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Soren no tachiba. Detanto no hokani michi wa nai (The Sovjet viewpoint. No alternative to detente) (1983)

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Titelpagina van Soren no tachiba. Detanto no hokani michi wa nai (The Sovjet viewpoint. No alternative to detente)
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Soren no tachiba. Detanto no hokani michi wa nai (The Sovjet viewpoint. No alternative to detente)

(1983)–Georgi Arbatov, Willem Oltmans–rechtenstatus Auteursrechtelijk beschermd

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4 なぜソ連観がゆがむのか

- 平均的アメリカ人のソ連に対する態度について、あなたはどういう印象を持っているか。

A これまで出くわしたもののなかには、無知や不正確な認識、誤解や不信などがたくさんあった。しかし、ソ連やロシア人への憎悪を感じたことはほとんどない。

これまで私自身の出会いから得た印象なのだが、少なくとも、平均的アメリカ人には、進んで人の話に耳を傾け、学びとろうとするところがある。また大部分のアメリカ人に特有の友情とか偏見のなさはこの点で有益だと思う。

- アメリカの上院外交委員会が一九七九年に米ソ関係についての本を出している。あなたはこの本に寄稿しているが、そこに書いてある問題の幾つかを取り上げてみたい。一つは、アメリカの一般国民が、ソ連や蓮の国民、指導などについて正確な認識を持っいるかどうかという点だが。

A 持っているとは思えない。アメリカ自身にとって、重要性の高い問題についてさえ持ってない。

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[p. 88]

アメリカ人の持つ認識がこれほど長い間、一方的でゆがんだ情報に基づいて形作られた国は、ソ連をおいてほかにないかもしれないが、この点を考えれば、アメリカ人のソ連に対する見方が不正確なことが多いのは別段驚くにはあたらない。彼らの見方が、あれほど強い偏見や曲解に彩られているのはそのためである。

問題は情報の媒介者

- いま引き合いに出した本であなたは、さらに次のような問題にも触れていた。つまり、ソ連に対するアメリカの世諭は、どのような情報に基づき、どのような心理的、社会的、政治的勢力によって形成されるのか、という点である。

A 私の答えはこうであった。つまり、アメリカ人がソ連について得る情報は大部分が、アメリカ人の媒体(ジャーナリスト、専門家、政治家、それにアメリカ中央情報局=CIA=などの政府、民間の機関の報告)を通して大衆の手元に届けられる間接情報である、ということだ。この点は、ある程度ほかの国についてもいえることかもしれない。しかしこれらのアメリカ側の媒介者は、ソ連についての情報を大衆に伝達するに当たって、えてして特異な偏向ぶりを発揮する。これは一つには、媒介者の多くが 持つ個人的な思想上の偏見の結果であり、また一つには、ゆがんだソ連観を作り出すことに利益を持つ者たちからの直接、間接の圧力を受ける結果でもある。

権益グループが、国の政策やその背景にある基本的考え方に大きな影響を及ぼしているという点で、アメリカは世界のほかの国にほとんど例をみない。アメリカ人のソ連観を歪曲することに重大な関心を持っているグループには、軍産複合体や超保守派分子、冷戦から恩恵を被るグループ、東ヨーロッパからの反共移民を代表する組織、イスラエル・ロビーなどがある。

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- あなたの考えでは、アメリカの世論は外交政策に対して影響力があるだろうか。

A アメリカの世論が政府の政策に影響を与えることは疑いない。この影響力は、時と場合によっては、たとえば選挙前などには、非常に大きくもなりうる。

しかし私の考えでは、通常、行政府や議会は、世論より組織力のある圧力団体の気分のほうにとかく反応しがちである。そしてもちろん、多くの場合、アメリカ政府や、政策に影響を与えようとするグループは、世論に呼応する代わりに、大衆のムードを自分たちに望ましい方向へ変えようとするかもしれない。

- ソ連に対する見方では、アメリカの世論は専門家とかなり異なっているだろうか。

A 多分異なっていると思う。だが、アメリカの専門家の間にも大きな違いがあることを忘れてはならない。長い間、専門家の多数派はソ連に極度に敵対的な立場をとっていた。これはおそらく、ソ連研究が冷戦時代に花開いたためであろうし、これらの専門家の多くが冷戦のために働いたからだろう。

またアメリカのソ連研究専門家のなかに東ョーロッバからの移住者が異常に高い比率を占めていたことも一つの要因だった。ソ連に対する彼らの態度には、第二次大戦後自分たちの国で起きた変化と結びついた、きわめて否定的な個人的感情が影を落としているかもしれない。

ここ数年こうした事情はある程度変わってきている。アメリカは「アメリカ生まれの代表的な」ソ連問題専門家を養成した。彼らは個人的見解が大きく異なるけれど、広範囲のアメリカの政治的利害や意見を反映している。ソ連研究の新顔たちは、その見解がどうであれ、冷戦の戦士として育てられた人たちではない。

むろん古い世代のなかにも際立った例外はあり、卓越した知識を持つだけでなく、非常に誠実で、ソ連との正常な関係の重要性を明確に理解している人たちもいる。しかし、アメリカの政策決定者は、

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新旧いずれのタイプの専門家からも、自分が望むどんな論点も立証してもらうことができる。

こう言ったからといって、専門家を信ずるなというのではない。私の考えは、まず第一に、専門家の意見は聞けても、政治指導者の個人的能力が最も重要だということ、第二に、専門家の助言に従いたがる人たちは、まず自分自身が専門家になって、どの専門家が客観的で非のうちどころのない分析を提示してくれるか見極めなければならない、ということに尽きる。

政治エリートの誤算

- 政治ェリートについてはどうか。彼らは効果的な政策を作り上げることができるほど見識があると思うか。

A ここにもう一つの逆説がある。アメリカでは伝統的に、非常に大規模な頭脳集団が、おそらく世界最大であろうが、外交政策に奉仕してきた。少なくとも現政権以前はそうであった。歴代政府はつねに、最良、最高の英知を政府に招じ入れ奉仕させようとしてきた。大学の内外に設けられたあまたの研究センターでは、注目に値するあらゆる問題はおろか、注目にまったく値しないものの多くにもこと細かに検討を加えている。

ペンタゴン、CIA、国務省などの役所では、政策決定を助けるため、膨大な予算を使って分析調査を実施している。ェリートは世界政治の複雑さや軍事、経済、政治上の間題解決の方法について、絶えず啓発と教育を受けている。しかしこの大々的な活動の実際の結果を見ると、費用に見合う効果が上がっているかどうか疑わざるをえない。アメリカの政策決定にかかわるすべての知的能力をもってしても、一連の重大な誤算や誤りを避けられなかったということになる。その誤算や誤りは、他の 国々が犯したのよりも大きかったかもしれない。

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- どうしてこういう逆説を生む結果になったのか。

A 政策決定者たちが、調査、分析に当たった人たちの言うことに耳を傾けようとしないわけではないと思う。十分に耳を貸そうとしない場合もあるかもしれないし、また、専門家のほうがあまりよくないという場合もあるだろう。

しかし政策が失敗した理由は、もっと根が深いと思う。政策決定者に誤った決定をさせたり、不合理な決定をさせたりするある種の国内政治の仕組みがあることを、考慮に入れなければならない。

アメリカの指導者の選出過程には、時にはその任に耐えられないような資質の者でも選ばれるようなところがある。しかし最も重要な理由は、論理と理性の要請を否定し拒否するようなある種の強力な権益グループが存在することである。

アメリカの外交政策が失敗した原因は、力の問題ではなく頭の問題だ、とスタンレー・ホフマソがかつて指摘したことがある。これは確かに当たっている。

いまわれわれが目のあたりにしているものが政治的なボディービルの新しい波だとすれば、これは一部の人間が愚かで状況を理解できないせいばかりではない。政治の仕組みそのものが、非常にきゅうくつな枠組みのなかに合理性を拘束し制限しているからに違いない。

- アメリカ外交政策のなかで、ソ連にとって一番頭痛の種となっているのは、どのような側面か。

A 幾つかの側面にはすでに触れたけれども、たとえば、軍事支出を拡大し、山のように兵器を積み上げることで、核時代のきわめて複雑多岐の安全保障問題を避けて通ろうとするような傾向である。

もう一つは、政治指導者たちが安定した外交路線を維持することより、国内政治への配慮を優先させることだ。アメリカの中東政策をみればその辺りの関係がよくわかる。

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また継続性に欠けているということもある。このために軍備管理条約のような最も重要な問題でも.交渉相手としてアメリカは不安定きわまりない。SALTIIの不幸ないきさつをみるといい.われわれはニクソン大統領と交渉を開始したが、フォードになってほとんど最初からやり直さねばならなかった。そのあとのカーターになるとまた同じこと。そしていままたレーガン大統領は、なにもかも変更するか、ご破算にしたいと思っている。また.アメリカに救世主的発想がまだ厳として残っていることも指摘し たい。

レーガンの救世主的発想

- 具体的に何を指しているのか。

A 一例を挙げよう。「この国が二つの大洋の間に位置しているのは神の意思によるものだ、と私はかねてから信じてきた。特別の種類の人びとがこの国をここに設けたのだ......。われわれはアメリカ人という名の新しい種族を作り上げた」(ーュー・リパブリフク、一九八〇年一月一日号、ニーベージ)。

これはロナルド・レーガンの一九八〇年の発言だ。まるでこれは、過去のカルビン主義時代の遺産に見えるかもしれない。当時、清教徒たちは生き残るためにも、旧世界の罪業から解放された、新しい選ばれた国を築いているのだとひたすら信じなければならなかった。この防御的感情はその後「マニフェスト・デスティニー(明白なる運命ごという形をとった攻撃的感情に発展し、さらに「アメリカの世紀」などへと進んでいった。

いまではこの救世主的発想は昔の神通力をだいぶなくしてはいるが、他の者たちをできれば説教で、必要とあれば力ずくで教化してやろうという、ほとんど本能的な欲望はいまだに根強く活力を残している。

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最近われわれは、この狂信的な態度が復活するのを目のあたりに見た。何よりも悪いのは、この救世主的発想が二枚舌を終始うまく取り繕っているということだ。こうしたことすべてが、アメリカと他の諸国の間に正常な関係を維持するのを著しく妨げているのである。

- もし人権問題のことを考えているのなら、またあとで取り上げることにしたい。いま少しアメリカの外交政策について話を続けたい。

A それでは、アメリカ外交政策に典型的な特徴をもう一点、指摘しておこう。これはアメリカだけの特異性ではないが、力に対する信奉が強いことである。私が理解するかぎりでに、弱い国はアメリカ人のパートナーにはなりえない、というのが彼らの態度である。アメリカ人は強い者に対してしか敬意を払わない。これは少なくとも当面、避けられない現実とみるべきであろう。今日アメリカがソ連に抱いている主な不満は、ソ連が強力になり、アメリカを上回るとまでいわれるようになったことだが 、ソ連が弱ければソ米関係がよくなるかといえば、そうはなるまい、と思う。むしろ、まったく逆であろう。

ソ連にとって、アメリカとの関係はいまよりはるかに悪くなるはずである。ちなみに、ソ連がアメリカの圧倒的な力に対抗する勢力として台頭してきたおかげで、独立と行動の自由を得た多くの国々にとっても、同じことがいえる。

こう言っても、アメリカがもともと攻撃的な国だ、と言おうとしているわけではない。アメリカ人を人間としてみれば、そうではないことがはっきりしている。しかしアメリカは、このように力をひとりよがりに信奉するのはほかの国だと言いたがるのだが、やはりその最たる者はアメリカ自身である。われわれは一度ならず、そのことを肌身にしみて痛感している。

- しかしソ連が強大になったからというて、アメリカとの関係が密接になったわけでもな

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い。

A その通り。私が強調したいのは、ソ連が弱かったら、両国関係は悪化していただろうということだけである。ソ連をアメリカの基準に従って作り変えようという、誤った期待を高めただろうということである。

こうは言っても、私に依然、状況が変わることを期待している。アメリカの外交政策でも、国際関係全般でも、力への配慮が果たす役割がやがてはもっと小さくなることを希望している。

米国民は戦争の恐さを体験していない

- 私はこの二○年間、アメリカ各地で講演する機会があったが、われわれがナチスのオランダ占領中に経験した戦争の意味や、戦争の恐ろしさをアメリカ人聴衆に説明し尽くすことはできなかった。

A 「アメリカ市民が戦争の恐ろしさを直接体験として記憶していないことは、アメリカにとってだけでなく、世界のほかの国々にとっても危険なことである」と、かつてグンナー・ミュルダールが指摘したことがある(サンフランシスコ・クロニクル、一九七九年一二月二日)。

確かに、ヨーロッパを荒廃させ、火薬のにおいに対するヨーロッパ人の態度を根底から変えた二つの大戦で、アメリカは豊かになった。五千万人の人間が死んだ第二次大戦でも、アメリカ人の犠牲者はソ連の犠牲者の二%程度だった。レニングラードにあるピスカレフ記念墓地だけでも、第二次大戦でのアメリカの全犠牲者を上回る戦死者が眠っている。

わが国にとってあの戦争は経済力のすさまじい破壊を意味したが、アメリカは同じ戦争によって大不況から脱出できた。私はむろん、戦争でアメリカが払った犠牲がほかの国より少なかったと非難し

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ているわけではないし、もっと議牲を払うようアメリカに促しているわけでもない。

しかし道徳的な見地からいえば、平和よりもっと重要なものがある、というヘイグ前国務長官の言葉に象徴されるような、戦争に対する無頓着な態度はいま少し控えるようアメリカ人に期待していいと思う。実際的な側面について言えば、アメリカ人の考えには、歴史的経験が少々不足しているために重要な安全弁が欠けている、とのミュルダールの意見に私も同感である。

- ヨーロッパの人間として言えば、これはすべてアメリカの自己中心主義と密接につながっているということだろう。

A その通りだと思う。アメリカ人にとっては、他人の身になって考えてみるとか、アメリカの行動がほかの国々に及ぼす影響を考えることさえ非常に難しいのだということを、私は何度も見てきた。

今日、最も重大な問題を引き起こす原因は、単に、一部アメリカ人のいかがわしい意図や既得権益だけでなく、アメリカ人が他人の目で物をみることがでぎない点にもある、と私は時折考える。たとえば、ソ連の軍事力を評価する際、ソ連が直面している現実の脅威は無視して「ソ連の脅威」だけを叫ぶアメリカのやり方については、すでに触れた通りである。

アメリカはまた、同盟国を十分理解しているとは思えない。特に理解が欠けているのは、ヨーロッパの人びとにとってヨーロッパは、アメリカという中核地域を守る前進基地でもなければ、作戦遂行のための遠く離れた戦場でもなく、唯一、かけがえのない生活の場だという事実である。だからこそヨーロッパは、緊張緩和やソ連との平和的関係の発展について、アメリカと異なる態度を持つこともありうるのである。

西ドイツ人にとって東方外交が本当に何を意味するかを理解するのに、ジミー・カーターは任期のほとんどを費やしたという話を、西ドイツの友人から聞いたことがある。アメリカの現政権が、西ヨー

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口ッパの人びとすべてにとって緊張緩和の意味するものを理解するのに、どれほどの時間を要するものかといぶからざるをえない。

- 一九八一年九月二日、私はナランダのテレビ番組のインタビューで、当時のユージン・ロストウ軍備管理軍縮局長に次のような質問をした。「レーガソ政権の外交政策は、まるで陶器店に迷い込んだ牛のような振る舞いをみせている。そのためわれわれヨーロツバ人は、モスクワよりワシントンの方を恐れるようになっていることをご存知か」と。この質問にロストウ氏は明らかにあっけにとられた様子だった。

A もっともな話だ。というのも、レーガン陣営の人たちは、冷戦型の政策がヨーロッパで広範な支持を得るだけでなく、ヨーロッパ人をいっそうアメリカに忠実にさせることができると信じ込んでワシントンに乗り込んできたからだ。それで反核運動が西ヨーロッパを揺るがすと、彼らはまず、これをソ連のプロパガンダのせいにした。

アメリカの第三世界に対する無知はさらにひどい。最近の新聞報道は、南アフリカに対するレーガン大統領の考え方を、政権当局者の次のようなことばを引用して伝えていた。「南アフリカについてレーガンが知っているのは、自分が白人の味方だということだけだ」

アメリカ人は、第三世界の人たちがどんな暮らしをしているのか。どう感じ、何を望んでいるのかまったくわかっていないと思う。アメリカの隣人であるエルサルバドルやニカラグア、グアテマラ、パナマの人たち、さらにはラテンアメリカ全体についても同様であろう。

私がしばしば思うのは、アメリカ人が歴史的にみて例外的に幸運であった、おそらく幸運すぎたということ、そのために、もっと困難な歴史を背負う国々に十分な理解や本当の同情を持ちえないのではないか、ということである。

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[p. 97]

慈善と援助

- しかし、アメリカには慈善も無償援助の計画もあるが。

A 確かに多くの慈善団体があり、そのなかには貧困を軽減したり、人道主義的な活動を推進したりしているものもある。慈善について言えば、これは良心の痛みを和らげ、あきあきするほどの恵まれた状態からもっと大きな喜びを得るための一つの方怯にすぎない、といったありふれた非難をくり返したくはない。ある場合には動機はまったく別であろうし、立派な動機もあろう。

しかし慈善活動のほとんどは、純粋無私のキリスト教的分かち合いの理想とは遠くかけ離れている。おおむねアメリカのエスタブリッシュメソトの経済的、政治的利益に沿うものである。

一九八〇年のカソボジアでの出来事を例にとろう。アメリカがやったことといえば、国土の大半を支配し、ポル・ポト暴虐支配がもたらした死と荒廃からこの不幸な国を救おうと、懸命の努力をしていたカンボジア政府に対する孜援物資の輸送を妨害したのである。同時にアメリカは、タイ国境近くのポル・ポト軍の残党に「寛大な援助」を与える権利があると声高に主彊していた。それに加えてアメリカ政府は、カソボジア政府が住民の苦しみに無関心だと非難していた。

この点でのアメリカの行動は、人道的配慮の表われとはどうしても説明できない。しかし、この地域におけるアメリカの地政的、戦略的利害を思い起こせば、すべてが整然と筋道立って見えてくる。そしてカンボジア人の悲劇的体験に公憤が高まるなかで、その責任の大半がアメリカにあることはしばしば忘れられている。一九七〇年にカソボジアに軍事侵攻し、その内政に干渉してノロドム・シアヌーク殿下の中立主義政府の転覆に手を貸したアメリカは、事実上.ポル・ボト政権出現に道を開いた のである。


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