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Asu no chikyû sedai no tameni (1975)

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Asu no chikyû sedai no tameni

(1975)–Willem Oltmans–rechtenstatus Auteursrechtelijk beschermd

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24 ラガバン・N・イイエル

ラガバン・N・イイエル(Raghavan N. lyer)教授はインドで一九三〇年三月十日に生まれた。彼はボンべイ大学で経済学を専攻し、一九五〇年、ローズ奨学生として政治学・経済学・哲学を学ぶためにオックスフォード大学に入学し、同大学ょり哲学博士号を取得した。インドに帰国すると、世界文化インド研究所で鋤き、インド政府計画委員会議長補佐研究主任となつた、一九五六年オックスフォード大学にもどり、八年間政治哲学を教えた。その後彼はォスロー、ノルウェー、アクラ、ガ一ナ、シカゴの各大学の客貝教授となつ た。アメリカではランド・コーボレーシヨン、ハーパード、ボードイン、カリフォルニア(パークレイおょびロスアンジユルス)で講義した。現在彼はカリフォル二アのサンタ・パーバラに永住し、世界文化研究所の会長である。彼はローマ・クラブの会員でもある。著書には『マハトマ・ガンジーの道徳おょび政治思想』、『ァジア・ョーロッバ間のガラスのカーテン』、『未来は明日だ』などがある。

今(一九七三年)東京て゚開かれているローマ・クラブのシンポジゥムのご感想はいかがて゚すか。

 

ローマ・クラブは、日本で行なわれたこの会議で大きな前進をしました。会員は終末の心理学を超えたものをみつけなければなりませんでした。ローマ・クラブはより積極的な哲学へ向かって模索していると私は思います。

 

『成長の限界』後のメッセージですね。

 

そうです。積極的哲学は多くの国を真に舆気づけるでしょう。私の発言を閗いておわかりのように、私はゲルッエンと同様に、私達は世界の事象を合理的提示や三段論法で変えるのではなく、人間の夢を夢みることによって変えようというのです。ローマ・クラブは未だに社会科学の偽りの舞き - バーナード・ショゥの言う「新しい野蛮人」 - によって惑わされています。システム分

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折、コンピュータその他によって催眠術にかけられています。彼等はまだこれらの技術の支配に大きな信仰を持っています。長い目でみれば、それらは充分なものではありません。私は以前から主張していますが、私违は『成長の限界』への執著を超えなければならないのです。私達は「浪费の限界」と「要求の限界」を研究しなくてはなりません。この考えは建設的で人々の想像力をとらえると思います。ピタゴラスが数世紀以前に言つたように、数学や哲学的意味における限界の感覚を持たなければ、私達の可 能性を最大にすることはできません。限界は正確には制約ではありません。不幸にも大抵の人が成長の限界を話題にする時、制約の意味と解釈しています。私達は欠乏に直面してはいますが、ホッブス流の生存を強調するのはあまり適切ではないというのが私の考えです。

私達は精神的財産と創造的可能性の存在論的豊かさという考え方をとらえなくてはならないと思います。私達は脳の研究によって、全ての人間は脳の力の全体的可能性のほんの僅かしか使用していないことを知つています。脳 - この人間的機構 - には驚くべき無駄があります。この状態は概念上の革新がなくてはどうにもなりません。

人間が単に模做的、適応的な習慣の生物である限り、人間は欠乏、必然、不可能性などに常にとり憑かれています。人間は環をなしてぐるぐると回る癖があります。しばしば世界についての新しい真理と呼ばれるものは、ヵルマ(道徳的応報と倫理的因果体の法則)の沈澱物にすぎません。彼の生涯において何もかもうまく行かなくなり、自分の過去の過ちが欲み重なって、その結果に直面しなければならなかった人は、宇宙の理論をつくり出すかもしれませんが、それは、実を結ぶことのなかった自分の人生への痛恨に 対する淇いにすぎないのです。これに似たようなことがグループ、専門家、社会にも起こっています。彼等は復簪の女神 Nemesis' Götterdänmerung(神神のたそがれ) - 積み重なったヵルマの心理的重荷 - に痛くなるほど直面しています。しかし彼等は自分達の困難を世界についての理論化にすり変えようとしています。さてその気持ちはよく理解できますし、またいくらか惑動的でさえあります。これは愛情の深い人間なら同情しようと努めるところのものです。

しかし今日、若者は知的なもの、創造的潜在力に直観的に気づいています。それは特權的中産階級の論理や機

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械論的なシステムの言語によっては推し側れるものではありません。彼等はまだこのことを概念化してはいず、直観的に行動しており、自分達の感じていることを定式化することができないのです。大きな問題になるのは、世界の知的歴史に充分に気づいている人々、何ものをも恐れない人々、真に独創的な人々が、いたるところの若者の大多数が直観しているものを、それによってしっかりと下から支えることのできる理念を、彼等に提示してやれるかどうかということです。

 

あなた自身はィンド人であリながらカリフォルニアで学生と共に研究されているわけですが、若者のそのような直観的感情を理論づけして得られる思想は、世界中の若者 - 途上国の若者も含めて - を包含できるとお考えですか。

 

ええ、もちろんそう思います。ヵリフォルニアに住んでいる財産のない人々、精神的に抑圧された人々は、世界各地のみじめな財産のない人々と自然に結びつく能力を持っています。同時に彼等は問題解決に際してヤンキー気質の器用さをも持っていて、世界中の、特に発展途上国の、疎外された若者に多くのことを教えることができます。不幸にも此界を旅行して「スリル」を味わうアメリ力の若者は、より優れた精神と忍耐力を持ったここの若者を代表するものではありません。海外の疑似ヒッピー達は、ここで起 こっていることの重大な意味を暧昧なものにしています。

 

あなたは、第三世界について話されていることはほとんどナンセンスだと考えているようにみうけられるのでナが。

 

いわゆる第三世界の代表者達の多くは、未だにGNPの統計指標といった時代遅れの範疇にょって部分的に麻痹されています。しかしこの背後には、彼等は世界人ロの大多数を占めており、自分達の新しい文化的バターンを創造する権利と効果的可能性を持っているという意識が存在しています。

私は特にこのことをナィジェリアからここにきている教授達の中にみつけました。この感情は非常に強く、アジアよりアフリヵで時としてより強くさえあります。長い知的隸厲の中でアジア人のョーロッパ化が成功しましたが、これは偽りの成功です。ところがアフリヵ人はそのヨーロツパ化に努力する過程で自己と大多数の大衆と

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の間に深い溝をつくってしまい、そのことが自己本来の尊厳と自信とを刺激して、今や彼等は根本的疑問を自分連達に問いかけているのです。もし、今から三十年後に理念についての真の感励や新しい社会建設がどこに生ずるかを問われるとすれば、それは私が第一世界と呼んでいるアフリカニアジアとラテン・アメリカにそれが実現するでしょう。

これらの事態はまた、一方では今中国で起こりつつあることによって、他方ではィンドで起こっていることによって深く影響されると思います。この両国は両極端です。この過程で、決定的な影響力を持ち得るのは、日本でしょう。日本人は今や決定的な段階に违して、第一世界 - あなた方の俗語では第三世界と呼んでいますが - には属していません。というのは日本は今や先進国の最前線にいるからです。同時に日本人はアメリカや西ョーロッパ人とも根本的に異なっているということを非常によく自覚しています。多 数の日本人があれこれの方向に揺れ動こうとするかもしれませんが、他の人々はこういった曖昧な方向は稱神分裂的人格をつくるのではないかと危惧しています。というのは彼等は一方では自分達の古い文化儀式に固執していますが、他方では近代化の儀式をも取り込もうとしているからです。端的に言えば日本人の問題は、儀式や形式と、もっと根本的な再生あるいはルネッサンスとの対立であります。日本人のルネッサンスといえども他から借りなければならず、折衷的にならざるを得ませんし、同時に野性的にな り、危険をおかさなくてはならず、また新しい諸理念の完全な世界をつくらなければならないと思います。

私の考えるに、まさにこの点において、ョーロッバの古い思考パターンが特に政治哲学の面で停滞することになったのだと思われます。これらのイデオロギーはもはや通用しません。不幸なことに非ョーロッバ世界、特にアジア=アフリヵ世界の多数の人々まで伝統的なイデォロギーにょって制約を受けています。初めは彼等もアラブ社会主義、インドネシア社会主義、インド社会主義などを発展させょうと努力しましたが、これら全ての努力は今や陳腐な空言になりました。なぜならば人々は自己規定という巨大な要求 について權威のある政治的理念をみつけることが皆目できなかったからです。

これは今日日本で起こっているものであると私は感じますし、それはまた中国で起こっていることにも関連するでしようし、結局はインドで生じることとも関連して

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くることと思います。

 

私の印象としては、中国と日本とて゚発生しつつある爆発的な諸事件がインドをも早晩圧倒するのではないか、と思われます。

 

インドについて最も重要なことは、マハトマ・ガンジーの精神をもう一度考え直してみることだと思います。ガンジーはこう言つたことがあります。「私の死後、インドは私の思想を完全に忘れて反対の道を歩むでしょう。しかし三十年後に全くの必要に迫られて私の思想にもどってくるでしょう」、と。このことは今実際に起こり始めていますし、それは加速化するでしょう。

これは、インド独立運動に関して起こったことと同様です。エリート - 知識人 - が必要に迫られてガンジーのもとへ従ったのは、自由主義派も過激分子も失敗してしまっていたからにすぎません。ガンジーだけが大衆に訴える力を持っていたのです。私はインドは社会経済構造に関して同様な状況に政面するだろうと思います。インドは、日本のように、伝統的諸価値を抑圧することなくかつ新しい動機づけを創出して実現したと同じようなことは、とてもできそうにないと気づくとき、また、インドが必要に迫られて、自 分がこれまでガンジーのシンボルをもてあそんでいたにすぎず、その精神にまで至らなかったことに気づくとき、その時インドはもっと根本的な問いかけを自らに課すでしょう。そうすればたぶん真の革命が起こるでしよう。むろんこのことは徹底して強力な基礎が必要です。これは他の運動からも学ばなくてはなりませんが、どんな変化が起こるか、今予測することはできません。しかしそれは、ガンジーが提示した根本的問いかけと言うべきものを再吟味することから始まるでしよう。トルストイの中心的問題もこの 点にありました。すなわち、「人間はどれほどの土地が必要か」、と。あるいは、人間が充実した意味ある生活をするためには世界の物資はどの程度必要か、ということです。

 

これについてはローマ・クラブ会貝て行動主義者であるジョン・ブラット氏〔本書第一巻対談9参照〕も同じことを首っています。

 

私はプラット氏と個人的に話してみてわかりましたが、彼は興味ある人物です。彼は行動心理学者としての訓練を受けていますが、霊的文化の重要性に気づいています。ミシガン州で三千人ばかりの若者が瞑想について

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話し合ぅために集まったことがありますが、これについてプラット氏は、なぜこんなに集まったのかと、非常に興味を示しました。

 

東洋の文化にひかれたのですね。

 

このことについてブラット氏と話しました。これらの兆候がアメリカ自体の中の非常に古いもの、すなわち、アメリカの遊牧民(注1)は家もなく根なし草で絶えず自己の規定の必要に迫られているのですが、彼等の観念と何か閲連があるのではないかと思います。まちがいなくアメリカ人の夢 - 現在の制度には関係ありませんが - の背景にはある純粋な衝動があって、蠢Ga naar margenoot+いているのです。アメリカ人はあらゆる限界にもかかわらず歴史上独特の人種です。たぶん彼等の理論と実践との間にはきわめて緊密な結合が あります。アメリカ人の理論には時によくないものがあります。彼等の実践は時に野蛮性があるかもしれませんが、理念を真剣に取りあげます。彼等にとっては理念は足を持っています。そこでもし理念が彼等に訴えるものであれば、彼等はただちに実行に移すのです。

ご存知のようにョーロツバでは長い間、もちろんインドのバラモンの問でも、人々は理念をもてあそんでいるだけです。これはほとんど、一種の自慰にまでなることがあります。人々は実際に自分の行為を変えようとする意図はなくて、ただ理念の遊戯にふけっています。ところがアメリヵにおける理念と実践の緊密な相互作用は若者の現代的革命の次元としてたいへん重要です。

さて現代の革命とは何でしょうか。私はそれについて長い間考えてみました。これは制度の革命や人間性の変革ではありません。人間性が根本的に変化するのを私はまだ見たことがありません。そうなるとこれより微妙な革命なのです。それはまさに人間と制度の関係に注目するのです。更に、より第一義的に重要な人間同士の関係も含まれます。役割の柔軟性、規則に対する懐疑、相互受容の無条件性などに向かって人々は手探りしています。

例えば、高校、大学における採点制の残酷性とばからしさを取りあげてみましょう。どの学生もこの制度に同調するか反対するかという危機的な瞬間が訪れるでしょう。もちろん、これには第三の进もあって、自分に役に立つ部分のみをみて、それから利益を吸収し、他の困難な問題については一切無视することを学ぶのです。若者は固定的な役割から離れて相互にコミュ二ケートする道

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をみつけつつあります。この全く新しい態度 - 制度に一定の距離を批判的に保つこと一は心理的に非常に重要です。

ローマ・クラブの会員は古い世代に属する人が多く、彼等は制度化に大きな信煩を寄せています。これは第二次大戦の遗産であり、メガロポリスやある種の世界政府を追求するものです。制度化に対するこの種の信頼は大きな誤まりです。私は現代の革命が新しい制度に表現されるとは思いません。もし仮りに成功しても、未成熟な制度になり、流産し失敗するでしょぅ。革命について进要なことは物事をやり遂げるその方法であって、これは必ずしも形式化を求めるものではありません。これを哲学的に理解するならば 、私達は人間のコミュ二ヶーションにおける形式化できない部分を重要視すべきです。例えば日常の会話における目や手の動作、真か偽の二元論的発想を超えたものです。

 

あるいはコンビュー夕で計算できないものでナね。しかし革命と人間の心の深い関連性はどぅなリまナか。マーガレット・ミード〔本書第一巻対談4参照〕は七十年代は頭脳の時代だと言いました。実際私達は頭脳がどういうふうに働いているか知リません。それなのにきたる三十年間に生まれ出る三十億の新しい子供達に何をしてやれるでしよう。私はも节ろん、この採点制度を廃止すること以外に、と言っているのですが。

 

そうですね。私達はおそらく、ここ五十年間でそれまで人類の全歴史が獲得したものよりも、より多くの人間の頭脳に関する事実を積みあげてきました。しかし、私達は新しい理論を持つには至っていません。私達はまだ十七世紀的思考にとらわれています。若者はカリフォルニアや全米、カナダで新しい様式の创造性、高い意識に向かって前進しています。彼等は真剣に瞑想に専念し、まちがいをしながら実験し、思考の力、創造的想像力 - インドの伝統では「クリヤシャクティ」と呼ぶもの - を学びつつあります。

現在アメリカでみられる若者の行動は日本やアジアの未来に非常に関連があります。日本について思いを深めれば深めるほど、日本人はアメリカの生活・労働様式をラ単に模倣しているのではないことがわかります。日本人は常にイメージの創造に優れた素質を持っており、意志

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力を解放するィメージ造りに特に傑出しています。もちろん多くの日本人はそれを意識的にやっているのではありません。日本人も時に幻覚にとりつかれることがあります。そこで次のような決定的な疑問が起こります。非常に商い自己意識を体現できる人がアジアやその他世界のどこかに出現するでしょうか。これを知的表現で言えば、同時に多くの異なった形而上学的展望を持つことができる能力を意味します。カントが形而上学の未来という論文の中で述べているように、人間には多様な心の状態があるのと同様 に多くの形而上学的枠組みがあるということです。もっとも、この考えはカント哲学の他の部分とはうまくそりが合わないのですが。

私は未来の人間、明日の人格はニーチェ的、フロィト的、マルクス的に世界を眺め、同時に禅やシャンカラ(注2)、その他多くの解釈を許容する人問になるだろうと信じます。そしてもし未来の人間が異なった見方を同時に包含することができるなら、知的柔軟性を学ぶでしょうし、系統的に瞑想に專念することができる人々は有利な立場に立つでしょう。社会科学は未だに変化に対する適応に重点を置いています。連続性を理解するための基礎は現代の行動主義的研究にはありません。人生の誕生から死までを結ぶ生命の連 統的糸は何でしょうか。ここでは古代東洋が非常に重要になります。クリシュナ(注3)は『ギータ』の中でこう言っています。「人は皆、誕生、死、病気、堕落、過ちについて瞑想しなければならない」と。ブラトンにとっては、人は、死の恐怖を克服するまでは哲学者、真の知恵の愛好者ではないのでした。これは集団的精神病の問題、意志の薄弱化 - 生者と死者とを隔てる問題 - に関連してますます重大になっているものです。疑問はますます大きくなりつつあります。誰がいったいこの加速的に変化する社会の中で自覚的に 意識の連統性を回復することができるのでしょうか。

この問題は特にアメリヵで強く現われています。なぜなら意識がますます分裂し、感覚的ィメージが溢れている状態が日常になっているからです。今日、明日のことで、何か覚えることさえ不可能になっています。道徳さえも意味を失いつつあります。というのは今日何を約束したかをも忘れてしまうし、一週問後に何があるか知らないからです。意識の連統性を回復するために、より根本的な解決の必要に迫られます。私はアメリヵではこの問題があまりにも逼迫、必要に迫られているためにだけでも、何か新しいことが 試みられているという印象を受

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けます。やがてこの種の活動はインド、日本、中国その他の国に眠っている霊的文化遺産とのつながりを見出すことになる、またそうしなければならないと思います。私達は何かとても驚くべき変化に出会うだろうと思います。

 

それではこれは、豊かな国が第三世界との真のコミュニケーションをするために、何か重要な影響をもたらすものですね。

 

たいへん重要な影響だと思います。これらは更に新しい意識に到達した人間の真実性を外的な信号や要求とは関係なしに、確かめる能力を持つことを意味します。まだ人間の心には無意識の微妙な部分がいくらも残っています。今日われわれは、ある人がインド人であるからと言って、彼はインド文化に根をおろしているとは言えない場合もあることを知っています。ある人が日本人であるからと言っても、必ずしも禅について知っているとは言えません。しかし古い種族の遺産が残っていて、それが陰微な形の人種差別を 促進する働きもあり得ますし、それがまた補償的に救済者待望論を生む契機ともなり、手つとり早い救済、代償的な贖罪の対象を求めさせるのです。しかしこれらの概念は今やますます挑戦を受けています。なぜなら自己信頼に衷づけられた新しい人間が出現しているからです。彼は手つとり早い救済も、贖罪の野羊も欲しません。新しい人間は連続的な糸 - 古代の書に言う「生命線の瞑想」と呼ばれているもの - を求めています。私はこういうことをなし得る人、同時に、社会で自己の役割を効果的に実行している人、これら の人々が明日の社会を創造する真の開拓者だと思います。

(注1) たぶんアメリカ・インディアンのことだと思われる。

(注2)八世紀のインドの大哲学者。

(注3)インド多神教の中でも大衆に最も人気のある神。聖典バガバード・ギータの主人公アルジユナの哲学教師。

(亀川正敬)

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