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Asu no chikyû sedai no tameni (1975)

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Asu no chikyû sedai no tameni

(1975)–Willem Oltmans–rechtenstatus Auteursrechtelijk beschermd

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17 レオポル・S・センゴール

L.S.センゴール(Leopold Sedar Senghor)氏は一九〇六年十月九日、セネガルに生まれ、ダヵールの単科大学とフランスのバリ大学に学ぶ。フランスでいくつかの教職を務めた後、一九四五年から四六年まで、フランスで憲法制定会議のメンバーとなる。一九四六年から五八年まではバリの国民議会へのセネガル代表を務めた。

一九六〇年にはセネガル共和国の初代大統領に選ばれ、セネガル進歩间盟(UPS)の首班となる。一九六五年、ハマーショルド賞を受賞。

センゴール大統領はローマ・クラブ会議にもよく出席している。大統領は詩人としての知名度も高く、一九四五年、‘Chanls d'ombres’、一九四八年 ‘Hosties noires’、一九六一年に ‘Nocturnes’ をそれぞれ出版している他、文学作品 の著書も多い。

 

ローマ・クラブの報告はたちまち知れわたるよぅになリました。この報告に初めて接せられた時、閣下はどういう感じをお持ちでしたか。

 

最初は好感を持ちました。なぜなら、成長Ga naar margenoot+というものは絶えず開発Ga naar margenoot+を犧牲にして逹成されてきたわけですから、成長のもたらす危険を重々知っていたからです。

一九六一年に私がアメリヵを訪問した時のことだったと記憶していますが、一度こういうことをジョン・F・ケネディ大統領に申し上げたことがあります。「アメリヵは浪費し過ぎるから、ソ連にまっさきにやられてしまうだろう。例えば原料の備蓄は限られているのにアメリヵは何百メートルもある髙層ビルを無数に建てつつあるからだ」と。西洋世界の浪費の仕方はあまりにひど過ぎます。ですから、ローマ・クラブの報告は歓迎すべきことでした。私は最初に英語版を説み、次にフランス語版を読んでたくさんのノートを とつたものです。

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ナィジェリアのある学者が忠告したように、アフリヵを維持するためには、これは時期尚早であるから、このようなショッキングな報告をアフリカ大陸ではだ公にしない方がよかゥたという点については、閣下 はどのようにお考えですか。

 

ローマ・クラブの報告は先ず第一に西洋世界向けの報告だと考えます。つまり西側だけのことを問題にしているのです。

先にも強調しておいたとおり、西側はあまり浪費し過ぎます。西洋の人々は脂肪と糖分とをとり過ぎるのです。われわれはまだまだその段階に到達していません。われわれには必要最少限の成長は必要なのです。こういう現状にありながらも、同報告はなおアフリヵにとっても有益です。その理由は、量的にいくら拡大しても経済成長は充分とは言えないし、もはや、質的な経済成長へと転換して行かねばならぬことを、その報告がわれわれに教えてくれる点にあります。つまり、ローマ・クラブの報告はわれわれに対しても 思考の糧を与えてくれます。したがって、私はこの報告には多大の関心を抱いております。その報告が出されるはるか以前からローマ・クラブが教示してくれた政策をわれわれはこれまでも実行してきました。実例をあげるならば、一九七二年度にわれわれは、国防費としてはたったの十二バーセントしか使っていませんが、教育と一般訓練、要するに文化活動に対しては全予算の実に三十三バーセントを充当しているのです。

 

象牙海岸国は、一九八〇年までに青少年のテレビ教育費として五億ドルを投ずる予定だと言われます。アフリカは教員の大幅不足がみこまれているようですが、セネガルではどうなんですか。

 

だいたいのところ、他のアフリヵ諸国と似たようなものですが、われわれはナィジェリアや象牙海岸国が実施しているようなテレビ教育を実施する考えはありません。われわれは実用中等教育を行なっています。その理由はこうです。小学校を終えた全ての児童を残らず中等教育へ進めることはわが国では不可能です。しかしそうであっても、これらの児童生徒は十六の年齢に逹するまで学校に行けるようにしてやらなければならないと考えます。つまり、小学校卒業後の四年間、彼等が更に教育を受けることができるように 、われわれは条件を整備し

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て行かなければならないということです。われわれはその解決策をこの実用中等教育に見つけ出したのです。その目標は、これらの児童生徒に一般的な教義を身につけさせると同時に、職業訓練を行なうことによって彼等を立派な漁師や羊飼い、農夫、れんが職人、あるいは家具職人に仕立ててやることを目指しているのです。

この全く新しい教育制度を確立することはわれわれにとって困難な仕事です。この状況にかんがみて、この新教育方法の実施に必要とされる資金を得るため、われわれは世界銀行に融資を申し出ているのです。実用中等教育は小学校を終えた八十バーセントの児童がその恩恵を受けることになりましよう。そして残る二十パ - セントが高等教育へ進学して行くのです。ごらんのとおり、われわれは象牙海岸国とは異なった計画を実行しているのです。しかし、テレビ教育がよい結果をもたらすことになれば - この点に関しては、わ が国は象牙海岸国の成り行きを詳しく追跡調査していますが - 、われわれはためらうことなく彼等のとっている方法に切りかえて行くことでしよう。

 

今朝、アメリカで音楽を勉強していられるという閣下のご子息の話が出た時,閣下がおっしゃった言葉との関連でお聞きするのですが、閣下はアフリカの若者達の未来をどうごらんになリますか。

 

私は性格的に樂天家ですから、どんな問蹈でもそれをシステマティックに、また合理的に究明して行けば、そして短期的な解決を求めなければ、必ずや解答は得られるものと確信しています。

われわれは現在、所得増強を目指しています。独立を逹成した年には国民一人当たりの年収は二百ドルでした。しかし現在では二四三ドルであり、更に工業化時代に入る西暦二〇〇〇年頃までには六百ドルに増加していることと思います。ヨーロッバの方法とはまた異なつたわれわれ独自の方法にょって、経済と文化の開発を互いに平行させて推進して行こうとも考えています。ヨーロッバでは、義務教育、公教育は全ての児童が無償で受けられるょうにすることを目標としているのですが、わが国では教育と一般訓練に国家予 算の三十三バーセントを投じているにもかかわらず、通学は全児童の四十バーセントにしかすぎないのです。われわれは実用中等教育によって、小学校教育を受けた児童も、また受けることの

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できなかった児童も全てがより進んだ訓練を受けることができるよぅな手段を見つけ出そぅとしているのです。更に全地区 - 各地区とも人口およそ二万人 - に、現代農業を教える農業普及センターを設置し、青少年はそこで現地語によって、例えば種子の選別法、トゥモロコシの収狸法、牛馬によるすきの使い方、製材機械の操作法といった技術を学習しているのです。

わが国の海岸線にそった海底には、まだ実利が得られる段階ではありませんが、れきせい油が発見されておりますから、これらの約束を果たすことは前途有望であることはあなたにも理解できると思います。

更に鉄鉱床もあり、水害をコントロールするダムもこれから建設されるところです。したがって、われわれが西暦ニ〇〇〇年までに工業化時代に入れることは充分期待できることです。その頃、われわれは国際的に、特にョーロッバと文化的価値において、アフリヵの独自性を捨て去ることなく、競合できる力を備えていることと思います。

 

閣下は自国民の精神的、心理的価値のことについて言及していられるのですか。

 

そうです。わが国民の心理的価値について述べているのです。独立以来、われわれはセネガル特有の美術、彫刻、民芸織物をすでにいくつかつくり出してきております。

一九七四年の六月中旬頃、セネガル美術展をバリで開催し、順にストックホルム、ヘルシンキ、ゥィ - ンへと巡回して展示会を開催する予定です。

 

オランダでも開催する予定があリますか。

 

このことについては、一九七四年の年末頃、贵国を公式訪問する時に話し合う機会があると思います。

 

エチオピアのハイレ・セラシエ皇帝は、一九八三年までにアフリカ大陸は全ての外国統治から解放されているだろうという見解を、かつてアフリカ統一機構に対して表明されたことがあリますが、閣下はどのよう にお考えでしょうか。

 

南アフリカとローデシアを別とすれば、そう言えるでしょう、ポルトガル植民地は、一九八三年以前に自由になり独立するものと考えます(注)。ローデシアや南アフリカの場合にはもう少し時間がかかると思われます。し

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かしそれでもなお、西暦ニ〇〇〇年までにはアフリカ全体が解放されることはまちがいないと思います。しかしそれは、何もわれわれが白人を追い出そうとしているということではありません。

白人、特に南アフリカやローデシアの白人は黒人やアラブ人、ベルベル人と同様に同等の権利を有するものであることを、アフリカ人はルサカ宣言(Lusaka Declaretion)でおごそかに宣言しています。しかし、われわれは今のところ、白人の権利を更に大幅に拡大しょうとは考えておりません。つまり、南アフリカやローデシアが西暦二〇〇〇年までに解放されているだろうと言ったのは、その頃までにこれらの国々は民主国家となっているだろうという窓味です。

 

ローマ、クラブはメキシコ大続領から、一九七五年度の年次会議をメキシコで開くよう招請を受けていますが、閣下はメキシコまでお出かけになられますか。

 

時間が許せば、喜んでメキシコへ出かけます。メキシコの発展ぶりには特に関心がありますので、行きたいのはなおさらです。

また、メキシコはその八十五バーセントが種々の民族から成り立っている統合社会であり、私が個人的に特に興味をそそられている理由もまさにこの事情によるものであって、偉大な文化というものは結局のところ混合文化だからです。

 

(注)この対淡は一九七四年リスボンで起きたクーデターの二、三か月前に行なったものである。

(東江 優)

margenoot+
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