Skiplinks

  • Tekst
  • Verantwoording en downloads
  • Doorverwijzing en noten
Logo DBNL Ga naar de homepage
Logo DBNL

Hoofdmenu

  • Literatuur & taal
    • Auteurs
    • Beschikbare titels
    • Literatuur
    • Taalkunde
    • Collectie Limburg
    • Collectie Friesland
    • Collectie Suriname
    • Collectie Zuid-Afrika
  • Selecties
    • Collectie jeugdliteratuur
    • Basisbibliotheek
    • Tijdschriften/jaarboeken
    • Naslagwerken
    • Collectie e-books
    • Collectie publiek domein
    • Calendarium
    • Atlas
  • Periode
    • Middeleeuwen
    • Periode 1550-1700
    • Achttiende eeuw
    • Negentiende eeuw
    • Twintigste eeuw
    • Eenentwintigste eeuw
Soren no tachiba. Detanto no hokani michi wa nai (The Sovjet viewpoint. No alternative to detente) (1983)

Informatie terzijde

Titelpagina van Soren no tachiba. Detanto no hokani michi wa nai (The Sovjet viewpoint. No alternative to detente)
Afbeelding van Soren no tachiba. Detanto no hokani michi wa nai (The Sovjet viewpoint. No alternative to detente)Toon afbeelding van titelpagina van Soren no tachiba. Detanto no hokani michi wa nai (The Sovjet viewpoint. No alternative to detente)

  • Verantwoording
  • Inhoudsopgave

Downloads

Scans (97.97 MB)

XML (0.79 MB)

tekstbestand






Genre

non-fictie

Subgenre

non-fictie/interview(s)
vertaling


© zie Auteursrecht en gebruiksvoorwaarden.

Soren no tachiba. Detanto no hokani michi wa nai (The Sovjet viewpoint. No alternative to detente)

(1983)–Georgi Arbatov, Willem Oltmans–rechtenstatus Auteursrechtelijk beschermd

Vorige Volgende
[pagina 164]
[p. 164]

4 対ソ論の二大潮流

ーしかしこの腐食の過程は、あなた自身が前に指摘したように、カーターが大統領になる

前にすでに始まっていた。

A その通り。ソ米関係が建設的に展開する可能性は、それ以前に狭まりはじめていた。最初に失われたつなぎ目は通商だった。通商が全面的に中止したとか、情勢が後に改善する望みもなくなったという意味ではないが、一九七二~七三年には、相互協力のうえで通商が非常に有望な分野とみなされ、政治的にも大きな重要性を持つとみられていた。ところがその後、ジャクソ・パニック一九七四年通商法修正条項が議会を通過した。これが通商協定を台なしにし、情勢が悪化した。

ーキッシンジャーによると、ジャクソン・バニック修正条項は、ソ連政府がユダヤ人移民

に突然出国税を課したことにはっきり反発したものだという。ソ連政府のこの決定には、ニクソンもキッシンジャーも「あっけにとられた」ようだ。

A 私の記憶するかぎりでは、ジャクソン・バニック修正条項が議会を通過した時には、出国税の問題はもう存在していなかった。したがってこの間題は、議会の決定とは何の直接的関係もなかった。

出国税そのものについて君えば、これは海外移住の増加という新しい事態にともなって持ち上がった問題の一つを解決しようとした措置だった。その問題とは、国家が国民の教育に巨額の金をつぎ込

[pagina 165]
[p. 165]

んだあげく、教育を受けた人たちが国を出ていくという事態にどう対処すべきかということである。問題は徹底的に討議され、結局、そうした出費は回収しないという決定が下された。

切れたつなぎ目

さて、通商というつなぎ目が非常に弱くなると、次はヨーロッパというつなぎ目の番だった。一九七五年以前には、ヨーロッパの安全保障と協力を増進する問題について、アメリカ側の態度は、あまり積極的とはいえないまでも、建設的だった。しかし七五年以後、アメリカの立場は大きく変わった。

ヨーロッパにおける和解の過程を、実際ぶち壌そうとしはじめたとさえいえるかもしれない。こうした対応ぶりが、ペオグラード、ついでマドリードの欧州安保協力会議再検討会議であまりにも強烈に表面化したため、西ヨーロッパの同盟諸国の一部にまで若干の憤懣が生じた。アメリカの代表団が人権問題に集中したのは、他の重要な問題でアメリカが建設的立場を欠いていたことを隠す便利な煙幕だった。

ヨーロッパの次は中東の番だった。一九七七年一〇月、アソドレイ・グロムイコとサイラス・バソスが、中東問題への共通の取り愚み方の原則について共同文書を公表した。これは困難を克服する長期間にわたる作業と、双方の見解を近づけようとする継続的な努力との結果得られた、非常に重要な成果だった。しかし数日後、アメリカは中東問題の解決策を見出すため、ソ連と協力するというこの約束を破った。

- なぜアメリカは共同歩調を放棄したと思うか。

A その理由の一つは、大統領補佐官の一部が、そのやり方はカーター政権とユダヤ人社会の有力者たちとの関係に困難をもたらすという懸念を表明したことだ。こうしてカーター政権は、ソ米関係か

[pagina 166]
[p. 166]

らつなぎ目をまた一つ、つまり最も危険な地域紛争の一つを解決するための共同努力というつなぎ目を取り去ってしまった。このつなぎ目がなくなったため、世界で最も不安定な地域の紛争解決に成功する望みに薄らいでしまった。

こうして次第にたどり着いたところには、もはやただ一つ一番大きなつなぎ目しか残っていなかった。軍備管理、つまり軍備競争を抑え込むための共同の努力というつなぎ目である。これはもちろん最も重要なつなぎ目でもあり、核戦争の防止というソ米関係の最も重大な問題に直接結びついている。

しかしほかの分野で事態が悪化したため、このつなぎ目も非常に弱まってしまった。いうなれば、何もかもが一つのカギにぶら下がるような状態になり、ソ米関係はほぼ全面的に、SALTによりかかるようになった。しかも、SALTや軍備管理にかかる圧力を軽減するような、ほかの取決めはほとんどなかった。

- 今や政治的に孤立してしまったSALTを含む軍備管理の問題は、以前よりはるかに傷

つきやすくなったということか。

A その通りだ。しかしほかの問題から孤立したからではなく、ほかの問題が悪化したり、無視されたり、また全体の雰囲気が損なわれたからなのだ。事態が順調にいき、やがてSALTII条約が批准され、ソ米双方が義務を果たすことになれば、壊れたつなぎ目を次第に元に戻すこともできると私は思ったし、同じ期待を持った人も多いと思う。

しかし残念ながら、こうした期待はくじかれてしまった。もし再びソ米関係を連て直す時がきたら、そしてその時がそう遠くない将来にくることを望むが、われわれは以下の教訓を肝に銘じておかなければならない。

軍備競争の制限は今後も当然、最も重要な課題である。しかし、ほかの関係も軽視してはならない。

[pagina 167]
[p. 167]

これらの関係それ自体が大切なことだし、またこれらの関係を軽視すれば、軍備管理自体でどんな進展を図ることも、もっと困難になってしまうからだ。

一方、過去数年間、まったく不必要に、信じられないほど遅らされてきた軍備管理交渉を促進することは、緊張緩和を全体として強化するうえで主要な前提条件となるだろう。

リンケージ論より対話を

- 言い換えると、あなたはリソケージ(連関諭)が正しいと考えているのか。

A とんでもない。

- だがあなたの見解は、かつてのキッシンジャーのリンケージの考え方とどう違うのか。あるいは、ソ連がアフガニスタソから部隊を引き揚げたり、アフリカ政策を変えたりした時

初めて、軍備制限交渉で進展を図れるというレーガンの主張とどこが違うのか。

A ソ米関係のすべの分野が何らかの形で互いにつながっていて、一つの分野での関係改善が相互信頼を強め,全般的空気を改善し、それがまたほかの分野の改善にも役立つ、ということはだれも否定できない。反対に、一分野の関係悪化は、ほかの分野の情勢に影響を与える可能性がある。

しかし大きな問題は、こうした相互のつながりが存在するかどうかではなく,このつながりをどう扱うかだ。この点では明確な優先順位を決めなくてはならない。ソ米関係で軍備管理ほど重要な分野はない。だから、もし本当に戦争防止と、軍拡競争の中止を大切に考えるなら、何らかの地域的な問題で双方が対立しているからといって、軍備管理にブレーキをかけることがどうしてできるだろうか。一つの難しい問題を解決する前提条件として、時にはさらに難しいほかの問題の解決を持ち出すこと がどうしてできるのか。

[pagina 168]
[p. 168]

それは確実に、自ら袋小路にはいり込むやり方だ。だからリンケージの考え方は、相互のつながりをあおって、最も死活的な分野を含むすべての分野で、関係を悪化させるように仕向けるということなのだ。

- リンケージに代わるものは何か。

A 最低限の努力として、どんな分野でもできるところから関係の改善に努めること、軍備管理と軍縮は、ほかの分野でどんな困難があっても、継続して進展を図らなければならない分野として切り離すことだ。

ついでながら、SALTIは理想的な雰囲気の下でできたわけではない。相手側の政策のある側面について不満を持っているのは、アメリカだけではない。ソ連にはアメリカの政策に不快の念を抱く理由があり余るほどある。リンケージの論理に従うなら、双方は対話をやめるか、怒りに満ちた非難の応酬だけにとどめて、それぞれの不満の原因となった問題が自然に解消するのを待つべきだ、ということになろう。だが、問題が自然に解消するなどということは、絶対にありえない。

他方、過去三年間に見てきたことだが、ソ連とアメリカの間の全般的な政治的雰囲気が悪化すれば、軍備管理は大きな障害に直面するだろう。したがってわれわれは、全体的雰囲気を改善し、相互理解を増進し、その結果、平和が強化され、両国関係の主要な分野、すなわち軍備管理と軍縮での進展が容易になるよう努力しなければならない。

- ニクソン大統領は、ソ連指導者と毎年首脳会談を開くという方式を始めた。こうしたや

り方は廃止されてしまった。

A そう。両国指導者が会談するという確立されていた慣行は、ほとんど中止された。そしてこれはもちろんあまりためにならない。同時に、こうした首脳会談はきわめて重要ではあるけれども、首脳

[pagina 169]
[p. 169]

会談が政治的空気を改善するのを待つべきではないと思う。

- 一九六一年、ベオグラードで開かれた非同盟会議終了後、ネルー、スカルノ.エンクル

マ.ケイタが使節としてモスクワとワシントンに送られ、超大国間でそうした定期的会談を

開くよう要請したことがある。

A 確かに首脳会談は重要だ。だが国際政治の手段が強力なものであればあるほど、それを使うにはそれだけ、細心の注意と綿密さが要求される。さもなければ、結果は、本来意図した結果とは違ったものになるかもしれない。首脳会談は不器用に、あるいは拙劣に取り扱うと、危険な結果をもたらす可能性がある。首脳会談が中身のない定期行事になってしまうと、既存の関係の構造全体を危険に陥れる恐れもある。はっきりした中身のある首脳会談にはわれわれも賛成だ。

- 一ニクソンとキッシンジャーの二人とも、回想録で同じ見解を表明している。

A それからもちろん、首脳会談が成功しても、約束は守らなければならない。一九七四年のウラジオストク首脳会談は。非常に有望な結果をもたらした。SATIIは一九七五年には着実なコースに乗っていた。ソ連では、アメリカ側がこの条約調印を決意するのにあれほど長い時間がかかるとは、だれも予想していなかった。それからウィーンでもう一度首脳会談を開いたあと、またもやこの会談の成果に反して、この条約の批准が無期限に延期された。

キッシンジ・ー回想録の印象

- キッシンジャー回想録には、どんな印象を受けたか。

A 私の受けた印象は、どちらかといえば是非相半ばする。アメリカを研究する者には、この本は必読書だ。著者はしばしば感銘を与え、才気がほとばしり出ているところもある。同時にあれほど有名

[pagina 170]
[p. 170]

で評価も定まっているのだから、亭実の歪曲、特にソ連の外交政策についての歪曲に避けられたはずだと思う。

歴史の記録を書き改めようとする試みには、どれも失望させられる。自分の業績を最新の政治的流行に合わせて、装い新たにしたいという願望から書き直しを試みたのだろうか。だが、現在の強硬な反ソ姿勢を最近の歴史に投影させたように見えるところがあまりにも多過ぎる。

- キッシソジャーは回想録で、自分自身を完全な成功物語の主人公として描いている。

A もっとも、著者を低く見せる目的で書かれる回想録などはありえない。問題は、キッシンジャーの場合、成功とは何だったのかということだ。私には、キッシンジャーが緊張緩和を実現したことについてまるで謝っているような印象をぬぐえない。こうしたキッシンジャーの態度から,この成功物語は、いかにソ連側をだまし、あやつり、アメリカのために一方的な利益を得たか、という視点から書いたものになっている。これが、何といってもキッシンジャーの仕事のやり口だとしたら、ソ米関係で 本当に価値のある成果は、何も得られなかったに違いない。

ヘンリー・キヅシソジャーが重要な成果をあげたことには疑問の余地がない。しかしそれはキッシァジャーの現実主義的傾向のおかげだし、相互に利益となる分野を感知し、つきとめ、そうしたお互いの利益の枠組みのなかで、双方に受け入れられる解決策を探し求あるという能力によるものだった。

私個人としては、一九七四年に「アメリカとソ連の間に建設的な関係がなければ、平和的な国際秩序はありえない」と言った政治家キッシソジャーのほうに、その数年後、回想録のなかで七〇年代前半に両国関係で遠成された成果の重要性を低く評価しようとした政治屋キッシソジャーよりも、深い感銘を受ける。

そしてもちろん、軍事力はもはや政治的影響力となることはないということ、「決定的な軍事優位

[pagina 171]
[p. 171]

を得ようと期待することは、理論的には可能だとしても、政治的には無理なことだ。どちらの側も核の均衡が大きく変わることを黙って見逃しはしないからだ」という点を論証したキッシンジャーのほうが、SALTII条約批准の前挺条件として、新たな軍拡競争が必要だとする政策の決定に力を貸したり、レーガン、ヘイグ両氏がソ連に軟弱だと非難したりするようなキッシンジャーよりも、政治家としても学者としても魅力があると思う。

- キッシンジャーの回想録のなかで、米ソ関係について、具体的にどのような不正確な点が目についたか。

A キッシンジャーは当初、首脳会談の成功を心から喜んでいたというのが私の印象だ。だから回想録のなかの首脳会談のくだりの記述については、信用性が非常に疑わしい。私が記憶しているかぎり、一九七二年の首脳会談に臨むアメリカ代表団のムードは、キッシンジャーが書いているような、かなり皮肉っぼく自信に満ちた態度とはまったく違っていた。アメリカ側はやってきたとき、二週間前のハノイ爆撃とハイブォソ機雷封鎖にソ連がどう反応するか、首脳会談が決裂しはしまいか、と非常に神 経質になっていた。首脳会談が決裂すれば、国内混乱のなかで大統領選挙を控えたあの年のニクソン政権にとって、大きな痛手となっただろう。

だから、ソ連の指導部がアメリカの行為を非難しながらも、今は「目には目を」の報復の権利を主張する時ではなく、両国関係の思い切った打開を図るべき時だということを責任感と勇気をもって認識していることが明らかになると、アメリカ側は非常な感銘を受けたものだった。

代表団のなかの一人が、クレムリン宮殿のグラノヴィータヤの間での最初の公式歓迎宴の時、歴史の足音が聞こえるようだったと、瞑想するようにささやいたのを忘れられない。ニクソン政権のあの頑固な連中でさえ、重大な歴史的転換が起こりつつあることを感じ、未来に大きな希望を抱いていた。

[pagina 172]
[p. 172]

それは注目に値する示唆に富む感情だったのだが、回想録ではほとんどまったく触れられていない。

- キッシンジャーのやり方と比べて、カーターの外交政策はどう見えたか。

A キッシンジャーは、そのやり方が不十分だったり、昔ながらの勢力均衡論の制約を受けたりしたことも時にあったが、基本的には冷戦のバターンを乗り越えようとした。カーター政権には、自分たちの政策とキッシンジャーの政策との違いをきわ立たせようと全力を挙げた人もいたが、結局は現実的な対案を提示することができなかった。

カーターの外交政策について、全体像をはっきりさせることは不可能に近い。最初は、南北関係や軍備管理、米外交政策の新しい優先目標について、考え方のうえで幾つかの新機軸があった。だがその後は、多くの動揺や曲折を経て、一九八〇年には、つぎを当て直した冷戦バターンにすっかり戻ってしまい、最近の歴史から得られる教訓をすべて完全に無視してしまった。ここでまた、米外交政策が今日直面している本当の課題とは何かという問題に戻らざるをえないが、これは、国際情勢の新し い現実や、アメリカの政策形成を取り巻く内外状況の変化にどう適応するかという課題である。この適応の過程は、現にみる通り、時には遅らされたり、妨げられたりすることもあるが、基本的流れは逆行させることができないものであり、再び表面化するであろう。

キッシンジャーとブレジンスキーの比較

- キッシンジャーとブレジンスキーを比較して、外交の統括責任者としての主な相違点は何だと思うか。

A 二人の知的、政治的能力に大きな違いがあることは別にしても、スタイルの上で幾つかの重要な相違があると思う。

[pagina 173]
[p. 173]

主な違いは、キッシンジャーが何よりもまずレアルボリティーク(現実政治)派の真の信奉者で、政策の実際的要素しか認めないという意味での現実主義者であるのに対して、ブレジンスキーはイデオローグで、ものの見方が先験的なイデオロギー体系から生まれてくる理念や方法によって、非常に強く色づけされている、ということである。レーガン政権にはこうした人たちが大勢見受けられる。もっとも、たぶんブレジンスキーのほうが教育の程度は高いが。

- そうした違いは米ソ関係にどういう意味を持つか。

A 一つは、キッシンジャーの見方に従えば、ソ連は国際舞台の役者の一人に過ぎず、妥協できない敵になることもあれば、伝統的な意味での競争相手、さらにはバートナーになることもあるという具合に、状況しだいでどのようなものとも見なすことができる。ブレジンスキーによると、ソ連は何よりも「非合法的な」社会であり、ソ連国内で根本的な内部変革が起きない限り、これと正常な継続的関係を持つことは不可能だということになる。

実際には、この違いはアメリカの政治思想の二つの有力な流れを反映したものだから、キッシンジャー、ブレジンスキーという二人の人物の間の単なる個人的違いという問題ではないと思う。

- キッシンジャーは、どらかといえば東西関係に専念したようだが、ブレジンスキーに

ついては西西問題や南北問題に集中したとする向きもある。

A なるほど、西西関係や南北関係に関心を移すことは、三極主義〔北米、西欧、日本の三者協力政策〕の枠組みのなかでブレジンスキーお得意の考え方の一つだった。巧みな言い回しですっかり隠されてはいたが、その本質は明白だった。つまり、東西関係の緊張緩和への前進を凍結し、この分野での最も重大な問題の解決から後退することを正当化することだった。事実その結果、東西関係はいうまでもなく、西西関係でも南北関係でも、こうした構想からは何の成果もあがらなかった。

[pagina 174]
[p. 174]

カーター政権下では、南北関係で大きな進展は一つもなかった。当初は発展途上国に色目を使っていたが、それも次第に旧来の軍事介入主義の考え方に席を譲るようになった。

同時にカーター政権は、東西関係の優先度を格下げしようとして失敗した後、この関係をもう一度外交政策の課題のトップに戻したが、残念ながら緊張緩和への方向づけができず、逆に対決に向かわせることになった。そして、このことがアメリカ外交政策の構造全体をゆがめてしまった。まるで磁石が磁性の法則に従って動くのを妨げ、いしくり回すようなものだった。当然予想できたことだが、外交政策における方向感覚が失われる結果になった。

こう言ったからといって、私には西欧や日本ないしはそのほかの地域とアメリカとの関係の重要性を軽視する意図はまったくない。またアメリカを含め、どの国に対しても、自国の利益に最も沿う対外関係の体系を作り上げる権利を否定するつもりもない。だが私が強調したいのは、ほかの要因がどれほど重要であっても、東西関係を優先順位リストの最下位に押しやるようでは、必ず途方もない重大な誤りを犯すことになるということだ。東西関係には、解決しなければならない非常に深鋼な、切 迫した問題があるからだ。

- キッシンジャーの回想録のなかでは、ソ連が完全に中心的で主要な関心事となっている。Aあなたの言い方は、私をうれしがらせようとでもいうような調子だ。だが。これはだれかのうぬぼれとか、見出しや脚光に執心するとかいった問題ではないし、また「関心」といってもいろいろな面があることはいうまでもない。振り返ってみると、一九一八~一九年の連合国の干渉を始めとして、かつてアメリカがソ連に大きな関心を寄せたことがあったが、われわれとしてはむしろ完全に無視され、無関心 であってもらったほうがよかったケースがたくさんある。

ブレジンスキーが、東西関係にあまり注意を払いすぎると不満をもらしたのは、そうした「親切心

[pagina 175]
[p. 175]

による無視」を念頭においていたわけでないことは明らかだ。それよりむしろ、ソ米関係を改善し、主要な問題を解決しようとする努力を経め、あるいは凍結するよう呼びかける響きがあった。

しかし人類が直面している危険と機会といういずれの脈絡からいっても、ソ米関係はまさに最高の優先順位を与えるべき問題なのだ。そしてソ米関係の相対的重要性というのは、自由に選んだり、えり好みできる問題ではない。われわれはどちらの側も、好むと好まざるとにかかわらず、相互の関係にきわめて特別の配慮をすべき義務を負っている。

現代の重要な国際問題は、西西関係や南北関係の問題も含めて、この東西の軸を中心にして回転している。そうした問題の行方は依然として、ソ連とアメリカという二大国も当然含めた、社会主義諸国と資本主義諸国との間の関係次第で決まることが多い。


Vorige Volgende

Footer navigatie

Logo DBNL Logo DBNL

Over DBNL

  • Wat is DBNL?
  • Over ons
  • Selectie- en editieverantwoording

Voor gebruikers

  • Gebruiksvoorwaarden/Terms of Use
  • Informatie voor rechthebbenden
  • Disclaimer
  • Privacy
  • Toegankelijkheid

Contact

  • Contactformulier
  • Veelgestelde vragen
  • Vacatures
Logo DBNL

Partners

Ga naar kb.nl logo KB
Ga naar taalunie.org logo TaalUnie
Ga naar vlaamse-erfgoedbibliotheken.be logo Vlaamse Erfgoedbibliotheken