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Soren no tachiba. Detanto no hokani michi wa nai (The Sovjet viewpoint. No alternative to detente) (1983)

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Soren no tachiba. Detanto no hokani michi wa nai (The Sovjet viewpoint. No alternative to detente)

(1983)–Georgi Arbatov, Willem Oltmans–rechtenstatus Auteursrechtelijk beschermd

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デタントのほかに道はない - はじめに

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おそらくどんな本の場合とも同じように、本書にも、できあがるまでには、それなりのいきさつがあった。

この種の本には一つの特徴、つまり執筆作業が決して終わることがないという性格があるが、本書の場合もそうだった。事件が次から次へと起きて、作業が終わるまで、質問するほうも答えるほうも、何か言い足りないというもどかしさがあった。しかし、ともかくいつかは終止符を打たなければならないわけで、われわれは一九八二年一二月にアメリカ版の仕事を終えた。

私もインタビュアーのオルトマンス氏も、西側諸国で出版される版とソ連版の相違を最小限にとどめたいと思った。しかし、この何ヵ月かの間、重要な出来事があまりに多かったため、私としては、本文への短い追加とは別に、二れらの出来事について述べることが、どうしても必要だと感じた。

緊張緩和政策の継続

一九八二年二月一〇日、わが国は大きな損失を被った。レ才ニード・イリイチ・ブレジネフの死去である。よく知られていることだが、この何年かの間、西側の新聞には、ブレジネフ死後ソ連の政治がどうなるかについて、さまざまな推測が溢れていた。

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これが、単なる好奇心によるものでないことは明らかであった。この推測の裏にはいつも、ソ連の政治への不信感、つまりソ連はどっちに方向転換するかまだわからないという不信感をまき散らそうとする試みが隠されていた。

しかし、すべては無駄なことだった。今ではおそらく、ソ連の政策の継続性、つまり平和、緊張緩和、軍縮、国際安全保障、民族の自由と独立という理想を信奉する態度が変わっていないこと、そして完全な継続性が存在していることに疑問を持つ者はいないだろう。

ユーリ・V・アンドロボフ・ソ連共産党書記長兼最高会議幹部会議長はすでに、就任直後の演説のなかで、ソ連指導部の緊張緩和に対する態度が「将来にわたって」長期的に重要性を持つ、と強調している。またわが国のアメリカに対する態度についても、こう明確に述べている。われわれは、アメリカとの関係正常化、軍備制限交渉の成功、協力の促進を望んでいるが、これは平等、互恵の原則に立ち、一切の前提条件なしに行なうべきである、と。

わが国の政治の長期的な目的と方針は、その後ソ連政府から具体的な提案として明確にされた。

戦略兵器についての交渉では、ソ連とアメリカの戦略運搬手段の総数をまず四分の一以上削減し、さらに弾頭数も同等の水準にまで削減するという提案をした。また欧州の核兵器についての交渉では、中距離核運搬手段について、双方の爆撃機とミサイルの数をそれぞれ三百基ずつとすること、つまり現在、北大西洋条約機構(NATO)が保有している数(このうちミサイルは、イギリスとフランスが保有している中距離ミサイルの数と同じ一六二基。さらに、弾頭数についても配慮している)とすることで合意 するよう提案した。

また、ワルシャワ条約機構とNATOとの間で、武力不行使と平和関係維持の条約を締結するよう呼びかけたワルシャワ条約加盟諸国の提案は、国際緊張緩和のための重要な一歩となった。

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[p. 26]

まだほかにも、ソ連のイニシアチブを引用することができる。こうしたイニシアチプは多数に上り、戦争防止に関係のある分野をすべてカバーしている。

ソ連は、すでに四分の一世紀も前に提案した、国際管理下における包括的かつ完全な軍縮という目標に、依然として忠実であることを強調するとともに、軍拡競争を停止させるか、せめて、その激化を食い止める重要な部分的手段についても、具体的な合意が得られるような道を一貫して摸索している。

軍縮への提案とイニシアチブ

この重要な部分的手段の一つは、ソ連とアメリカのすべての核兵器か、あるいはせめて通常兵器を凍結することを求めたソ連の提案である。わが国は、現在行なわれている軍縮交渉の梓を広げ、宇宙や核実験停止などについての協議の再開を呼びかけた一連の提案をしている。ソ連はまた、核兵器を最初に使用しないことを宜言するという、歴史的な一歩を踏み出している。

軍縮を目指すソ連の闘いは、地城的にはヨーロッパに重点がおかれている。ヨーロッパ大陸はほかのどの大陸よりも戦争の苦しみを経験し、あらゆる種類の核兵器、通常兵器が文字通り大量に蓄積されているだけに、どの大陸よりも深く軍拡競争に引きずり込まれているからである。われわれは、ヨーロッパを、中距離兵器であろうが、戦術兵器であろうが、あるいはいわゆる「戦域」兵器であろうが、あらゆる核兵器から完全に解放することが必要だと考えている。

これは急激なやり方かもしれない。西側は核のないヨーロッパという理想を受け入れていないが、われわれは従来の提案よりもさらに削減幅の大きい一連の提案をした。これは、中距離兵器をめぐる提案、ヨーロッパの北部および南部への非核地帯の設置提案、NATO軍とワルシャワ条約軍が相対

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している線に沿って「戦域」核兵器の非配備地帯を設置するというイニシアチブへの支持表明などである。

NATO陣営は、ソ連の態度の本質を歪めるため、すでに長い間、あたかもソ連が通常兵器の分野で優位を確立したので、ヨーロッパの核軍縮を提案しているかのように見せかけようとしてきた。その主張については、本文のなかで詳細に検討されているので、ここでは次のことだけを強調しておきたい。

ある兵器を、たとえこれまでより危険の度合いが小さいものにせよ、別の兵器と置き換えることがソ連の目的ではない。(ただ、科学技術の発展によって、「通常」兵器と呼ばれるものも、どんどん危険なものになるということは、指摘しておかなければならない。第二次世界大戦を経験した者には、通常兵器が人びとをいかに苦しめるか、改めて論証する必要はないだろう)。ソ連は、中部ヨーロッパの通常戦力と兵力の大幅削減に賛成している。最近ソ連は、開始以来一〇年を迎えようとしているウ ィーン交渉の行き詰まりを打開するよう呼びかけた新しい提案をした。

アンドロポフ、グロムイコ、ウスチノフらソ連の指導者はこの数カ月の間に、重要な軍縮問題や西側で特に強い憶測を呼んだ問題について、ソ連の立場を詳細に説明する演説を何度かしている。

そのうちの一つは、軍備削減についての合意の管理(検証)の問題である。アンドロポフは一九八三年四月に、雑誌シュビーゲルとのインタピューのなかで、こう強調している。「管理は、われわれにとって、相手側より重要性が高くはないにしても、低いこともない。管理の問題については,ケースパイケースで対処しており、包括的に表明する考えはない」(プラウダ、一九八三年四月二五日)。アンドロポフは、このほかヨーロッパの中距離兵器をめぐる交渉など、現在行なわれている交渉の本当の状況 についても説明するという、十分な配慮をしている。

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宇宙におけるアメリカの対ミサイル防御システムをめぐるレーガン政権の計画についても、諭証ずみの評価を明らかにした。ソ連は一貫して、宇宙の軍事利用に反対する態度を表明してきた。この方針は最近、あらゆる兵器の宇宙配備を禁止する条約や、宇宙における軍事力行使、あるいは宇宙から地上への軍事力行使を禁止するための交渉を呼びかけた提案のなかに示されている。

宇宙に対ミサイル防御システムを作るというレーガンの目諭見は、ソ連の学者もアメリカの学者も、圧倒的多数が(少なくとも予測できる将来には)技術的に実現できないとしているが、きわめて危険なものであることに変わりはない。なぜならば、こうした目論見は、結局は空想にすぎないのだが、アメリカに自分だけは報復攻撃から身を守ることができるという幻想を抱かせ、その結果、防御的兵器だけでなく.攻撃的兵器の核軍拡競争を激化させるからである。

レーガン提案に「妥協」はあるか

幾つかのとりわけ重要な要因について、ここでもう少し触れておきたい。この数ヵ月の間に、ソ連の指導者たちが明らかにした提案の要点は、アンドロポフが正確に、こう定義づけている。「これまで存在しなかった分野に軍・拡競争を持ち込まず、これまで存在していた分野で軍拡競争を中止する」(ブラウダ、一九八三年四月二五日)と。

ソ連とワルシャワ条約諸国の平和への新たなイニシアチブに、アメリカとその同盟国はどのような態度をとったであろうか。西側へのわれわれの提案に対して、連中は現在闘いを挑んでいる。

これらの提案は沈黙で迎えられ、あるいはソ連への悪意が語られたり、書かれたりしている。われわれの武器は、真実だけである。ソ連の政策の本質が国際世論の前に明らかにされればされるほど、平和の敵が軍拡競争の強化や国際緊張激化への道を歩むことは難しくなる。

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西側世界でも、ソ連の提案は、その中身がマスコミのありきたりの解釈を通じて伝えられる範囲ではあるが、人びとの間に大ぎな関心と生々しい反響を呼んだことを指摘しておかなければならない。多くの社会的、政治的活動家が、ソ連の政策をデタント(緊張緩和)と軍拡鏡争中止への真剣な道を歩むものと評価している。西側諸国政府も、ソ連の提案を完全に無視することはできなかった。

しかし、なんといっても現実は現実である。今のところ、一つとして、袋小路から抜け出しかけている交渉はない。NATOの指導者たちは、「問題が困難である」という理由で、言い逃れようとしている。

たとえば、ヨーロッパの核兵器削減交渉でのレーガソ大統領の「暫定提案」なるものは、見えすいた計略である。大幅な讓歩を目指すという口実で、われわれに「妥協」に応じるよう提案したのだ。しかし、何と何の間の「妥協」を提案したのだろうか。それはなんと、新しいアメリカ製ミサイルの全面配備か、ソ連の一方的な軍縮を狙った「ゼロ・オブション」か、どちらかを選択せよ、というものであった。

アメリカはヨーロッパに、(さしあたっては全部ではないにしても)新型ミサイルを配備する。一方、ソ連はその「恩恵」に報いるために、自らの中距離ミサイルの一部の廃棄に着手しなければならない、というのだ。

そのうえ、アメリカの立場は、爆撃機について交渉することを望まないという点でも、NATOの同盟国が保有する中距離核兵器を対象に含めることに反対するという点でも、あるいはヨーロッパをめぐる合意のなかに、ヨーロッパにまでは到達しないアジア配備のソ連の兵器も含めよという根拠のない要求の点でも、変化していないことを強調したのである。当然ながら、ソ連はこのような立場に同意することができなかった。

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今後の成り行きはどうなるだろうか。ソ連は従来通り、公正で平等な解決を目指すだろう。しかし、アメリカが自らの立場を変えず、ヨ-ロッパに新型ミサイルを配備することだけを目指すという可能性を除外することはできない。

こうした目標は、アメリカやその同盟国にとっても、結局は不利益となってはね返るものであるにせよ、われわれとしてはもちろん、アメリカが自らの目的を追求することを、むりやりやめさせるわけにはいかない。しかしアメリカも、ソ連を説き伏せて、このような試みを「容認」し、軍拡競争と国際緊張激化の政策に同意させることは、決してできないだろう。

もし事態が、そのような政策の方向に進むことを防止できないとすれば、すべての責任は、そうした事態を引き起こした張本人が負わなければならない。そしてアメリカがヨ-ロッバに新型ミサイルを配備した場合、ソ連は自らの力の削減ではなく、拡大によってこれに対処するだろう。

二〇世紀最大の嘘

一九八三年春、私は何度目かのアメリカ旅行をする機会を得た。断わっておかなければならないが、こうした旅行は"レーガソ軍団"が権力を握って以来、めったになくなっており、私にとっては二年ぶりの旅行だった。しかも、ビザは出発ぎりぎりに、マスコミ関係者と会うのを禁止するという条件づきで、ようやく発給された。

これは明らかに、アメリカ人読者をイデオロギー的純潔状態に保つための愛情のこもった配慮によるものであろうが、こうしたやり方が政府にとって名誉なものだとは思えない。あるアメリカ人は、この種の制限が付けられたのは、アメリカの歴史で初めてのことだと説明してくれた。

しかし、実はそうではないのだ。私はかつて、別のやり方で発言の機会を奪われたことがある。そ

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れは、一九八一年にCBSテレビの招きで、ナソ上院議員(ジョ-ジァ州選出)、キッシンジャ-の下で副補佐官を務めたことのあるW・ハイランド氏、それに軍縮問題専門家のS・タルボット氏とのテレビ討論に参加する機会が与えられた時のことである。国務省は、事前に了承していたのに、私のビザの延長を拒否し,その結果、討諭会は流れてしまった。

アメリカの現政権のこうした行動の動機を推測することは、難しくない。この連中は、ソ連の真の立場が国民大衆に理解されることを望んでいないのである。だからこそ、ソ連の新しい提案は沈黙の壁で囲まれ、ソ連の政策への非難が高まるのである。また、だからこそ、ソ連の代表の発言が妨害されるのである。

現政権の論理はよく知られており、今さら否定することはできない。この政権が今日、これまで以上に真実を恐れなければならないのは当然である。事実、連中は,現実に対するゆがんで誤った理解を国民に植え付けることに全精力を傾注している。社会の要求を満たすための支出にとって損失であるばかりか、核による破局さえ招きかねない兵器のために一体誰がやすやすと多額の金を注ぎ込むことに賛成するのだろうか。

一体なぜ、戦略均衡についてのデ-タが歪むのか。なぜアメリカの同盟国の軍事力を計算に入れないのか。なぜソ連の地政学的特殊性を無視するのか。そしてなぜ、嘘の数字ばかりがまかり通って、兵器体系全体についての情報が明らかにされないのか。

戦争と平和の問題について、今日ワシソトソで語られていることは、まさに二〇世紀最大の嘘と言ってよいだろう。しかも最も危険な嘘だ。なぜならば、この瞳は、止めることのできない軍拡競争と国際緊張拡大への道を開き、核による人類絶減の危険を増大させるからである。

こうした嘘は、昔から軍国主義や侵略政策につきものである。そして、こうした嘘が、現政権の政

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策上の武器の-つであったとしても、偶然ではない。というのも、現政権はこの嘘に魅せられ、とりつかれているからである。職務上の義務で、世論をうまく操作しなければならないような人物のことだけを言っているのではない。アメリカの最高指導者たちも、立派なプロパガンダ(宣伝)要員として額に汗して働いているのである。

まさに彼らは、現在の反ソ「十字軍」の張本人なのである。最も悪意に満ちた反ソ的中傷の捏造の源である。そして、わが国と国民を、背信的で非道徳的な「怪物」だとか、「悪魔の帝国」だとか、地上の「すべての悪の根源」だとか公言してはばからないのだ。こうしたプロパガンダの一斉射撃を浴びせるのは連中が初めてではないし、われわれはこんなことで驚きはしない。

また、共産主義イデオロギ-が神や死後の世界を信じないという理由で、ソ連や共産主義者をいわば国際社会ののけ者に仕立てようとする現政権の試みは、まさに笑止千万である。

宗教的狂信主義

宗教だけが基本的な善であるという、古くて、すでにかなり前に色あせた理念が、むりやり表舞台に引きずり出された。現代の「十字軍兵士」たちに、宗教がすべてを支配していた中世のことを思い出してもらうのもよかろう。この時代はモラルの高い時代だっただろうか。レ-ガン大統領だって、そんなことは信じないだろう。

宗教は、最も恐ろしい、しかも大量の犯罪を防げなかったばかりか、往々にして犯罪を正当化する役割さえ果たしてきた。歴史は、宗教裁判という暴力や「異教徒」の虐殺を知っている。正統派を名乗るキリスト教徒が、他の宗派のキリスト教徒に加えた迫害について思い出すことは、アメリカ人にとって無駄なことではないだろう。

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[p. 33]

この迫害を逃れて、アメリカに初めて白人の移住者ビルグリム・フアーザーズが渡ったのである。狂信的なキリスト教徒であったこの人たちついて、アメリカにはこんな諺がある。「ピルグリム・ファーザーズはまずひざまずき、次にインディアンに襲いかかった」というものだ。

しかし私は、レーガン流に、信仰心があるからといってアメリカ人を信用してはいけない、などということを論証しようとしているのではない。

二〇世紀も終わりに近い今日、宗教的な狂信主義や不寛容がどんなに不幸をもたらすか、というような自明の理を思い出さなくてはならないのは、まうたく悲しいことである。もし西側の政治的関心がさらにそのような方向に進むならば、二一世紀には世界は、カニバリズム(人食い)に「賛成」か「反対」かを議論するようなことになりかねない。

このようなことを言うのは、反ソ的レトリックが決して悪意のないものではないからである。アメリカの大統領やその側近の言葉を聞いていると、レトリックは彼らの世界観だけでなく、本心まで映し出している。そしてレトリックの行き着くところは、危険な政策である。レトリックは、国家や民族全体を自己暗示にかけるきっかけになりうるだけに、ぎわめて危険なものである。歴史は、そうした例を幾つも知っている。

これに関連して言うと、アメリカの反ソ主義の大立者であったジョン・フォスター・ダレスの見解は興味深い。ダレスは大戦前に出版された著書のなかで「国民に戦争準備の重荷を負わせようとするならば、戦争心理が激しやすい状態においてやらなければならない。そして外国からの脅威が実在することを論証しなくてはならない。そのためには、ある国が英雄に見え、他の国が悪役に見えるようなイデオロギーを積極的に宣伝し、国民に犠牲を耐え忍ぶ心構えを作らせることが必要である。こう した条件が整えば、戦争への道のかなりの部分を通り過ぎたことになる。......軍事力というのは、軍

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備の確立によってもたらされるものであり、どうしても使わないではいられなくする力を持っている」と書いている。

今日、この言葉はまるで予言、しかも不吉な予言のように思われる。もちろん、どれだけ多くの人間が、どれだけの期間、とんな奇抜な方法でこの予言を欺き、これが的中するのを防ぐか、という問題が生ずるだろう。このような問題にに、断定的な答えを出すことは差し控えたい

歴史は一方では、もし別の方法をとれば、多くの恐ろしい犯罪や戦争が防げたかもしれないという可能性をまったく無視してはならないことを教えている。しかし他方では、どのようなことにも限界があることも教えている。予言を欺くことの限界もそのなかに含まれていよう。われわれはすでにこの限界に近づいていることを忘れてはならない。たとえば、最近の反核運動も、このことを告げているのではないだろうか。

アメリカにも変化への期待

ここでもう一度、私のアメリカ旅行の話に戻って、国務省のやり方に対する私の態度だけでなく、全般的な印象について述べてみたい。

印象の一つぼ、政府の極端な、ほとんど過激とも言ってよい政策によって、かつてアメリカの政治世界の「中道」にいたかなりの多くの人たちまでが、右に引きずられていたことである。どのような意見の持主かを私が知っていた人たちのうちの何人かは、変わりすぎてしまって、ちょっと話をしただけでは誰だかわからなかったほどだ。相手に自分の意見が大きく変わったことを、わざわざわからせようとしているのではないか、と思ったこともあった。

実際にどのような事情があるにせよ、こうした変化は、将来を楽観させるものではない。アメリカ

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[p. 35]

人はおそらく.現政権の極端な政策に対して、高い代償を支払わなくてはならないだろう。

しかし私は、もう少し楽観的な印象も持っている。アメリカ人が(社会のかなり厚い層にわたって)今ほど真剣に・当面する政治的状態や軍拡競争、戦争の脅威の増大について憂慮したことはかつてなかったように思う。私がきわめて広範囲のグル-プの人たちと会い、話をした限りでは、おそらくそういう結論を引き出せると思う。

学生(彼らの前で講演をしたり、セミナ-に参加したり、質問に答えたり、話し合ったりした)から議会人、著名な社会的、政治的活動家まで、そして財界人から農民まで私は会うことができたし、話の内容は発表しないという条件付きながら、ジャ-ナリストと会う二とも国務省は禁止できなかった。

これまで、アメリカ人がこれほど、当面の政治と国際関係の現状を心配しているのを見たことがない。核兵器の凍結を求める運動や、これに呼応したアメリカの議会決議、いつもは社会の政治意識の急激な変化に反発するアメリカの宗教界の前向きの動きなど、多くの新しい現象の根は、多分ここにあるのだろう。

このような不安な雰囲気のなかでは、期待が生まれるのは当然だろう。事実アメリカでは、多くの人びとが変革を待っている、野党が現在の進路に代わる賢明な選択肢を提案するのを待っている。また、現政権がもし一九八四年の大統領選挙に勝ち、議会での立場を強めることを望んでいるならば、世論の変化に反応すべきだと感じており、現政権の側からの変革をも待っているのである。

あるアメリカ人の知人はこう言っている。軍備管理が「良い政策」(「政策」というのは、アメリカでは選挙戦での勝利を意味する言葉である)になったとき、多くのものが変化する可能性がある、と。さらに知人は、状況はその方向に動いているようだ、と付け加えている。

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[p. 36]

私は、こうした変化が起きるかどうかについて、無意味な推測をしようとは思わない。何らかの変化が起きることはいずれにしても避けられないだろうが、問題は、その変化がどの方向に向かうかである。反対の声を和らげ、社会を平穏に保とうとする例のプロパガンダ屋のトリックの方向に向かうのか、それとも政治的立場の実質的進歩の方向に向かうのか、である。

進歩の方向が望ましいが、これまでのところ事態はまだ、トリックの方向への動きも制限されている。そのために、アメリカ人も、そして世界全体も、それほど不愉快な思いをしないで済んでいる。

教訓を学びとるとき

もしアメリカが、危険から逃れるのに役立つ政策をとるほうが、結局は得策であるという決定をした場合には、ソ連が真面目で誠実なパ-トナ-であることに気づくだろう。

ソ連は、軍備の制限と削減の分野で、双方が受け入れることができる解決を目指すため、長期的な方策に着手する用意がある。この点については、すでに私が挙げたわが国の最近の諸提案のなかでも述べられている。

しかし、どんなに好戦的な圧力を強めても、ソ連に一方的な軍縮を強いることは絶対にできないことを、西側の人びとに理解してもらうことが不可欠である。四〇年近くにわたる無益な軍拡競争から、そろそろ教訓を学びとってもよい頃であろう。

軍事的優位を達成しようとする試みに出あった場合、われわれは新たな譲歩ではなく、国防力強化という新たな力でこれにこたえる。この点については、ソ連の指導者たちも何度か明らかにしているが、もしアメリカが軍拡競争を強要する計画を中止しなければ、今すぐにでもそのような事態が起きるだろう。

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[p. 37]

われわれは、事態がこうした方向に発展することに反対している。状況判断などといったものによってではなく、われわれの歴史や、わが民族の経験、心理、世界観といったものの根源に由来するものによって、反対しているのである。

「平和より重要なものがある」とか、ほかの国が「自分の国の制度を変更するか、戦争か」を選ぶべきだとか、「限定的核戦争は許される」などと公言するような、あるいは核戦争が起きても人類の一〇~二〇%「しか」死なないと言って、国民を言いくるめるような指導者を、ソ連では思い浮かべることができない。しかし、これはすペて、アメリカの有名な政治家の最近の発言からの引用(もっと並ペることもできるが)なのである。

もしソ連でこのような発言をすれば、もうそれだけで、政治的な自殺と同じことになるだろう。そんなことは、国民が戦争とは一体どんなものであるかを、本を通じてではなく、苦い経験を通じて知っている国にとって、また、平和を何よりも大切にし、優先している国民にとって、当然のことである。

ここに、ソ連とアメリカの重要な違いの-つがある。この点については、本書のなかで、もっと本質的な違いである経済体制、イデオロギ-、政治などとともに触れている。

このような違いが、賢明な関係と共存に欠かせない相互理解を妨げることがないようにできないものであろうか。これは本質的な問題であり、これに対する回答を出すことが肝要になっている。そしてその選択の幅は、本質的にきわめて狭いのである。

ソビエト政府が生まれてこのかた、われわれはアメリカとの関係のなかで、多くの二と-公然たる軍事干渉と経済封鎖、外交的ボイコット、心理戦争、そしてわが国の制度と政治を変えさせることを目的としたその他の圧力-を生き抜いてこなければならなかった。またその一方では、この間、

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[p. 38]

協力や同盟の関係にあった時代もあった。

遅きに失しないために

そして近年は,現実主義と合理的な理解の道を歩きはじめていたのだが、残念なことに、その後、敵意と対立の時代が再び訪れている。われわれの関係の経験は、協力の果実がいかに大きなものであるかを、そして敵意を放置するとどんなに高い代償を支払わなければならないかを教えている。

したがって、ソ連・アメリカ関係の歴史から引き出される重要な結論は、両国間の違いは大きいにもかかわらず,共存が可能であるばかりでなく、両国にとっても、また全世界の平和にとっても、共存が不可欠だということだ?

私は、ものごとを深く考えない楽観主義には反対である。しかし、ソ連・アメリカ関係が順調とは言えない現時点でさえ、将来にまったく望みがないと見る根拠はないと思う。それは、人間も、その考え方も、あるいは政府さえも、この世のものはすべて変転するという理由からだけではない。

重要な理由はむしろ別のところにある。

つまり、デタント以外には、わが国にとっても、世界のどの国にとっても、今後進むべき道がないということ、そして遅かれ早かれ、すべての人がこの真理を無条件で受け入れなければならないということである。

きわめて重要なのは、遅きに失しないようにすることである。人類が生きながらえるためには、人類全体と、一人一人の力が必要である?

一九二〇年代から三〇年代にかけての多くの不幸な出来事の証人である、ソ連の文豪ブルーノ・ヤセンスキ-の小説「無関心な反乱」のとびらにある言葉は、賢明な警告のように思われる。

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[p. 39]

敵を恐れるな-最悪の場合でも、あなたを殺すかもしれないだけだ。

友だちを恐れるな-最悪の場合でも、あなたを裏切るかもしれないだけだ。

無関心の人たちに注意せよ-人殺しも裏切りもしないが、殺人と裏切りがこの地上に存在するのば、彼らの沈黙の同意のおかげなのだ。

無関心-核時代には、許されないことだ。

(一九八三年五月、ソ連版まえがき)


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