励金制度、特恵や互恵、農・工業産品に対する関税・非関税障壁等に関する基本的な緒問題、政府購入、外人入札者の差別待遇、国際収支、海外投資、資本移動、財政政策の諸問題、防衛費の相互負担、汚染防止基準や規制の調整、多国籍企業の活動とその将来などに関する諸問題、加うるにその他の副次的諸問題、そして、もちろん低開発国が必要とする全般的な援助問題......。残念なことにこれらの諸問題の交渉当時者となって いる諸国が、多年の将来にわたる世界共同体の経済生活のための基盤を築き規則を定め手段を用意する必要に与えられるべき極度の重要性と緊急性とを認識している徴候はなんらみられません。これらの諸国は、一九七三年から七四年にかけての交渉を、あたかも巨大な技術上の演翌であって、もっぱら国内的な事

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情や便宜を基礎として行ってもよいものだとでも考えているように見うけられます。これらの諸国は、交渉の議題に詰めこまれた諸問題が、広い国際的な視点からみればすぐれて政治的な問題であること, また、それらの問題は全体として産業文明の秩序回復能力をためす試金石となっていることを、見のがしています。現代の最も強力な諸国の洞察力と指導力の欠除には、ただ驚くばかりです。これがいま私たちが話をしあっている時点での世界の状態なのです。私にせよ、あなたにせよ、その他だれにせよ、このような状態がどんな結末をもたらすかはたやすく予想できましょう。

 

あなたの描かれた絵はまことに印象的ですが、これらの問題はすべて相互に関連しあっているのですか。いったい結果はどうなるのでしょうか。

 

総体的状況は、深く考えれば、憂慮すべきものです。人類はもほや個々別々の問題にではなく、そのひとつひとつが先例のない複雑性と多くの次元とをもち、高度にダイナミックで相互に関連しあいつつもつれあっている問題群に直面しているのです。ロ-マ・クラブは、それを「現代の問題複合体 」Ga naar margenoot+と呼んでいます。そして、その挑戦と脅迫とが真に全地球的となったのは人類史上今が初めてなのです。人間は、それに当惑し圧倒されすぎたために、もつれを解くつもりで実は誤った方向を目ざして動いています。その士卒を増やせば戦いに勝てるだろうとか、経済成長を通じて脱出口が見出せるだろうといったはかない望みをいだき、根本的には自己の技術の奇跡の力に頼りきっています。人間の歴史を災難に出会う進路にすでに乗せてしまったものはこれらの 致命的な誤りなのです。この進路を進むかぎり、いまよりもさらにもっと深刻な一連の危機が次から次へとつみ重なって起こることは避けられません。今のところ、危機の支配的な特徴は、あるときは生態学的なもののように見えたり、またあるときは政治的、経済的、軍事的、社会的、心理的なもののように見えるといったさまざまなあらわれ方をしてはいますが、それらの危機のもつ根本的で複雑な性質は、それが実際には文明そのものの危機であることを示しています。過去の同種の事態とは異 なり、われわれがいま目撃している危機は、人間システムの全体に影響をおよぼすものであり、規模とカの面でのその成長は、巨大症という退行的性格をもっています。もし矯正措置がとられなければ、そのうちにこれは人間の運命

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にかかわる危機にもなりかねません。

 

あなたが述べられたこの信じられないほどの行きづまりから、ぬけ出す途はあるでしょうか。

 

あると確信しています。前に申しましたように、第一に人間にとっての条件の変化を理解しなければなりません。それから、どんなに苦痛であっても、病状を冷静に診断しなければなりません。この点では私たちはいい線を行っていると思います。したがって我慢強くしさえすれば、人間というこのユニークで奇妙な生物は賢明に反応し、自らを救うようになることでしょう。必要なのは社会の内側からの深くかつ十全な刷新なのですが、それはきっと起こると思います。また、世界の新たな現実に 適した新たな価値観が不可欠なのですが、これまたきっと広汎に拡がるようになると思います。もっとも、その過程は苦痛でおそらくは荒々しいものとなるでしょう。しかしそれは根本的に必要なことであり、また人を再生させる非常に強い力をもつ過程でもありましょうから、いたるところで圧倒的多数の人々を団結させ、決然としてはいるが最も人間的なやり方でそれを遂行するように、人々を鼓舞することになると思います。

 

私はあなたが中国に居られたことがあり、またラテンアメリカに長年住んでいらっしゃったことを知っています。ともにフィアット社の命令で行かれたわけですね。私はまた、開発途上国についてあなたが深く真面目に心配なさっていることも存じています。富んだ国が貧しい国を援助するために実際に自国のGNPのうちどれだけをさいているかというロバート・マクナマラGa naar eind〔註8〕の計算をごらんになった上で、あなたは、富んだ地域が、自分自身の 判断によって、広大で貧しいアフロ・アジア世界に生きている仲間たちに、自分の富をわけてやろうと (自由に) 決心する、と本当に信じますか。

 

ひとつ前提をおかせて下さい。技術社会は過去のどんな社会よりも社会正義と平和とを必要としています。高揚した人間の力と極度に広い選択可能性とをもつ時代には、社会正義と平和はその本来の恒久的な倫理価値を持続するばかりでなく、大きな政治的効果や生態学的な関りや実存的な意義をもつものにもなるのです。人口や経済や技術のよりいっそうの拡大は単にこの相互依存性をますます強めるにすぎません。富者と貧者、教育を受け

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た人間と無教育な人間、人生が許すかぎりのあらゆる機会を与えられた人間と何ももたない人間、そういった人人の間に現在見られる耐えがたいほどの格差が根こそぎにされるか、あるいは少なくとも根本的に縮められないかぎり、人類社会はさらにいやます危険にさらされ続けるでしょう。

ひとたびこの真理が理解されれば、問題が異なった形で見えてくるでしょう。すなわち問題は、われわれの富を他の人々に分け与えてやる (慈善あるいは寛大) ことにではなく、その富をわれわれ自身および他の人々のより安全確実な生活 (共同体精神、危険に対する保険の原則) を保証するために最善の仕方で使用することにあるのです。

 

『成長の眼界』は、オランダやその他多くの国で、世論を非常に刺激しました。この報告書は、政治家や政策決定者がもっと真剣にこれらの問題にとりくむような圧力になりえたでしょうか。

 

もちろんです。あなたは近く、成長に関する二冊目の本をお書きになるそうですね。その折には、現在ではまだ計画の段階にある具体的な対策の諸段階についてお知らせしましょう。

 

ローマ・クラブの努力と社会の下層階級、労働組合との連帯の創出に関していえることは、もちろん、富んだ国と貧しい国との密接な協力関係の樹立に関しても同様にあてはまります。しかし、ローマ・クラブは今までのところ、あまりにも金持ちのクラブすぎた、という向きもありますが。

 

富者や強者や先進的技術の所有者たちを納得させる方が、ずっと難しいのです。彼らは失うべきものをより多く持っており、態度を変えるためには非常に大きな努力をはらわなければならないからです。そこで、クラブの活動が最初に、あるいはもっぱら、彼らに向けられたのは当然のことにすぎません。しかし、ローマ・クラブはあるがままの社会の縮図的な断面であり、その目的は、社会の退化をなんとかしてくいとめ、あらゆる面で調和のとれた変革を達成するために、社会のあらゆる分野か ら力となるものを集めることにあります。

 

将来の計画についてはいかがですか。

 

ローマ・クラブは、ヨーロッバ、日本、ラテンアメリ

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カ、アメリ力へ合衆国において、一連の第二段階の研究をすすあています。その中には、第一段階でのフォレスターIIメドウズの世界モデルを地域分割するものもありますし、モデルの積々の部分、たとえば人口=食糧=農業の関係や、地球的な規模での資源の利用可能性などについてより立ち入って研究するものもあります。さらに、全体としての世界システムを研究するための別の方法を発展させようとしているチームもあります。

 

「いかなる個人、集団、傑出した政治家や科学者や技術者の委員会、あるいはまた商業や工業の指導者たちの会議といえども、原子力時代における歴史の流れを押しとどめたり向きを変えたりすることはできない」とマルチン・ハイテッガ-は言っていますがGa naar eind〔註9〕あなたとあなたの協力者や同僚たちの弛みない努力が、われわれみんなにとっで遅くなりす春ないうちに実をむすびうるか、という点についてはどのていどの希望をお持ちなのですか。

 

私は、そういった宿命論的な見方には異議があります。私はこう思っています。崩壊に向かっている現在の進路は変えられます-われわれ自身によって。つまり、手遅れにならないうちに変革を遂行する主たる責任は、現在の世代の活動的な層の人々にかかっているのです。私はすでにそのことを断言してきましたが、最後にもう一度くりかえしてその点念を押させて下さい。なるほど、たとえ可能なかぎりのすべての研究や思索-それらは不可欠なものではありますが-がなされたとしても人類がますま す落ち込みそうになっていきつつある陥穽から人類を救い出すにはそれだけでは十分とはいえません。同様にまた、それらの研究や思索のおかげで広範な公衆がより高い水準の理解とヴィジョンとを抱きうるようになり、世界的な問題複合 体Ga naar margenoot+のさまざまな側面についての国際的な論争がまきおこるといった重要な発展が生じたとしても、それだけでは歴史の進路を変えることはできません。より深くより大きな何事か、われわれの文化の根底や自分自身および世界についてのわれわれのビジョンに関わる何事か、がおきなければならないのです。前にも述ぺたような精神の革命、個人や集団の判断や行動を変化させうるような、したがってわれわれの価値体系全体の根本的な転換に根ざしていなければならないよう な革命-このような革命なくしては、社会のいかなる変化も単に機械的なものにすぎず、終局的には

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技術官僚主義的な退化につながるような逆効果さえ持ちかねないのです。それにもかかわらず、私は、まさにこのコベルニクス的な革命が現在進行しつつあると主張したいのです。それはまだ始まったばかりですが、そのうちに勢いを増すでしょう。成功の可能性は、少なくとも五分五分だと見ています。どんな時代でも、価値あるいは、社会精神というものば、人々が、恐らくはそのリーダー-王、司祭、牧師、科学者、政治家、あるいはー般の支配階級といったものであれ-の影響をうけてではあ れ、自分自身の判断によって「善」とみなすものなのです。この「善」は、人々が自発的に見つけ出したものであれ、示唆されたものであれ、彼らが理解していると考えている現実的ないし超越的な状況と常に関係しており、個々人あるいは集団の生存という観念ときまって結びついているのです。過去においてもろもろの信念や価値を実体化していた引照基盤がいまや一掃された以上、種々の断片的な新しい引照基盤を集め、それらを相互に関連づける過程は、現在欠くことのできないものになって いますが、私の見るところでは、それはすでに始まっています。

同時に、現世代のわれわれは、目覚めて新しい苛酷な現実に直面することによって、根本的に重要なものが今まで長いこと忘れられ、物質的な諸価値の犠牲にされていたという事実に気づくに至っているのだと思います。われわれに、人間性の意識が実に基本的なものであること、そしてそれは人間以外の生命形態の存在およびそれらとわれわれとのかかわりあいがあってはじめて得られるものであること、それなのにわれわれは、他の生命形態、他の種を、むやみに次々と減ぼしていること、をよ うやく理解し始めるようになりました。われわれはまた、正義・の意識も、それを同時代人に対してひどく安っぼく気楽にそれをふりまわす結果、今では失われつつあることに気づいています。われわれの先粗たちをいつでも油断なくさせるのにあずかって力のあった危険の意識が、危険が比べものにならないほど大きくなっているまさにこの時に、機械に対する横柄さと過信とによっておおい消されてしまったということに、寒々とした恐れをいだいています。さらにまた、運命の意識でさえも、わ れわれの力の絶頂時に消え去ってしまったことを知ってうろたえているのです。未来は文字通りわれわれの双肩にかかっています。それたのに、われわれは略奪と汚染のばかさわぎにふけることをやめず、あとに生まれて来

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る子孫たちに枯れしなびた地球をのこすようなまねをしているのです。

これは粗雑な自覚ですが、健全な自覚です。われわれはしっかり目を見開いてまわりの事物や自分自身の内面をより深く探究していかなければなりません。われわれの時代に対する挑戦を意識し、この挑戦の総体的性格を理解せねばなりません。挑戦への答は非常に高いものにつきますが、その支払いをごまかす方法はないことを知らねばなりません。とりわけ、深い倫理的再生や新しいヒューマニズムなしには、われわれの力や能力がどれほど大きくとも、社会は危険にさらされ未来は荒涼とした ものになることを、よく理解せねばなりません。しかし、これは不可能なことでにありません。われわれは、その準備をすでにはじめています。この新しい道にそって進めば進むほど、人間はもし次の世紀にも存続したいと思うならもっとずっとましな人間にならねばならないことが、ますますはっきりしてくるでしょう。私には、われわれがこのことをいま学習しつつある最中であることがわかります。この学習過程こそは、人間というものが本当に救う価値のある理性的かつ精神的な生物だという ことを示すものです。

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訳者あとがき

本書はオランダのジャーナリスト、ウイレムL・オルトマンズが編集した対談記録 (Willem L. Oltmans, ‘Grenzen aan de groei’ A.W. Bruna & Zoons。Uitgeversmij B.V., Utrecht, 1973) の英語版の全訳である。オランダ語版と英語版では対談者の収録範囲その他に若干のちがいがあるが、原著者の意向もあって、訳出の底本としては英語版を用いることにした。ただし、編著者オルトマンズの手になる註 (人名解説など) のうちかなりの部分は削除するか内容を変更した。また、オルトマンズは、インドネシアのスカルノ前大統領の熱烈な支持者であり、対談の相手が現スハルト政権を支持評価するような発言をした箇所には長文の註を付して、いちいちこれに反ばくを加えている (細かい事冥を挙げてというわけではない) が、これらの註はオルトマンズの信念の吐露という以上の意味は薄いと思われたので、訳書では削除することにした。

本書の訳出は、日貿出版社吉崎巌氏の強い懲悪と、ローマ・クラブの常任委員兼ローマ・クラブ日本チーム委員長の大来佐武郎先生のおすすめによって、私としては眼をつぶってお引き受けする決心をした。幸い、この種の仕事の趣旨に理解を示された左記の

志村正雄氏 (東京外国語大学助教授)

春田素夫氏 (東京経済大学助教授)

小林良邦氏 (旧姓中村、経済企画庁経済研究所勤務、ローマ・クラブ日本チーム研究員)

幸村千佳良氏 (芙蓉情報センター綜合研究所勤務)

長尾史郎氏 (一橋大学大学院博七課程在学中、ローマ・クラブ日本チーム研究員)

五名の方々にお手伝いをいただくことができた。とりわけ志村氏には、訳出協力者の紹介をお願いしたところ、わざわざご自身で翻訳をお引受け下さり、すばらしい訳稿をお寄せいただいた。この場をかりて、あらためてあ

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つくお礼を申し上げたい。これら五人の方々のお力添えにより, 比較的短期間で訳出を完了することができた。もっとも私には、訳者代表としての責任があり、訳稿の大半は原文と対照して細かく検討し、必要と思われる訂正を加えた。あるいは改悪する結果に終った箇所も少くないかもしれないが、時間の関係もあり、いちいち原訳者のご了解をいただくことはできなかった。その意味では最終稿の責任はほぼ全面的に私にある。だからといって、私がひとりで訳出したらとうていこのような適切な訳はつけられなかったろうと思われる箇所も多々あり、その点の 功績まで私がひとり占めするつもりは毛頭ない。いずれにせよ、私は原稿を印刷にまわすまでに少くとも百数十時間は投入し、日々の平均睡眠時間を大幅に短縮する結果になったのであって、決して単純に五人の方々の努力の上にあぐらをかこうとしたのではないことだけは、申し添えておぎたい。

本書は、もともと比較的気軽な対談の形で生れたものであるから、厳密な議論の展開、詳細な論述は望むべくもない。しかも対談参加者の範囲は広汎にわたり、述べられている見解も極めて多様である。読者は、これらの多彩な論議を興味深く読まれることもできようが、そのあまりの多彩さに混迷の念を覚えられるかもしれない。少くとも私はそうであった。そして、オルトマンズの愚かしいとさえ見えるほどの平凡な質問にいら立ちの念さえ抱くこともあった。しかし、これは実はこの対談集の 欠点とはいえまい。少くとも機械的なアンケートよりはにるかに読みやすいものとなっていることは確かである。また、随所に対談参加者たちの主要な著作や論文が紹介されているのもありがたい。本書を出発点として、個舟の問題や個々の人物の見解をいっそう深く知る上では、これらの手引きは非常に有用だろう。日貿出版社のご協力もえて、本誉に引用・紹介されている著書のうちすでに邦訳のあるものについては、できるかぎり邦訳登名、出版社その他の情報を付記するよう努力した。

本書が取り扱っている地球的な諸問題の一般的な意義について、またローマ・クラブの活動や『成長の限界』報告については、大来先生の序文および著者のまえがきを参照していただきたい。

一九七三年七月二三日

公文俊平

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書) 昭44~昭45(1969~1970)
『ヴニトナム戦争と国際法』一アメリカの軍事介入の合法制に関する分析ー佐藤和男訳 新生社 昭43(1968) 273頁
べンチヱイ (Peccei, Aurelio)
『横たおる断層』 一新しい世界システムへの提言- 牧野昇訳 ダイヤモソド社 昭45(1970) 306頁
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『コン・ティキ号探検記』一筏による南極横断一 水口志計夫訳 筑摩書房 (ノンフィクショソ・ライブラリー) 昭39(1964) 226頁
『コン・ティキ号探検記」 水口志計夫訳 筑摩書房 (筑摩叢書) 昭44(1969)231頁
ポールディング (Boulding, Kenneth Ewart)
『ボールディンク゜近代経済学』 (3冊) 大石泰彦・宇野健吾監訳 丸善 昭46~昭47(1971~1972)
『平和の経済学」 永田清訳 好学社 昭23 (1948)332頁
『変革をどううけとめるか』 国弘正雄駅 日本放送出版協会 昭47(1972)176頁
『紛争の一般理論』 内田忠夫・衛藤藩吉訳 ダイヤモンド社 昭46(1971)421頁
『科学としての経済学』 清水幾太郎駅 日本経済新聞社 昭46(1971) 213頁
『経済学』 一その領域と方法一 桜井欣一郎・桜井美智子共訳 東洋経済新報社 昭39(1964) 192頁
『経済学を超えて』 一社会システムの一般理論一 公文俊平訳 竹内書店 昭45(1970) 301頁
『経済政策の原理』 海老原武邦等訳 内田忠夫監修 東洋経済新報社 昭35(1960) 400頁
『近代経済学』上・下大石泰彦・宇野健吾監訳 丸善 昭38~昭39(1963~1964) ※原著第3版の翻訳
『二十世紀の意味』 一偉大なる転換 一清水幾太郎訳岩波書店 (岩波新書) 昭42(1967) 189頁
『組織革命』 岡本康雄訳 日本経済新開社昭47 (1972) 374頁
『細織体革命』日本経済新聞社訳 日本経済新聞社 (経済生活倫理叢書) 昭35(1960) 413頁
『社会動学入門』 横田洋三訳 竹内書店 昭46(1971) 221頁
『社会科学のインパクト』 一経済学の未来を求めて一 犬田充・武者小路公秀・吉村融共訳 ダイヤモンド社 昭45(1970) 182頁
「ザ・イメージ』 大川信明訳 誠信書房 昭37(1962) 222頁
ベル (Bell, Daniel)
『保守と反動』一現代アメリカの右翼一斎藤真。泉昌一共訳 みすず書房 (現代双書) 昭33(1958) 194頁
『イデオロギ一の終焉』-1950年代における政治思想の枯渇についてー 岡田直之訳 東京創元社 (現代社会科学叢書) 昭44(1969) 312頁
フォ一ク (Falk, Richard A, )
『ヴェトナムにおける政治』上・下 寺沢一編訳 国際問題研究所 (国際問題新
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井琢磨・熊谷尚夫監修東洋経済新報社 (現代経済学叢書) 昭47(1972)167頁
『都市交通の分析』ジョソ・F・ケイソ, マーチン・ウォールとの共著井上孝訳鹿島研究所出版会昭45(1970)449頁
ポーリング (Pauling, Lonus Carl)
『分子の造型』一やさしい化学結合諭一ロジ†一・ヘイワードとの共著木村健二郎・大谷寛治共訳丸善昭42(1967)
『一般化学』上・下関集三等訳岩波書店昭26~昭27(1951~1952) 上313頁・下354頁
『一般化学』〈増訂〉上・下関集三・千原秀昭・桐山良一共訳岩波書店昭32~昭33(1957~1958) 上312頁・下338頁
『化学縞合論』小泉正夫訳共立出版昭25(1950)481頁
『化学結合論入門』小泉正夫訳共立出版昭43(1968)283頁「化学結合論」 (昭37年刊) の縮小版。
『ノー・モア・ウォー』丹羽小弥太訳講談社昭34(1959)193頁
『量子力学序論及びその化学への応用』E.ブライト・ウイルソソとの共著桂井富之助等訳白水社昭25(1950)510頁
『同上」〈改訳版〉桂井富之助等訳白水社昭40(1955)502頁
『さらば風邪薬』一ビタミンCで風邪を追放一青井寛訳講談栓昭46(1971)195頁
モラン (Morin, Edgar)
『映画』一想像のなかの人間一杉山光信訳みすず書房昭46(1971)331頁
『学生コミニーソ』ルフオール, クードレイとの共著西川一郎訳合同出版昭44(1969)222頁
『オルレアソのうわさ』一女性誘拐のうわさとその神話作用一杉山光信訳みすず書房昭48(1973)360頁
ガードナー (Gardner, Richard N.)
『国際通貨体制成立史』上・下一英米の抗争と堪カー村野孝・加藤正一共訳東洋経済競報社昭48(1973)
『世界秩序をめざして』 (2冊) 一国際連合とアメリカ合衆国一入江通雅訳時事通信社 (時事選書) 昭41(1966)
ヘイエルダール (Heyerdahl, Thor)
『アク・アク』上・下山田晃訳光文社昭33(1958)
『葦舟ラー号航海記』永井淳訳草思社昭46(1971)376頁
『コソティキ号探検記』水口志計夫訳日曜書房昭26(1951)277頁
『コン・ティキ号探検記』水口志計夫訳筑摩書房昭31(1956)222頁
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書房新社 昭46(1971) 441頁
『ソピエト・マルクス主義』 一抑圧的工業社会のイデオロぎー批判一 片岡啓治訳 サイマル出版会(サイマル双書) 昭44(1969) 210頁
『初期マルクス研究』 一「経済学哲学手稿」における疎外論ー 良知力・池田優三共訳 未来社 昭36(1961) 186頁
『同 上』<改訂版>訳者同上 未来社 昭43(1968)165頁
『ユ一トピアの終焉』 清水多吉訳 合同出版 昭43(1968) 193頁
『フロィト その人間像』 高橋義孝・高田淑共訳 日本教文社 昭47(1972)260頁
『純粋寛容批判』 R.P.ウオルフ, B.ムーアJr.との共箸大沢真一郎訳せりか督房 昭43 (1968) 166頁
マヵ一シー (McCarthy, Mary Therese)
『ヴェトナム報告』 新庄哲夫訳 河出書房 (ワールド・ブックス) 昭43(1968)209頁
『グループ』 小笠原豊樹訳 早川書房 (ハヤカワNV文庫) 昭47(1972)555頁
『ハノイ』 一北ヴェトナムとの対話一 村上博基訳 早川書房 (ハヤカワ・ノソフィクョン/激動する世界) 昭44(1969) 221頁
『漂泊の魂』 深町真理子訳 角川書店 (角川文庫) 昭46 (1971)448頁
レペル (Revel, Jean-Francois)
『アメリカに始まる革命』 平野二郎訳 タイム・ライフ・イソターナショナル (タイム・ライフ・ブックス) 昭47(1972) 272頁
ィグナー (Wigner, Eugene Paul)
『群論と量子力学』 森田正人・森田玲子共訳 吉岡書店 (物理学叢書) 発売=丸善 昭46(1971) 447頁
ブラウン (Brown, Harrison Scott)
『百年後の世界』 ジェ一ムス・ポナー, ジョン・ウェアーとの共著 寺村誠ー・上妻斉共訳 荒地出版社 昭33(1958) 240頁
ブラウン (Brown, Lester Russel)
『緑の革命』 一国際農業問題と経済開発一 逸見謙三監訳 農政調査委員会刊発売=べりかん社 昭46(1971) 230頁
マイヤー(Meyer, John Robecr)
『企業の経済学」 ドナルド・ファラーとの共著 宮川公男・津村英文共訳 安
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150頁 ※ ’American power and the new mandarins’ から訳出。
クラーク (Clark, Kenneth Bancroft)
『ダーク・ゲットー』 一黒人の叫び一 今野敏彦駅 評論社 昭44(1969)418頁
ハリントン (Harrington, Michael)
『偏発革命の世紀』 野中涼訳 太陽社 (太陽選書) 昭44(l969) 237頁
『もう一つのアメリカ』 一合衆国の貧困一 内田満・青山保訳 日本評諭社昭40(1965) 294頁
『自由社会における労働』 ポール・ジャコブスとの共編 川田寿訳 ダイヤモソド社 昭37(1962) 280頁
テラー(Teller, Edward)
『新しい核の時代』 アルパート・L, ラターとの共著 森永晴彦訳 時事通信社(時事新書) 昭33(1958) 214頁
『広島の遺産』 (2冊) A.ブラウンとの共著 木下秀夫等訳 時事通信社(時峯新書) 昭37(1962)
カーン (Kahn, Herman)
『考えられないことを考える』 一現代文明と核戦争の可能性ー 桃井真・松本要共眠 ベりかん社 昭43(1968) 644頁
『日本未来論】読売新聞社編 読売新聞社 昭44(1969) 242頁※京都産業大学主催のハーマン・カーン博士講演をまとめたもの (通駅・浅野輔) 。
『世界はこう変わる』 -1980年代の展望一 B.ブルース=プリPッグスの共著風問禎三邸訳 時事通信社 昭47(1972) 375頁
『超大国日本の挑戦』 坂本二郎・風間禎三郎共訳 ダイヤモンド社 昭45(1970) 364頁
マルクーゼ (Marcuse, Herbert)
『文化と社会』上 田窪清秀他訳 せりか書房 昭44(1969) 262頁
『文化と社会』下 井上純一郎他訳 せりか書房 昭47(1972) 284頁
『エロス的文明』 南博駅 紀伊国屋書店 昭33(1958) 277頁
『工業社会とマルクス主義』 一ソピェト・マルクス主義批判 片岡啓治駅 林書店(近代蘭寳) 昭42(1967) 249頁
『理性と革命』 一へーゲルと社会理論の興隆一 桝田啓三郎・中島盛夫・向来道男共訳 岩波書店 昭36(1961) 486頁
『生と死の衝動』 片岡啓治・清水多吉共訳 合同出版昭44(1969) 171頁
『政治権力と人間の自由』 フランツ・ノィマソとの共編 内山秀夫等訳 河出
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『社会科学と価値判断』 丸直英訳 竹内書店 昭46(1971) 226頁
『豊かさへの挑戦』 小原敬士・池田豊共訳 竹内書店昭39(1964)257頁
ミュルダール (Myrdal, Alva)
『家庭と職業」 一婦人の二つの役割一 V.クレンとの共著 大和チドリ・桑原洋子共訳 ミネルヴァ書房 (社会科学選書) 昭43(1968) 325頁
『食糧と人口』 P.ヴィンeントとの共著 日本ュネスロ国内委員会事務局訳日本ユネスコ国内委員会事務局昭31(1956) 68頁
ラップLapp, Ralph Eugene)
『原子力と人類』 一分裂した原子と分裂した世界の物語一 西脇安・田中源一・由谷聴至共訳 東洋経済新報社 昭34(1959) 308頁
『発見への道』 八木勇訳 岩波書店 昭36(1961) 205頁
『兵器文化」 八木勇訳 朝日新聞社 昭43(1968) 251頁
『放射線の恐ろしさ』 J.シュバートとの共著 中村誠太郎・三好和男共訳岩波書店 昭33(1958) 316頁
『福竜丸』 八木勇訳 みすず書房 昭33(1958) 249頁
『科学と社会の対話』 一科学革命と民主主義の危機ー八木勇訳 講談社プルーバックス) 昭41(1966) 239頁
『核戦争になれば」 八木勇訳 岩波書店 (岩波新書) 昭38(1963) 202頁
『我等は隠るべきか』 奥田毅訳 南条書店 昭25(1950) 171頁
ファ一ノ(Fano, Robert M.)
『情報理諭』 一通信の統計理論一 宇田川銈久訳 紀伊国屋書店昭40(1965)398頁
チョムスキー (Chomsky, Noam)
『アメリカン・パワーと新官僚』 木村雅次・水落一朗・吉田武士共訳 太陽社 (太陽選書) 昭45(1970) 370頁 ※ "American power and the new mandarins’から訳出したもの。「知識人の責任」 (昭44年刊) の改題改訂版。
『文法の構造』 勇康雄訳 研究社出版 昭38(1963) 118頁
『文曲理諭の諸相』 安井稔訳 研究社出版 昭45(1970)135頁
『デカルト派言語学』 一合理主義思想の歴史の一章一川本茂雄訳テック昭45(1970) 160頁
『現代言語学の基礎』M.ハレとの共著 橋本寓太郎・原田信一共訳 大修館書店 昭47(1972) 233頁
『知議人の責任』 吉田武士・水落ー朗共訳 太陽社(太陽選書) 昭44(1969)
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(1953)141頁
『生命の科学」第12巻~等15巻, 第20巻, 第22巻 ウェールズ等著 小野俊一訳平凡社 昭23~昭24(1948~1949)
『進化とは何か』-20億年の謎を探る- 長野敬・鈴木善次訳 講談社 (ブルーバックス) 昭43(1968) 273頁
『飢えと光り』古沢安二郎訳 新潮社 昭34(1959) 407頁
『ユネスコの目的と哲学』 上田康一訳 日本教文社 (ユネスコ叢書) 昭25(1950) 176頁
『ヒあ一マニズムの危機』 一新しい人間主義の構想一日本ユネスコ協会連盟ヒ昌一マニスト・フレーム翻訳刊行委員会訳 平凡社 昭39 (1964) 398頁
『進化と精神』 若林千鶴子訳 思索社 昭48(1973) 284頁
コモナー (Commoner, Barry)
『科学と人類の生存」 一生態学者が警告する明日の世界一 安部喜也・半谷点高久共訳 講談社 昭46(1971) 198頁
『なにが環境の危機を招いたか』 一エコμジーによる分析と解答一 安部喜也・半谷高久共訳 購談社 (ブルーパックス) 昭47(1972) 360頁
ホール (Hall, Edward Twitchell)
『かくれた次元』 日高欲隆・佐藤信行共訳 みすず書房 昭45(1970) 270頁
『沈黙のことば』 国弘正雄・長井善見・斎藤焚津子共訳 南盤堂 昭41(1966) 252頁
フアレスター (Forrester, Jay Wright)
『アーバン・ダイナミックス」 一都市のシステム構造と動的挙動モデルー 小玉陽一訳 日本議営出版会 昭45(1970) 295頁
『インダストリアル・ダイナミ7クス」 石田睛久・小林秀雄共沢 紀伊国屋書店 昭46(1971) 654頁
『ワールド・ダイナミックス』 一システム・ダイナミ, クス (S・D) による人類危機の解明一 小玉陽一訳 日本緩営出版会 昭47(1972) 146頁
ミュルダール (Myrdal, Gunnar)
『貧困からの挑戦』 (2冊) 大来佐武郎監沢 ダイヤモγド社 昭46(1971)
『幅祉国家を越えて』 一福社国家での経済計画とその国際的意味関連一 北川一雄監訳 ダイヤモソド社 昭38(1963) ・昭45(1970) 284頁・371頁
『貨幣的均衡諭』 傍島省三訳 実朶之日本社 昭18(1943) 300頁
『経済学説と政治的要素」山田雄三訳 日本評諭社 (経済学名著選集第3編) 昭17(1942) 475頁
『同 上』 山田雄三・佐藤隆三共訳 春秋社 昭42(1967) 349頁
『経済理論と低開発地域』 小原敬土訳 東洋経済新報社 昭34(1959) 208頁
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『巨大機械』松井巻之助訳早川密房 (ハヤカワ・ノンフィクション) 昭45(1970)272頁
『未来への挑戦』-二十一世紀への展望- 谷川浩一等訳 三鯵社 昭47(1972) 387頁
『未来は既に始まった」菊盛英夫訳 文芸春秋新社 昭29(1954) 368頁
『千の太陽よりも明るく」-原子科学者の運命- 菊盛英夫沢 文芸春秋新社昭33(1958) 385頁
マンテル (Mandel, Ernest)
『現代マルクス経済学」I~III 岡田純一・坂本慶一・西川溝共訳 東洋経済新報社 昭47(1972)
『現代資本主義の抗争』石崎昭彦・鬼塚豊吉共訳 東洋経済新報社 昭47(1972) 244頁
『カール・マルクス』山内昶・表三卑共訳 河出書房新社 昭46(1971)328頁
『70年代の資本主義』-国際シンポジウム 中村達也他訳 新評論 昭47(1972) 404頁
カーペンター (Carpenter, Edmund Snow)
『マクルーハン入門』-コミュニケロションの新しい探求- マーシャル・マクルーハンとの共著 大前正臣・後藤和彦共訳 サイマル出版会 (サイマル双書) 昭42(1967)210頁
リフトン (Lifton, Robert Jay)
『誰が生き残るか』-ブロテウス的人間- 外林大作訳 誠贋書房 昭46(1971) 163頁
『革命の不死性』-毛沢東と中国文化革命- 井上勇訳 晴事通信社 (時事新書) 昭45(1970) 188頁
『死の内の生命』-ヒロシマの生存者-湯浅信之・越智道雄・松田誠思共訳桝井迪夫監修 朝日新関社 昭46(1971) 518頁
レヴィ・ストロース (Lévi-Strauss, Claude)
『悲しき南回帰綴』室淳介訳 講談社 (世界の人間記録) 昭32(1957) 278頁
『今日のトーテミスム』仲沢紀雄訳 みすず書房 昭45(1970) 237頁
『溝造人類学』荒川幾男等訳 みすず書房 昭47(1972) 451頁
『人種と歴史』荒川幾男訳 みすず省房 昭45(1970) 116頁
ハックスレー (Huxley, Julian Sorell)
『職の生活』中岡宏夫訳 社会思想研究会出版部 (現代教養文庫) 昭28
[pagina 617]
[p. 617]
『人閲拡張の原理』後藤和彦・高儀進訳 竹内書店 昭42(1967) 468頁
『地球村の戦争と平和』クニンイン・イオーレとの共著 広瀬英彦訳 番町書房 昭47(1972) 253頁
マンフォード (Mumford, Lewis)
『芸術と技術』生田鯨訳 岩岐書店 (岩波新書) 昭29(1954) 197頁
『技術と文明』I~III生田勉訳 鎌倉書房 昭28~昭29(1953~1954)
『技術と文明』〈新版〉 (ハーピソガー版) 生田勉訳 笑術出版社 昭47(1972) 591頁
『変貌する人間」瀬木慎一訳 美術出版社 昭32(1957) 260頁
『機械の神話』-技術と人類の発達- 樋口清訳 河出書房新社 昭46(1971)435頁
『ロンドン再建計画批判』鬼頭恭而訳 東京都総務局文霞課 (外国郎市問題調査資料・謄写版) 昭27(1952) 65頁
『人間の条件』上巻・下巻 生田勉訳 鎌倉誉房 昭25(1950) 上巻412頁・下巻373頁
『人間の条件』一その歴史と世界像- 生田勉訳 弘文堂 昭46(1971)439頁 ※鎌倉書房 (昭和25年版) の改版
『歴史の都市 明日の都市』生田勉訳 新潮社 昭44(1969) 558頁
『生活の智恵』-人間をつくり, 生活を更新しよう- 福鎌達夫訳 理想社昭31(1956) 307頁
『多層空間都市』-アメリカに見るその明暗と未来- 磯村英一監訳 神保登代訳べりかん社 (べりかん双書) 昭45(1970) 267頁
『都市の文化』上巻・下巻 生田勉・森田茂作共訳 丸善 昭30(1955)
『都市の発達』第2編 東京都総務局文書課講査係訳 東京都総務局文書課 (外国都宙問題隅査資料・謄写版) 昭26(1951) 39頁
『同 上」第3編 訳者・発行所同上 (外国都市聞題調査資料・謄写版) 48頁
『郁市と人間』生田勉・横山正共訳 思索社 昭47(1972) 369頁
『ユートピ7の系譜』-理想の都市とは何か- 関裕三郎訳 新泉社 昭46(1971) 316頁
『権力のペンタゴン】-機械の神話第2部 生田勉・木原武一訳 河出書房新社昭48(1972) 637頁
ガホロル (Gabor, Dennis)
『未来を発明する』香山健一訳 竹内書店 (現代人叢書) 昭41(1966)366頁
『成熟社会』-新しい文明の選択-林堆二郎訳 購談社 昭絡 (1973) 334頁
ユンク (Jungk, Robert)
『灰壇の光』-甦えるヒロシマー 原田義人訳 文芸春秋新社 昭36(1961) 257頁
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[p. 618]
『科学・倫理・政治』-動乱に生きた-科学者の省察-小川豊訳 岩波書店昭41(1966) 169頁
『狂ったサル』国弘正雄訳 サイマル出版会昭47(1972) 237頁
『生命の本質』-筋肉に関する研究-丹羽小彌太訳 白水社 昭27(1952)200頁
『生体とエネルギー』服部勉訳 みすず書房 昭33(1958) 181頁
『生体の電子論」丸山工作他訳 広川書店 (広川化学シリーズ) 昭43(1973) 81頁
スキナー (Skinner, Burrhus Frederic)
『教授工学』村井実・沼野一男監訳 慶応義塾大学学習科学研究セソター訳東洋館出版社 昭44(1969) 293頁
『心理学的ユートピア』宇津木保・うつきただし共訳 誠信書房 昭44(1969)345頁
『自由への挑戦』-行動工学入門-波多野進・加藤秀俊共訳 番町書房昭47(1972) 278頁
サミュエ'レソン (Samuelson, Paul Anthony)
『経済分析の基礎」佐藤隆三訳 翻草書房 昭42(1967) 471頁
『経済学』上巻・下巻-入門的分析-都留重人訳 岩波書店 昭41(1966)
『経済学と現代』福岡正夫訳 日本経済新聞社 昭47(1972) 313頁
『国際経済』 (全2冊) サミユエルソソ編 相原光訳 竹内書店 (社会科学選書) 昭47(1972) ※国際経済学会第3回世界会議 (1968年9月2日~7日・於モントリオール) の報告をまとめたもの。
『線型計画と経済分析」第1巻・第2巻 ドーフマン, ソローとの共蓍 安井琢暦等共訳 岩波書店 昭33(1958)
『乗数理諭と加速度原理」高橋長太郎訳 勁草書房 昭28(1953) 111頁
『同 上』〈増補版〉高橋長太郎訳 勁草書房昭30(1955) 121頁
プラット (Platt, John R.)
『人間へのステッブ』-破局の回避-木原弘二訳 ダイヤモンド社 昭48(1973) 284頁
マクルーハン (Mcluha, Herbert Marshall)
『機械の花嫁』井坂学訳 竹内書店 昭43(1968) 369頁
『マクルーハン入門』-コミユニケーシヨンの新しい探求-マクルーハソ, エドマンド・カーベンター編著 大前正臣・後藤和彦共訳 サイマル出版会 (サイマル双書) 昭42(1967) 210頁
『メディアはマッサージである』クェンティン・フィオーレとの共著 南博訳河出書房 昭43(1968) 312頁
[pagina 619]
[p. 619]
『同上』第1巻・第2巻く再版〉蟻山政道・阿部行蔵共駅 社会思想研究会出版部 昭27(1952)
『同上』第3巻 蟻山政道・長谷川松治共訳 社会思想研究会出版部 昭27(1952)
『同上』第2巻~第25巻 下島連等訳 松永安左工門監修 「歴史の研究」刊行会 昭41~昭47(1966~1972)
『同上』第1巻~第25巻 下島連等訳 経済往来社 昭44~昭47(1969~1972)
『同上』第1巻~第5巻 D.C.サマヴェル編 長谷川松治訳 社会思想社昭38~昭39(1953~1964)
『歴史の教訓』松本重治編訳 岩波書店 昭32(1957) 219頁 ※日本における講演 (昭31年10月~11月) の編訳
『世界と西欧』吉田健一訳 新潮社 (一時間文庫) 昭28(1953) 118頁
『同上』吉田健一訳 社会思想研究会出版部 (社会思想選書) 昭34(1959)241頁
『戦争と文明』山本新・山口光朔共訳 祉会思想研究会出版部 (社会思想選書) 昭34(1959) 241頁
『支那と日本における古代と近代』浦口文治訳 啓明会事務所 (東京)(紀要第9号) 昭5(1930) 93頁
『試練に立つ文明』上巻・下巻 深瀬基寛訳 社会思想研究会出版部 (現代教養文庫) 昭35(1960)
『同上』深瀬基寛訳 社会思想社 (現代教養文庫) 昭41(1966) 366頁
『トイソビー著作集』全8冊 社会思想社 昭42~昭43(1967~1968)
1~3「歴史の研究」第1巻~第3巻 (長谷川松治訳)
4「一歴史家の宗教観」 (深瀬基寛訳)/「現代宗教の課題」 (山口光朔訳)
5「試練に立つ文明」 (深瀬基寛訳)
6「世界と西欧」 (吉田健一訳)/「現代西欧文明の実験」(増田英夫訳)/「アメリカと世界革命」 (大橋健三郎訳)/「西半球の経済」 (増田英夫訳)/「歴史の教訓」より (松本重治訳)
7「東から西へ」 (長谷川松治訳)/「オクサスとジャムナのあいだ」 (安田章一郎訳)
8トインビー研究
『失われた自由の国』-現代アメリカ論-黒沢英二訳 毎日新聞社 昭37(1962) 155頁
セント=ジェルジ (Szent-Györgyi, Albert)
『分子生物学入門』-電子レベルから見た生物学-」平野康一訳 広川書店 (広川化学シリーズ) 昭39(1964) 110頁
[pagina 620]
[p. 620]
ニティ』一その理想と現実一 ムリエル・ブラウンとの共著官田虎男・渡辺貞治共訳 北望社 昭45(1970)289頁
(Toynbee, Arnold Joseph)
業革命史』 川盲多孝哉等訳・原田三郎改訂補 高山富院 昭23(1948)374頁
業革命史』 塚谷晃弘・永田正巨共駅邦光堂昭26 (1951) 190頁
<改訂版>駅者同上 邦光書房 昭33(1958)
ス産業革命史』 原田三郎訳 創元社 (創元文庫) 昭28(1953) 240頁
高原の旅』 -民族と文明の興亡- 黒沢英二訳 毎日新聞社 昭37(1962) 221頁
実陶』 -西洋のゆくえー黒沢英二訳 毎日新聞社 昭38(1969)128頁
受けている挑戦』 吉田健一訳 新潮社 (新潮選書) 昭44(1969)260頁
教の課題』 -世界宗教とキリスト教-山口光朔訳 YMCA 同盟出.版部 (現代基督教思想選宙) 昭35(1960) 172頁
西へ」 黒沢英二訳 毎日新聞社 昭34(1959) 214頁
の疑問』 一二つの世代の考え方-黒沢英二訳 毎日新聞社 昭39(1964) 220頁
ズム』 一つの文明の歴史-秀村欣二・清水昭次共訳 紀伊国屋書店 昭36(1961) 310頁
家の宗教観』 深瀬基寛訳 社会思想研究会出版部 昭34(1959)
』第1巻・第2巻 山口光朔・塚田英夫共訳 オックスフォード大学出版局 (東京) 昭44(1969) 第1巻 247頁・第2巻 322頁
』第1巻・第2巻 訳者同上社会思想社 昭45(1970)
』 長谷川松治訳 オソクスフオード大学出版局 (東京) 昭44(1969).362頁
』 訳者同上 社会思想社 昭45(1970)
生きる』 -トインビーとの対話-トイγピー, 若泉敬著 毎日新聞外信部訳 毎日新聞社 昭46(1971) 348頁・197頁
とニジニールの間に』 永井玲二訳 新潮社 (新潮選書) 昭42(1957)172頁
研究』 畏谷川松治訳 社会思想研究会出版部 昭33(1958) 650頁
』第2巻長谷川松治訳 社会思想社 (サマヴエル縮冊版) 昭44(1969)513頁
』第3巻 長谷川松治訳 社会思想社 (サマヴェル縮冊版) 昭44(1969) 467頁
[pagina 621]
[p. 621]

参 考 文 献

註=本書の対談者のうち, 最近の邦訳ある著書を中心に収録 (編集部)

ウ・タント(U Thant)
『化学・細菌 (生物) 兵器とその使用の影響』-ウ・タソト国際連合事務総長報告一 外務省国際連合局訳 大蔵省印刷局 昭45(1970) 147頁 ※1969年7月1日, 国際連合第24回総会本会議における報告 (国際連合1969年刊) の全訳。
『核兵器白書』 一ウ・タント国際連合事務総長報告一鹿島平和研究所訳 鹿島研究所出版会 (鹿島平和研究所選書) 昭43(1968) 155頁
ウォディントン (Waddington, Courad Hal)
『発生と分化の原理』 岡田瑛・岡田節人共訳 共立出版 (モダン・パイォロジー・シリーズ) 昭43(1958) 142頁
『生命の本質』 白上謙一・碓井益雄共訳 岩波書店 昭39(1964) 195頁
ティンペルヘン (Tinbergen, Jan)
『新しい経済』 清水幾太郎訳 岩波書店 (岩波新書) 昭39(1964) 208頁
『開発計画』 恒松制治訳 鹿島研究所出版会 昭45(1970) 250頁
『景気循環の態動学』 飯塚仁之助訳 明治大学経済学研究会編 文雅堂書店 (現代経済学名著選集第7巻) 昭34(1959) 437頁
『計量経済学』 錦織理一郎・鈴木啓祐共訳 政文堂 昭36(1961) 307頁
『経済発展計画諭』 尾上久雄訳 有斐閣 昭38(1963) 152頁
『経済計画』 小金若弘訳 竹内書店 昭40(1965) 216頁
『経済政策の理諭』 気貿健三・加藤寛共訳 巌松堂出版 (現代経済学選書) 昭31 (1956) 140頁
『国際経済政策』 島野卓爾訳 竹内書店 昭40(1966) 201頁
『世界経済の形成』 大来佐武郎訳 竹内書店 昭38(1963) 366頁
『70年代の開発戦略』 ー国際連合開発計画委員会ー 国際開発ジャーナル編集部訳 外務省監修 国際日本協会出版局 昭40(1970) 161頁 ※ティンパーゲン報告, 第2次国達開発10年のためのガイドラインおよび提案。
ミード (Mead, Margaret)
『男性と女性』 一移りゆく世界における両性の研究ー 上巻・下巻 田中寿美子・加藤秀俊共訳 東京創元社 (現代社会科学叢書) 昭36(1961) 上巻309頁・下巻246頁
eind〔註1〕
ラテγフメリカ最大の企業のひとつ。
eind〔註2〕
アレクサンダー・キング博士との対談16も参照されたい。
margenoot+
ソロブレマテイーク
eind〔註3〕
対談25<ジュリアン・ハワクスレイ>参照。
margenoot+
ガケアナー
margenoot+
イニンアテイブ
eind〔註4〕
対談7<バラス・スキナー>参照。
margenoot+
マ-ツナル
eind〔註5〕
グヴィシャー二教授は、ソ連邦閣僚会議付属国家委員会副議長、ソ連科学アカデミー通信会員である。一九七二年十二月二十九日の London Financial Times を参照のこと。そこには、平和共存の機会をつかみうる全ヨーロッパの経済椙互協力についての氏の主張の概要が掲載されている。
eind〔註6〕
対談34<ジェイ・フォレスター>参照。
margenoot+
、、、、
margenoot+
、、、
eind〔註7〕
対談4<マーガレット・ミード>参照。
margenoot+
なダンプツロプレマティーク
eind〔註8〕
ワシントンにある世界眼行の総裁。
eind〔註9〕
‘Discourse on Thinking,’ Harper and RowPublishers, New York(1966), Page 52
margenoot+
ブロブレマテイーク

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