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Asu no chikyû sedai no tameni (1975)

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Asu no chikyû sedai no tameni

(1975)–Willem Oltmans–rechtenstatus Auteursrechtelijk beschermd

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[pagina 71]
[p. 71]

7 エマヌエル・アヤンカンミ・アヤンデレ

エマヌエル・アヤンカンミ・アヤンデレ(Emmanuel Ayankanmi Ayandele)教授は一九三六年十月十二日ナイ ジエリアのオグボモショに生まれた。彼はナイジエリア文 理工科大学、ナイジエリアのイバダン大学、おょびロンド ン大学のキングス・ヵレッジで学び、 ー九七ニ年、イパダ ン大学の歴史学部の部長に任命された。現在ローマ・クラ ブのメンバーである。多くの著害があるが、中でも『アフ リヵ探検と人間理解』ジンパラ大学出版局(一九七ニ)、『ナイジエリア社会における知識人ユリート』、イバダン大 学出版局(ー九七四)等がある。

 

あなたはこの口ーマ・クラブのシンポジウムが、終 に、統計やコンビュー夕から地球のより基礎的な人間の問題に方向を変えつつあることに賛成されますか。すなゎち寓める者と贫しき者の問題ほど、緊急で困難な問題はなぃとぃぅことに気づぃたことですが。

 

资成です。しかしこの問題に入る前にローマ・クラブ についてニ、三窓見を述べさせてください。私はそのメ ンパーであることを喜んでおります。私がおよそニ年半 ばかり前にこのクラブに入会して以来、この祖嫌につい ていくつかの具体的琅実に感動させられました。第一に、歴史家として、私は世界の全く異なった地域に住んでいる人々が、科学と技術における人間の勝利から発生 したこの巨大な問題に非常に関心を持って注目しているといぅ事実に感動しました。別の首葉で言えば。このロ ーマ・クラブの会員達は明らかに人類に 物質的慰安をも たらした業續の處にならないといぅことです。これに劣 らず重要なことはクラブ会貝がそれに先だつ人々よりも ずっと公平であるといぅ事実です。「先だつ人々」と申 しましたが、それは帝国主箱者のことではありません。 なぜなら、その言葉はあまりに主観的表現であり得るか らです。むしろ、アフリヵや世界の他の発展途上闽は根

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本的に劣っているんだ、したがって世界的立場から人問 の問題を考えるに当たって彼等と相談する必要はないと 考える植民主逹と苜った方がよいでしょう。 ローマ・クラブはこの点を理解するたいへん笟要な組嫌です。クラ プ会貝は人間性に敵対する問題を含んだ問題は基本的に は人間の問題であり、その解決策は先進国の人々の知識 だけから得るのではなく、発展途上国の人々にも相談するべきであることを理解しています。

実際のところ、それは相談以上のものです。ローマ・クラブ内において私どもはいつでも全く平等な立場で相 談し、協議するのです。私どもは一体感を感じています。 私どもの間では自発的、家庭的、そして兄弟のような 交換が行なわれるのです。私どもはどんな問題でも、例 えば地理的な、人種的な、または道徳的な問題であろう と取り組みます。私にとってそれは非常に大褀なことだ と思います。私が道徳家だからではなく - 私はたぶん 育ちのために生来道学的になりがちですけれども - 、 私の歴史についての概念、人間についての理解 のために 私は次の考え方を仮説以上のもの - 事実それはおそらく格苜でさえあります - と考えています。すなわち人間はどこに生存しょぅが、彼に課されてきた相違が基本的に地理的なものであろうと、生態学的なものだろう と、人間は基本的には人間なのだと私は考えています。

ローマ・クラブはー私はこの組琺の存在を一九七一 年モントリオールでの第一回の会謎に出席した時以来知っていま - 科学的な言葉で世界問題に取り組む一つのコミユニティとして行動します。これは私にとって非 常に重要です。そしてそれは他の国際的な組嵌体にメッ セージを伝達します。このクラブに拘束はありません。 他のいかなる専門的な組織においても、まさに専門の相 違からしばしば主観的になったり、差別的になったりし ます。国速の社会については苜うまでもありません- それは政治的陰謀や何かの温床になります。

ローマ・クラブは全くの非種族団体です。つまり、私 の知る限り偏見を持たないのだということを他の人々は 知るベきだと思います。

 

かつてゴードン・W・オールポートがハーパード大 学の心理学教授であった時「偏見よリも原子を破壞す る方が容易である」と書いたことがあリます。

 

全くそのとおりです、クラブのメンバーは世界各地か らの人々で栴成されていることも知らさねばなりませ

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ん。その意味で、それは多少世界市民という概念を示そ うとしています。人間は元来世界市民だと主張した紀元 前八世紀のストア哲学者達を想い起こすべきです。ロマ ンチックになりやすいのを抑えて言うのですが、ロー マ・クラブのメンバー連は世界市民だと思います。彼等 が過去五年以上協迸したいろいろな問題は地方的なもの として扱ったのではなく、真に世界的な関心で処理され 全世界的な概観が与えられました。

われわれが人類の苦塊について話す時、クラブの削設 者アゥレリオ・ベッチエィ〔本書第1卷170および本害 対談49参照〕が使った最初のスローガンであり、かつわれ われ人類が直面している基礎的な問題として確認できる のは资源の問題です。今日人間は利己的になるべきか、 また自分の食欲を满足させるため。も合理的な方法で地 球の资源を利用してよいのか。また人間は世界が扶養し 得る限界を超えてもなお人口増加を逃ぶべきか。われわ れはグリーン・レボリユーションをどう遂行するか。こ れらのことは宗教、人稀または党派に関わり なく全人類 に関係する基本的な問題です。ローマ・クラブはこれら の問題と取り組んできました。彼等の努力は決して現代 の問題だけを取り扱ったのではありません。もし彼等が利己的ならば彼等はおそらく多置の時間を费したり彼等 が死んで後の未来のことまで考えないでしょう、彼等の 利己的でない商潔さが主な特徴だと私は思います。

 

アウレリオ・ベッチエィが、かつて私に、彼は自分 の孫逢および他人の子供達のために何かためになるこ とをやリたいと語ったことがあリます。

 

この稀の愛他主義は実際のところ他の祖級体には見受 けられません。私の知る限りそれは歴史を通してみても 稀に見る人間行動です。あなた自身東京で開かれた時の ローマ・クラブの时議を見てこられましたね。あなたは われわれ全部が討諶中に愛他主義を発揮していた事実を 知つていると思います。

 

私の見解では、これは大部分がアウレリオ・ベッチ エィの個性ある指導力と人格のおかげだと思います。 彼はこのようなやり方で働き、そしてそれが全体の原 動力になっているのです。

 

東京で開催された時の私の印象を語ってあなたのご質 問にお答えすることにしましょう。 エネルギーと世界の 食糧問題についてのクラブ外からの専門家の参加を交え

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てのわれわれの时議は非常に有効なものでした。なぜな ら口ーマ・クラブは基本的にはシンク・タンクなので、 抽象的な意見は述べずに世界の各地より集められた実験 的なデータに基づいて意見を述べるのです。

あなたの見解は全く正しいものです。私は事実アゥレ リオ・ぺッチエィ氏のこの最も望ましい亊業に取り組む 情熱には全く圧倒されてしまいます。

 

氏は自分の業績を手柄にしようとしないし、またた ぶんその業績について話すのも好まれないようです。

 

おそらくそうでしょう。しかし彼はずっとこの運動の 頭脳でした。

 

あなたはィパダン大学の学生連とローマ・クラブに ついて話し合ったことがありますか。

 

いいえ。しかしこれは慎重にそうしているのです。人 はタィミングをよく見ていなければなりません。先ず現 段階では世界の開発途上地区に住む国民にあなたが欲す るどんな計画でも実際に受け容れる素地ができているか どうか知らなければなりません。 ローマ。クラブの作成 した『成長の限界』のような研究の用語や内容も......

 

アフリカの大半の人々にとっては、それはまだ中国語のようにちんぶんかんぶんだというわけですね。

 

まさにそのとおりです。この研究をアフリカで首尾よく提示するためには、かなりの説明が必要かと思います。このような言葉やこのような世界の各地からの情報を紹介することはどこか幻想的で宣教活動のようなもの があります。アフリカにおける政治的本能は、長い間の 植民地主義や帝国主義の支配を受けて以来、非常に強い ものがあります。自然にアフリカ人は世界の先進国の人 人によって管理されているいかなる組織に対しても必ず 疑問を抱くようになっています。これは決して驚くべき ことではありません。先進国においてさえ も、ィデオ口 ギーの理由でローマ・クラブを疑う入がおります。例え ば、ある人はクラブ・メンバーを富裕階級の共謀者だと みています。ですから、金持ちの西洋人によって提案さ れた『成長の限界』の像にアフリカ人がどう反応するか 充分想像がつくと思います。その趣旨はまだまだ一般大 衆にまでは至っていません。

この頃、私はこの問題にそうとう頭を使いました。 ローマ・クラブの計画をアフリカに売る一番のいい方法は

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先ず政治家に関心を持たせ、それから世界的関心事であ る問題を彼等に説明してやればよいと思います。しか し、これは何も、アフリヵの聴衆がある一部の人が考え ているほどナィーヴなためではないといぅことを強調しておく必要がありましよら。もしあなた達が正しい言語 で適切な時期に話してくださるならば、われわれには問 題を理解する素喑らしい能力が与えられています。基礎 を充分に気をつけて固めないぅちに大衆新聞で読者にローマ・クラブの趣旨を大急ぎで発表することはまちがつ ているでしよぅ。なぜなら正しい準備 なくしてはその趣 旨は新植民地主義者の陰謀として受け取られ、ローマ・クラブは片付けられてしまいます。 ローマ・クラブは世 界各地からの実業家、科学者、政治家で組嵌されている のですから、なおさらのことです。

 

私は東京の帝国ホテルの最上階にあるご馳走でいっ ばいのテーブルや食堂で、ローマ・クラブのシンポジ ゥムに参加している人々が力ニを腹いっばいになるま で食べているのを見ると、中央アフリカで現在飢餓が 蔓延している状況を思い出さざるを得ませんでした。

 

まさにそのとおりです。それはあなたに、 口ーマ・クラブのように人類の苦境を話し合う者と、亜サハラ住民 が今苦しんでいるように、この地方に蔓延している厳し い飢餓を経験しつつ人類の苦境を生きている者との間の ギャップを示しています。ついでに苜うと、それはこの シンポジゥムへのポーランドの代表アダム・シャフ教授 〔本書対談36参照〕の繰り返し指摘する点です。

 

彼のポーランドの同僚のイヨセフ・パイェス卜カ氏 および会議に参加しているその他の多くのラテン・ア メリ力の代表者連に支持された意見ですね。

 

ご存知のように、好意的な外囯人達によって、アフリ 力の熱带地では近いうちに人口過密になるだろうと警告 した家族計画に関するパンフレットがしばしばナイジエリアのわれわれのもとに送られてきます。しかし、ナイ ジエリアの統者はその本突に充分気づいています。しか しながらこの警告は外国からくるので大抵のナイジェリ ア人は - 一般にアフリヵ人は - それを白人の險謀と して受け取る傾向があります。彼等は彼等なりに算数を 知っています。地理学上、物理学上の大きさに閲連させ た各国ごとによる世界人ロも。例えば彼等はオラ ンダは 世界で最も人口密度の商い地方に屈すると知っているの

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で、「オランダについてはどうなのですか」と率直にあ なたに聞くでしょう。

 

しかしオランダ人は、今、現在の千三百万人を超え る人口を、多くとも千万人に低下させると彼等自身で 括しておリます。

もし『成長の限界』がアフリカの公衆意見に粗雑なや り方で紹介されるならば......

 

逆効果になるということですね。

そうです。アフリカ人は「ほら見ろ、白人はわれわれ に人口増加をして欲しくないんだ。しかし歴史的にみて 白人は增加している。そこでイギリスは今人ロ過密にな っているので世界の他の地域、すなわち北米、南アフリ 力、オーストラリア等に人口を疎開させたのだ」と言う でしょう。これはまちがっているかもしれませんが、しかし、これが - 当然ながら - アフリカ人のものの見方です。ナイジーリアの人口は六千万丨六千五百万、つ まり英国と同サイズの人口と算定されています。しか し、われわれは英国の四倍の領土を持っています。 ナイ ジエリアの国民は。私のようなローマ・クラブのメンバー - その判断は、ほとんどもっぱら白人の環境に基礎を置いている - のような人ロ問題警告者によって予想 される問題を受け容れる用意はできていません。

アフリカ人のいわゆる「人口オバケ」に対する態度 は、従来の環境に関連した人生哲学の背最なしでは理解 され得ないでしょう。ではいったいアフリカ固有の人生 哲学とは何でしょうか。先ず第一に、平均的アフリカ人 は、自分が贫困であることを信じません。アフリカの典 民逹は常に彼等を評価する人々の規準で評価されていま す。アフリカの典民逹は哀れにも贫困であるという偁仰 は、富裕国の金持ちの人々がつくり出したものです。そ の金持ち违は、必ずしも彼等が同淸する贫乏人ほど幸福 ではないかもしれません。私は多くのアフ リカ人が、文明化した相手国である、いわゆる金持ち国の多くの人々 より、自分违は質的にも精神的にもかなり豊かであると 考えているとさえ思います。

 

彼等は近代的水準に合わせて自分の国家を築き上げ るんだという未来への夢を持っていると思いますが。

もしあなたが首及なさる「彼等」が教育を受けた工リートを意味するならば私の答えは「ィニス」です。しか

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[p. 77]

し私は今までもっぱら無学の大衆について述べてきまし た。彼等はまだ大部分を占めており西洋の習惯や観念に まだ通じていません。教宵を受けたアフリカ人として私 はあなたの質問の信条に同意します。しかしアフリカの 地方に住んでいる人にとっては必ずしもそれに賛同でき るとは思いません。これが私の強調したい点です。家族計 画に悩んでいるアフリカ人は私自身のように有識階級の 人々です。しかし彼等はそれについて説教される必要も なければ、また小苜を言われる必要もないのです。われわ れは家族計画の利点については よく知っているし、その 計画に黉成するものです。しかしもしあなたが普通の人 に家族計画をし、家族を少なくしなさいと言おうものな ら、彼は文字通り混乱し、正気を失ってあなたを疑いの 目で見るでしょう。すなわち、彼はあなたの正気を疑う でしょう、普通の人の態度の背後には、子供は神よりの 給わりものなのであり、それを殺したり拒んだりしては いけないという固い偁仰があります。それほど純心なん です。これは結局ローマ・カトリックの人命観ですから 原始的だと批難しないでください、家族計画の概念は生 命の神聖にも 触れるわけです。

無学なアフリカ人の論法は完全に論理的で筋が通っております。彼の周囲には広い土地があります、もっと農 地にすべき土地が。子供が多ければ多いほど農耕の助け 手になるわけです。無学のアフリヵ人はまだ彼等の伝統 や宗教概念を保持しています。もう一度繰り返します と、彼等はロンドンやニューョークに住む人々が考えて いるほど贫困を感じていません。彼等はまた、白人は文 明人だとも倍じていません。

 

しかし、いくつかの家族計画団体がナイジエリアで も活躍しているようにみえますが。

私のイバダン大学では幾年か前から、ローマ・クヲブ で検討してきた人口問題を取り上げて、家族計画につい て研究しております。家族計画の概念はーアメリヵのある財団の後拨によると思いますが - ナイジエリアにおいても主として教育のある有識階級の間で徐々に受け 容れられつつあります。

 

今ローマ・クラブはコンビユー夕による有名なモデ ル方式で特殊研究を始めていますが、あなたの見解で はアフリカ大睦においてはどんなプログラム、あるい はどの領域で、それを利用するのでしょうか。

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[p. 78]

私の歴史家としての専門性からくる個人的学問的偏見 から始めましょう。先ず私は、人間がコンピュータで測 定されたり数董的要素に分解されるとは信じません。わ れわれが知っている以上に人間は複雑であり、コンピュ ータの济巧さを超えた測りがたいものです。方法的に は、今学者グルーブが熱心に行なっているモデル方式は 人間を中心としない仮説に基礎を胜いています。われわ れは先天的に与えられた人間の固有の問題を解決するの に、人間の計画した機械の悲惨な誤まりに驚かなければ ならないのでしょうか。

私が指摘したい点は、いかなるコンビュータや、恐ろ しい警告や、理論的に合理的で妥当なモデルでも、人的 資源、いわゆる人ロ過密の問題は解決できないし、また 人間が種族の偏見、民族と優越本能、誇大妄想狂、食欲、頑固な利己主義等を放棄し、考え方を改めない限り 問題は解決されないということです。

特にアフリヵについて言えば、私はシステム・ダィナ ミックスのモデルは、将来は別として、現段階において はまだ適切ではないと思います。例えば、アフリヵの有 するミネラルや森林の巨大な資源に関しては疑いなくよ り多くの人口を兹うことができると思うからです。 エ業はまだ発連していないので公害問題は存在しません。高 度の生活のための困難な探求や昇華されない物質主我の 專制 - 日本人が追求しているような - からの望まし い逃避は西洋の感覚で言う農莱的、伝統主我的で、文盲が 支配しているアフリカではまだまだ逮い先の現 象です。

アフリカ問題の研究には異なった手がかりと、興なっ た方法が必要です。しかし、アフリカの苦境は何か。次 のように要約できます。ョー口ツバや北アメリカを悩ま している非人道的な社会問題を伴わないで、最大の経済 成長と質の商い生活のための工業技術をどう用いるか。 経済開発と工業化の進みつつある中でアフリカ人固有の 精神的な特性をどう保持して行くか。これはちょうどお 菓子は食べまた残してもおきたいというような全く非現 実的なことのようにみえます。

しかし、アフリカおよびアフリカ人が主として「開発国」または「先進国」の利益のために組嫌的に利用され 搾取され統ける原因になった新植民地主義 - 論理的 で、残虐な植民地主義の後継者 - の悪夢によって抜雑 なものになりました。

(玉城政光)


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