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Asu no chikyû sedai no tameni (1975)

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Asu no chikyû sedai no tameni

(1975)–Willem Oltmans–rechtenstatus Auteursrechtelijk beschermd

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[pagina 120]
[p. 120]

14 中根千枝

時に日本のマーガレット・ミード〔本書第一卷対談4参照〕と呼ばれることもある社会人類学者、中根千枝教授は一九二六年十一月三十日に東京で生まれた。少女時代を北京で過ごした後、東京大学の文学部東洋史学科でチべットおょび中国の歴史を学び、その後ロンドン・スクール・オブ・エコノミックスで社会人類学を学んだ。更にローマの Instituto Italiano per il Medio ed Estremo Oriente (ィタ リア中東・極東研究所)でチベット学を学んだ。一九五二年以来東京大学東洋文化研究所に入り、現在社会人類学講座の教授である。中根教授はィンドのさまざまな民 族の実態調査に従亊した。アッサムやヒマラヤ地方の山地民族の社会組織や、ヶララ州のナヤール・カーストや、グジャラートやべンガルのヒンズー家族や村落の研究はその主たるものである。その他マレーシアやシンガボールや日本自体に関する研究ブロジェクトも遂行した。彼女はまた口ンドン大学やシカゴ大学で講義したこともある。この対談はヵリフォルニア州のスタンフォードにある行動科学高等研究センターで行なわれた。中根教授は一九七三年から七四年にかけて、この研究所で研究をしていた。彼女の英語での 著作の中から以下のものをあげることができる。Kinskip and Economic Organization in Rural Japan, Athlone Press, London (1967) および、有名な Japanese Society, Weidenfeld & Nicolson, London, and Universiy Press, Berkley, California(1970).

 

あなたは日本を「均質社会」と呼んでおられますね。例えばアメリカやィンドの社会と比較して、均質社会をどのように定義あるいは說明なさいますか。

 

それは、次のような単純な事実に基づいています。つまり日本列島には先史時代から同一民族が住み、文化的・社会的な共通性を維持し、それが他の民族の移住によって乱されたことがない、ということです。三世紀から七世紀にかけて中国大陸から多少の移民がやってき

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て、当時の日本国家の形成にかなりの影響を及ぼしたことがあります。しかしながら、これらの移民の数は非常に少なかったので、原住民の中にたちまち同化してしまいました。それ以来、日本人は絶えず一つの共通な文化を育んできました。この傾向は、徳川幕府の集権的な封建体制のもとで、とりわけ強められ、また後には近代の中央集権的な官僚制にょっても強められました。

日本は、今日の世界の諸国の問では、その国民が非常に均質な構成員からなっている点では、希有の例と言えましょう。

 

それが日本社会を容易には割れない堅い木の実のようにしているのですね。とはいえ今日の日本には、例えばジーバンのようなポップアートやポッブミユージックがかなリ流行しているようです。それはどの程度まで表面的なものにすぎず、また日本はその均質性をどの程度保持するだろう、とお考えになリますか。

 

他国の文化の受容は、日本人の顕著な習慣です。しかしながら、日本人はそれらの文化を操作可能なシステムとしてではなく断片ないしは部分として受け容れてきましたから、それらはわが国の文化的および社会的な伝統の核心にほとんど影響を与えることはできませんでした。そのよぅなもののほとんどは、物質文化や技術のよぅな外的な側面に見出されるにすぎません。実際、最初は中国文化の、そして後には西欧文化の強い影響下に置かれたにもかかわらず、日本人が固有の民族的思考様式や社会制度を維持し得たことに は、驚くべきものがあります。たぶん私どもは、自己の文化の中に深く包まれて生活しているので、外部の影響の結果どれほど多くの表面的な変化が生じたところで、大した問題にもならないのかもしれません。

 

日本では、集団主義が個人主義に打ち勝つとお考えになリますか。

 

この問題は慎重に検討してみる必要があると思います。私は、この個人主義対集団主義といった言い方には、いつも疑念を抱いてきました。当然のことですが、私どもはョー口ッバの歴史を分け持っているわけではありません。おそらく、もしも日本人がョーロッバ人やアメリヵ人のそれに比肩し得るよぅな社会状況の中に置かれるとしたら、個人主義がもっと強く発逹したことは、充分あり得ることです。ヨーロツバでは、とりわけルネ

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ッサンス以後、個人主義の発逹に重点が置かれることになったことには、疑問の余地がありません。日本の歴史には、そのような転換は生じませんでした。

その歴史全体を通じて、日本人は他人との調和的な関係 - とりわけ第一義的関係についてそうですが - を維持することを、積極的な価値とみなしてきました。他人のことを思いやったり他人に自分を合わせたりすることが、髙く評価されてきた一方、攻撃的であったり自己顕示的であったりすることは、好ましくない困った振舞いだとみなされてきました。私の分析によれば、西欧では要素(個人)に主たる注意が向けられてきたのに対し、日本では関係(個人相互問の)に注意が向けられてきました。それらは異なったアブローチで、ど ちらも比較し得る対等の価値を持っています。実際面では、どちらにも固有の長所と短所があり、どちらか一方の方向に極端に走ってしまうと悪い結果がもたらされるでしよう。西欧と比校した場合、日本人の行動様式は、強い集団指向を自然に表わしています。

 

てもお国の学生さんから私が聞いたところでは、今日の日本の使用者の中には大学や高校からの新入社員をぼとんど非日本人だとみなしている人もいるそうですよ。

 

それは程度の問題だと思います。私自身が東京大学で教えていてみる限りでは、学生の基本的な態度は変わっていません。とりわけ集団活動がそうです。彼等を以前の世代から区別するものは、対人関係のマナーの中にみられます。彼等は自分の意見をはるかに率直に表現しますし、過度に儀礼的な行動様式はとりません。彼等の行儀作法は、上の世代に比べて非常に単純化されています。上の世代の人々よりも年長者に依存する程度が少なくなっています。このような変化は、経済が豊かになり就職が容易になったおかげで、 彼等の生活が一般に昔よりも安楽なものになった、という事実に帰せられるに違いありません。以前には、学生逹もあまり大きな選択の余地は持っていませんでした。

 

小遣いがなかったというわけですね。テーブレコーダーや自動車なんかはとうてい買えなかった。

 

今ほど選択の範囲が大きくなかったのです。それが違いのもとになっているのです。私に言わせれば若い世代

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の振舞いは、現代の日本が経済的に豊かになったことと密接に関係しています。

 

今では、何百何千という日本人の学生が、世界旅行をする可能性を得たわけですね。今日では学生達は英語が読めるし、西欧社会からの大量のさまざまな観念の流人にさらされています。そのため、遅かれ早かれ全く新しい世代が日本に生まれてくることにならないでしょぅか。

 

その種の影響がどこまで深く及ぶかについては依然として疑問です。今言われたょうな活動は学生達の視野を広げ漸進的な変化を引き起こすかもしれません。とはいえ、学生逹は西欧の制度や文化に批判的になるかもしれないということにも、注目しなければなりません。西欧を讚美したり崇拝したりする傾向は、古い世代に比べて、若い日本人の問ではかなり減っています。重要なことは、彼等が日本の組織に屈用されている限り、好むと好まざるとにかかわらず、確実に日本的な型にはめ込まれて行くだろう、ということで す。これらの若い日本人達がアメリヵやその他日本の外に住み外国の企業に雇われたとすれば、話は別でしょう。でもそんなふうになつた若い人々は、日本に帰ゥてこの社会に順応するのがむずかしくなるでしょう。

 

ロバートランブルが『二ユーョーク・夕ィムス』(一九七三年十月四日付)に書いたおもしろい記事を読んだことがあリます。それは、日本がとても住みにくいところだとわかってがっかりしたという日本人の「三世」のグルーブの話です。カリフォルニアからやってきた一人の三世の女の子は、それについてこんなことを言っていました。「友達をつくろうとして失敗したことから、私はとても大きな痛手を受けました。およそフィードバックというものがないのです。」日本人はこれらの三世達を迎え人れようとはしな いのでしょうか。

 

その人逹をもう一度日本社会の中に組み入れることはむずかしいでしょう。彼等は日本の社会から切り離されていると言えるでしょう。

日本流の社会的組級にょれば、人々が個人を「仲間」の一人として認めるのは、その個人が日本人であるからでなくして、自分と同じ組織に属しているからなのです。

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てもそんなことをすると、あの三世達は追い出されてしまった人間だということになリはしませんか。

 

もっと正確に言えば、その三世達は別の組織のメンバーになったとみなされているわけです。日本の中で自分の生まれた村のコミュニティーを離れた人々についてさえ、同じことが起こります。そのような人達は、もとの組織のかわりに新たな組織に加入しなければなりません。自分が生まれたコミユニティーをひとたび出てしまうと、もとのコミユニテイーのメンバーシッブを維持し続けるのはむずかしくなるのです。ですから、もしも日本の若い人々がこういった事実を考慮に入れるならば - 彼等はそれを本能的に知ってはい るのですが - 外国にそれほど長いこと滞在しようとは思わないでしょう。

 

あなたのご本(Japanese Society)の中で、日本の家 族を例えばインドの家族と比較していらっしゃるところがあリますね。私の場合は、インドネシアの状態の方にもつとなじみがあリます。インドネシアでは、弟が大学で勉強するのを助けるために兄が働くといったようなことは、よくみられます。この種の血族関係による連带は、日本ではあり得ましょうか。

 

いいえ。その点では日本人はたいへん違っています。伝統的な農民社会においてさえ、血緣の絆に頼ったり、それを当てにすることはできるだけ避けようとする傾向がありました。たぶんご承知かと思いますが一般にアメリヵ人の方が、私達日本人よりもずっと強い家族の絆を持っています。日本の社会では、血緣関係がそれほど有効であったことは一度もありません。兄弟や叔父や従兄といった人々は、例えばィンドネシアでみられるのと同じ機能は果たさないのです。そのためでしょうか、私達は、別の関係を発逹させまし た。

 

それじゃ友達の関係ですか。

 

そうなんです。職場の同僚達の問や、また上司と部下の関係は、たいそう重要なのです。

 

職場という点について首いまナと、日本の大企業は一大家族という考え方の枠の中でぼとんど動いているように私には思われますが。

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そうです。そのことが日本人にとって職場が非常に重要なものとなる理由の一つです。

 

数か月前(一九七三年九月)田中首相は、世界の青年と比較した日本の青年の意識調査を行なわせましたね。世界中の二万人の青少年に質問表が配られました。誰もが驚いたことに、その結果は日本の青年が群を抜いて、何と首いますか、一番シニカルで不満が多く現実主義的だったのですね。

例えば、「人間の本性は善か悪か」という質問に対して、他の国々では人間の本性は悪だと答えたものは二十バーセントにすぎませんでした。ところが日本では青年の三十三バーセントはその意見でした。日本の若者は人間の本性について、現実主義的なのでしょうかそれとも悲観的なのでしょうか。

 

それは存じません。問題は、私達日本人はそういう種類の思考には不惯れだということです。そんなふうな質問を準備なしにしたとしますと、突然に......

 

まちがった答が出てくる。

 

そのとおりです。私どもは、そういうふうな質問を単刀直入にぶっつけられることには不惯れなのです。そんなふうな深刻な質問に対して、ただちに自分を表現してみせたりはいたしません。

 

日本人を理解するにはどうすればよいのでしょうか。昔読んだところでは、外国人が日本語の辞書の中の全ての言葉を習得したとしても、それでもなおかつ日本人としての考え方を別途習得しなければならないのだそうです。

 

それはどんな言語にも当てはまります。しかしたぶん他のどの言語に対してよりも、日本語に対してよく当てはまるでしょう。私どもの文化は長期間にわたって非常に孤立した文化だったのですから。

 

ですが、ついさっきあなたが、日本人はそんなに深くものを考えないと言われたのはなぜですか。

 

それは全く私どもの習惯だと思います。日本人は感受性には富んでいますが哲学的ではありません。実際、歴史の中で重要な役割を演じた国々のほとんどは、有名な哲学者を生み出しました。しかし日本は傑出した哲学者を生み出したこともありません。日本人の性格は、その

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ような働き方をしないのです。他方、日本人は自分の心の審美的な侧面を発達させることには、非常に熱心です。日本人が行なった最も優れた貢献は、美術の分野に、とりわけ絵画の分野にみられます。日本人にとっては、美が論理よりも、あるいは人生に関して哲学的に考えるよりも、もっと大切なのです。生活をどのようにして美しいものにするかということが、いつでもより重視されているように思われます。

 

私は、『ニュ - ズゥィーク』誌と行なわれたあなたの対談を読んだことがあリますが、その見出しはこぅなっていました。「日本人は原則を持たない。」あなたのぉ書きになったものを読んで、私自身は遠った意味合いの結論を出しました。すなわち、日本人は教義や原則にはそれほど依存せず、状況により多く依存する、と。

 

そのとおりです。

 

それではあの見出しは誤解を招くようなものでしたね。

 

私どもは、自分逹なりのやり方というものは持っています。しかし他国の人々に表明できるような具体的なィデオ口ギーは持っていませんし、長期的にある特定の目標を設定するようなこともいたしません。むしろ私どもは、直面する状況に最もよく適合できる道を搜すのです。この種のオーブン・システムは、変転常ならぬ世界の状況に直面している日本のような国がつくり出した仕組みの一つと苜えましょう。

 

日本人と何か意味のあるコミユニケーションを行なおうとして日本にやってくる外国人にあなたは同情なさいますか。少なくとも私自身は自分が日本で本を出版し一播大学の学生達に話をするよう頼まれるまでは、それはむずかしいことだといつも思ゥていました。言いかえれば、私が日本社会の中に適切な紹介を持って最初に入ってからは、講演の間に学生達とコミュニケーションを行なうことが容易になったばかリか、その中の一人の代表が後に帝国ホテルに私をたずねてきた時には、夜遅くまで立ち入った議論をする ことができました。

 

日本人は、別の文化に属する人とつき合うのに不惯れなばかりか、自国民でも別の組織からきた人とでは、う

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[p. 127]

まくつき合いができません。日本人の中に入り込んで行くためには、あなたを個人的に受け容れてくれる人か、あるいはあなたに非常に感銘を受けた人を見出さなければなりません。そうすればその人の友人逹に紹介してもらうことができます。形式的な、またはビジネスラィクな接近法をとっても、それ以上の立ち入った関係はなんらもたらしてくれません。日本人の個人は、個人的な関係が確立されない限り、他人には近づかないのです。そうは言っても、同じことは他の多くの社会にも当てはまるかもしれません - アメ リヵ合衆国のような流動的な社会は多少別でしょうけれども - 。たぶん日本では、その程度がより強いのだと思います。そればかりではなく、日本人は、見知らぬ人との一時的な出会いの際に、会話を楽しむという習惯を持っていません。その見知らぬ人が適切な紹介を受けていた場合でさえそうです。日本にいる外国人がとても孤独でがっかりしてしまうのは、たぶんこのためでしょう。

 

日本にやってくるわれわれ外国人に対してあなたはどのような忠告をなさいますか。あなたはどちらの世界をもご存知でいらっしゃる。日本人ともっと効果的なコミュニケーションを行なうにはどうすればよいでしょうか。

 

それはたいそうむずかしい質問です。外国の方々は、先ず最初に私達の社会構造、社会のシステム、を勉強すべきだと思います。外国人達は、あまりにもしばしば、自分自身の価値観を某礎にして、私どもを判断してしまいます。同じことは、例えばアメリカにやってくる日本人についても、全く同様に当てはまります。私どもは、何らかの判断や言明を行なう前に、まずもってお互いのシステムを知らなければなりません。しかし、当然のことですけれども、思考様式や機能を理解するほどむずかしいことはありません。外 国人が私どもの社会に入ってきてとりわけ失望落胆するのは、私どもがほんとうに心の中で思っていることをロには出さないからなのです。それと同時に、日本人は、外国人が自分を理解すべきであると、無意識に期待しています。そしてそうならなかった時には、日本人は、外国人は日本人および日本文化を決して理解できないだろう、と結論してしまうのです。そのため日本人は、他囯民の日本理解を助ける努力を怠りがちです。そればかりではなく、他の国民に比べて言

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えば、日本人の中では言葉によるコミュニヶーションはそれほど発達してはいません。これは、日本人が国際的なコミュニヶーションの場で持つ決定的な欠陥のーつです。日本人は、お互い同士の間では、非常に多くの非言語的なコミュニヶーションを行なっています。

 

表情とか目の動きとか声の調子ですね。そしてそれら全ての上に、言語の障壁が立ちはだかっています。

 

その他に、私どもは個人間の相互関係の中で、例えばアメリヵ人に比べて、はるかに複雑な儀礼的行為をいろいろと持っています。私どもの目からみれば、外国人は、普通、調子が外れています。それで外国人のすることをあまりまじめには受け取らないのです。おまけに、これら全ての - しかし必須の - 細々した儀礼的行為を他人に説明することは、かなりむずかしいのです。ィギリス人達もまたそれなりの仕方での入念な儀礼的行為を持っていますが、それらは非常によく知られており、しかも同時にィギリス人は他人に対し て自分を表現してみせることが、日本人よりもはるかに巧みです。この点から言えば、日本人は効果的にコミュニケーションを行なうことが最もむずかしい国民に属するに相違ありません。

 

政治学者の衛藤瀋古教授〔本書対談13参照〕のお話によれば、田中首相が外遊した時、キッシンジャーとはかなリよく話が通じたけれども、ブレジネフと会った時には、二人とも腹を立ててテーブルを欧リつけたそうです。日本列島の未来 - つまリその存続 - にとっては、対外関係の面での平和とコミュニケーションとが決定的に重要だと思います。ですから日本人とうまくつき合うための方法について、またその逆のことについて、誰かが手引き書を書くべきだと思います。

 

そのつき合いというのが、実際ほんとうにむずかしいのです。でも、徐々にではありますがよくなっていると思います。自国の外部にある異なった世界についての一般的な自党が、日本の中では高まっています。

 

かつて佐藤前首相が、アメリカ合衆国の日本繊維製品輪入問題について、次のように答えたことを想い出します。佐藤さんは「私は自己の最善を尽くしましょう」と答えました。それが通訳されてニクソンのところに行った時には、「私はそれをします」となっていました。ところがその後何も起こらなかったので、ニクソンは腹を立て、日米関係は悪化の方向に向かいま

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[p. 129]

した。そういうわけで、われわれは依然として、何はさておき言語の限界の問題に、言語の障壁の問題に、直面しています。

 

そうです、これはとてもむずかしい問題です。

 

(公文俊平)


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