Skiplinks

  • Tekst
  • Verantwoording en downloads
  • Doorverwijzing en noten
Logo DBNL Ga naar de homepage
Logo DBNL

Hoofdmenu

  • Literatuur & taal
    • Auteurs
    • Beschikbare titels
    • Literatuur
    • Taalkunde
    • Collectie Limburg
    • Collectie Friesland
    • Collectie Suriname
    • Collectie Zuid-Afrika
  • Selecties
    • Collectie jeugdliteratuur
    • Basisbibliotheek
    • Tijdschriften/jaarboeken
    • Naslagwerken
    • Collectie e-books
    • Collectie publiek domein
    • Calendarium
    • Atlas
  • Periode
    • Middeleeuwen
    • Periode 1550-1700
    • Achttiende eeuw
    • Negentiende eeuw
    • Twintigste eeuw
    • Eenentwintigste eeuw
Soren no tachiba. Detanto no hokani michi wa nai (The Sovjet viewpoint. No alternative to detente) (1983)

Informatie terzijde

Titelpagina van Soren no tachiba. Detanto no hokani michi wa nai (The Sovjet viewpoint. No alternative to detente)
Afbeelding van Soren no tachiba. Detanto no hokani michi wa nai (The Sovjet viewpoint. No alternative to detente)Toon afbeelding van titelpagina van Soren no tachiba. Detanto no hokani michi wa nai (The Sovjet viewpoint. No alternative to detente)

  • Verantwoording
  • Inhoudsopgave

Downloads

Scans (97.97 MB)

XML (0.79 MB)

tekstbestand






Genre

non-fictie

Subgenre

non-fictie/interview(s)
vertaling


© zie Auteursrecht en gebruiksvoorwaarden.

Soren no tachiba. Detanto no hokani michi wa nai (The Sovjet viewpoint. No alternative to detente)

(1983)–Georgi Arbatov, Willem Oltmans–rechtenstatus Auteursrechtelijk beschermd

Vorige Volgende
[pagina 285]
[p. 285]

1 イデオロギーと国際関係

ーイデオ戸ギーは今でも、国際関係で重要な役割を果たしているのか。

Aまさにその通りだ。しかしこの問題の範囲は、努めて限定しなければならない。イデオロギー闘争は時に広く解釈されて、いろいろの国々の革命や、その社会変革に違う態度をとることまでイデオロギー闘争に含ませてしまうこともある。

こうした態度はイデオロギーと無関係ではないが、主として、イデオロギーとは別のきわめて根本的な現実を反映したものだ。つまり、二つの体制の間に存在する基本的な社会の違いの表われなのだ。だからこそわれわれは、非常に複雑な問題、つまり、さまざまな国々の出来事をめぐる政治的な対立や、時には紛争にまで直面せざるをえなくなるわけだ。

緊張緩和は決して、現状維持を保障するものではないのだ。社会や政治の変化は避けられない。平和や緊張緩和を危険にさらすことがないように、こうした変化を受け入れるようにならなければならない。

- このような変化に際しての行動のルールが、あってしかるべきではないか。大国にとって特にそうだが。

A一定の原則とルールは、すでに存在している。平和共存の原則そのものが、前にも述べた通り、

[pagina 286]
[p. 286]

革命を輸出したり、反革命を輸出したりすることを禁じている。

- 価値観が大きく違う国家同士が、協力の枠組みを広げようとするのは、現実的な考え方ではないのではないか。

人権をどう解釈するか

A いや、私は非常に現実的な考えだと思ら。確かに、われわれには違いがある。しかし同時に、重要な共通の利益もある。

その最大のものは生き残ることだ。われわれは平和に共存し、互いの間の違いがもとで、人類の生存が脅かされるようなことにならないようにしなければならない。あなたは、人権に対する考え方の違いに触れたが、生ぎる権利、生き残る権利といった基本的な人権については、二つの社会に共通の土俵があるので51ないだろうか、何といっても、この基本的な人権が保障されなければ、ほかの権利も意味がないからだ。

- 人権に対する東西の考え方の違いを縮めることはできるだろうか。

A もちろんできる。この考え方の違いは、二つの体制の間に、不信の種をまこうとする西側の人たちが人為的に広げたものだと思う。

実際には、人権についての世界的合意ともいうべきものが、一九四八年の国連人権宣言、その後の国連での人権についての諸決議、また全欧安保協力会議のヘルシンキ最終文書に具体的に示されている。世界の大多数の国は、これらの文書のうち、少なくとも二つか三つには署名している。

- 合意があるとしても、同じ原則が人によって、解釈が違うことが多いのではないか。

A どんな原則でもそういうことはある。人権をどう解釈するかは、その人の社会的地位、その人の

[pagina 287]
[p. 287]

属する文化的伝統、全体的な歴史的状況によって決まる。しかしこうした違いについて話し合う前に、基本的な点を一つ明確にしておきたいと思う。アメリカは、人権問題をめぐる全体状況について、こう主張しようとしている。つまりアメリカ人は、人権について世界で最も揺るぎない、ほとんど唯一の擁護者であり、これに対して、ソ連などの社会主義国はアメリカに反対して、人権を侵害してばかりいる、という主張である。しかしこのイメージはどちらも、事実とかけ離れている。

ーこの点について、もう少し具体的に話してもらえないか。大変重要な点なので。

A 承知した。現代の世の中で、一体どうして人権に反対などできるだろうか。そんなことをすれば、まるで母性愛に反対するようなものだ。政治的な決まり文句をくり返さないためには、具体的で明確でなければならない。ソ連についていえば、長年にわたり、真剣に身を入れて人権に取り組んできたことを強調したい。われわれが革命に立ち上がり、外国の干渉やナチスの侵略から革命を守ったのは、まさに人権のためだった。そればかりか、社会的権利を人権に含めることで、人権問題への新たな、 もっと幅広い考え方を作り上げたのもソ連だった。

この社会的権利というのは、革命前まではほとんど無視されていたが、ソ連国民の圧倒的大多数にとっても、またほかの国の国民にとっても、きわめて重要なものだ。国際社会が国連決議という形で、この社会的権利の重要性を認識するまでには半世紀もかかった。

 

ー社会的権利の分野では、ソ連のほうが西側より進歩しているということか。

A そうだ。これは当然すぎることだ。革命当時のロシアでに、飢えながら赤貧状態で生きていた人たちや、国民の大多数を占めていた文盲の農民たちにとって、社会的な権利と自由は何よりも重要なものだった。こうした権利や自由とは、働く権利、飢えや餓死からの自由、住居を持つ権利、耕作する土地を持つ権利、教育を受ける権利、医療を受ける権利などであった。そして、まず世界大戦によ

[pagina 288]
[p. 288]

って、続いて内戦と西側列強の干渉によって荒廃した国にとって、平和に生きる権利は最も重要なものだった。

これらの権利とそのほかの社会的権利の多くは、現在でもソ連社会の価値体系のなかで、最も高い位置を占めている。もちろん、わが国の憲法は言論の自由、良心と信教の自由、出版の自由、集会の自由といった通常の政治的権利も同じように保障している。もっとも、これらの権利や自由に対するわが国の解釈は、たとえばアメリカの標準的な考え方とは違っている。

一般的にいって、バランスのとれたまじめな考え方に立てば、人権について、徹底的で有益な対話ができるにちがいないと思う。しかし残念ながら、アメリカや西側全体では、この非常に重要で複雑な問題が、激しい反ソ宜伝のキャンペーンの象徴にすり替られてしまった。

人権キャンベーンの政治的動機

- しかし、ソ連のような強大な周家が、出国するためのパスポートを欲しがっている市民に対して、なぜあのように狭量なのか、西側の人間には理解できない。

A どんな国や政府も、自分たちの利益や優先順位、問題に対する処し方などについての、それなりの判断に従って行動するものだ。そしてその場合、歴史的な伝統や歴史的な経験の影響から逃れることはできない。この点についていえば、アメリカとソ連の間には大きな違いがある。自分たちの土地を追われて絶滅寸前のアメリカ・インディアンを除いて、アメリカ人は、移民または移民の子孫から成る国民であり、他人の移住の自由を自然権のようなものと考えるようになったのは、きわめて理由のあ ることだ。しかしソ連では、考え方や感じ方が違う。

歴史的にみると、ソ連には、二つの大きな出国移民の波があった。第一の波は革命と内戦の直後に

[pagina 289]
[p. 289]

起きた。移民の大部分は。新しい社会とは相いれない敵だった。彼らは外国の干渉軍と協力して、新しいソビエト権力に対して武器を持って戦った連中だった.第二次世界大戦中から戦後にかけて起きた第二の波のなかで出国した者のなかには、ナチスの協力者や戦争犯罪人が多く含まれていた。

その結果、祖国を離れようとする者に対してきわめて特殊な感情ができ上がった。そして「移民」という言葉は「裏切り者」とほとんど同意語になったのだ。

- そうした考え方は今でも一般的なのか。

A 状況は徐々に変化しはじめた。まず社会主義諸国との間の移住、次いで国際結婚や家族の再会、緊張緩和による政治環境の変化などがその原因だ。その後.ご存知の通り、イスラエルへの移住と、それに名を借りた西側への移住が増えた。しかしだからといって、伝統的な考え方がまったくなくなったわけではない。

率直に言って、移住する人たちは現在でも、およそ模範的市民や愛国者といった評価は受けていない。こういう考え方には十分な理由があることについて、あなたも異論がないと思う。

- どういう意味か。

A ソ連からアメリカに移住するというのは、たとえばオランダからアメリカやイギリスに行くのとはわけが違う。この国を離れて西側に行くということは、多くの困難や試練のなかで生まれ、はぐまれ、守られてきたソ連の社会的価値や理想のすべてを拒否するということだ。この点もまた、一般民衆にある種の感情を呼び起こす。

アメリカについても、ある程度同じことがいえると思う。西ヨーロッパやカナダへの移住は大目に見られるにちがいない。しかし、隣人がソ連やブルガリアやドイツ民主共和国〔東ドツ〕へ移住を計画していると知ったとき、果たしてテキサスの保安官や中西部の小さな町に住む善良で敬虔な市民た

[pagina 290]
[p. 290]

ちがどう反応するかを想像してみてほしい。

概してどの国にも、好むと好まざるとにかかわらず、出入国に対してある種の規制措置がある。たとえばアメリカは、入国を厳しく規制しているが、入国できるかどうかは出国できるかどうかに劣らず人道上の問題だ。

- いつの日かユートピアが実現しない限り、規制措置が全部なくなることはない、ということか。

A もちろん万物は流転する。物事は変化するものだ。私は国家間の移住を規制する措置がすべてなくなる時がいつか来ると、固く信じている。しかしその時までは、この問題を慎重に扱わなければならないことは明らかである。

この問題にからむ重要な課題を考慮すべきであり、この課題を宣伝の切り札にすべきではないことをわきまえなければならない。同時に、出国間題についてのソ連の規制措置や規則は実際には、数年前にアメリカが始めた人権キャソパーンの狙いではない、と確信している。

- どういう意味か。

A 人権キャンベーンは、別の目的をもっているということ。ソ連に圧力をかけ。反ソ世論をかきたて、世界でのアメリカのイメージを高め、アメリカ国内で外交政策をめぐるコンセンサス(合意)を回復するのがその目的だ。人権問題それ自体は、カーター政権がそれほど気にかけていた問題ではない。

アメリカはえてして、独裁政権を最も頑固に支持することになる。カソボジア、イラン、ニカラグア、アフガニスタンなどで、独裁政権が打倒されると、アメリカ政府があんなに腹を立て、復讐心に燃えるのはなぜなのか。

- しかし、ワシントンが人権をどう解釈しようが、人権問題が重要であることには変わり

[pagina 291]
[p. 291]

ない。

A もちろん重要だ。ソ連は、人権を擁護し、拡大することに賛成だ。これはソ連のイデオロギー、法律、物の見方全体の一部をなすものでもある。しかし、人権をめぐる耳に心地よい言葉が、ソ米関係に不信と敵意を作り出し、緊張緩和を損なうために意図的に用いられるならば、それは人権そのものとは、もはや何の関係もないことである。崇高な理念をゆがめ、悪用するものだ。

アメリカ人ば、人権をそれほどまでに追求するのであれば、当然、緊張緩和も同時に追求しなければならないのだということを理解するよう努めるべきだと思う。戦争と戦争準備、国際緊張と危機、これはみな民主主義と社会進歩を最も妨げるものだ。

一九四〇年代後半から五〇年代初めのマッカーシー主義者の魔女狩りも、冷戦という状況がなければ、ありえなかっただろう。冷戦たけなわのころ、アメリカは「動員された社会」だと言ったのは、ハーバード大学の社会学者ダニエル・ベルだったと思うが、こうした社会だからこそ、ちょうど緊張が高まった時期に「国外の敵」と戦うために、中央情報局(CIA)と連邦搜査局(FBI)が設立されたのだ。

破壊活動や心理戦争など、冷戦のために開発された作戦技術はすベて、その後アメリカ人自身に向けられ、エリート層の政敵までが狙われたことは、ウォーターゲート事件が示した通りだ。

ついでだが、ウォーターゲート事件の「鉛管工」たちが法廷で職業を聞かれたとき、一瞬ためらった後「反共産主義者だ」と答えたことを思い出してほしい。ホワイトハウスが冷戦第二版を発行しているいま、同じ理屈がまかり通っている。冷戦タイブの状況の下では、チリや南朝鮮〔韓国〕、バキスタン、エルサルバドルといった政権は、市民の自由についてどんな好き勝手なことをしても、アメリカの援助や支援を得られるのだ。

[pagina 292]
[p. 292]

攻撃強化の口実

- たとえ人権問題を憂慮するアメリカの態度が、ひとえに政治的動機に基づく利己的なものであったとしても、ソ連はなぜ、アメリカが指摘しつづけているソ連の弱点の幾つかについて考え方を改め、アメリカを出し抜くなり、「武装解除」するなりしようとしないのか。

A弱点についての考え方を改めるということでは、何も変わらない。この人権キャンペーンとは、ソ連に絶えず圧力をかけ、さらにこの圧力をますます強めることで、ソ連の国内秩序を西側の気に入るように変え、同時にまた、国際舞台でソ連の信用を失墜させようとする試みである。この点を正しく理解しなければならない。

一つひとつの要求は、かなり控え目に見えることがあるかもしれない。たとえば、だれそれを釈放せよとか(もっともこの連中は紛れもなくソ連の法律によって有罪になったのだ)、だれそれの出国を認めよとか(拒否の理由は通常、彼らが以前、機密情報を知りうる職業に従事していたことだ)、あるいは、西側の定期刊行物の輸入や販売の手続きを改善せよ、とかといった要求だ。

しかしわれわれは、これまでのにがい経験から、譲歩するたびに、さらに要求と圧力が強まることになるのを知っている。これは実に当然のことだ。というのは、人権キャンベーンを繰り広げている連中にとって、こういう要求は、人権に対するまじめな憂慮に基づくものではなく、ソ連の制度や価値観への攻撃を強めるための口実だからだ。ソ連の制度をつぶすために、実際に戦争を仕掛けた時代もある。次いで冷戦が始まり、そして現在は人盤キャンペーンなどの新しい策略を用いているのだ。

ー少し大げさではないか。西側に対するソ連の妄想的な考え方の表われではないか。

A 誓ってそうではない。どうか、私が人権キャンペーンそれ自体を重視していると思わないでほし

[pagina 293]
[p. 293]

い。大切なのは、このキャンペーンだけを切り離して見ることはできないということだ。

このキャンペーンは、特定の軍事的努力、外交上の策略、そのほかの宣伝キャンペーンを背景として見るペきだ。たとえば、国家安全保障会議(NSC〕文書NSCー68など、アメリカ外交政策の基本文書のなかで、わが国の国内制度の根本的な改革が平和共存の必須条件として、挙げられていることを思い起こせばよい。

最近のアメリカの外交政策上の行動の多くは、こうした指針を反映したものだ。そればかりか、アメリカ人の政治意識の奥底には、ソ連というのは神ではなく悪魔によって作られた、何か不法なものであり、現在のままの形での存在は、何とかして終わらせなければならないという考えが、いまだに生ぎている。

- よくわからないが。

A では一つ例をあげよう。アメリカ議会が毎年七月に式典を催す「被占領民族週間」というのがある。これではまだ足りないとでもいわんばかりに、大統領自ら、ものものしい声明に署名するのがもう何年も前からの垣例になっている。だがその真意は何だろう。

アメリカでの多くの解説によると、アメリカの考えでは、ソ連は一四の共和国を不法占拠しており、したがってこれらの共和国を「解放」しなければならない、ということを意味しているのだという。広大なシペリア(DVRと呼んでいる)に加え、チェルヶシア、イデル・ウラル、カザキアがそうだという。この妙な地名が何を指しているのか、私にはまったくわからないが、感じで言えば、ウラル、ボルガ川下流、クパン川流域、ドン、北コーカサスなどの地方を指しているのだろう。言い換えれば、われ われに残された地域は、北はレニングラードから南はモスクワまで、西はスモレンスクから東はウラジミールまで、ということになる。

[pagina 294]
[p. 294]

もしソ連最高会議とブレジネフ書記長が、アメリカの主権が、たとえばボストンからワシントンまでと、ボルティモアからデトロイトまでの地域以外に及ぶことに疑問を投げ、残りの地域を解放すべきだ、と主張するキャンペーンを支持するものものしい声明を発表したとすれば、アメリカ人はどう反応するだろう。

こう主張することもできるのだ。南部諸州は、ようやく戦争によって合衆国にとどめおかれたにすぎないし、そのほかフランスやメキシコから力で奪った州もあり、もともとすべての土地は、最大の被占領民族であるアメリカ・インディアンから盗んだものだ、と。

- しかしアメリカ人は大部分が「被占領民族週間」を無視している。なぜ、そんなに深刻に受け止めるのか。

Aわれわれは決して、その週間の重要性を強調しすぎてなどはいない。しかし完全に無視することもできない。このテーマを締あくくるにあたって、論点を整理しておきたい。

第一の点は、ソ連が人権の問題をきわめて重視しているということだ。わが国では、二の分野で多くの成果をあげてきたし,これからもあげるだろう。ソ連がまだ理想的な状況に到達していないことは知っている。しかし一体、だれが到達したというのか。民主主義を引き続き発展させることは、ソ連の基本的な目標である。第二の点は、人権問題に関連してアメリカが始めた宣伝キャンペーンは、実際には人権とは無縁のものだということだ。われわれは、このキャンペーンを反ソ政策の手段の一つ だとみている。ソ連がこれに屈するなどという幻想は持つべきではない。

西側がこの問題でわれわれに本当に期待しているのは、ソ連の社会、政治制度を破壊しようとする反共、反ソ活動に、われわれ自身が手を貸すことなのだ。

自分たちの社会制度を不安定にすることに協力するつもりはない。それは、ソ連がアメリカ政府に

[pagina 295]
[p. 295]

同じような要求をしたとしても、アメリカ政府が協力するはずがないのと同じことだ。

第三の点は、アメリカのキャンベーンが、とりおけインチキ臭く見えるのは、アメリカには基本的人権について、ほかの国に教訓をたれる権利など、まったくないと考えるからだ。

アメリカにそんな権利がないのは、ほかの多くの問題がそうであるように、この問題についてもまず、自分の国から始めるべきだからだ。たとえば、アメリカのマスコミがあれほど巨大な民間産業となり、利潤の追求にきゅうきゅうとし、国民の利益よりはむしろ、社主の好みや企業の広告スポンサーの利益に迎合するようになった現在、アメリカ流の言論の自由に価値があるとは、信じがたい。

アメリカでは、マスコミに取り上げてもらえなければ、好き勝手なことをほとんど何でも叫び立てることはできても,だれも聞いてくれにしない。もっとも、東南アジアでの戦争に反対したために迫害を受けた若者たちのように、時にはFBIやCIAにつけ狙われる危険はある。

われわれソ連人は、ウォーターゲート事件に関連したCIAの違法行為に対する議会の調査についても読んだ。ジョンソン大統領がエドガー・フーパー〔元CIA長官〕を使って,共産主義者や過激派だけでなく、尊敬すべき議員までもスバイしていたことを知っている。リチャード・ニクソンは政敵のリストさえ作成させた。もしアメリカの政府当局が必要と考えれば、人びとにいやがらせをするばかりでなく、殺人さえ犯すことも知っている。

こうしたことはたとえば、ブラック・パンサーの指導者たちに起きた。何人かは、警察の手で冷酷無残に殺されたのだ。またでーチン・ルーサー・キングからパーノン・ジョーダンまで、何十人もの公民権運動の指導者たちが殺されたり、傷つけられたりした暗殺事件については言うまでもないことだ。しかも、手を下した者が罰せられたことはめったにない。

ケント州立大学の事件〔一九七四年五月四日、ケント州立大学(オハイオ州)で、アメリカのカンボジア侵攻

[pagina 296]
[p. 296]

に反対するデモ隊に州兵が発砲、四人が死亡、九人が負傷した事件〕を覚えているだろうか。アメリカ・インディアンの運動はどうなったか。でっち上げの罪で有罪判決を受け、何年も服役した数多くの黒人活動家たちについてはどうか。

アメリカが人権問題の師だなどということに、一段と懐疑的にならざるをえないのは、まさにこういう出来事のためだということに、同意してもらえると思う。

にがにがしい思い出

ー同意するが、そうした痛ましい例があるにしても、フランク・スネップのような反体制

派のCIA工作員が、アメリカ人がペトナムなどで犯した罪を暴いた本を出版することはま

だできる。ソ連ではこの種の出版は考えられないだろう。

A フランク・スネッブの本は数年前には発行できた。今でも発行できるかどうかは疑問だ。ちなみに、フランク・スネッブは確かに本を出版してもらえたが、CIAは裁判を通じて報復した。その結果、スネップは高額の罰金を支払わされた。

一九八〇年に議会が可決した法律の結果、スネップのような人たちは、ますます苦境に陥るのではないか。秘密暴露の傾向が止まってしまった兆候は数多くある。情報機関や秘密警察の地位に最近変化が起きたことは昔への逆コースだ。

他方、ソ連を問題にする際には、ソ連の治安機関の活動が非常に厳密な調査を受け、修正されたことを忘れてしまう。しかもこれは、CIAとFBIがまだ神聖視されていたころのことだったのだ。五〇年代にソ連共産党は、治安機関が法を犯し、権力を乱用したことを公然と認めた。治安機関の高官が裁判にかけられ、有罪となった者は厳しい罰を受け、死刑になった者もいる。これらの機関は再

[pagina 297]
[p. 297]

編され、党の厳しい管理下におかれた。

西側の大きな報道機関がこうした問題を取り上げる時はきまって、あからさまな二枚舌を用いる。ソ連でどんな変化が起きようと、何をしようと、非民主的と非難する。同時に、西側での人権侵害はいつも過小評価し、例外と片づけてしまうのだ。

- アメリカ社会の暴力を擁護するつもりはないが、アメリカ国民はこれまで「収容所列島」のような経験はしていない。

A ソ連国民がにがにがしい思い出を持っている過去の悲劇的な出来事について、反ソ宣伝の決まり文句を用いて触れるのは適当でもないし、良い趣味だとも思わない。

すでに述べたように、党は状況を改め、罪を犯した者を罰するために強い措置をとった。しかし、あなたがこの間題に触れたからには強調しておきたいが、スターリン時代の弾圧を可能にした主な理由の一つは、当時、わが国が対処しなければならなかったきわめて敵対的な環境だったのだ。

- ナチス・ドイツからの脅威の二とか。

A ナチスの脅威は、たぶんその最大のものだったかもしれない。しかし状況はすでにその前からもかなり険悪化していた。

ご存知のように、わが国では「九一七年の革命以来、絶え間ない政治闘争の時代が続いていた。反革命勢力はあきらめようとせず、汚い闘いを続け、外国から大規模な援助を受けていた。わが国の指導者や大使が何人か暗殺された。くり返し外国の武力侵入を受けた。国内では、外国の情報機関が精力的に括動していた。

われわれは、いずれ大規模な戦争が起きることを予想していたが、当然ながら、ヒトラーが反共、反ソを旗印に勢力を握ってからは、対外環境は急激に悪化した。こうした特殊な歴史的対外条件がも

[pagina 298]
[p. 298]

とで、大量弾圧と、わが国の憲法、理想に対する犯罪が起きえたのだ。

われわれは、当時の悲劇的な出来事を忘れてはいないし、外国の入たちが忘れてくれるとも思っていない。われわれが反対しているのは、わが国の歴史全体をこうした出来事の面から解釈しようとする試みである。ソ連国民にとって、これらの出来事が意味するものは、あの困難な時期でさえ、まったく違っていた。ソ連は、わが国にとって真に歴史的な、そして世界的にも亘要な成果を数多くあげた。

われわれは、経済的、社会的、文化的に、これまで人類が経験したことがない速さで発展を遂げた。すべての文明国の国民のうち、最も抑圧され搾取されていた人びとが再生した。ナチス・ドイツを打ち負かし、人類に対するその脅威を取り除いた。幾つも重要なことを世界で初めて達成した。

経済計画や、民族の平等、男女同権、全国民に対する医療と教育の実施などの社会的な発展、そのほか数え切れないほど多くのことだ。ソ連の歴史には、誇りにできるものがたくさんある。


Vorige Volgende

Footer navigatie

Logo DBNL Logo DBNL

Over DBNL

  • Wat is DBNL?
  • Over ons
  • Selectie- en editieverantwoording

Voor gebruikers

  • Gebruiksvoorwaarden/Terms of Use
  • Informatie voor rechthebbenden
  • Disclaimer
  • Privacy
  • Toegankelijkheid

Contact

  • Contactformulier
  • Veelgestelde vragen
  • Vacatures
Logo DBNL

Partners

Ga naar kb.nl logo KB
Ga naar taalunie.org logo TaalUnie
Ga naar vlaamse-erfgoedbibliotheken.be logo Vlaamse Erfgoedbibliotheken