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Soren no tachiba. Detanto no hokani michi wa nai (The Sovjet viewpoint. No alternative to detente) (1983)

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Titelpagina van Soren no tachiba. Detanto no hokani michi wa nai (The Sovjet viewpoint. No alternative to detente)
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Soren no tachiba. Detanto no hokani michi wa nai (The Sovjet viewpoint. No alternative to detente)

(1983)–Georgi Arbatov, Willem Oltmans–rechtenstatus Auteursrechtelijk beschermd

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5 レーガンの対ソ政策

- レーガン政権下での米ソ関係の見通しを占うに当たって、「ニクソン・モデル」に言及している人もいる。ニクソンは、レーガンと同じように一徹な反共主義者だったが、繁張緩和への方向転換を実行したのはニクソン政権だった。レーガン政権が、同様の政策転換をすると思うか。

A もし大統領の任期が四年よりも長いとしたら、そのような転換が起きてもおかしくはないと考え

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るかもしれない。というのは、平和共存と緊張緩和に取って代わりうる実際的な代案はないし、アメリカの指導者の現在の政策は現実性を欠いていて、客観条件からみて無責任なゲームをあまり長く続けることはできない、というのが私の信念だからであり、この点からいっても、レーガン政権の転換はありうると思うからだ。

長期的にみれば、そのように冷静になり、現実に戻らざるをえない。だが、レーガン政権の人たちが考えを改め、政策を変えるのにどれほど長くかかるかはわからない。ニクソンの場合は一五年から二〇年かかった。一九八四年〔米大統領選挙の年〕までに残された時間で十分だという確信はない。

ニクソンとの類似という点に戻ると、あまり説得力があるとは思えない。現在の情勢は、急速に変化するとはいっても、やはり六〇年代終わりや七〇年代初めの情勢とは非常に違っている。大統領は別人だし、政権内の人びともその取り巻きも違う。

もちろん、こう言っても、レーガソ大統領が路線を修正することは想像できないというのではない。だが時がたつにつれて、特に重大な変化ということになれば、そうした路線修正は次第にありそうもなくなってきている。

ニクソンとの類似と相違

- その点を詳しく説明してもらいたい。たとえば七〇年代初めと現在の状況の違いをどう

見ているか。

A ニクソンは冷戦政策の破綻が最もむき出しの形で明らかになった時、権力の座に就いた。国民にはそれがわかっていた。同様に、予算の優先順位を変え、特に社会支出を増やし、軍事支出をある程度減らす必要があることも理解していた。ここ数年、アメリカ国民にこうしたことをすぺて忘れさせ、

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もう一度冷戦と軍拡競争を、安全保障への唯一の道として受け入れさせようとする必死の努力がなされてきた。

こうした企てが失敗することは避けられないし、そればかりではなく、アメリカの利益と安寧はこれによって重大な打撃を受けるだろう。だがレーガン政権の政策がどうしようもなく傷つき、敗北を被る前に(その過程はすでに始まっているかもしれないが)、この点をレーガン政権が納得することになるとはなかなか思えない。

- 二人の大統領の人柄にも違いがある。

A これはもちろん、デリケートな問題だ。一点だけ言わせてほしい。ニクソンが大統領になった時は、すでに外交問題を含め、相当な政策経験を積んでいた。レーガンにはそうした経歴がない。二クソンは,外交政策で大きなことをしたくてたまらなかった積極的な大統領だった。レーガンの性格がどれくらい積極的なのかはわからない。ニクソンはレーガンと同様、カリフォルニア出身だが、ニクソンの政治見解は地方的とは言いがたい。しかしこの間題には深く立ち入りたくない。

二人の大統領の取り巻きにも違いがある。ニクソンの周囲には、凡庸な人や有能な人、地方の人やエスタブリッシュメントに属する人、新人やベテラン、保守派や穏健派と、あらゆる種類の人たちがいた。そして彼らの多くはプラグマチストだった。

レーガンの取り巻き鳳非常に同質の人たちである。わずかな例外を除いて、国家の政策立案に経験もなくワシントンに乗りこんできた人たちであり、政治の分野では地方出の初心者であり、非常に保守的である。特に準閣僚レベルの人たちの見解は、過激とさえいえる。そして彼らの大半はプラグマチストではなく、イデオローグである。

付け加えて言えば、この政権には問題を解決するよりも、問題を引き起こす能力を身につけた人たち

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がこれまでより多数はいっているように思われる。

何を目標にしているか

- レーガンの外交政策の主要目標は何だと思うか。

A あらゆる材料から判断して、アメリカが世界できわめて例外的な地位を占めていた、あの古い時代をもう一度取り戻すということだ。

この幻のような目標を、何よりもまず軍事力を増強し、軍事力を外交政策でもっと使用できる手段にすることによって達成しようとしている。言い換えれば、軍事的優位を実現することを目指し、ソ連などの社会主義諸国に冷戦政策を宣言することによって、この目標を達成しようとしているのだ。レーガン政権は対ソ関係を悪化させ、世界的な反ソ聖戦を開始することが世界におけるアメリカの立場を固めるのに役立つと僧じているようだ。

- この計画は失敗する運命にあると考えるか。

A その点について最終的判断を下すのは早過ぎるが、どう見てもそのような政策が世界におけるア

メリカの影響力と威信を増進することには、まずならないだろう。

ソ連とアメリカ、ワルシャワ条約機構とNATOとの間に存在する軍事的均衡は、かなり安定している。現在の兵器の数量や質的な特鐵からみれば、軍事力のバランスを大きく一方の側に有利に愛えるのはきわめて難しい。結局、そんな目標は実現できないものとなる。なぜならば、一方がパヲンスの安定を脅かされれば、相手側も必要な対抗措置をとるにきまっているからだ。これが現実であり、レーガン政権はこうした軍事問題をめぐってさまざまなから騒ぎを始めたが、この現実を揺るがすことができ る何か新しいものを見出したという証拠はいささかもない。

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この現実と同じく、核戦争を始めることが自殺行為に等しく、核戦争での勝利を当てにするのは狂気の沙汰であり、限定核戦争という考え方そのものが危険な幻想であるという、これまた現代の真実にも論議の余地がない。

こうした真実に反論しようとして、さらに何兆ドルも軍備増強に費やすことはできるかもしれないが、それは何の役にも立たないだろう。核兵器を含む軍事力を使って、安全に、だれにも妨げられずにアメリカのチャンスを広げようと夢見ることは、今後も空想の域を出ないだろう。まさにこうした現実を無視したからこそ、レーガンの政策目標と実際の結果がかみ合わなくなり、あれほど強力な抵抗が起きたのだ。

- 反核運動のことか。

A その通り。レーガンがこうした進路をとった結果、多数の国民が戦争と平和の問題を真剣に考えざるをえなくなった。西ヨーロッパの人たちについで、アメリカの大衆も核の脅威の存在と、その脅威の増大をこれまでになく鋭く感じた。大西洋の両側で政治的、心理的風潮が変わったため、軍備増強の激化と対決の政策に反対が高まったのだ。

- レーガン政権は、この運動をソ連の宣伝工作のせいにした。

A なるほど、ワシントンは最初、そうした幼稚な中傷でこの運動をつぶそうとした。もっともそのような中傷はソ連への賛辞と受けとってもよかうた。世界中の何十という国で、これほど広範な運動を組織するということは決してなまやさしいことではない。しかしこの賛辞は分に過ぎたものであり,私は共産党員、ソ連市民として、賛辞を受けたのを残念にさえ思う。いささか陰謀をめぐらし、ドルを余計につぎ込み、謀略活動を強化すれば、これだけのことができるというのなら、アメリカのほうが 宣伝の分野では、はるかに強力だったはずである。

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しかしとにかく、情勢はアメリカ政府の望む方向には進まなかった。そしてその理由はただ一つ、この種の運動というものは広範な大衆の支持がなければ不可能だし、この支持は金で買えないし、ごまかしでも得られないということだ。国民には、英知と自己保存の本能が備わっている。だからこの「モスクワのさしがね」というキャンペーンは、これといった印象を残さなかったのだ。

今日、大衆の「偉大な教師役」を果たしたのは、レーガン政権そのものであったことがますます明らかになった。何百万、何千万という人びとを恐れさせたのは、レーガン政権の政策であり、ものの言い回しであり、その言葉と行為であった。

しかし、レーガン政権が「ソ連の脅威」という神話を持ち出したせいではない。人びと今や、しっかり目を開けて、アメリカ政府の政策があおり立てる軍拡競争と国際緊張の激化のおかげで、核の破滅が現実の脅威となっていることを見すえている。

この政府はアメリカの有権者から、無制限の軍拡競争と冷戦の復活、海外での軍事的冒険を進めてもよいというお墨付きを与えられたと確信して政権に就いた。しかし、その後の出来事をみると、アメリカ国民の大部分が政府にそんなお墨付きを与えていないことが明らかとなった。レーガン政権の外交政策が、抗議と不満の高波にぶつかっていることがますます明らかになりつつある。

一九六〇年代の反戦運動は主として学生、知識人、リベラルを基盤としていたが、今日の反核運動の構成は驚くほどの広がりを持っている。民主党員も共和党員も、リベラルも保守派も、労組指導者も企業家も、そして医者、弁護士、聖職者ら多くの人びとが参加している。

また、緊張緩和を破壊し、冷戦に復帰し、ソ連などの社会主義国に敵対する「聖戦」に向かう進路をとれば、アメリカは同盟諸国を結束させ、アメリカの政策に盲目的に追随させることができるという計算も、間違っていることが立証された。緊張緩和、軍縮、通商を含めた対ソ関係という問題は、

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そうしたアメリカの期待に反して、新たなあつれきの種をもたらす結果になった。レーガンの政策は、アメリカと発展途上国の関係でも何らの改善をもたらさなかった。

アメリカは第三世界で一九五〇年代と六〇年代に実行した介入、搾取、侵略の政策の「作物」を、一九七〇年代に刈り取る羽目となった。今ワシントンはまた「種まき」をしている。だが今度は「作物」は中南米、アラブ世界、その他の地域で、もっとずっと早く成長するかもしれない。

好戦的青写真

- 一九八二年初めまでにレーガン政権内には、外交政策がもたついていることに気つぎは

じめる人たちも出てきた。これを正そうという試みもある程度なされ、アレンとヘイグが辞任し、ものの言い方にも変化が見られたが。

A 確かに政治的後退はワシントンの政策に影響を及ぼした。ソ連としては。たとえばレーガン政権が、遅きに失した感はあるが、戦略兵器制限・削減交渉を再開することに決定したとき、これを歓迎したように、レーガン政権が妥当な措置をとれば、どんなものでも歓迎する。しかし全体的に見て、レーガン政権が国民を鎮静させ、誤った考えを抱かせるような政治操作以上のことをするとは思えない。そのうえ、平和的な動きを示すとそのつど、レーガン政権の政策が不変であることを確認し、レーガ ン政権が軍事的、攻撃的な反ソ政策を捨てる意思のないことを裏づけるような一連の軍事的行動が後に続いている。

たとえばレーガン大統領は、ユーレカ大学での演説で戦略兵器制限・削減交渉を再開することに同意すると述べたかと思うと、イギリス議会と国連総会では冷戦の精神で演説した。大統領が署名した国家安全保障会議覚書と一九八四~八八年会計年度国防総省指針の内容も、意図的に公表された。

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[p. 182]

ニューヨーク・タイムズはこの指針について「死に至る戦争」という見出しで論評した。これは著しく好戦的な文書である。実際、無制限の破壊活動を伴う経済・技術戦争から、通常兵器や核兵器さえ駆使した戦争に至るまで、あらゆる手段を動員して、ソ連などの社会主義国と全面対決するための青写真である。

- 国防総省指針からどんな印象を受けたか。

A この文書はレーガン政権の多くのメンパーの特徴を典型的に示している。つまり、無分別で高慢、同時に軽薄で思慮に欠けている。これには、紛れもない「ごまかし」がたくさん含まれている。退任を前に統合参謀本部議長ジョーンズ将軍でさえ、指針に示された計画の幾つかを実行しようとすれば、底なしの穴に金を投げ込むのと同じことになる、と警告せざるをえなかったほどだ。

それと同時に、この「指針」はほかの国々を脅かし、自分の国と同盟国を「元気づけ」ようとするやりロとはったりの典型的な例だ。この文書の作成者たちは明らかに自分たち自身の宣伝のとりことなり、自分の国の力と、ほかの国々が当面している問題について判断を誤っている。

- この「指針」は主として国防総省の立場を反映したもので、必ずしも政権全体を代弁するとに限らないのではないか。

A そうは思わない。ここに示された態度が国防総省の「自立性」を示すと考えるのは無理がある。まさに、現政権指導者たちのある種の衝動的本能を反映しているのだ。ボンで開かれた一九八二年のNAT0会議の閉幕にあたってレーガン大統領が、まず各国首脳に、ソ連と軍備制限を交渉すると確約したあとすぐに、政治的に西側はまだ「ソ連と戦争状態にある」ことを忘れないよう注意したのも不思議ではない。

この発言から、アメリカの政策と現実の間に、また一つ大きな食い違いがあるのがわかる。ワシン

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[p. 183]

トンの人間は、軍備制限交渉の成功と核戦争の防止には、社会制度の異なる国々、なかでもまず一番の大国であるソ米両国間に、正常な関係、平和共存の関係、緊張緩和が必要だということを忘れてしまい、思い出したくもないのだ。一方で社会主義諸国に相手かまわぬ「政治戦争」を仕掛け、軍拡競争に拍車をかけ、ソ連に対する憎しみと不信感をあおり立てておきながら、平和の維持や交渉の成功をあてにすることはできない。アメリカ外交のべテラン、ジョージ・ケナン教授は最近、

アメリカ政府やマスコミで今日支配的なソ連観は極端で主観的であり、良識をもって現実から学ぶこととは程遠いと書き、こうしたソ連観は政治行動の裏つげとして効果がないだけでなく、危険だと付け加えている。

もちろんアメリカの右翼過激派がソ連を憎み、手早く片付けたいと思っていることに驚く人はほとんどいないだろう。だが手早く片づけることを目標に指針を作ることは、馬鹿げている。この指針を作成した者は、こうしたことが過去にも、英仏協商と枢軸国の双方によって、さらに冷戦時代には、アメリカ自身によって試みられ、いずれも大失敗に終わったことを忘れているようだ。このような試みが成功するチャンスは、今日ではさらに小さくなっている。

しかし、だからといって、アメリカの現在の政策がはらんでいる危険を軽視しているのではない。この危険とは、平和の大義と、アメリカを含むすべての国家にとっての危険である。レーガン政権が自分たちの敵と見る者たち、さらに今でにアメリカの同盟国や一般大衆も、決してこの危険に盲目ではない。

歴史の教訓から

- アメリカの現在の政策の将来の見通しはどうか。

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[p. 184]

A 近い将来についていえば、あえてこう言いたい。すなわち、アメリカの政策がどれだけよいかは、悪くなるのをどこで防ぐかにかかっているのであり、どれだけ安全か(われわれにとってだけでなく、アメリカ自身とその同盟国にとっても)は、危険になるのをどこでくいとめるかにかかっている。それを防ぎ、くいとめるのは、経済的、政治的現実であり、ほかの諸国の政策であり、アメリカ国民の常識であり、人類の生存を求める努力である。

こうした要因が十分強力に働いて、その結果アメリカの政策が米ソ間には明白な矛盾だけでなく、平和、生存という重要、不可欠な共通の利益も存在しているという重大な事実を理解するようになることを望む。これらの共通の利益を守るためには、単に交渉するだけでなく、合意に達することが必要であり、関係の全般的改善が不可欠である。

さて、そうならなければどらするか。その場合は、いつか、こう言える日がくるのを期待するだけだ。つまり、歴史はレーガン政権とともに始まったわけでも、終わったわけでもない、と。

- へーゲルはかつて、人は決して歴史から学ぶことはない、と書いた。この金言は米ソ関

係に当てはまるのだろうか。

A へーゲルは実に豊かな思想を残したが、哲学についての私の記憶は、残念ながら不完全な部分が多い。私はあなたが挙げた金言とは反対のこと、つまり歴史を理解し、そこから学ぶ理性の力を強調したへーゲルの別の考え方もあったのを覚えている。もっとも、あの偉大な弁証法学者が、あなたの言ったような考え方をしていたことも間違いないと思う。どちらも人類と歴史の複雑な関係の一つの側面を反映したもので、どちらの諭点も主張することができると思う。

もし人間がまったく学ぶことができなかったとしたら、そもそも歴史というものがまず存在していないはずだ。だが、もし人間が能力のある勤勉な生徒で、過去の教訓を完全に身につけていたとした

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[p. 185]

ら、歴史はかなり違ったものとなっていただろう。人類はずっと昔から、恒久平和と完全な安全、そして絶対的正義の王国に暮らしてきたことだろう。

しかし歴史と人類はどちらも、この両極端の問のどこかを動くものだ。ソ米関係でも明らかに同じことが言える。われわれ両国はこれまで生き延びてきたが、まさにそのことは、理性が優位に立つことができることの証明である。だが戦争の危険はいまだに大きい。そのことはなによりもまず、歴史の教訓が完全に消化されていないということを意味している。七〇年代はソ米関係に多くの建設的な変化をもたらしたが、やはり今から振り返ると、全体的に見て、機会を失った一〇年間ということが できると思う。両国関係の最近の動きについて言えば、歴史をそもそも記憶しているのかどうか、本当に怪しくなる。

ーレーガン政権は、歴史から正しい教訓を引き出すだろうか。

Aその質問は一九八四年にしてほしい。しかし歴史は重要だが、過去の経験から学ぶだけでは十分でない。それぞれの世代は、過去からは解決のカギを得られない新しい困難な課題、各世代が独力で解決する責任を負わされている課題に立ち向かわなければならない。

われわれ同世代の人間が直面している任務は、歴史的にみても例のないものであり、この任務を遂行するうえで誤りを犯す余地はまったくない。いちばん重要な任務はもちろん、戦争防止という問題である。

第一次世界大戦を目製し、また戦ったわれわれの親たちの世代は、悲劇的な間違いを犯し、歴史から正しい教訓を引き出すことができず、第二次世界大戦の勃発を許した。くり返して言うが、それは本当に悲劇だった。

だが生物学的な種としての人類は、また最も大きな惨禍を被った国々さえも、何とかこの戦争を生

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[p. 186]

き延びた。もしいつの日か悲劇的な過ちがくり返されるようなことになれば、まず間違いなくどんな教訓も学ぶ者もいなくなるだろう。その意味で、われわれの世代は、まさに運命と出会っているのである。


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