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Soren no tachiba. Detanto no hokani michi wa nai (The Sovjet viewpoint. No alternative to detente) (1983)

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Titelpagina van Soren no tachiba. Detanto no hokani michi wa nai (The Sovjet viewpoint. No alternative to detente)
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Soren no tachiba. Detanto no hokani michi wa nai (The Sovjet viewpoint. No alternative to detente)

(1983)–Georgi Arbatov, Willem Oltmans–rechtenstatus Auteursrechtelijk beschermd

Vorige
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[p. 377]

6 緊張緩和と協力の未来

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[p. 379]

- さて長時間にわたった討議と何カ月もの作業を締めくくるにあたって、最初にした質問をもう一度したい。第二次冷戦はありうるだろうか。

A この質問に対する私の最初の答えのなかで撤回したいと思うものは何もないが、二、三付け加えたい。

- 同じ質問をくり返した狙いはまさにそのためだった。

A すでに述ぺたことに付け加えるならば、第二次冷戦はみせかけの冷戦くさいという点で.第一次冷戦とは異なったものになるだろう。フランス人に言わせれば、drole de gurre froide(奇妙な冷戦)とでもなろうか。第二次冷戦がみせかけだとい5のは、第一次冷戦と違って、信念の裹付けがほとんどないからだ。第一次冷戦の信念は、見当違いの恐怖心や偏見、無知に基づく誤ったものではあったが、重要な心理的要素の一つとして存在していた。

あなたの家族を南アフリカに追いやった一九四〇年代の状況が正しいものだった、と一九八〇年代のヨーロッパ人が信ずるなどということは、今度の場合、人間の知的能力をよほど低く評価しなければ、とても考えられることではない。アメリカ人でさえ賢明になったから、一九四〇年代の終わりから五〇年代の初めにかけて、アノリカ人を特微づけていたような状況に、やすやすと引き戻されることはありえないと思う。

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ジョゼフ・マッカーシー上院議員やパーネル・トーマス下院議員のような人物がアメリカの預言者として、再び登場してくるなどということは信じがたい。これら第一次冷戦の預言者たちは、その後紛れもないペテソ師であることが明らかになった。言い換えれば、冷戦によって預言者に仕立て上げられたべテソ師だったのだ。

実際、第二次冷戦は、ほとんどの人がその目的も根拠も正しいとは思わないみせかけの冷戦になるだろう。さらに重要なことは、すでに緊張緩和の経験をしているので、その種の冷戦が熱い戦争に代わる唯一のものだという考えに同調する者が、それほど多くないということだ。また、アメリカが勝つ手段もないのにこの冷戦を始めることになるという点からも.みせかけの冷戦といえるだろう。世界に対するアメリカの立場が、現在とは比べものにならないほど強力だった時代でさえ、アメリカは第 一次冷戦に勝つことができなかった。

アメリカが今世紀の残された年月の間に、こうした冷戦に勝つ道は皆無だ。しかも、依然として冷戦を始めようとしているアメリカ人がいるという事実は、世界の平和と安定に対する大きな危険の前兆だ。

ソ米関係は改善に向かうか

- 米ソ関係の将来を、どのように見るか。

A 両国関係にそもそも将来があるかどうかは、ソ米間に最低限の礼儀をともなった関係が存在するかどうかにかかっている。どのような将来が最も望ましいかについては、少しもためらうことなく、平和共存、緊張緩和、軍備制限と軍縮、幅広い協力、相互信頼の増進によって性格づけられる将来だ、といえる。

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しかし残念ながら、現在のところわれわれがこのような関係に向かっているとに思われない。アメリカの政策、つまり軍拡競争の強化に備えた政策に対する懸念はソ連だけでなく、世界の多くの国で高まっている。アメリカ人の一部も同じ懸念を抱いていると思う。

アメリカは軍事同盟を強化しようとしている。アメリカはどこでも自分が必要と考える場所で、以前にもまして軍事力を行使する用意がでぎていることを示威しようとしている。アメリカがこのままの方向に進めば、事態はよくなるどころかますます悪化しそうだ。

- 今よりも悪化することがありうるだろうか。

A 残念ながら、ありうる。最近ワシソトソは、直接の軍事紛争にはならないまでも、ほとんどあらゆる手段を使って、政治環境を損ない、大げさな表現に輪をかけ、経済・文化関係を決裂させ、軍備管理交渉を凍結した。

- 米ソ関係を含む世界情勢を大きく改善するような新しい大胆なイニシアチブや、思いが

けない動きや、事態の変化といったものは、まったくないと考えるか。

A もちろん.そのようなイニシアチブや事態の変化の可能性を否定することはできない。事実ソ連は、現在の流れを変え、事態を大きく改善しようと努力しているし、きっと今後も努力を続けると思う。しかし関係の改善には双方の善意が必要だが、相手側からそのようなイニシアチブを期待できるとは、とうてい思えない。もっとも、思いがけない事態についてはどうかということだが、それはつまり.現時点では予測できないことだ。そのようなうれしい驚きが起きれば、もちろん歓迎する。

- すると予測というのは、つねにいい加減なものということになるのだろうか。何と言っ

ても、世の中は驚かされることばかり起きるわけだから。

A その通りだ。しかし不快な驚きもありうる。だから予測をしようとする場合には、あらゆる種類

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の驚きがありうることを考えておかなければならない。もう少し言いたいことがある。緊張緩和を支持する主な論拠の一つは、累張緩和がいやな驚きに備えて新たな保障を生み出し、平和と国際秩序の両方をさらに強固なものにするということだ。だからこそ、敵対と冷戦的環境への逆戻りによって国際関係にこれほど暗雲が垂れ二めたまま、われわれが一九八〇年代に踏み出したことは、いかにも残念なことなのだ。

今後数年問に予想されること

- それではもう一つ重要な質問をしたい。今後何年かの間に、どんなことが予想できるだろうか。

A もしわれわれが現在の傾向を打ち破ることができれば、私はそうできることを望んでいるが、現在よりも安定した関係に戻ることができるだろう。そうした関係の下では、平和を保障する確固とした措置や軍縮、実り多い互恵協力など多くのことができるようになる。

さもなければ、今後何年も深刻な問題を抱えることになるだろう。そのなかでも最悪のものは、全面的な軍拡競争に突入する可能性が大きくなることだ。その結果、われわれは,第二次世界大戦以降の人類の歴史のなかで、おそらく最も危険な時期を迎えることになるだろう。政治情勢の推移というものは、だれが為政者に選ばれるかということとは無関係に働く時流によって増幅されるものだ。私が真っ先に念頭においているのは、科学技術の発展だが、これこそが核拡散の危険を高めるばかりでな く、新しい種類の殺人兵器を多く生み出すからだ。

- リチャード・バーネットによると、西暦二〇〇〇年までに核兵器の入手方法を知る国は

なんと百力国にも達するという。

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Aまったくありそうなことだ。しかも、そのうちの何力国かは、ほかの国々が手をこまねいていれば、実際に核兵器を手に入れようと決定するかもしれない。最近の核拡散の傾向は、実に憂うべきことだ。南アフリカとイスラエルはすでに原爆を開発したとか、パキスタンもこれに続くかもしれないとかと報じられている。ここで、一九八〇年代の出来事が予測しがたいもう一つの大きな要因に突き当たる。すなわち世界政治に参加する当事者が増えているということである。

- ー米ソ関係の改善はいつごろになると思うか。

A長期的には、両国関係が改善されるのはほぼ間違いない。きわめて現実的な意味で、緊張緩和の代わりに歓迎できるものはないからだ。しかし万一、ごく近い将来に両国関係が著しく改善されるようなことになれば、それこそうれしい驚きだ。こうした事態の変化が起きるのが遅ければ遅いほど、これまでになんとも性急に破壊されたものを元通りにするのに、それだけ多くの時間と努力が必要になると断言できる。

- ーもし近い将来に緊張緩和を回復する可能性が、うれしい驚きとしてしか考えられないとすれば、米ソ関係や一九八〇年代の国際情勢全般の見通しは、かなり暗いと言わざるをえない。

A私の考えをもっとはっきりさせたい。われわれは今、ソ米関係の岐路に立たされている。どの道を進むか、つまり、またもや冷戦の淵へと続く緊張増大の道を選ぶか、それとも交渉と緊張緩和と協力の道を選ぶかの決断を迫られている。そして近い将来何をするかが多くのことを左右する。残念ながら、われわれは非常に複雑な状況の下で一九八〇年代を迎えた。アメリカとそのほか一部諸国の外交政策の潮流が、世界情勢にきわめて否定的な影響しか与えられないというのは、動かしがたい事実だ 。

われわれは、そうした政策を最終的に評価するに当たっては、つまりレーガン政権の言動を見きわめるに際してに、慎重を期している。しかし、いずれは見きわめなければならない時が近づいている。

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ほかのすべての国も決断しなければならない。アメリカの政策はこれらの国々にも影響を与えるからだ。アメリカはまるで、ソ連だけでなく、そのほかの対立国や同盟国や中立国にも、つまり世界全部に憤慨し、腹を立てているような行動を取りはじめた。これは外国に対してだけでなく、まず第一にアメリカ自身にとっても、非常に都合の悪い危険な態度だ。

しかしもちろん、これとは逆の傾向が現在すでに表われていて、一九八〇年代を通じて続くに違いないことも認めなければならない。この傾向は、米ソ両国を含む世界全体の人類のきわめて現実的な利益、ますます抜きさしならなくなってきた利益に根ざしている。この利益というのはたとえば、平和を保障し、軍拡競争の重荷を軽減し、協力を拡大するといったことだ。長期的な傾向に目を向けるならば、建設的で現実的な流れが再びカを取り戻し、われわれすべてにとっての死活的な利益に、さ らにもっとかけがえのないものになっていくという確信を、私は捨てていない。

軍拡こそ安全保障の脅威

- 八〇年代に、平和や共存がさらにもっとかけがえのないものになるというのはなぜか。

A 今述べた判断に、感情的な要素が含まれていることを否定はしない。そうなってほしいと望んでいるからだ。そしてこれは私一人の考え方ではない。すべてのソ連市民とほとんどのヨーロッパ人、アメリカ人も同じ考えだと確信している。しかしこうした考えには、単に感情以上のものがある。

私なりの分析に従えば、冷戦への逆戻りを目的とする政策は、長続きできないという結論にいきつく。こうした政策の目的は、アメリカを含むどんな国の死活的利益とも無縁だし、実現することもできない。軍備の増強と軍拡競争へのテコ入れは、アメリカの安全保障を図るために必要だといわれているが、実際には安全保障の主な脅威になっているのが軍拡競争なのだ。軍事優位を追求するという

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考え方も、同じように常軌を逸したものだ。なぜならば、アメリカもほかのどの国も、そんなことは達成できるはずがないからだ。

干渉主義の復活も、まったく同様に無意味で危険だ。考えられる限りの最精鋭の緊急展開部隊をもってしても、イラソの人質事件を防げたとは思えない。それに、アメリカはペトナムに送った軍隊をしのぐ大規模な、あるいは優秀な派遣軍を作ることはまずできないだろう。今後何年間か軍事支出を着実に増やすというNATOの計画も、現実的だとは思わない。

- この計画で西側諸国ば破産すると思うか。

A そうは思わないが、大砲も、バターもということは、ますます難しくなるだろう。アメリカもほかの多くの国々と同じように、豊かでない時代を迎えようとしている。アメリカ経済の目下の傾向は、この点できわめて示唆的だ。成長の鈍化、失業率の上昇、生産性の低下、世界市場での困難、スタグネーシ護ン、生活水準の低下などがその傾向だ。アメリカの同盟国の経済も困難な時期に入ろうとしている。

こうした経済的圧迫に、資源、環境、食糧供給といった世界的に深刻化しつつある問題を重ね合わせると、アメリカ、西ヨーロヅパ、日本などの工業国にとって、現在の生活水準を維持することさえますます難しくなることがわかるだろう。このような状況の下では、維持する余裕のないぜいたく品になってしまうものが多い。

- どのようなものがぜいたく品になると思うか。

A まず第一に、際限のない軍拡競争だ。そもそも新たな大規模な軍備増強のために支出するにしても、それはレーガン政権が身をもって体験している工うに、社会的支出の大幅な削減によってしかできないことだ。こうした再配分は、その否定的な経済効果は別としても、アメリカの恵まれていない

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層の不満という火薬樽がすでにくすぶっていることを考えれば、一触即発の政治的結果を招かざるをえない。

また.国際関係が緊張し、協力関係が欠けていることも.出費を賄えないぜいたく品になる。もしわれわれが,ますます狭く複雑になるこの地球上で生毒残り.しかも人間らしい生活を営んでいこうとするならば、行動の仕方を変えなければならない。地球は.国際的対立の激化に耐えうるほど強靱ではないと思う。協力は今や.生存と人間らしい存在のための必須条件になりつつある。

危険は東西を接近させる

- 現在.米ソ両国や地球全体が直面している問題や困難こそが、両国の関係や協力を改善する刺激になるということか。

Aと゜ういうわけか、危険や困難は.相互利益への拙象的な配慮よりも、強く効果的に協力を促進する結果になる。ヒトラーの侵略に直面した時、アメリカ.イギリス.フランス、オラソダなどの諸国は.比較的短時間でわれわれの同盟国になった。

もし地球が宇宙からの敵意をもった生物に侵略されるようなことになれば.われわれは一夜にして再び同盟国に戻ると、私は確信している。

特定の明確な共通の敵がある場合.特にその敵が生命を脅かす時には.いともたやすく協力するようになるものだ。残念ながら.脅威がそれほど明確な形をとらなかったり.人物として特定できなかったりする場合には,たとえその脅威がピストルで狸いを定めている男に劣らず危険なものであっても.協力することははるかに難しい。

- どのような危険が.最終的に東西を接近させるだろうか。

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A明自な危険の一つは.戦争の危険だ。これについてはすでに詳しく論議した。そのほかの危険としては.エネルギーを含む天然資源の供給.食糧.環境.第三世界の貧困といった世界的な問題の悪化がある。ローマ・クラブなどの専門家の予測の細部について反論することはできようが.少なくとも専門家たちは.幾つかの現実の問題に触れていると思う。地球の人ロに現在の四五億から、二〇〇〇年までには六〇億以上に膨れ上がると予想されている。

このことは、われわれが過去何世紀もかけて建設してきたのと同じ量のものを、今後二〇年間に建設しなければならないということを意味している。天然資源、特にエネルギー資源の逼迫はきわめて深刻になるだろう。食糧の供給もさらに困難になるだろう.もし現在の傾向が続けば.仕事を求める人の数に今世紀末までに一〇億人に達するだろう。

- すると.これらの問題を解決しなければならないという至上命令が、緊張緩和と協力関

係を作り上げる上で.強力な刺激になると考えているのか。

Aそうだ。カーター前大統領の言葉を借りれば.こうした脅威は、これに対処するために最大限に努力を集中しなければならず.すべての国〔このなかにはアメリカもソ連も含まれる)の協力を必要とするという意味で.精神的には戦争と同じものとみなすことができる。

- 脅威や恐怖感は、依然として.賢明な行動を促す強力なエネルギーになっている。

A人類はまだ成育期にある。だからそれは当然だ。それに.脅威というのは現実に存在するのであって.架空のものではない。恐怖感について言えば、これは依然として、人間の最も強烈な感情の一つだ.大切なのは.恐怖感を誤ったものに対して抱いたり、向けたりしないことだ。私は.人びとが主として同情や愛情によって行動できたらいいと心から思うのだが.われわれはまだそこまで成熟していない。

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- あなたが米ソ関係にも同情や愛情が大切だと考えていると、まさか私に信じてもらいた

いわけではないと思うが。

A そうではないが、だからといってひねくれた見方をしているからではない。将来はおそらく状況が変わるだろうが、現在われわれは、愛についてではなく、自らの利益を合理的かつ正確に理解するという問題について話し合っている。ロシア人として、私が良好なソ米関係を擁護するために、アメリカを愛する必要はない。深く自覚した愛国者であればそれで十分なのだ。なぜならば、良好なソ米関係はソ連の利益にかなっているからだ。

アメリカ人にとっても同じことがいえる。アメリカ人がソ連との良好な関係を支持するのに、ロシア人や共産主義者を愛する必要はまったくないし、ロシア人を信用する必要さえない。よき愛国者であり、自分の国を愛するだけで十分だ。もちろん、しばらくしてこの合理的な計算と利己心が何か素晴らしい感情と一体になれば、それは何よりの助けになる。しかし現在のところ、それはやはりぜいたく品であり、必ずしも必要ではない。

- しかし、ロシア人やアメリカ人やそのほかの国民は、こうした脅威を避けるだけの知恵

を持つようになるだろうか。

A 長期的に見れば、持つようになると思う。それまで生き残っていればの話だが。この問題については、ソ連の有名なノーペル賞学者ニコライ・セミ厘ーノブが非常に的確に説明していると思う。セミョーノフは、人類が有機的、無機的いずれの性質の基準から見ても、まだ幼児期を抜け出していないと信じている。人類が成長し成熟すれば、解決できない問題は一つもなくなるだろう。危険なのは、幼児期にたちが悪く、手に負えない、取り返しのつかないような過ちを犯すことだ。セミョーノフは人 類が犯しかねない、そうした過ちを二つあげている。一つは核戦争であり、もう一つは人間と自然

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環境の間のパランスを回復できないほど破壊することだ。

未来予測の前提として

- 人類の将来について、どのような状態を予測するか。破滅か、それとも繁栄か。

A 社会的、政治的出来事についての予測というのは、程度の差こそあれ、価値観に左右され、問題をはらまざるをえないものだ。天気や地震の予報とは違うのだ。われわれはいろいろな出来事に参加している。予測するのは、こうした出来事にもっと強く影響を与えたり、できればうまく処理したりするためなのだ。

私の予測が前提として合んでいる行動計画は緊張緩和だ。緊張緩和と戦争の防止との関係は自明だ。全世界的な問題ということになれば、緊張緩和それ自体は解決してくれないが、緊張緩和がなければ、解決の糸口を考えることさえ無意味だ。

- しかし緊張緩和への道にどうやって戻るというのか。米ソ双方は、いつになったらその必要性を理解できるまでに成長するのだろう。

A ソ連では、緊張緩和とアメリカとの正常な関係が必要だとの見方を変えていないということを保証できる。

- フランクフルト平和紛争研究所のディーター・ゼソグハース教授は最近、モスクワの考えていることは、世界中の誰にも本当にはわからない、と述ベている。

A 無知な発言だと思う。ソ連の外交政策が、ほかの多くの国の政策より首尾一貫していて予測できるものであることは、広く認められているところだ。モスクワで何を考えているかを知るのは、難しくも何でもない。それに、われわれがほとんどすべての国との間で維持しているような関係からすれ

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ば、これらの国々は必要があれば質問もできるはずだ。これがゼングハ一ス教授への私の答えといってよい。

- 教授は.一九七九年暮れ以降.国際情勢の悪化によって、対話が途絶え.接触が全般的に弱まった最近の時期のことを念頭においていたのかもしれない。

Aこの種の情勢の悪化が何であれ.そのような結果をもたらすのは避けられない。それは接触が複雑になるためばかりではない。緊張はどんな場合にも.人間の精神や知覚力、理解力に強烈な情緒的影響を与えるように思われる。憎しみや盲目的愛国心などの感情に踊らされる人物は、対話の相手としてはやっかい極まりない。

- 国際関係は援り子か潮のようなもので、上がうたあとは必ず下がると思っている人がい

る。われわれもしばらく待つべきなのかもしれない。

A世間一般の伝統的な知恵からすれば.内輪もめの場合のように、じっとして感情が収まるのを待ってから仲直りすべきだ、ということになるだろう。だが政治の世界の論理は.伝統的な知恵とは相いれない。伝統的な知恵に従うならば.緊張緩和は始まりさえしなかっただろう.一九七〇年代の初めには、さまざまな情熱がほとばしっていたばかりか、ベトナムでは戦争が行なわれていた.アメリカの若者たちが多くはソ連製の武器で殺されていた。ソ連の若者たちは,ハイフ雰ンやハノイでアメリカの爆弾や 地雷に当たって死んでいった。われわれの目から見ると、ベトナム.中東.そのほかの地域でのアメリカの行為は非道なものだった。

同時に.われわれの政策のなかにも、アメリカの気に入らないものがたくさんあった。初めてのソ米首脳会談は風前のともしびだった。にもかかわらず、緊張緩和はともかく始まった。しかし、もし条件がよくなるのを待っていたら.どうだっただろうか。何を得ることができただろうか。

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- 現在もこれと同じ状況にあると思うか。

Aそうだ。緊張緩和に戻るための条件が整うのを待つのはまったく無意味だ。現在の傾向は.状況が自力で平静に戻ることはおそらく不可能なところにきている.それどころか.もしわれわれが手をこまねいていれば、緊張はますます高まると思われる。言葉を換えて言えば.われわれすぺてにとって.時間はなくなりつつあるのだ。

- その通りだが.誰かが最初の一歩を踏み出さなけれぱならない。

A現在の状況をそのように見るべきではないと思う。現時点の問題は、失敗するのを恐れてしりごみしたり.拒否されるのを恐れたり,あるいは単に慎重であったりするために、誰もが口火を切ろうとしないということではない。われわれは口火を切ったし、今後も喜んでそうするだろう.しかしモスクワから見ていると、アメリカ政府は緊張を幾らかでも緩和するということ自体を、望んでいないだけのように思われる。

緩和への意志さえあれば

- もしソ連がアメリカの立場に一歩近づいて、たとえば、アフガニスタγからの撤兵を開始すれば、状況は変わるだろうか。

Aもしアフガニスタン問題の政治解決のことを指して言っているのなら、まったく賛成だ。それがわれわれの公式の立場だ。アフガニスタン政府も政治解決を支持している。しかし.もし何の解決もないままで、ソ速軍派遣部隊の引き揚げを考えているとすれば、それはどのような結果をもたらすだろうか。

脅しや。脅迫や.圧力の言葉でしか.ソ連とは話ができないということを証明することになるので

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はないだろうか。そのようなソ連軍の引き揚げで.ソ連とアメリカの関係を緊張緩和の道に戻す可能性を作り出せるかどうかは大いに疑問だ.それに.われわれがア7ガニスタンに派兵した理由を取り除かなければならない。

このことは、ポーランド問題についてのアメリカやNATOの要求に対するわれわれの態度や.私の理解するところではポーランドの態度についても当てはまる.

- 米ソ関係を緊張緩和に復帰させるために.ほかにどのような具体的な方法があるだろうか。

Aオルトマンスさん.具体的な外交手段について議論するには.あなたも私も十分な条件を備えているとは思えない.もし双方に緊張緩和に復帰する意志があれば、それに向かって第一歩を踏み出す糸口を見つけることは.それほど難しくはないだろう。国家関係を真剣に再梅築するための第一歩として、ピンポン競技が選ばれたこともあるではないか。

- なるほど、まったくその通りだ。しかしまだもう一つ問題がありそうだ.あなたの見方では.米ソ関係をだめにしたのはアメリカ側なのだから,アメリカが改善のための第一歩も踏み出すベきだということになるのか。

A一般的に言えば,そういう考え方はまったく筋が通っている.とりわけ.多くの問題について.ボールはアメリカ側が握っているからだ。しかしソ連としては、どちらが先に行動をおこすべきかという問題を原則問題にすり替えることを望んではいないと思う。それどころか.一九八〇年から八一年にかけて.われわれはアメリカの指導者に対し.両国関係改善への提案と受け取られるような幾つかの措置をとった。

- たとえば?

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Aたとえば、ヨーロッパにあるアメリカの前進基地網と関連して中距離核兵器制限についての交渉の即時開始提案や.ウイ-ン交渉〔相互均衡兵力削減交渉11MBFR}についての新提案などだ.前者にういては.われわれだけでなくアメリカの同盟国の大きな努力を必要としたけれども.アメリカは最後には受け入れた。

また最近.第二六回ソ連共産党大会で提案されたイニシアチブの幾つかについても、触れておきたい,この党大会では.SALTを促進したり.また.たとえばアメリカのオハイオ・クラスとソ連のタイフーン・クラスの新型原潜の配備制限など.幾つかの軍備管理措置を導入したりするための提案が行なわれた。さらに,西側との互恵の原則に基づいて.信頼醸成措置の範囲をソ連の全ョーロツバ地域に拡大する提案や.首脳会談を含むあらゆるレベルを通じて積極的なソ米対話を再開すべきだとの提案も行なわれた。

もしわれわれが累張緩和に戻るとすれば.それは以前の緊張緩和の弱点の幾つかを克服し.長所を受け継ぎ発展させた.第二次緊張緩和とでもいうべきものでなければならないと思う。

- その弱点はどのようなものか説明してほしい。

A一つには.第一次緊張緩和の場合.政治的側面の進展に比べ.軍備の制限がはるかに遅れてしまった。もっと正確に言えば、政治的進展や両国間の雰囲気の改善、軍備管理の部分的合意さえあったにもかかわらず、軍拡競争は続き.強まりさえしたのだ。ブレジネフ露記長が一九七三年に早くも警告した通り、このことが緊張緩和に大きな困難を運命づけてしまった。

このような二つの方向に同時に向かおうとする動きは.長続きするはずがなかった。そこで教訓としては、軍備制限の問題に注意を向けるべきであり.この問題はもっと速やかな、もっと徹底的な解決を図らなければならないということだ。そしてもちろん、双方とも軍事優位を維持したり.手に入

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れたり、あるいは取り返したりしようと試みてはならない.軍事計画は.以前よりずつと抑制しなくてはならない。

第一次緊張緩和のもう一つの貴重な教訓は、それが進展するのに何千年もかかる地質時代のことではなく.素早くつかみ取らなければ消えてしまう幾つかの可能性をかい間見せた情勢だった.ということだ。つねに成果をあげ続けることが重要だ。緊張緩和の過程を自転車をこぐのにたとえてもいい。つまり。速くこげばこぐほど、それだけ安定するが.じっと止まっていてはだめだということだ。

もう一点指摘したい。私はすでに、西側のパートナー.特にアメリカ人(きわめて強い影響力を持った一部の政治家、学者グループのことだが)が、もっと実のある成果を期待するというもっともらしい口実を設けて.徐々に懐疑的な態度をあらわにしはじめたことを指摘した。彼らは、緊張緩和の第一歩が始まったかどうかという時期から、国家関係の全般的な雰囲気作りの重要性を多少とも過小評価していた。

- しかしあなたは、特定の分野で実のある成果を達成したいという単純な願望が、より全

般的な問題に対する過小評価をもたらす可能性がある,と前に述べたではないか。

Aそういうことはあるかもしれない.しかし残念ながら.そういった願望は根拠がなく.実現できないものが多い。先に述べた人たちは実際には、国家関係に確かな基礎を築いたり、政治的な思考や方法の食い連いのギャップを埋めたり、あるいは単に相手をもっとよく理解したりするために.大変な仕事が必要なことを過小評価していたように思える。アメリカ人のある賢明な友人の言葉を借りれば、相手を評価する場合.最悪の事態を想定し、それに及ばない可能性をすべて無視してしまうことは、実際に 最悪の結果を招くことになりかねないのだ。

もう一つ重要な問題に言及しておきたい。相互理解を築き、信頼を強める作業の重要性だ。この重

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要性については、政府だけでなくマスコミも理解しなければならない。緊張緩和は大多数の人たちの利益にかなっている。しかしそのことは、緊張緩和に対してできる限り広範な、見識を持った.発言する.政治的行動力のある支持層を作り出さなければならないということを意味している。

- そのどれ一つをとっても難しい。

Aそうだ。しかし.緊張緩和、あるいは第二次緊張緩和と呼んでもよいが.これを十分強固なものにすることができるのはこういうことだけなのだ。われわれが現在のソ米関係のなかで経験していることは.間違いなく以下のことを教えてくれる。つまり.冷戦の燃えかすを取り除き、自制を示し、相互理解に努力し.お互いに受け入れられるような解決策を探り,妥協すること.一言で言えば.緊張緩和に必要なことは何でも労をいとわないことは、非常な苦しみをともなう激しい仕事であり、大きな努力と忍耐と 英知と政治的勇気を必要とする、ということである。

緊張緩和は、感情の気まぐれを特徴とした冷戦とは比ベものにならないほど.こうした資質を必要とする。核時代の政治指導者を判定したり、テストしたりするための唯一の正しい物差しは、緊張緩和しかない.と私は確信している。

今日.正しい政策を選択することは、これまでになく重要である。事実.選択肢は多くない。せんじ詰めると、何世紀も昔ブラトソが指摘した「何人も.できるだけ長く、健康に平和な人生をおくるべきである」という真理は.永遠のものだ。

地球そのものを残すために

- 個人的な質問をしてよいか。われわれはこの討議のなかで幅広い問題について触れたが、一人の人間として.市民ァルバト7として、これらの問題についてどう考えるか。

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A以前二ユーズウィーク誌に書いたことをくり返したい。ごく個人的な考えだが.私と同世代のソ連国民の大部分はきっと同じ考えを持っていると思う。父は一八歳で従軍した。私も 八歳で戦争に行った。父も私も運よく復員した。

そして私は、現在三一歳の息子が戦場で戦わずに済んだことを大変喜んでいる。なぜならば、いま人類を脅かしている戦争がもし起きれば、誰も戦場から戻ってこないからだ.そして.勝者もいないだろう。

- 現在より健全で平和な世界がくるという望みを失い.将来に悲観的になっている若者た

ちに同情するか。

Aァγトニオ・グラムシは.人間の気質における悲観と楽観の最もよい組み合わせは、知性による悲観と意志にょる楽観だ.と規定している。これは、人は脅威とか不利な状況をすべて感知し、認識するだけの能力を持たなければならないが.それを克服し、よりよい世界を作るという気構えだけはできていなければならないということを言っているのだと思う。

残念ながら、これとまったく逆の組み合わせをしばしば目にする。人びとは、現実を厳しく真剣に吟味することからしり込みし、危機に際して失望落胆してしまうのだ。

私自身は、希望をなくした世代に世界の運命をまかせると考えるとぞっとする。確かに,今日われわれが受けている挑戦の幾つかは、人類への危険の大きさという点で前例のないものだ。しかし私は、人類はこうした挑戦に対抗する手段を持っていると確信している。重要なのは、これに対抗する意志だ。

私は、現代の若者が皆悲観的だとは思わない。悲観的な若者たちについていえば、ある程度、理解

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できる。彼らは深刻な問題と、深く失望せざるをえない状況に直面しているからだ。だからといって、彼らを非難すべきではない。この点、大人の世代に重大な責任があると思う。

われわれは、若者たちにこの地球上でのよりよい生活への希望だけでなく、地球そのものを残してやらなければならない。


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