Skiplinks

  • Tekst
  • Verantwoording en downloads
  • Doorverwijzing en noten
Logo DBNL Ga naar de homepage
Logo DBNL

Hoofdmenu

  • Literatuur & taal
    • Auteurs
    • Beschikbare titels
    • Literatuur
    • Taalkunde
    • Collectie Limburg
    • Collectie Friesland
    • Collectie Suriname
    • Collectie Zuid-Afrika
  • Selecties
    • Collectie jeugdliteratuur
    • Basisbibliotheek
    • Tijdschriften/jaarboeken
    • Naslagwerken
    • Collectie e-books
    • Collectie publiek domein
    • Calendarium
    • Atlas
  • Periode
    • Middeleeuwen
    • Periode 1550-1700
    • Achttiende eeuw
    • Negentiende eeuw
    • Twintigste eeuw
    • Eenentwintigste eeuw
Soren no tachiba. Detanto no hokani michi wa nai (The Sovjet viewpoint. No alternative to detente) (1983)

Informatie terzijde

Titelpagina van Soren no tachiba. Detanto no hokani michi wa nai (The Sovjet viewpoint. No alternative to detente)
Afbeelding van Soren no tachiba. Detanto no hokani michi wa nai (The Sovjet viewpoint. No alternative to detente)Toon afbeelding van titelpagina van Soren no tachiba. Detanto no hokani michi wa nai (The Sovjet viewpoint. No alternative to detente)

  • Verantwoording
  • Inhoudsopgave

Downloads

Scans (97.97 MB)

XML (0.79 MB)

tekstbestand






Genre

non-fictie

Subgenre

non-fictie/interview(s)
vertaling


© zie Auteursrecht en gebruiksvoorwaarden.

Soren no tachiba. Detanto no hokani michi wa nai (The Sovjet viewpoint. No alternative to detente)

(1983)–Georgi Arbatov, Willem Oltmans–rechtenstatus Auteursrechtelijk beschermd

Vorige Volgende
[pagina 205]
[p. 205]

2 軍拡をつくり出す不安の心理

- それでは、どうすればこのジレンマから抜け出せるのか。

A 詰まるところ、「想定可能な核戦争」に備える状況より、抑止戦略をとっているほうがまだましだ。抑止戦略はあまりいいものではないが、現在のところそれに勝るものはない。だから限定核戦争理論に比べれば「まだましな悪」と考えればよい。

はっきりさせておきたいことが一つある。それは、抑止戦略がいつまでも有効なものではなく、いつかは破綻するということである。したがって、抑止戦略から脱却しなければならない。しかし、どの方向へ向けて進むかが問題である。「想定可能な核戦争」の方向へ行けば、大惨事を招くことになる。

唯一の理にかなった道は、軍備管理・軍縮、信頼と協力に基づいて平和を築く方向へ進むことである。これが困難を伴う道であることは私も認める。途方もない努力と英知、忍耐と政治的勇気が必要である。しかし、これ以外に、永続し安定した平和を実現する道はな。

- キッシンジャーはかつて「超大国の一方の安全に対する絶対的な保障は実現できないし、また望ましくもない。なぜなら、それはもう一方の超大国の安全保障が絶対的に脅かされることを意味するからだ」と述べたが、これもまた核時代の新しい現実ではないか。

[pagina 206]
[p. 206]

A その通りだ。実際、これはキッシソジャー氏の賢明な考え方の一つだった。私は、アメリカ政府のなかに、キッシンジャーを含めて、自分が絶対安全なのは望ましくないと考えるほど、伝統的思考にとらわれない発想のできる人がいるとは思わない。しかし、現実に即して言えば、絶対的な安全保障は実現できないことが理解されれば十分である。それだけで軍拡競争を停止させることができたはずだ。

現在のキッシンジャーは、そういう安全保障に対する考え方から後退したようにみえる。しかし、この考え方は国際社会で広く受け入れられるようになっている。スウエーデンのパルメ首相が委員長を務め、アメリカのパンス元国務長官やイギリスの才ーエン元外相らも参加した、軍縮と安全保障問題についての「パルメ委員会」がこの考え方を発展させ、推進した。

委員会の報告文書の一つは「国家の安全保障は、潜在的な敵対国の安全保障を犠牲にすることによっては実現できない。敵対国と協力して、双方の安全保障上の利益に適切な配慮をして初めて実現できる」と指摘している。

軍拡の逆説

今日のこの現実は、もう一つの別な現実と密接に結びついている。それは、現存する大量破壌手段を考えると、どんな優れた核兵器をどんなに大量に保有したとしても、一国の安全保障を手に入れることはできないという現実である。軍備を増強すればするほど国家の安全保障は危うくなるのである。

アメリカでは、かなり以前からこのことが理解されはじめており、たとえばジェローム・ウィーズナーとハーバート・ヨークは次のように書いている。

「軍拡競争をする両陣営はこうして、軍事力が着実に増強される一方で、安全保障は着実に低下する

[pagina 207]
[p. 207]

というジレンマに直面している。このジレンマを技術的に解決する道はないというのが、専門家として熟考したうえでのわれわれの結論である。......軍拡競争が着実に破滅へと突き進むことは、はっきり予測できる」(サイエソティフィック・アメリカン、一九六四年一〇月号、三五べージ)

- それにいつ書かれたものか。

A 一九六四年だ。専門家としての経験や知識という観点からみて、この二人のアメリカ人の見解以上に注目に値する見解を見出すのは困難であろう。ウィーズナーは、ケネディ大統領の科学担当顧問を務めた人物であり、ヨークは、兵器製造に直接かかわったことのある著名な科学者で、一時は国防総省の研究開発部門の責任者を務めた。

くり返し指摘するが、二人がこう書いたのは一九六四年である。当時、この二人の意見に耳を傾けていたら、何十億ドル、何十億ルーブルも節約でき、しかも憧界は現在よりもずっと安全になっていただろう。

- イギリスの元国務担当相で軍事専門家のチャルフオント卿と話をした際、やはり同じよ

うな考え方を聞いた。チャルフォント卿も「軍備を増強すればするほど、国家の安全は危うくなる」と言っていた。

A チャルフォント卿もわが同志というわけだ。また、一方で「平和を望むなら、戦争に備えよ」という古い教えももはや通用しなくなっている。懸命に戦争に備えれば、戦争が避けられなくなるだけである。こういう古い教えを捨てるのはかなり困難だったが、一九六〇年代に新しい現実を認識する動きが始まった。

軍備管理・軍縮なしに安全保障は実現しないという認識も、その一つである。この考え方自体は新しいものではない。昔は理想主義的すぎると思われたが、現在では、唯一の現実的な選択とみなされ

[pagina 208]
[p. 208]

るようになった。もっとも、幾つかの理由から、いざこの考えを実行するとなると、まだ多くの障害がある。

- ある程度、歴史はくり返される。戦争はみな狂気のような軍拡競争の後に起きているからだ。

A その通りだ。過去には、兵器は戦争で戦い、勝つために作られた。だが、分別のある人なら、もはや核戦争を政治的目的達成のための手段として容認できないのに、軍拡競争は依然として続いている、というのが現代のバラドックスだ。

第一撃をめぐる幻想と恐怖

- 「軍拡競争(アームズ・レース)に終止符を。人類(ヒューマソ・レース)に終止符はご免だ」というステッカーが最近、アメリカでよく目につく。しかし、軍拡競争にはますます弾みがついている。

A それはなんとも悲しい話ではないか。ここで、核兵器時代がもたらしたもう一つの重要な変化を考えに入れなければならない。これまでは政治的関係の悪化が軍拡競争をもたらした。ところが、今日では、軍拡競争が政治的関係を悪化させる大きな原因になっている。といらのは、軍備の増強と性能向上が恐怖と疑惑を生み、不信感を募らせ、政治的環境を悪化させるからである。

ソ米関係を例にとってみよう。もし軍拡競争、特に歴史上、例をみない恐るべき破壊力を持つ兵器によってもたらされた恐怖と疑惑を取り除くことができるならば、緊張の主要な原因はなくなってしまうだろう。

- 米ソ関係にとっての最大の問題は軍拡競争というわけか。

[pagina 209]
[p. 209]

A その通り。もっと正確に言えば、軍拡競争と密接に関連している戦争と平和の問題が最大の懸案ということだ。

- しかし、まさに核兵器の破壊力こそが戦争を防止してきたのであって、そうでなければ

大戦争がすでに起きていたはずだ、といらのが今日の常識なのではないか。A 常識というのは、核戦争のように常識が通用しない事柄については、誤った結論に導きがちである。すでに触れたことだが、現時点では核兵器による恐怖の均衡に依存するしかないが、この均衡はあまり永続的な平和を保証するものではない。過去三〇年間にわたってこの均衡が機能してきたからといって、将来についても楽観的な結論を引き出すわけにはいかない。

- あなたは先ごろ「われわれは、これまでのところ運がよかったが、幸運ばかりが続くと思ってはならない」と演説のなかで述べているが。

A 確かにその通りだ。これまでにも世界が破滅の瀬戸際に追い込まれたことが何度かある。人類を核戦争による大量殺戮から救ったのは、政治家の手腕だけではなかった。われわれは運がよかったのである。しかし今後は、人類が生き残る希望を運まかせにするのではなく、単なる幸運よりもしっかりしたものに託さなければならない。特に、すでに始まった新たな軍拡競争は、これまでに例をみないほどの危険をはらんでいるからである。

- この新たな軍拡競争の特徴は何か。

A 最近の軍事技術の進歩で、相手の核戦力を狙い撃ちする能力に優れた兵器体系、つまり敵の戦略兵器の破壌を目的とする、これまでより命中精度が高く強力な核弾頭を製造することができるようになった。MXミサイルや、新型弾頭MK12Aなどが、その例である。

これだけで相手方の不安を増大させる十分な理由となる。相手方が、こうした新兵器開発を脅威と

[pagina 210]
[p. 210]

みなし、戦略上の均衡と安定を損なうものと考えて、適切な対抗措置をとることは間違いない。

この新兵器開発による不安に加えて、対弾道防衛や対潜水艦攻撃の分野で画期的な技術開発がありうるとの印象が強まれば、敵が第一撃能力を持ちはしまいかという新たな懸念を生むことになるかもしれない。

この懸念は幻想に基づくものだとしても、非常に危険である。というのは、こうした懸念を持つと、安全保障を確保し生き残るようにするため、常時、攻撃態勢を整えたり、先制攻撃さえできるようにしておく必要があると考えがちだからである。もちろん、こうした懸念が政治環境に影響を及ぼすことは言うまでもない。

また別の新兵器体系は、検証を不可能ではないにしろ、きわめて困難にし、軍縮交渉の足元をすくいかねない。巡航ミサイル、特に陸上、海上配備の巡航ミサイルがこの種の兵器の例である。最後に、両国の軍拡競争が続くと、ほかの国々への核拡散をあおることになる。

- そうした不吉な見通しが現実になりつつあると思うか。

A 少なくとも見通しの多くがそうだ。私は個人的には、予見できる将来に相手国の核戦力をすべて破壊できるような第一撃能力を持つことが、技術的に可能になるとは思わない。多くの専門家もこの点では同じ見解だ。

しかし、軍拡競争は、敵の核戦力を狙い撃ちし、報復を封じる能力を作り出す方向に動いている。その当然の結果として、第一撃能力をめぐる幻想や恐怖をかき立てることは避けられないだろう。これば非常に危険である。軍拡競争をますます現実から遠ざけ、現実の問題から引き離して、危険な机上のゲームや白日夢のようなシナリナの方向に引っ張ってゆきちがである。

[pagina 211]
[p. 211]

「ソ連軍事優位」の火宣伝

- この軍拡競争の責任はだれにあるのか。

A 軍拡競争を始め、これを推進しているのはアメリカである。

- それは物事の一面しかみない主張だ。まったく正反対の見解があることはご承知のはずである。アメリカや西ヨーロッバなど西側諸国の間では、ソ連の軍事力増強に懸念が強まっている。その一例として、一九七九年九月にブリュッセルで開かれたNATO設立三〇周年記念会議でのキッシンジャー氏の演説の一節を次に引用したい。

「一九六〇年代の半ば以後、ソ連の戦略核戦力の増強は著しい。大陸間弾道弾は一九六五年の二二〇基から一九七二年ないし七三年には千六百基となった。また、ほとんどないに等しかったソ連の潜水艦発射弾道弾は、一九七〇年代にに九百基以上に達した。驚くべきことに、後世の歴史家も頭をひねるだろうが、この間にアメリカは、この事態を是正するためのこれといった努力もしなかった。その理由の一つは、戦略的に安定していることに軍事的な価値があるとみなす考え方が台頭したことで 、ここから、脆弱性は平和維持に役立つが非脆弱性は戦争を起こす危険性をもたらすという、歴史的にみても驚くべぎ理論が生まれてきた。この考え方には、私自身も、この会議にお集まりの多くの方も寄与したのである」(ワシントン・クウォータリー、一九七九年秋季号、五~六ページ)

A このような発言、特にキッシンジャーのように著名な権威ある人物の発言を読むたびに、なんとも当惑した気持ちになる。

私はこうした人たちと見解や解釈が異なったり、感じ方が異なったりするのは当然だと思っている。

[pagina 212]
[p. 212]

しかし、このような人たちの発言が真赤なうそとわかると、本当に当惑した気分になる。こういう人たちが、真実が何かをよく知らない、あるいに、ほかの人よりもよくは知らない、などということはとうてい考えられない。そして、もちろんこれはキッシンジャーだけにとどまらない。

この数年間、アメリカでは、実際にはありもしない「ソ連の軍事優位」なるものについて、これまでに例のない組織的な大宣伝が行なわれ、アメリカ国内の政治環境を悪化させている。この「ソ連の軍事優位」は世紀のでっち上げと呼ぶにふさわしいと確信する。

- 弾道弾の数など、数字についてはどうか。

A ディズレーリが「うそには三種類ある。ありきたりのうそと、ひどいうそ、それに統計だ」と言ったというのは有名な話だが、キッシンジャーが挙げた数字についてもそれがあてはまる。

一九六五年のソ連の大陸間弾道弾保有数だとしている二二〇基という数字を検討してみよう。当時、アメリカは何基の大陸間弾道弾を保有していただろうか。アメリカの公式統計によると、四倍に当たる九〇一基である。なぜキッシンジャーはこの事実に触れなかったのか。潜水艦発射弾道弾(SLBM)ばどうだろう。キッシンジャーは、ソ連が一九六五年には、きわめて少数しかこれを保有していなかったという。しかし、アメリカはその時点で四六四基も持っていたのだ。

- しかし、傾向としてはどうなのか。

A 私がいま挙げたアメリカの数字は、あの「ミサイル・ギャップ」という空騒ぎのなかで、六二年にケネディ政権が着手した軍事力大増強の結果である。この大増強によって、アメリカは大幅な軍事優位を確保し、このためソ連敵アメリカとの均衡を実現するため対抗措置をとらざるをえない立場に追い込まれたのである。これがキッシンジャーが非難するソ連の「著しい軍事力増強」の理由である。

一九七〇年代にソ連の大陸間弾道弾は千六百基、潜水艦発射弾道弾は七百基以上になったが、アメ

[pagina 213]
[p. 213]

リカは、これで双方の力は均衡したと考えた。この数字は米ソ第一次戦略兵器制限協定(SALTI)に盛り込まれた。ちなみにアメリカ側でSALTIのまとめ役を果たしたのは、当のキッシンジャーだった。SALTIIではソ連側のミサイル数を削減し、双方の運搬手段の数を同数とすることになっていたが、SALTII条約が批准されなかうたのはソ連の責任ではない。

キッシンジャーの発言で、さらに誤解を招くのはソ連の「著しい」軍事力増強に対して、「アメリカはこの事態を是正するためこれといった努力もしなかった」という部分である。事実は正反対で、アメリカは大変な努力を払った。ミサイルの複数目標弾頭(MIRV)化、つまり、一基のサイルに個々別々の目標に誘導できミる幾つかの弾頭を搭載するシステムの配備に着手した。その結果、アメリカの保有する弾頭数は二年ごとに二倍になり、SALTIの時点でアメリカの弾頭数はソ連の四倍に達していた。

- 言い換えると、MIRV化の形でアメリカが軍事力増強を図っていることは、SALT

Iの時点で明らかだったということか。

A もちろんだ。ソ連が追いつこうと必死になっているのを、アメリカが手をこまねいて座視しているわけがない。キッシソジャーがニクソン大統領の国家安全保障担当補佐官を務めていた一九七〇年代初め、アメリカが軍拡競争での新しい「大躍進」を開始したという事実を、同氏が忘れているとは思えない。

この「大躍進」の結果、アメリカの大陸間弾道弾の弾頭数は一九六〇年代末の一〇五四個から一九七〇年代宋には二一五四個となり、潜水艦発射弾道弾の弾頭数は同じ期間に六五六個から約七千個へと急増した。一九七〇年代初めにアメリカはまた、巡航ミサイル、トライデント型潜水艦、B1爆撃機など各種の新型兵器の開発に着手している。

[pagina 214]
[p. 214]

ところで、数年前、キッシンジャーの記憶力はもう少しばかりよかった。たとえば、一九七八年にキッシンジヤーは次のように述べている。「一九七二年のSALTI合意後、われわれは国防増強計画の実施を加速した。記録を点検すれば、当時のホワイトハウスは国防総省から提出された提案のなかで、最も費用のかかるものばかりを採用していたことがわかるだろう。われわれは、弱い立場からでもソ連と交渉できるなどという幻想は持っていなかった」(バブリック・オビニオン、一九七八年六一七 月号、五八~五九ページ)

- しかし、こうした軍備増強計画はすべて、対ソ交渉でアメリカの立場を強くずるための

「駆け引きの材料」と説明されていたが。

A もし駆け引きの材料だったとするなら、SALT交渉の進展にもかかわらず、これらの計画のうち一つとして中止されたものがないのはなぜだろう。当時、駆け引きの材料として開発が正当化されたミサイルのMIRV化を例にとってみよう。アメリカはSALTI交渉で、MIRV化を禁止したり。MIRV化を遅らせたりする条項が合意に含まれないよう細心の注意を払った。私は後にキッシンジャーでさえ、このことを後悔していたことを思い出す。

ここで、あなたがコメントを求めたキッシンジャーの発言に話を戻そう。あの発言は、ソ米間の軍事均衡に関連するいろいろな事実に照らして考えてみると、非常に誤解を招く発言であることがはっきりする。

キッシンジャー発言のなかで特に悪意に満ちているのは、「戦略的な安定は軍事上、価値がある」という考え方、それに双方が脆弱だったからこそ少なくとも軍備管理が幾らかでも前進した、という考え方に疑問を投げかけたことである。もし、この二点を疑問視する説がワシントンで支持を得、さらに発展してそれなりの論理的結論に到達した場合、こうした考えを実行に移せば、国際社会が仮借

[pagina 215]
[p. 215]

ない危険な時代を迎えることは間違いない。

米タカ派の論理と動機

- レーガン政権は、対ソ軍事優位の達成に真剣に取り組んでいると思うか。

Aそう思う。レーガン政権は、軍事優位論を本気で信奉し、軍事優位を達成しようとしていることを自ら態度で示してきたように思う。一九八〇年大統領選挙の際の共和党の政策綱領は、軍事的に世界第一の地位を回復することを主要な政策目標の一つとして掲げた。レーガン政権の高官は軍事優位回復を公然と口にしている。

たとえば、ワインパーガー国防長官は八一年秋にニューヨーク・タイムズとの会見で、一九五〇年代はアメリカが「ある程度の優位」を保っていたため「非常に安全な時代」だったと指摘し、「いま、アメリカはその優位を回復しなければならない」と述べた(ニューヨーク・タイムズ・マガジン一九八一年一一月一日号、七九.ぺージ)。もっとも、ほかの高官は通常、「優位」という言葉を使うのを避け、その代わりに「安全性の幅」という新語を作った。

言うまでもないことだが、現案の世界では、軍事優位はまったく意味がないばかりか、とても実現できない代物だ。軍事優位には、戦略的意義も政治的意義もなく、軍事優位を求めることは、終わりなき軍拡競争に対して白地小切手を切るようなものである。

- では、なぜレーガン政権は、軍事優位回復を唱えるのか。

A幾つかの理由があると思う。軍事優位回復を唱える主な理由は、アメリカ政府が容認できないような外交政策を掲げる外国を威嚇する能力を高めるためである。

確かに、ワインパーガー長官らが「非常に安全な時代」だったという一九五〇年代以来、アメリカ

[pagina 216]
[p. 216]

のこの威嚇能力は低下している。しかし、この五〇年代には、アメリカの介入ないし圧力の犠牲となった国がたくさんあり、これらの国にとって五〇年代はきわめて危険な時代だった。当時、アメリカは遠く離れた国の海岸に「自由回復のため」上陸する海兵隊員から核兵器庫までをつなぐ、いわゆる「完全な抑止力の鎖」を持っていた。

当時のアメリカの指導者は、もし紛争をエスカレートさせても、アメリカはその過程を制御できると信じていた。彼らは、何度も核兵器を使うそと脅かした。そして敵対国よりもはるかに多く核兵器をもっているから、アメリカは敵対国より安全であり、それだけ海外で気ままな火遊びができると考えていた。

しかし、いまやこの「安全性の幅」はなくなった。アメリカのタカ派は、これがアメリカの力が低下した主な原因だと考えている。

タカ派が「よき時代」への郷愁を感じるのはわかるが、政策の手引きとしては郷愁はまったく当てにならない。図書館に行って、一九五〇年代と六〇年代初めのタカ派の発言を読んでみれば、当時が「非常に安全な時代」だったという印象を受けることはないだろう。

皮肉なことに、レーガン大統領をホワイトハウスへ送り込む母体となった右翼グルーブは、一九五〇年代末に、当時のアイゼンハワー政権の外交政策を軟弱、敗北主義、などと批判する活動を大々的に開始したのである。

アメリカの右翼は当時、世界で起きていた変化の方向とその規模の大きさを見て、恐慌状態に陥っていた。アメリカはこの変化になす術がなかった。「安全性の幅」は、わずかな利益しかもたらさなかった。外交政策を遂行する手段として軍事力を使うことに限界があることは、だれの目にも明らかだった。

[pagina 217]
[p. 217]

- 言い換えると、仮にアメリカが対ソ軍事優位を回復したとしても、アメリカの外交政策

にあまり利益にはならないと考えているのか。

A 少し有利な立場に立っても意味がない。大幅に有利な立場に立つことはできない。アメリカが対ソ軍事優位に立てぱ、ソ連の安全保障と死活的利益が危険にさらされるので,ソ連は絶対にアメリカの軍事優位を許さないだろう。

さらに言うならば、アメリカは過去に受けられたわずかな利益さえ、手にすることができると考えるべきではない。なぜなら、世界情勢に影響を与える経済、政治、思想上など、軍事以外の手段についても状況は変化し、しかも、この変化はどれもアメリカに利益をもたらすものではないからである。われわれが生ぎている現在の世界は、どんな国も支配者ないし世界秩序の守護者の役割を果たす二とを許すものではない。

- アメリカが軍事優位を確保しようとしている主な動機は、他の国を威嚇するカを得たいという点にあると考えているのか。

A それが動機の一つということである。ほかの動機もあるが、そのなかには、まったくの幻想にすぎないものも含まれている。ワシソトソの一部の人たちは、アメリカが軍事優位を達成すべきで、これが達成されれば、この地球上でアメリカは自分たちが望むような力を手にすることができると信じているのかもしれない。また、この人たちは、経済を立て直すための特効薬として「レーガノミクス」(レーガン大統領の経済政策)も信じている。

アメリカが軍事優位を回復しようとしている最も重要な動機は、アメリカの軍と産業の複合体が利益や政治力や影響力を得ようと懸命になっていることにある。また.ソ連とそのほかの社会主義国に、経済を疲弊させるような軍事支出を強いようとする試みも動機の一つとして挙げたい。

[pagina 218]
[p. 218]

アメリカの一部専門家は、軍拡競争の背後に、さらに幾つか、あまりつかみどころのない動機を指摘している。確かに、現在のアメリカの軍事力強化への努力は、現実とのかかわりよりは、むしろ国内のムードの変化と、二のムードの変化を背後で操ろうとしている指導者と関係があるのかもしれない。

カーター前政権時にホワイトハウスのスタッフだったジェームズ・ファローズは最近、レーガン政権がMXミサイルの生産、配備を決定するに当たって、「ミ二ットマンに代えてMXを配備するという国家の”意志"ばかりが先行して、ミサイルそのものはそれほど問題とされなかった。アメリカは"国益"といった言葉よりもむしろ”意志とか"気力"といった言葉で政策を定義づける時代を再び迎えた」(ニューヨーク・レビュー・オブ・ブックス、一九八一年一月一七日号、三一ベージ)と書いている。

私はこれを「たくましい男らしさを志向する要因」と呼びたいが、この点についてはすでに論議した。アメリカの軍事力増強がもたらす危険性は、その動機が何であっても、過小評価できない。

飽くなきソ連青威論の根源

-しかし、ソ速は西側に軍備増強と戦争準備を強いているのだという非難がある。その非難のすべてがうそではないだろう。

Aいや、それが実はうそなのだ。戦争と選挙の時ほど、うそがおおっぴらにまかり通ることはないと俗にいわれるが、私はこれに軍拡の時、軍拡のため、というのを迫加したい。「国家の存亡にかかわる脅威」にさらされているとでも言わない限り、国民に毎年毎年、膨大な軍事費を負担させることはできないだろう。アメリカが言う「ソ連の脅威」は、実はこういう機能を果たしているのだ。

ソ連脅威論は一九一七年の革命以来ずっと、この機能を果たしてきた。ソ遮は軍事的に弱体だった

[pagina 219]
[p. 219]

時にも、妖怪扱いされてきた。ソ連が本当に強力になってからは、推して知るべしである。現在のソ連が強力であることを否定するつもりはないし、ソ連が努力を注いできた確固とした防衛能力を持っていることを否定するつもりもない。

- まさに、そのソ連の力が恐怖を引き起こしているのではないか。

A まず第一に、ソ連は強力ではあるが、優位に立っているわけではない。つまり、相手の方が弱いということではない。第二に,そういう恐怖は、ソ連に強力な軍事力がなかった時でさえ、誇張して言いふらされた。

一例として、第二次大戦直後の状況を思い出してみよう。当時、ソ連は戦争でひどい被害を受けていた。それに対し、アメリカは一段と強力になり、核兵器を手にし、世界を意のままに動かすため、核兵器を独占しようとしていた。

- ヒトラーの焦土作戦の結果、一九四五年当時、ソ連には核兵器の製造を始めるよりも緊

急性を要する優先課題があったことは認める。

A 言うまでもなく、ソ連は国力を緊急性のある別の計画に注ぎ込みたかった。しかし、アメリカが力によって得た地位を利用しばじめたので、ソ連も対抗する以外に道はなかった。

この点については、冷戦の歴史について論議した際に触れた。ソ連は第二次大戦直後にアメリカの挑戦を受けたので、防衛を最優先課題とせざるえなかった。軍拡競争がそもそも始まったのは、このアメリカの政策のせいである。そして、いまだにアメリカは軍拡競争をソ連に押しつけている。

- アメリカ側は、その正反対のことを言っているが。

A そういうことを言う人たちは、ソ連がつねにアメリカを後から追いかける立場にあったという事実を忘れているようだ。アメリカがまず核兵器を保有し、ソ連もこれを手に入れざるをえなかった。

[pagina 220]
[p. 220]

核兵器の運搬手段もアメリカは持っていたが、ソ連にはなかった。だから、ソ連に自らこれを開発せざるをえなかった。

SLBM、MIRV、巡航ミサイルなど、主要な戦略兵器体系のほぼすべてについて、同じことがいえる。アメリカが最初にこのような新兵器を導入して、ソ連を追随せざるをえない立場に追い込み、ソ連を新たな競争に巻き込んだ。と同時にアメリカは、ソ連によってもたらされる恐るぺき軍事脅威とか、ソ連の、いわゆる軍事優位とかを声高に述べ立てた。しかし実際には、ソ連はこれらの兵器体系のどれについても、アメリカに五年から一〇年遅れていたのである。

- しかし「ソ連の脅威」がこれほど長期にわたって、しつこく問題にされているのはなぜ

だと思うか。

A 恐怖という感情が持つ力は大きい。政治家、特にアメリカの政治家はこのことをよく知っている。トルーマン・ドクトリンを議会に支持させるには「アメリカ中をおびえさせればよい」とバンデンバーグ上院議員がトルーマン大統領に助言したという有名な話を思い出してほしい。

国民に危険で膨大な費用がかかる軍拡競争を受け入れさせるには、実際、為政者はこのような恐怖感を作り出さなければならない。国民を死ぬほどおびえさせて初めて、何千億ドルもの金を「防衛」のためにつぎ込めるようになる。そして「ソ連が攻めてくる」という叫びほど、アメリカ国民をおびえさせる効果をあげるものはない。

この恐怖感を食い物にしているのは強力な権益集団である。それは、防衛産業と国防総省、それに官僚機構や学界、報道界などの、防衛産業と国防総省のために仕えている連中である。このような権益集団にとって、軍国主義は生活の一部になっている。彼らはあらゆる手段を尽して軍国主義を擁護しようとする。この集団は「ソ連の脅威」という幻影によって繁栄している。だから、この幻影が使

[pagina 221]
[p. 221]

いすぎて色あせると、つねに、この幻影をよみがえらせるために腐心する。

- しかし、アメリカも西欧諸国も、ソ連の脅威におびえるのは当然ではないか。ソ連は、アメリカや西ヨーロッパの都市を放射能を帯びた廃墟にしてしまうだけの核兵器を持っているではないか。

A 恐るべき破壊兵器が作り出され、それが恐怖をもたらしていることについては同感だ。だが、恐怖を感じているのはアメリカ人や西ヨーロッパ人だけではない。ソ連の都市も、放射能を帯びた廃墟と化す恐れがある。ソ連国民のほうがアメリカ人や西ヨーロッバ人よりもずっと長期間にわたって、この恐怖にさらされてきた。

東西陣営の国民がともに直面している、この倒錯した世界を見るといい。都市、文化・芸術の遺産、人類文明が誇るすべての成果、生命そのものと同じぐらい愛しいすべてのもの、それに、自分たちや子供たちを含めた何千万もの人びと、このすべてが単なる標的になっているのである。そして、われわれはこの現実とともに生きている。こういう事態に慣らされてしまって、この事態がそもそも何であるかを忘れてしまっている。

本当の恐怖感を生み出さなげればならないのはこの現状であり、ソ連ではない。にもかかわらず、まだこれでは足りない、もっと軍備と軍事費が必要だ、と叫ぶ声が絶えず聞こえてくる。実に驚くべきことは、このやり口がいまだに効果をあげていることである。

もっとも、こういう状況の馬鹿馬鹿しさを理解し、軍拡を求めるこうした叫びが何度も聞かされてきたことで、無意味なことを理解するのは、さほど困難ではない。また大きな影響力のあるグループが、軍拡のもたらす危険性をまったく度外視し、国民を欺き、おびえさせることで利益を得ているという事実を見抜くことも、あまり難しくはないはずである。


Vorige Volgende

Footer navigatie

Logo DBNL Logo DBNL

Over DBNL

  • Wat is DBNL?
  • Over ons
  • Selectie- en editieverantwoording

Voor gebruikers

  • Gebruiksvoorwaarden/Terms of Use
  • Informatie voor rechthebbenden
  • Disclaimer
  • Privacy
  • Toegankelijkheid

Contact

  • Contactformulier
  • Veelgestelde vragen
  • Vacatures
Logo DBNL

Partners

Ga naar kb.nl logo KB
Ga naar taalunie.org logo TaalUnie
Ga naar vlaamse-erfgoedbibliotheken.be logo Vlaamse Erfgoedbibliotheken