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Soren no tachiba. Detanto no hokani michi wa nai (The Sovjet viewpoint. No alternative to detente) (1983)

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Titelpagina van Soren no tachiba. Detanto no hokani michi wa nai (The Sovjet viewpoint. No alternative to detente)
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Soren no tachiba. Detanto no hokani michi wa nai (The Sovjet viewpoint. No alternative to detente)

(1983)–Georgi Arbatov, Willem Oltmans–rechtenstatus Auteursrechtelijk beschermd

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5 なぜアフガニスタンに介入したか

- お気付きとは思うが、ソ連がなぜ、特にイスラムや第三世界の諸国の好意をあれほど犠牲にしてまでアフガニスタソの現政権を支援するために軍事力を行使したのか、西側では理解に苦しんでいる。

Aあなたがアフガニスタソ問題をまた取り上げたからには、一般的な論評をしたいと思う。私はアメリカやそのほかの西側の読者を説得して、アフガニスタン情勢に関連する問題についてのソ連の見

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解に同意してもらえるとは思っていない。また一九七八年の四月革命を支持したり、バプラク・カルマル〔革命評議会議長〕に味方したり、カブール政府に軍事援助を与えたソ連の決定を支持したりしてもらえるとも思っていない。

関連する事実をただ知ることではなく、この事実をどう解釈するかという態度が問題だからである。この態度は情報ばかりではなく、階級、イデオロギー的・政治的共感、利害関係によって決まるものである。

- では議論しても無駄ではないか。

Aこうした議諭は、アメリカ人やほかの西側の読者がソ連の見解について、もっとはっきり理解するために役立つのではないかと思われる。西側では、実際の情勢をゆがめるうそが数多く横行しているから、なおさらそうである。

要請を受け、条約に基づき

ーそれでは、なぜソ連は、あれほどの犠牲を払ってまで、アフガニスタンに軍事介入したのか。

Aソ連がアフガニスタンに軍隊を派遣したのは、お互いに関連する二つの目的のためである。すなわち、アフガニスタソに革命後作られた政府が外部からの侵略を防ぐのを助けること、アフガニスタンがソ連の南部国境に接する反ソ基地になるのを防ぐこと、この二つである。

軍隊を派遣したのは、カブール政府からくり返し要請を受けた後である。しかも重要な法律的側面がある.つまりこの援助は、一九七八年にソ連、アフガニスタン両国間で調印された条約に基づいて与えたということである。われわれは、アフガニスタソに永久にとどまるつもりにないし、この国を

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ほかの国に敵対する行動を起ζしたり、脅しをかけたりするための跳躍台のような存在に変えるつもりもない。アフガニスタンに派遣部隊の駐留が必要になった理由がなくなり次第、部隊は引ぎ揚げるだろう。

- ソ連が部隊を派遣した目的は革命政権を助けるためだという。しかし、政権を率いていたハフィズラ・アミγ〔当時の革命評議会議長〕はソ連軍の到着直後に殺され、とって代わったパブラク・カルマルはアミンを非難し、まったく唐突にカブールの政策を変えてしまった。

奇妙で矛盾しているようにみえる。

A われわれが革命について話し合っていることをどうか忘れないでほしい。革命というものは非常に複雑な歴史的出来事であり、急速に変化し、思いもかけない急転回を遂げるものだ。勢力間のバラソスは絶え間なく変化し、人びとは一夜にして敵味方となる。

一九七八年四月に始まったアフガニスタン革命の理由については、すでにお話しした。革命後すぐに作られ、ヌール・モハメド・タラキが指導した政府は、幅広い支持を受けた。バブラク・カルマルは、その他の最高指導者の一人だった。ハフィズラ・アミンもトップに近い地位にあった。革命政府は土地改革、少数民族のための開発計画、女性の権利、教育を中心とする広範な社会改革計画を始めた。

- これらの政策は抵抗にあった。なぜなのか。

A それは、一九七八年に地位を失った旧支配階級、つまり農民に土地を返さざるをえなくなった四万人の封建大地主の利益に反したからである。革命前は土地全体の七〇%がこの地主たちのものだった。

どんな革命でもかなり典型的なことだが、この連中は自分たちの権力や特権を譲り渡したくはないものだから、あらゆる手だてを尽くして以前の状態を回復しょうとする。特権を失ったこうしたグル

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-プが、アフガニスタンの反革命の主力となったのである。しかし外部の支援がなければ、あれほど危険な存在にはならなかったろう。

- どんな革命にも何らかの反対はつきものだが、新政府の政策に不満を広げるものがなかったならば、政府にとって重大な脅威に発展することもなかったことは確かだ。

A 新政府が犯した間違いはあった。どんな革命でも間違いは避けられないし、特にこうした後進国では理解できることだ。一番大ぎな間違いは、あまりに多くのことを、あまりに速く成し遂げようとしたこと、マルクス主義の言葉を使えば、典型的な左翼偏向だったと思う。

国家とイスラム僧との関係の分野でも重大な間違いを犯した。大部分の僧侶は反革命勢力として相手にされず、閉鎖されたイスラム寺院もあった。そしてもちろん、ハフィズラ・アミンとそのグループが状況をひどく悪化させた。

- さっきはアミソをアフガニスタソ政府の指導者の一人に挙げたが。

A その通りだ。パブラク・カルマルにこうした誤りを防こうとし、もっと現実的な、穏健で民主的な方法をとるよう迫ったが、カルマルが代表する指導層の一部は多くの場合、陰謀によって国外に追放されるか、逮捕されてしまった。このためアミンが強硬路線を推進しやすくなり、暴力、抑圧、テロの政策を押し付けた。

実際、アミンの個性がアフガニスタソ革命の困難と大いに関係がある。彼は権力に飢えた陰謀家、破廉恥な策士であり、革命の激動を利用して首脳部入りし、独裁者となったのである。歴史上、そのような人物は一度ならず現われている。一九七九年九月、アミソにクーデターを起こしてタラキ議長を殺害した。後に彼は、政府によって、正真正銘の反逆罪に問われた。

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個人のためて゜はなく、革命のため

- ソ連がアミンを認めていなかったのならば、なぜソ連の援助を求めたアミンの要請に応じたのか。

A ソ連の援助はアミン個人のためではなかった。アフガニスタン革命を救うためだったのだ。

- それはちょっと言い逃れのように思える。アミンはまさにその当時、アフガニスタンの

指導者だった。

A アミンは指導者の地位を強奪したのだ。しかし、アミンの抑圧と陰謀にもかかわらず、アミンの政策に抵抗し、一九七八年四月の遺産を取り戻すために、できるだけのことをしようとした人たちが党にはたくさんいたし、政府にも何人かいた。そしてこの人たちがアミンを権力の座から追い出したのは、アミン一派が拘禁していた革命指導者たち多数を処刑する計画を実施する、まさにその前夜だった。

- しかし、なぜカルマルの追放とアミンの犯罪を許したのか。

A 「許した」とはどういうことか。ソ連はアフガニスタン政府を援助し、助言したが、アフガニスタン革命の進め方を指図することはできなかった。アフガニスタン革命はソ連がコントロールできるはずがなかったし、事実コントロールしなかった。

あなたが指摘した問題についていえば、われわれはアフガニスタンの指導者たちに何度も注意し、助言したが、彼らの革命なのだから、決定を下すのもまた彼らだった。

- バブラク・カルマル政権は、革命政府の立場を強化することに成功したか。

A 彼らは、政府の政策を正しい軌道に戻すために迅速に行動した。アミンに投獄されていた政治犯

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一万五千人を釈放し、弾圧行為の責任者を処罰し、国外に逃れた人たちへの全面的な恩赦を宣言した。

宗教の自由を回復し、健全な経済政策を採用した。

外交問題では、隣国、特にバキスタンとの関係を正常化しようとしている。この地域の政治解決のカギは、バキスタン領内におけるアフガニスタン敵視のテロ活動の基地を閉鎖し、武装集団の国境通過を禁止することに合意することだと思う。そうすれば、ソ連軍を本国に引き揚げられるだろう。

- そこで、ソ連がアフガニスタンに軍隊を派遣したもう一つの動機が問題となる。アフガニスタンの革命が仮に失敗するようなことになれば、ソ連にとって危険だとモスクワでは考えたのか。

A その質問に答えるためには、もう一つの質問をする必要がある。それは中国とアメリカがアフガニスタン革命を失敗させようと、なぜあれほど躍起になったのか、ということだ。

それは何と言っても、米中両国がアフガニスタンをソ連への敵対行動の基地にしようとしたからだと信じられる理由があった。アフガニスタンに接するソ連の国境線は二千五百キロもある。しかし数十年間というもの、非常に友好的で、平穏な国境だった。

- ソ連が軍隊を派遣しなければ、アフガニスタンはどうなったと思うか。

A 軍を派遣するという決定がソ連にとってたいして難しいことではなかったとか、この決定に先立って、予想される反発を必ずしも考慮しなかったなどと、どうか考えないでほしい。

ソ連政府が得た結論は、援助を与えなければ、アフガニスタン政府が革命を救い、外国からの攻撃をはね返すことはできないし、この地域のその後の事態の進展によってはソ連の安全保障も脅かされるかもしれない、ということであった。アフガニスタン自身にとっては、こうした事態は反革命の勝利を意味したであろうし、これに伴うテロや流血は避けられず、反動勢力が猛威を振るったであろう。

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イランに代わる米軍事基地

- 具体的には.ソ連の安全保障にとってどんな脅威を予想したのか。

Aアフガニスタンは反ソ拠点になり.中国とアメリカは.もしかしたら.ソ連国境に軍事基地を作るためにこの拠点を利用したかもしれない。

- 軍事基地?

Aその通り.かつてイランにはアメリカの軍事基地があったが。アメリカはいまこの地域一帯で、これに代わる基地を探し回っている。アフガニスタγでまずい理由はないではないか。

- ソ連がアフガニスタソに軍隊を派遣した動機について西側で広く流布している見解では。

ソ連は不凍港と中東の石油への直接の足がかりを求めたのだといわれている。

Aそれは純軍事的な立場から見てもお笑い草だ.ペルシャ湾もインド洋も、すでに十分ソ連に近いからだ,それに.仮にソ連がさらにもっとこの地域に近づくことを計画したとしても、あんな難しい地形を持つアフガニスタンを発進地には絶対選ばなかっただろう。

アメリカのある友人の言葉を借りれば.そんなことをするのは.カリフォルニ7州の人たちがオレゴン州を攻撃するのにネバダ州を通って行くようなものだ。しかし[番大切なことは.西側が主張しているように、ソ連が暖かい海を目指して進出することになれば.間違いなく第三次世界大戦を引き起こすことになるという点だ.アメリカの宣伝には反するが.ソ連の戦車や兵士がペルシャ湾岸などの暖かい海辺に姿を現わすことはないだろう。

- アフガニスタンをめぐる情勢は.今後どうなるだろうか。

Aわれわれは政治解決ができると信じている。したがって.この地域の正常化についてのアフガニ

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スタン政府の提案を完全に支持する。アフガニスタン政府は関係正常化について、隣国と話し合う用意がある。

一九八一年にわれわれはまた.アフガニスタン情勢の国際的側面と併せて.もっと幅広くペルシ†湾地帯の平和と安全保障についても話し合うよう提案した。だから平和解決への道は開かれている。

アフガニスタγの隣国とアメリカが建設的な立場をとるならば、ソ連軍の撤退をも含む解決ができると確信している。アフガニスタンは非同盟国だったし.今後も非同盟にとどまるだろう。もっともわれわれは、アフガニスタンがソ連にとって敵対的な国家になってもらいたくないと考えているが、この関心の持ち方は正当なものだと思う。

- 西側の見方では.ソ連はカブールに戦闘的なイスラム政権ができると.これが引き金に

なって.ソ連領中央アジアのイスラム教徒の間に面倒な事態が起きはしまいかと懸念した、

とされている。

Aなんとも信じられない話だ。貧しく.文盲で後進国のアフガニスタンと、ソ連領中央アジア.アゼルバイジャンやソ連のそのほかのかつてのイスラム地域とを,ちょっと比べてみてもらいたい。これらの地域に繁栄し,自信を持ち.満足している.反革命がアフガニスタンに打ち建てようとしたような反啓蒙の抑圧的神権国家がソ連にとって.イデオロギー的な挑戦を意味するなどということを,だれがまじめに信じられるだろうか。

私はアゼルバイジャン共和国からソ連最高会議に選出されているが.この共和国は多数のイスラム教徒人ロを抱えている。私はもう数年間.この共和国の一選挙区を代表している。だから直接体験に基づいて、イスラムがソ連では政治問題にはなりえないと断言できる、アラーの神を信じる人たちがお祈りをするのは自由である。イスラム教寺院もあるし.イスラム僧たちは尊敬されている。

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- とはいっても、今にして思えば、ソ連は全般的にいって、アフガニスタン情勢に西側が

どう反応するかについて、見通しを誤ったと思わないか。

Aほかの国がある特定の事件に対して、どのように反応するかをいちいち予測することは絶対にできない。愉快な驚きもあれば、不愉快な驚きもあるというものだ。しかし概して、われわれは情勢を正しく判断したと思う。

すでに述べたように、われわれはアメリカの政策が変化したとの前提で行動した。この結論に達したのは、アフガニスタン事件が起きる前である。アメリカとそのほか一部の西側諸国が,アフガニスタンでの出来事を反ソ・キャンベ-ンの口実に利用することも、モスクワでは予想できたと思う。アメリカ政府が始めたこのキャンペーンは異常な過剰反応であり、アメリカを含めてあらゆる人の利益に反していたと思う。

この過剰反応は、カーター政権がイランや中東などで直面していた困難から抜け出そうと必死になっていたという事実によって、ある程度まで説明できると思う、こうした情勢との関連で、アフガニスタンでの出来事は、アメリカをイスラム世界に役立ちうる勢力として売り込むチャンスになると思えたのだ。しかし、これは実現しなかった。アメリカの反応は、カーター政権の一部の人たちがどうしても抑えられなかった感情の爆発にすぎなかったともいえる。

第三世界と緊張緩和

- 第三世界の出来事が、どのように米ソ関係に影響するか、という一般的な問題に戻るが、第三世界での衝突が緊張緩和を損なっている最大の要因だとの見方が、西側ではますます聞かれるようになった。

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Aそれは広く流布した見方だ。しかし、この見解には重大な疑問がある。こうした見方がなぜ広く受け入れられたかを見極めることがとても大切だ。

まず第一の理由は、大国がかなり以前に、自分たち同士の直接対決がきわめて危険で、自殺行為でさえあることに気が付いたことだと思う。したがって、大国は自分たち同士の関係の中心問題で直接衝突するのを避けており、このため危険の最大の要因は第三世界だとの印象が生み出されている。

第二に、第三世界の情勢が変転極まりないことである。

第三に、一部の大国ーここ残念ながらまたアメリカを名指しせざるをえないしが戦略的考慮から第三世界に異常な関心を示していることである。西側は、ソ連やそのほかの社会主義国との間に紛争が起きる場合に備えて、第三世界に基地や保護の行き届いた通信網を得たいと考えている。

第四に、発展途上国は、原料、特に石油の供給源として、アメリカとその同盟国にとって大きな関心があることが挙げられる。

ー要するに、第三世界が、いまや危険の最大の要因であることを認めるわけだ。Aそうではない。発展途上国の重要性を過小評価する気はまったくないが、これら諸国の事態がどう進展するか、特に紛争が深刻化するかどうか、それが徴界情勢に影響を与えるかどうかは、ソ米関係を含む国際関係の在り方に左右される度合いが、非常に大きいということを指摘したい。

たとえば、一九七三年一〇月のヨムキブール戦争〔第四次中東戦争〕を考えてもらいたい。緊張緩和の枠内では、この紛争を局地化し、この地域の包括的解決のための基本的な枠組みさえ作り出すことができた。この戦争が、今日存在するような緊張状態のなかで起きていたとしたら、どうなったかと考えるだけでも、まったくぞっとする。だから、私が先に述べたことから引き出される結論は、あなたのとは違うと思う。

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すなわち東西関係、つまり社会主義、資本主義諸国間の関係やソ米関係に左右されることが、非常に多いということだ。新たな冷戦が始まるようなことになれば、第三世界はその最も危険な舞台の一つになるだろう。しかし緊張緩和の考えが優勢になれば、第三世界は、すべての経済的先進国間の主要な協力の場となるかもしれない。先進諸国は協力し合い、何事についても第三世界諸国民の利益と願望をきちんと考慮しながら、第三世界の開発を促進したり、そのさまざまな地域に、有効な安全保 障制度を作ったり、賢明なやり方で資源を利用したりできる。

第三世界の諸国民は西側のためでもなく、東側のためでもなく、自分たちの歴史を作るだろう。これら諸国民は自分たちのために生き、自分たちのために発展するだろう。地球上の人口の大多数はこの地域に住んでいるが、この人たちもヨーロッバ人やアメリカ人と同じ自己実現のための権利や機会を主張する資格がある。さらに付け加えれば、彼らはこのことを知っており。もっとよい生活を目指して闘うことを決意している。

- 西側専門家の間には、第三世界における超穴国の行動を規制する一定の規則.場合によっては危機管理機構のようなものでも作らなければ、将来,緊張緩和が進む望みはない、と主張する人が多い。

A 両国が協力して危機の解決と防止に当たるという考え方は、そもそもの最初から緊張緩和の政策に含まれていた。中東ではたとえば、ジュネーブ会議という形をとって危機管理機構のようなものが生まれつつあった。この方式がだめになったのは、われわれの責任ではない。

同じ考えは、ブレジネフ書記長が一九八〇年一二月と一九八一年二月に提案した,ペルシャ湾地帯の非武装化をめぐる広範な構想にも備わっている。もう一つのソ連提案は軍事力の行使を禁止することであった。われわれは超大国が世界の警察官役を務めるべきだなどとは考えていないが、緊張緩和は

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危機をあおる多くの可燃物を取り除くだろうし、危機を管理し、防止するための共同の努力がまた、緊張緩和それ自体の重要な構成要素になるものと確信している。

- 現在の困難にもかかわらず、第三髭界における東西協力は実現できると思うか。

A もちろん困難はとてつもなく大きいが、永続的な平和を確保し、緊張緩和を維持、強化することに成功するならば、この種の協力は実現できるかもしれない。情勢は歴史に前例がなく、これに対処するには、経済先進国は並々ならぬ英知を必要としている。

- 世界における米ソ両国の役割が、今世紀末には大きくなっていると思うか、小さくなっていると思うか。

A 発展途上国が経済分野で成功すれば、先進工業国家全体が世界の国民総生産に占める割合は減ることになりそうだ。一般的に言えば.今世紀末までに世界は政治的にも、文化的にも、哲学的にもますます多様化が進むだろう。これは妥当で健全な発展といえる。しかし予見できる将来において、両大国は自分たちの物理的な力の大きさという理由だけからも、引き続き主要な役割を演じるであろう。

大切なことは、両国の軍事力、経済力が.両国になんら特別の権利も特典も与えるものではなく、特別の責任しか与えていないということである。両国は核戦争を回避し、両国の正常で平和な関係を維持し、世界全体が直面している問題の解決に、建設的な役割を果たすよう全人類に責任を負っているのである。


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