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Soren no tachiba. Detanto no hokani michi wa nai (The Sovjet viewpoint. No alternative to detente) (1983)

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Titelpagina van Soren no tachiba. Detanto no hokani michi wa nai (The Sovjet viewpoint. No alternative to detente)
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Soren no tachiba. Detanto no hokani michi wa nai (The Sovjet viewpoint. No alternative to detente)

(1983)–Georgi Arbatov, Willem Oltmans–rechtenstatus Auteursrechtelijk beschermd

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[p. 11]

人類の運命は一つ - 日本語版によせて

サイマル出版会が本書の日本語版を出版すると聞き、喜んでいる。日本の読者が、現在の重要な問題に対するソ連の考え方を全般的に理解するうえで、本書が役に立つことを期待している。

以下の点を書き加えておきたい。

本書は、かなり不安に満ちた調子で終わっているように思う。おそらくその理由は、この本が生まれたのが、暗雲が垂れ込め、希望は実らず、予報も「回復前にいっそう荒れ模様になる」という不吉な決まり文句の方向に引きずられている時代だったせいだろう。

この本がソ連の読者の注目を集めている現時点では、暗雲はまだ晴れておらず、ごく近い将来についてさえ、希望的な予報を出せる根出はほとんどない。しかし、将来のことを考える場合、さまざまな要素を考慮に入れることを忘れてはならないと思う。

言うまでもなく、現在アメリカでは、ここ何年かで最も反ソ的で軍国主義的な政権が、権力の座に

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[p. 12]

ついている。しかしソ連は今、歴史上のどの時期よりも強力であり、その防衛力は堅固である。わが国民は戦略上の均衡を実現し、その均衡は微動だにしていない。われわれは決して、アメリカが軍事的優位を確立することを許さない。

核の脅威について、人類がこれほど警戒心を持ったことはかつてなかった。私は何も気取って人類を引き合いに出しているのではない。世界の運命についての議論には、すべての国、すべての大陸の何百万人もの人びと、あるいはさまざまな政治的信念、宗教,イデナロギ-を持った人びとが参加するということである。この意味で、量的な変化から質的な変化への発展が始まっている、と私には思われる。

歴史は人類を長い間教育してきた。そして今、人類は歴史に教えられたことを現代に当てはめて理解しようとしており、もしかすると、すでに理解しはじめているかもしれない。

私自身,この本(インタビューとしては、おそらく歴史上最も長いものだろう)を読み返しながら、心のなかで将来を見極めようとすると、知らず知らずのうちに過去のことを思い起こしていた。さらに一九八三年秋には、われわれはアメリカ史のうえでも、またソ連・アメリカ関係史のうえでも、(程度の差はあるにせよ)重要な二つの日付にめぐりあう。

一つは、ソ連、アメリカ両国間の外交関係樹立五〇周年である。この日付は、考察を進めるうえで、原点を与えてくれるものである。

まず、外交関係樹立までの一六年間、つまリアメリカ政府がロシア十月革命という成就された現実を認知していなかった時代,ワシントンがソピヱト連邦という現存する客観的事実を認知していなかった時代について考えてみたい。わが国では、アメリカ人の実務能力については定評があるが、この

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能力はすべてのアメリカ人が生まれつぎ備えているものではないようだ。私は一度ならず、もしアメリカ人実業家が事実や日常的な現実に対して、アメリカの政治と同じような態度をとったとしたら、アメリカはとうの昔に破産していただろう、と思ったことがある。

しかし現実主義を欠けば、政治においても、少なくとも可能性を逸するか、時には重大な損失を被るというような高い代償を支払わなければならない。大統領が就任の日から、国民に「大胆な夢」を恐れるなと呼びかけ、また反ソ「十字軍」という帝国主義反動勢力のカビの生えた妄想を生き返らせた政権が支配している現在、どうしてもこの点について考えなければならない。ただこの代償は、これまでの何倍も、またアメリカ人自身にとってもより危険なものになっている。なぜならば、核時代 においては、人間というものはこうした夢想や妄想のうえに、自分の政策を作り上げようとするからである。

ソ連とアメリカの外交関係がたどった五〇年について言えば、両国の関係にこの間に大きく揺れ動いた。普通の、すなわち正常と呼ばれる関係の時代に接近の時代へと変わり、良好な関係は激しい敵意の関係へと変わった。われわれは同盟国であったこともあるが、気がつくと核戦争の淵に立っていることもあった。希望の時代と幻滅の時代が交互に訪れた。このことについては、多くの書物に書かれてきたし、これからも書かれるだろう。しかし私なりに、まとめておぎたい。

正常な関係あるいは友好的な関係にあった時代はつねに、両国および両国民にとって有益かつ有利であった。同盟の時代はなおさらそうであった。敵意や対立、軍拡競争の激化といったものを通じてば、どちらの国もどちらの国民も、少なくとも勝利したことはなかったし、むしろ双方ともになにがしかの損失を被ってきた。

これは、私のみるところでは議論の余地のない事実である。ここでは、この点について詳細な歴史

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[p. 14]

的、経済的説明を加える余裕はないが、注意を喚起しておくことは意味がある。

このことは、平和共存の理想、すなわち平和と共存が互恵的であり、戦争と敵意が万人にとって危険なものだという真理の普遍性を、明白に立証するものである。

この五〇年間の歴史を通じて、われわれはみな、この複雑な世界で共存するための幾つかの絶対的な規範を理解すべきであったと思う。

第一に、自分たちの方法や形態にあてはめて相手側を作り変えようとしてはならない。これは無駄で危険な行為である。

第二に、相手側と良好な関係を樹立しようと努力する場合、相手側に気に入られる必要はまったくない。政治は、人間に希望や喜怒哀楽の感情を起こさせる小説ではなく、真剣で複雑な行為であり、自らの利益を真面目に考え、もし成功しようとするならば相手の利益についても合理的な範囲で考慮することが重要だ。

そして最後に、お互いに好むと好まざるとにかかわらず、双方はこの地球上で共に生活しなければならないということだ。生きるのも減びるのも一緒なのだ。この点から出発して、自らの政策を完成させなければならないと思う。

これらの、そしてそのほか多くの歴史の教訓は、どういうわけか、現在のアメリカの政権の注意の間隙をすり抜けていってしまったような印象がある。この政権の歴史に対する態度も、歴史の教訓に対する態度も、全体としてきわめて奇異である。

現代アメリカの保守主義イデオローグの一人ウィリアム・バックリーは、こうした政治的風潮のもたらす効果を「歴史の道に逆らって立って"止まれ"と叫ぶようなもの」と表現している。そんなことをしても無駄であり、成功する見込みにない。そして一般的に言って、幻想の上に構築され、夢の

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世界に生きる政治は、長続きしないばかりか、短期間に大きな損害をもたらしかねないものであることは、疑問の余地がない。

*

次に、一九八三年秋にめぐってくるもう一つの日付について述べたい。それは、ジロン・ケネディ暗殺二〇周年である。

ケネディ大統領の短期間ではあったがきわめて重要な在任期間は、ソ連・アメリカ関係史の転換期という点でも重要だったと思う。当時両国関係は、昔通りの関係を築くことはできないことがすでにはっきりしていたが、新たにどのような関係を打ち立てるかについては、まだはっきりしていなかった。

ケネディ大統領時代の出来事についての詳しい記述はここでも避はるが、私が最も重要と思う二つの要素についてだけ述べておきたい。これらの要素は、歴史上の一時期にとって、あるいは当時のアメリカの指導者個人にとって重要だっただけでなく、今日でもその重要性は失われていない。

第一は、重大な歴史的教訓と言ってもよいが、一つの過ち、あるいは偽りの一歩が、いとも容易に危険な出来事を連鎖的に引き起こし、その後そこから抜け出すことがきわめて困難になる、ということである。

......ケネディ大統領は、悲劇的事件として知られるキュ-パのコチノス湾への干渉により、外交政策に乗り出した。しかしここからカリブ危機へと点線が伸び、性界を核戦争の瀬戸際へと追いやった。ケネディが運命の手によって大統領の職にあった三年間のうち二年にわたって続いたこの干渉は、アメリカの政策決定過程にまで影響を及ぼし、何が何でもどこかで‘雪辱戦’をするために、屈辱と期待の入り混じった情緒的なコソブレックスがその過程に持ち込まれることになった。

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[p. 16]

もう一つ例を挙げるならば、まさにケネディ時代にもたらされた、核兵器競争の面での「大変化」(前例のない大変化と呼んでもよいだろう)である。この変化は「ソ連の軍事的脅威」という口実の下で開始されたが、この口実はいまだに、軍拡競争を煽るのに利用されているのである。しかも、この口実はすぐに効力を失い、アメリカ人自身が、いわゆる「ミサイルでの立ち遅れ」が実際には存在しないことに気付いていたにもかかわらず、ことは実施に移された。連鎖反応が始まり、現在に到るまで これを止めることには本質的に成功していない。

これと似た例をくり返し挙げたり、そうした例が今も存在することを強調したりしようとは思わない。現在のアメリカの政治をみれば、すぐにわかることなのだから。

さて、ケネディ時代の二つ目の要素(あるいは教訓と呼んでもよいが)について述べたい。それは、当然のことではあるが、政治においては過ちを犯さないほうがよいということだ。しかしそれができないならば、できるだけ速かに、そして断固として訂正しなければならない。この意味で、ケネディ大統領は、自らの行動によって見習うに値する手本を示したと思う。

当時、状況は極度に尖鋭化しており、世界は核の火山の噴火口をのぞき見たも同然であった。しかしケネディは、取り返しのつかない破局の瀬戸際からすぐに、そして遠くに離れなければならないことを、ただちに理解した。一九六三年六月一〇日にアメリカン大学でケネディが行なった演説は、このことを示唆したものであった。そして、もし邪悪な暗殺が起こらなければ、この演説はおそらく、アメリカの政治の緊張緩和への転換点になっていたであろう。

ケネディ時代に、前例のない新たな軍拡競争が始まった。これもまた非常に危険な歩みであり、本質的に重大な過ちであった。しかしケネディ自身および彼と第一に功績を分かち合うべきマクナマラ(国防長官、当時)は、当時のアメリカ指導部のなかで最も早く、軍拡競争に展望のないこととその致

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[p. 17]

命的な危険性、また軍拡競争を拒否して、軍備の制限と軍縮によって安全保障を追求しなければならないとの考えを表明したのである。そしてまさにケネディ時代に、核軍備を制限する初めての条約である部分的核実験停止条約が締結されたのである。

ここに幾つかの類似点が浮かんでくる。現在のアメリカ政権は、これまでに犯した過ちや軽率な声明、行動の数ではケネディ政権をしのいでいると私に思う。現政権もまた、政治的な失敗、国内および同盟国における反対の増大といった代償を支払わなければならない。しかし訂正は言葉だけで行なわれ、行動や実際の政策では行なわれていない。少なくとも今のところはそうである。

今後はどうであろうか。これに対する答えは、将来が出してくれるだろう。

(一九八三年九月)

ゲオルギー・アルバトフ

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