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Soren no tachiba. Detanto no hokani michi wa nai (The Sovjet viewpoint. No alternative to detente) (1983)

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Titelpagina van Soren no tachiba. Detanto no hokani michi wa nai (The Sovjet viewpoint. No alternative to detente)
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Soren no tachiba. Detanto no hokani michi wa nai (The Sovjet viewpoint. No alternative to detente)

(1983)–Georgi Arbatov, Willem Oltmans–rechtenstatus Auteursrechtelijk beschermd

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3 反体制派について

- つねに話題になる対外認識の問題に戻ろう。アメリカ人の対ソ認識の平均的レベルをあまり買っていないようだが。

A まだ、あきれるほどの無知ぶりだ。私自身が経験したことについて述べてみよう。たとえば、アメリカの大学での講演を聞きにくる人たちでさえ、ソ連の現代文学についてほとんど何も知らない。

- おそらくソルジェニーツイソの名前は挙げると思うが。

A もちろん、それは必読書といってもよい。もっとも、最近ではあまりはやらなくなってきた。そのほかにドストエフスキー、トルストイ、一度はチェホフの名前も聞いたことがある。彼らは偉大な作家だが.厳密にいえば、ソ連の作家ではない。

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ーゴーリキーはどうか。

A いや、一度も聞いたことはない。しかし、だれでもいいからソ連の高校生に、アメリカ文学について聞いてみれば、何十人もの名前をあげるだろう。何もエドガー・アラン・ボーやマーク・トウェインら古典的な作家や、セオドア・ドライザー、アーネスト・ヘミングウェイ、ウィリアム・フォークナー、アブトン・シソクレアら有名な人たちに限られない。

わが国の若者は、トルーマソ・カボーティ、テネシー・ウィリアムズ、D・J・サリソジャー、カート・ボネガヅト、ジョイス・キャロル・オーティス、ジョソ・アップダイクら多くのアメリカ人現代作家についてよく知っている。彼らの作品は正しく翻訳され、広く読まれ知れ渡っている。

また、これはアメリカ文学に限ったことではない。ドイツ、フラソス、イギリス、第三世界の文学、とにかく外国で出版された価値のある文学については同じことがいえる。アメリカについての知識、つまり、アメリカの社会の性格だとか歴史についてのソ連国民の平均的知識は、アメリカ人のソ連についての平均的知識よりも高いと思う。

アメリカ・ジャーナリズムの性格

- ブヲウダ紙総編集長のピクトル・アファナシェフ氏は、ソ連の新聞がアメリカについて

掲載する情報はアメリカのソ連報道の三倍はあると私に保証してくれた。だがハンガリーの場合は一四倍になるだろう。ブレジネフ書記長がハンガリーを訪問した時だけは、ブダペストは何百人もの西側ジャーナリストでいっぱいになったが。

A マスコミの活動の仕方も、二つの体制の間の大きな違いの一つだ。われわれは、政治的な問題や出来事について、必ずしもすぐには反応を示さないかもしれない。しかし、アメリカの現状をどう解

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[p. 311]

釈あるいは理解するかについての詳しい情報を含め、背景資料をかなり読者に提供していると思う。

- しかし西側ではしばしば、ソ連のジャーナリズムやニュース報道は不公正で退屈だと受

け取られている。

A その点は区別する問題がある。わが国にも西側にも、能力のあるジャーナリストとないジャーナリスト、質のよい二ュース報道と質の悪いニュース報道がある。この意味で、記者や編集者、発行者の能力やそのほかの個人的資質が決め手になることが多い。しかし一般的なスタイルの違いもあるし、この点の違いはむしろ社会体制の違いによるものだ。

西側、特にアメリカのジャーナリズムは、セソセーション、それも否定的なものに偏向している。

正常な国家関係は、その点、個人の関係についても同じだが、紛争や口論に比ぺるとずっとニュース価値が少ないのが常だ。この点、わが国では工業・農業計画の達成状況や文化行事などに大きな関心を払うから、ソ連にいるアメリカ人ジャーナリストは明らかに苦労するわけだ。

自分たちの習慣的な判断基準ではあまり報道することがない、モスクワ駐在のアメリカ人記者たちには同情さえ禁じえない。もしかしたら、こうした状況におかれているからこそ、アメリカ人記者たちは、反体制への病的な関心や「指導部で何が起きているか」についてのうわさに、ますますこだわりつづけるのかもしれない。

- しかしアメリカ人記者たちは、実際に苦しい立場におかれている。ソ連で二ュースと思

われていることしか書かなければ、それが報道されることはまずないだろう。

A そのことばわかるが、わが国には客観的にみて、ある種の複雑な問題がある。またソ連側としては、西側のジャーナリストたちが関心のある場所に旅行したり、エネルギー関係など、西側に特に興味のありそうな仕事をしている省のトップに会ったりしやすくするために、いろいろな努力をしてき

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[p. 312]

たことに触れなければならない。そうした努力は、うまくいうたこともあるし、いかなかったこともある。

結論として言うと、ソ連にいる西側ジャーナリストの使命はきわめて重要だ。なぜならば、彼らは

西側に届くソ連についての情報のうち、かなりの量を伝えるバイブだからだ。

わが国にまだ幾つかの間題を抱えているし、そのうちのあるものは複雑だ。私の考えでは、西側とその報道機関を含むすべての側に善意があれば、こうした問題は解決できる。善意だけではなく、強い責任感も必要だろう。

外国の利益になる反体制派

- アメリカの議員団がモスクワを訪問した時の印象を聞かせてほしい。

A 彼らはそれぞれ考え方も経歴も好みも違う人たちだ。最近の両国間の議会交流の発展はそれ自体、非常に重要なことだ。

全般的にいって、この数年間かなりの困難を経験しはしたが、にもかかわらず、この相互訪問は成功した分野の一つだと思う。訪問を通じての考え方や意見の交換はかなり進展した。意見交換はほとんど制度化した。アメリカの政策変更のため今この制度がしぼむことになれば、その結果、両国関係は悪化し、双方にとって大きな損失となるだろう。

- モスクワを訪れるアメリカの議員たちは、ソ連の反体制派と会うことを重視しているようだ。また一部のジャーナリストは、これを仕事の上で最優先させているようにさえ見受けられるが。

A アメリカの議員たちやそのほか多くの人たちにとって、反体制分子と会うことはほとんど日常茶

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[p. 313]

飯事、お気に入りの気晴らしになっている。

- モスクワを訪れたオランダ国会議員の一人は、反体制派の人物と会うため真夜中に迎賓館の門を乗り越えて抜け出したほどだ。

A 私はアメリカなど西側の議員代表団と何度も会うたが、正直なところ、この人たちの夜の行動までは見張ったことがない。時には、アメリカの議員代表団に先立って、レニングラードとモスクワの反体制分子との会談を準備するために、アメリカの組織から先遣隊が派遣されてくることがある。

アメリカからの訪問者から、そのような会見が適当かどうか聞かれた場合、私はたいてい、アメリカ側の団長のところへ行かせることにしている。

しかし、もしアメリカを訪問している公式のソ連議員代表団が、ブラック・パンサーだとか、プエルトリコ人の武闘組織だとか、インディアン活動家といった、アメリカ政府に迫害されているが、われわれが実際共鳴することもあるグループと、予定外に、しかも時にはほとんど人目を忍んで会う計画を立てたとしたら、どうしますか、と逆に質問することもままある。

- どんな答えが返ってくるのか。

A 納得できる答えは何も得られない。もっとも、この人たちはいずれにしても反体制分子と会うのをやめはしない。

こうしたアメリカ人を含めいろんな人たちとの会話から、私はアメリカ人の政治家がこういう行動をとるのは反体制分子や「リフューズ二ク」(出国ピザの発給を拒否された人)に本当に関心を持っているためではなく、単に記録にとどめるためだという印象を持っている。自分の選挙区に移民を多く抱えている人たちは、なおさらそうだ。

- ところで、ソ連最高会議の代表団がワシントンを訪問することはあるのか。

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[p. 314]

A ある。これまでに一九七四年と七八年の二回、公式代表団が行っている。団長は外交委員長のポリス・ポノマリョフ〔ソ連共産党中央委員会書記・政治局員候補〕だった。そのほかにも、もっと小規模なグループの訪問もあり、最近では七九年秋に行っている。

- 反体制派の問題は、依然として東西関係に相当困難をもたらしている。この人たちについて、どう思うか。

A いわゆる反体制派というのは少数のグループだ。

- 正確にいうと、どのくらいいるのか。

A 私が知っている限りでは、この一年間に、そのような連中が数百人現われた。そのなかには、純粋に政治的な反体制分子だけでなく、最も活動的なリフユーズニク、過激民族主義者グループや違法活動をしている宗派の指導者が含まれている。この連中はさまざまな要求や計画や不満を持っている。連中が裁判や行政措置の対象となったとしても、西側でよくいわれるように、それは国民的合意と異なる考えを持っているためではない。

考え方が違うからといって、あるいはラテン語のdissident〔日本話では「反体制派」と訳されることが多い〕という言葉の本来の意味のように「離れて座る」からといって、国家と衝突するわけではない。ソ連の法律を犯す道を選んだ時に、問題が起きるのだ。

連中がそれを実行した場合に、国家は対抗措置をとる。こうしたグループの最近の特徴は、外国の市民や組織と深いつながりがあることだ。連中は外国の報道機関を当てにし、しばしばそのために実際に働き、そして時には、経済的支援を含むさまざまな援助を外国から受けている。

反体制分子の動機が、西側でどのように解釈されようが、わが国では、彼らは外国の利益のために働いている連中だ、というのが広範な世論の受け取り方だ。

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[p. 315]

- ヘルシソキでの全欧安保協力首脳会議最終宣言を、ソ連が順守しているかどうかを監視

しているグループについてはどうか。

A 一部の連中は、自分たちの行動を隠すために、この煙幕を利用したのだ。連中の本当の主要目的は、ソ連にはソビエト国家とソビエト社会に反対する広範な政治運動が存在するという印象を、西側に抱かせるための材料を外国のメディアに提供し、また西側の報道機関を通じてソ連に流されるうわさやメッセージによってソ連大衆をかき乱し、誤った方向へ導くことなのだ。

この連中は何度となく、わが国の法律を無視している。西側には、このことを好ましく思う人もいるかもしれない。その種の活動に従事しているソ連市民と同じく、このような西側の人たちは,自分たちがソ連の政府と政治制度全体に真っ向から挑戦していることを認識し、この紛争がなんらかの結果を招くことなくいつまでも続くものではない、ということをわきまえなければならない。

西側の動機は人道的か

- 西側の人たちを憂慮させているのは、こうした人たちがしばしば逮捕されたり、裁判に

かけられたり、長い刑を言い渡されたり、刑になったりすることだ。

A 彼らの行為は時には、ソ連の法律で犯罪になることもある。そして犯罪はつねに罰せられることになる。

国家保安委員会議長が最近明らかにしたことだが、違法な政治活動に関連して有罪判決を受ける者の数は現在、これまでのどの時代より少ない。そうしたケースはまったくないほうがいいに決まっている。しかしもし西側が自ら主張するように、人道的な動機で行動しているというのならば、何よりもまず、自分たちが何をやっているかをよく考えるべきだ。

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[p. 316]

確信を持って言うが,たとえば.西側の組織的な支援と宣伝がなければ.また西側が反体制分子を後光で飾るようなことをしなければ-そのために彼らは殉教コンプレックスを持つようになり、刑場へ向かう聖女ジヤンヌ・ダルクの分身であるかのように思い込んでいる-つまり、この種の宣伝が一切行なわれなければ.連中のほとんどは法に挑戦することも.困難な状況に陥ることもないに違いない。

- 別の言い方をすれば.反体制派が困難に陥っている責任の一端は.酉側にあるというこ

とか。

A 西側には重大な責任がある。西側が反体制派を激励し、支援するからこそ.反体制派は、自分の行動が逐一.全世界に報道されるし.徹底的に行動すれば.ノーベル賞さえもらえるかもしれないと信じ込むようになるのだ.だからこそ.一部の者たちは.おそらくすでに精神の安定を欠いていたかもしれないが,政府との対決や法律すれすれの行為へと駆り立てられたのだ。最後には.法律の枠をこえることになり、遅かれ早かれ悲劇的な結末を迎える。これこそまさに、西側の反ソ主義者たちが必要としている結末 なのかもしれない。これを見て.手をもみしだき."殉教者"たちに同情し.そしていっそうソ連を非難することができるというものだ。

もし西側が本当に.人道問題として.一部のソ連市民の運命について心配しているというのならば、なぜこんなやり方でこの人たちを食い物にするのか。しかし.もし西側のキヤンペーンの目的がソ連に最大限の打撃を与えることにあるのならば.なぜそら涙を流すのをやめて.はっきりとものを言わないのか。

反体制派擁護のキャンペーンを展開している連中はただ.ソ連当局に際限なく問題を作り出し、わが国内部にまやかしの反対勢力を育成し、ソ連が警察国家であるというイメージを作り上げようとし

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[p. 317]

ているだけなのだ。そして最終的には、国際緊張を緩和し、軍拡競争を抑制する試みを打ち砕くため、西側内部に、ソ連に対する敵意の種をまこうとしているのだ。こうした行動は、西側の情報機関や、ソ連からの移住者などの民間機関が積極的に支援している。

- しかし、この状況をアメリカ側の立場から見ると、事態にまったく違って見えるのでは

ないか。

A それならば、私はアメリカ人に、ソ連人の身になってくれと言いたい。もしアメリカ駐在のソ連人ジャーナリストが、ウニザーマンのような秘密グループのメンバーと協力しはじめたとしたら、アメリカ人はどんな反応を示しただろう。もし、ダニエル・エルズバーグがアメリカにいるソ連の代表と接触していたら、裁判で無罪になっただろうか。

もし、アメリカ・インディアンが政府に反対して立ち上がる用意をしていた時に、ソ連が彼らと密接な関係を作り上げたら、どうだったか。われわれはアメリカ・インディアンに深く同情しているが、もしそんなことをしたら、内政干渉とはみられなかっただろうか。そしてこの人たちや組織は、その場合、外国勢力の代理人と見られはしなかっただろうか。

- あなたが言うように、反体制派の数がそんなに少ないのならば、この人たちを完全に無

視するか、あるいは国外に出してやるほうが現実的ではないか。

Aまさにそうしている場合が多い。しかし、特にリフユーズニクのケースで、あることに気がついた。もしそのような解決方法に一歩踏み出すと、さらに大きな圧力を受け入れる意思がある、と受け取られてしまうのだ。新しい人物の名前が持ち出され、雑音が大きくなる。

一部のリフユーズニクは、扇動されて行動しているようだ。西側の報道機関が、あるケースを「二ュース価値がある」として取り上げると、すべてはそこから新たに始まる。しかし二倍も三倍も激し

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[p. 318]

くなるのだ。

- この人権問題の討議を締めくくるにあたって、何か言うことは。

A もう一度強調したいのは、人権問題は重要だからこそ、破壊的な目的ではなく、建設的な目的のために使わなければならないということだ。だれもが平和に生きることこそ、唯一の最も重要な権利ではないか。人権についての論争は、正しい良心的な方法のもとで、緊張緩和を損なわないような仕方ですべきだ。

結局のところ、平和と緊張緩和は、最も広い意味での人権を、世界中で保障するために欠かせない手段なのだ。


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