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Asu no chikyû sedai no tameni (1975)

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Asu no chikyû sedai no tameni

(1975)–Willem Oltmans–rechtenstatus Auteursrechtelijk beschermd

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25 アレクサンドル・エフレモフ

アレクサンドル・エフレモフ(Alexandor Efremov)教授は一九一二年ソ連に生まれ、モスクヮの外国語学院で学んだ。一九六〇年から六一年まで『海外事情』Ga naar margenoot+誌の編集員、六一年から六五年までソビユト外国人ジャーナリスト機関の仕事に関係、後にソビ - ト・ジャーナリスト協会の理事となる。一九七二年、ソ連邦労働組合の幹部養成学校の事務局長に任命され、現在は、ッビェト平和委員会の下部機関である広報委良会の議長である。著書には『限定戦争の内幕』および『ョーロフバと核兵器』などがある。

 

デ夕ント(緊張緩和)という首葉はソ連ではどのように解釈されているのでしょうか。

 

デタントという言葉は、われわれの場合ももちろん、国際緊張を緩和しそれによつて軍事対決の可能性を縮小して行くということを意味します。これが最も大事な点です。しかし、われわれは、これに加えて、この言菜を、政治、経済、科学技術、文化の各分野にわたる協力関係の可能な限りの拡大という意味でも使うのです。要するにデタントは軍事対決の終結とか縮小とかの意味に限定されているわけではありません。

こういう緊張緩和が確固たるものとして定着し、後戻りのないようにするためには、国家や国民間の信頼の雰囲気の改善が同時に進められる必要があります。われわれが特にこういった協力関係を強調しているのはこのような協力こそがデタントの主要な基礎だと考えるからなのです。この考えを持つグルーブの方が軍事的緊張緩和を先ず行なうべきだと主張するグルーブよりはるかに成功していることは、ここ二、三年来の経験がよく実証してくれるところです。充分なる政治的努力と信頼関係の雰囲気をつくり出すこと もしないでいて、単に軍事的に平和を維持しようとしたところで、デタントの確固たる基盤となり得ないものであることは過去の経験が教えて

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くれるところです。

これまでに一方的な軍備縮小の試みはいくつもありました、しかしながらその場合でも政治的対立は常に持続し、それに続いても緊張が急速に出現、そのたびごとに軍事費が増加されてきました。この経験だけからでもわかるのですが、軍事対決のエスカレーション、国と国との間に暴力の使用を招くょぅな緊張のユスカレーションの可能性を除外して行く状況をつくり出していくことこそ重要なのです。だからこそ、われわれは、国と国との間に、ある稀の原則をつくり出すことに大きな価値を付与するのです。例ぇば、 有益な協力関係あるいはソ連が米国やフランス、ドィツ連邦共和国その他多くの国々との間で締結に成功した協定や条約の中ではすでに反映されているょぅな原則はもちろんのこと、現在の国境を承認したり、暴力の使用やその脅威を排除することに、ゎれわれは大きな価値を見出しているのです。

これらの原則が単なる反古、単なる空虚な言葉としてでなく、全ての国の人々の心理の中に確固として浸透して行けば、真の緊張緩和は必ずや保障されるものだと考えます。

あなたのもう一つの質問にもどりましょう。米国が、西アジアに交戦が発生した一九七三年の十月に、軍事的な非常事態を宜した時、あるいは米国が核兵器を含め、軍事力の增強に充分な体勢が整った時、われわれは何を考えていたのかということですが、その答は次のとおりです。その時私はモスクヮで開催された世界平和会議に出席していて、特にョーロッパ諸国の多くの同僚達と話し合う機会を持つことができました。それというのも以前私は全欧州安全保障会議の仕事をしていたことがあったからなのです。平和会 議には四百名にものぼる代表者 - 大半がョーロッバからきた代表者 - がきていました。もちろんラテン・アメリカやアフリカ、アジアからも多数の代表者がきていました。そこでアメリカのとった行為に関して意見の交換をしましたがその時の印象では、こういう事態のもたらす結果については誰もが驚愕の気持を抱いていたようです。申すまでもなく、このような行為は全面的な緊張緩和やデタントに全く逆らった行為なのです。しかしほんとうの理由は他にあるのではないかと思います。これは私個人の意見でまだ公表した ことはありませんが、ここであなたに申し上げることにしましよう。私には、米国政府のとったこの行為は米国の国内事情、特にウオーターゲート事件といろいろな関

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係があったのではないかと思われます。ニクソン大統領はその期間中に自分の大統領としての地位が著しく微妙な事態に陥ったため、国民の注意の目をそのことからそらす必要を感じたのでしょう。またそうすることによって自分に向けられた批難の目を分散させようとしたのです。これは周知の事実なのですが、その期間中米国民は録音テーブがどう処理されるか、等々に非常な関心を抱いていました。これは誰でも知っていることです。こう考えますと、あの緊急事態宜言はそう逭大な事態ではなかったのでないかと 私には思えるのです。しかし、もちろん、問題はそんなことではないのです。いったんある政府が緊急事態の宜言をしてしまうと、その政府があらかじめ考えていたのとは違った形で進展して行くことさえあり得るということが問題なのてす。

こういう場合には、いろいろな要因がその政府の当初の意図や意志に反して逆効果の作用を表わし始めるものであることを肝に銘じておかなければなりません。こうして非常に危険な状態が生じて、それが、われわれの文明全体を破壊するかもしれない紛争を不慮にも引き起こし兼ねないものなのです。ですから、こうした試みは当然ながら非常に危険な行為なのです。米国政府をして非常事態を宣言せしめた事情の如何を問わず、米国政府のこのような行為はそれ自体が世界平和に対する重大な脅威なのです。西欧諸国が 、この事件に関して何らの通告も受けていなかったという事実を憂慮していることは充分うなずけることなのです。ご存知だと思いますが、米国陸軍が臨戦体努に入ったという事実が同盟諸国に対して通告されたのは朝でしたが、実は通告を受けた時にはすでに米国の全軍が臨戦体勢にあったのです。西欧諸国からきたこれらの代表者達がこのような行為に驚いたことは十二分に理解できることです。なぜ、このようにきわめて重大な事柄が、それは、ィギリスのヒースや西ドィツのブラント、フランスのボンビドー等といつた米国のバ ートナー達と電話を通じてさえ協議されることもなく決定されてしまったのは、いかにも奇妙に感じられたのです。いずれにせよ、世界の至る所に駐屯しておりョーロッパにも基地を持つ最大の軍事力が緊急体勢に突入すれば、それは決して小事ではあり得ないのです。

だからこそ、一九七三年の中東紛争の数日間に起きたこの事件が、こういった性質の行動が再度繰り返されないための条件をつくり出すことはきわめて重要なことだ、ということを再度示したのです。

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かつてノーバート・ゥィーナー教授は正確な情報の得られないところに進歩はあリ得ないと書いたことがあリます。デタントという言葉は文化レべル、特に情報レベルにおける交流を意味すべきであるというのが西側における意見です。これは例えば西側にボリショイを送リ出すということだけでなく、マスメディアをも自由に交流ができるようにすることを意味します。しかし、私がモスクワにいて『ニユーョーク・夕イムズ』とか『ル・モンド』あるいは『二ゥヴェ・ロッテルダムゼ・クラント』等、非共産系の新聞を入手ナる ことは全く不可能に近いことなのてす。

 

活きた文化交流はデタントにとって、あるいは国と国との一般的な協力を改善して行く上でも、きわめて重要な要素となります。この点でソ連の国民は文化協力に関心を持ち、これを例えばできる限り多数の一般大衆の中で、科学者や、画家、作家、詩人等の各グルーブの中で、できるだけ発展させて行こうとすることに協力的なのです。このょうな文化交流に関してはあなたも私も楽観的だと思います。それは平和と結びついた形で進行して行くでしょう。しかしながらわれわれにはなお、この点に関して一つの疑念があ るのですが、西側はこのわれわれの疑念を理解すべきだと思います。

ソ連には青少年の教育や社会教育を行なう上では一つの伝統ができあがっております。したがって、国民の道徳的なレべルを低下させるような宣伝等が国内に入り込むことには当然ながら警戒の目を向けます。われわれは国民の道徳レべルを低下させたくはありません。現在多くの国でみられるような麻薬マニアの危険性、あるいはギャングの狂暴化等については充分過ぎるほど知っています。若者達の間にはやっているいろいろな気紛れ心は、われわれの世界に入ってくれば非常に好ましくない結果をもたらすことでしょ う。われわれは、ある国では自由に入手できるボルノが拡散されて行くことにも反対です、こうした点については、われわれは独自の文化的伝統をつくりあげてきています。

西側諸国との問で全面的な文化・情報交換を推進して行くことができるように保障し、その観点に立って残る問題 - 総合的に問題をとらえて - を解決して行こうとするならば、われわれはその解答を見出すでしょうし、それはヒューマニズムと人間の文化のいっそうの発展とに資することになるでしよう。

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ソ連で翻訳出版される西側の書籍は、西側で翻訳されるソ速の文献よリ、ずっと件数が多いという印象を受けます。最近ソ連はモスクワに著作権を扱う役所を開設したようですが、これはお互いの出版物の相互交換に対して大きな前進となるものだと思います。

 

この新しい役所の责任者はボリス・バンキンという私の旧友です。彼も私と同様にかつてはジャーナリストでした。ソ連において新しく著作権機関が設立されたことは文化的著作物の分野で西側諸国との交流を促進して行くものであり、有益なことだと考えます。これはどちら側にもこういった部面である稀の秩序をもたらし、更にはソ連や西側で新しく出版されるところの著作物に関する悄報を得る上でお互いの手助けとなることは確かだと思います。ですからソ連国民もこの機関の設立には大きな価値を付与しています。

昨年『ョーロッバと核兵器』という私の本がモスクワで出版されました。この本の複製が米国政府商務省の手でワシントン・D・Cで出版され、私の手元にも届いています。しかし、四百頁ほどのこの本がゼロックスで複製されているのです。もちろん西側とは著作権協定を結んでおりませんから、私の本が通常の方法によって西側で出版されることはできません。ですから、現在では、準非合法的な手段 - そう言ってよければ - を通じて出版されているのです。

もしもわが国の科学者達の意見や本がこれまで以上に西側で出版されるならば、お互いに他をよく理解することからもそれはきわめて逭要なことだと考えます。

 

自由主義世界では、ソ連の考えているデ夕ントの意味については混乱があリますが、同様に「具体的な平和共存」というソ連とソ連政府が考えるものについても、いろいろと解釈されています。

 

全くそのとおりだと思います。およそ、どんな社会でもその中にはいろいろ集団や階級があって、その間ではある種の闘争が絶えずあるわけですから - 人類の歴史は絶えずこの種の闘争のあったことを示しています - 将来もそれが存在するであろうことは疑いえないことだと思います。「平和共存」とは、二種の異なった社会構造を持った国が共に存在しているということなのです。資本主義国家という一方のシステムの中では生産手段は私有であり、また他方の社会主義国家ではその共同所有

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が優先されています。これがこの二つのシステムの主な相違点です。平和共存についてのわれわれの意見はこうです。つまり、どんな国であろうと、またこの異なった二つのシステムのどちらであろうと、将来その国が発展し、また平和競争をして行く中で、特にどちらの体制の方がより繁栄をもたらし、また勝利する体制と言えるかを示して行くことだということです。この点で想い出すことなんですが、わが国の創設者であったレーニンは、経済政策を通じて、経済的な成果によって、われわれは見本を示すべきだと書い ていました。われわれは高い生活水準を確保して行くために、また国民の文化的、精神的欲求を大いに充足させて行くために、この目標の達成には最大の注意を払っているのです。そしてもしこの点でわれわれが大きな成果を収めることができるならば - その成功をわれわれは信じて疑わないのですが - その時なお資本主義体制にとどまっている国々に対して、それ相応の影響を与えることができると思います。

ラテン・アメリヵやアフリヵ、アジアの国々の発展のあり方をみてみると、これらの国でも今では生産手段の国家所有の形態を達成しようとしていることがわかりますが、これは偶然ではないのです。そうすることによつて、経済発展のための安定した条件が形成され経済危機を回避することができるのです。

われわれの考えるには、平和共存とは、特に、どの体制でも、それが好む方法で発展し、また、住民の生活水準の向上やその必要充足といった、諸目標を達成できることを示す機会を与えられるべきだという意味に解されなければなりません。これが、われわれの言う平和共存です。つまり、各体制は独自の発展 - 種々の方式での発展 - を示すべきであり、しかし、他の体制に同じ方向の採用を強制してはいけないのです。

われわれは、革命の輪出にも反革命の輪出にも反対です。

平和共存という枠組の中での国際的な緊張緩和の問@に関してはもう一つ論ずべき点があります。つまり、国際緊張緩和は平和共存の実現における一つの大黑柱であるということです。なぜならば平和共存は全面的な緊張緩和という手段を通して初めて可能だからです。もう一度繰り返しますが、このような緊張緩和は単に軍事的な対決を弱めることによって達成されるべきものではなく、経済・科学・技術・文化の各分野にわたって双方から可能な限りの広範で有益な協力をして行くことによつ

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て、成就されて行かなければならないものなのです。

 

北大西洋条約機構(NATO)の事務総長は私が尊敬している同国人で元外相をしておられた方なのですが、ー九七二年、アメリカの『ニューズゥィーク』誌との対談の中で、緊張緩和の問題をとりあげ、こう指摘しています。つまリ、「平和共存」について、われわれと異なる体制を持つ世界との間には概念の相違があるのだと。そしてまた、ソ連が平和を論ずる時でも、実際の関心は戦争だけにあるのだと強調していました。これがその当時のNATO高官の見解であったのです。ルンス氏は単なるおとぎ話の煽動者にナぎな いのでしょ うか。

 

ルンス氏のデタントに関する見解には、当然ながら目新しいものはありません。私は彼の前任者であるマンリオ・ブロシオ氏が事務総長に就任される前夜にも全く同様なことを言つていたことを想い出しています。一九七四年に出版する予定なのですが、『ョーロッバの安全保障とNATO』という本の中で、この問題を私は深く論じています。私はブロシオ氏の言うソ連の脅威という神話については特に注意を払って書きました。この神話は、NATOのある種の考えを実現して行くための可能性を与える主要なドグマとして、NATOの歴史の中 では今でも絶えず重要な役割を果たしているものなのです。

歴史の教訓はたいへん教訓的だと私は思います。軍縮の問題が出てくる時、ソ連の脅威という神話がいつも復活するのです。

冷たい戦争の第一段階が終わりかけた頃 - 一九五〇年代の初め頃の、あの好ましからざる事態が進行していた頃 - に、ソ連がョーロッバを攻轚する可能性があるかどうかという論争があった時に、問題はいつ戦争が起きるかということではなくて一九五一年の何月に起きるかということなのだ、と言っていたあの一九五一年一月のロリス・ノルスタット将軍の声明が想い出されます。NATOの最高司令官の見解はこうして白日のもとにさらけ出されたのです。私は、同様な見解に立って『權カと政治』という本を書いている米国の空軍長 官T・K・フィンレターの言葉を同時に想い出します。彼はこの本の中で、ソ連が米国の主要都市や産業の大半を破壊するような奇襲攻轚をかけるのに充分なだけの爆弾と航空機を持つようになる日は間近いだろうと書いています。当

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然ながら、このような言い草が誤まりであったことは後日認識されるようになりました。

NATO軍の副総司令官、陸軍元帥モントゴメリーは、一九五九年の四月、ロシアが西側を攻搫する意図のないことを認めていますが、これとて非常に尊大な立場から言われているのです。一方NATOの軍事費は一九四九年から五四年までに、一八七億ドルから五六三億ドルへ増額されています。これは僅か五年間に三倍以上に增やされている計算になるのです。

世界に対する東洋の脅威という神話は一九六〇年代の初め頃再び大規模に流布されるようになりました。例えば、共産国の攻搫に備えるべきだという呼びかけが広まったときの一九六一年、ォスロではNATOの理事会が開かれています。新たな軍備競争が呼びかけられました。そして一九六〇年代にはNATO軍の軍事費は更に一〇〇億ドル増額されました。そして後になって、ソ連の巨大な軍事計画なるものは全く存在していなかったのであってソ連の軍事計画に関する西側のデータが完全に不正確でぁったために、軍事競争を正当化す る理由はみつからないことを米国のマクナマラ国防長官が承認したのです。これらの出来事は全て計画的なデツチあげだつたのです。この問題に関するルンス氏の現在の論旨をみてみますと、ソ連が西欧という小さな赤頭巾ちやんを攻搫しようとしている狼のような振舞いを演じていると思い込ますような効果をもたらす直接的な表現は、もはやどこにも見つけ出すことはできません。それではあまりに幼稚すぎますから、今では誰一人としてこんなことを言う者はないでしょう。ロシアの脅威が存在することを匂わすためには 今ではまたもっと紛らわしい別の手が使われています。例えば、ソ連はその勢力範囲を次第にョーロッバ全土に拡大する状況をつくり出そうとしているのだというのです。英国の陸軍省の議論には更に興味深いものがあります。ピーター・ブレイカー氏の理論は次のようなものです。ソ連は資本主義諸国と正常な関係を発展させて行こうとは考えていないのだ。なぜならば、西側と経済戦争をしたところで勝ち目はないのだから、西欧社会の存在にはがまんすることができないのだ。したがって、ソ連は結局のところ武力使用をより重 要視することになるであろう。このため、ソ連の脅威は特にこの武力行使に存 するのだと。このことから更に、ソ連が巨大な軍事力を建設しつつあるという事実無根の想像が引き出されるのです。

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西側はこういった言動にもっと客観的な態度をとるベきだと思います。なぜならば、過去においてソ連の軍事計画に関するデータがデツチあげられたものであるという教訓があるにもかかわらず、このようなデツチあげが今後もなお起こると思われるからなのです。例えば、J・F・ケネディは大統領としてホヮイトハウスに入つた時、ソ連がNATO軍よりはるかに多い、およそ一七五個師団からニ〇〇個師団の兵力を擁していると述べているNATOから提出された資料を再点検させています。これらの数字の再検討の後、マクナマラ国防長 官はケネディー大統領に対して、ソ連の師団数は報告された数の半分しかないと報告しています。

最近再びソ連の巨大な軍事計画のことや際限のない軍備競争等の話が聞かれるようになりました。これらの風評は、すでにおなじみのデツチ上げさえ足もとに及ばないようなおとぎ話なのです。例えば今こういうことが言われているのです。ソ連の軍事支出は - これはなかんずく、ロンドン戦略研究所が発表しているものなのですが - 一九七二年に七七〇億ドルだというのです。これは米国の支出に比べてさえやや高めだと言われています。しかし米国の一九七二年の軍事支出は実際には七九〇億ドルに违しているのです。ソ連は 予算によると一七九傲ルーブリ(二〇〇億ドル弱)を使っています。

おもしろいのは、こういった数字のごまかしが今でも西側の軍事記事などにみられることです。例えば私は最近執筆中の自分の論文との関係である専門誌の軍事評論をみたのですが、この専門誌は当座の結論としてこう書いています。つまり、NATO諸国の軍事予算はヮルシャヮ条約国のそれより二十バーセント商く、師団の数もソ連およびその同盟諸国より多いと指摘しています。ソ連が巨大な軍事的潜在力を持ち、そのために西側の安全が脅迫されていると断言したり、あるいは表面は緊張緩和の政策をとっているが実は武装強 化をねらっているというような言動は、ばかばかしいものであることがおわかりでしょう。それは西側の国々における軍事的実状にもそぐわないことなのです。ルンス氏の意図は当然理解できることです。なぜならば、氏は、いかなる犧牲を払ってでも軍事費の增加傾向は維持して行きたいと考えているのですから。ここでもう一度指摘しておきたいことがあります。もとのNATOの最高司令官A・J・グッドバスター将軍は、一九七〇年、ョーロッバでは巨大なソ連軍事力の建設がなされつつあると言明して軍備競争

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の復活を主張すると、はたしてただちに軍事費が增大されているのです。ョーロッバのNATO諸国の軍事費は、前年に比べて一九七1年に一三億ドル、一九七二年には五四億ドルそれぞれ増額されております。この数字からしても、軍事費のこのようなすさまじい增加がソ連の軍事的脅威に対する宣伝的なキャンべーンと結びついていることは明らかです。この点については次のように言えます。つまり、どの権力も自分の好きなことを言うのは自由ですが、われわれは常に事実を考慮しなければならないのです。

事実はきわめて明白なのです。ソ連が真の緊張緩和を目指していることは、ソ連政府の公式発表のみならず次のような実際的な行動からも明らかなのです。つまり、戦略核兵器の使用制限に閲する条約、ゥィーンの軍備縮小会議での軍備縮小に関する交渉過程でなされた提案、安全保障理事会常任理事国の軍事費の十バーセント削減提案、その他多くの取琪的緊張緩和に関する提案等々、がそれです。このソ連の脅威という物語に関する限り、それが軍備競争を被い隠す一つの宜伝であることは、歴史がとっくの昔に証明してい ることなのです。

われわれは、冷静に、辛抱強く,現実的にそして静かに軍事的緊張緩和に関する交渉が成功することを、またそのための相互協力が促進されて行くことを目指すべきだと考えます。そうすることによつてのみ、このような神話の一般公衆に対する影響力は弱体化されて行くのです。

 

モスクワは軍縮交渉には誠意がないと、絶えず西側から指摘されているのですが、それは例えばソ連が、軍事問題に関して話し合うために特使として派遣されたNATOの前事務総長のマンリオ・ブロシオ氏の受け容れを拒否したからではないかと思われます。

科学者としてのあなたご自身の見解をお聞かせください。

 

以下は私の個人的見解ですが、いかなる政府と言えども、次のような人とは話し合えと言われても話し合えるものではありません。例えば、デタントに関して絶えず疑惑を表明したり、真の平和共存をスタートさせることについて絶えず相手に誠意がないとして批難したり、結末のないィタチゴッコの軍備兢争を背後であやつっていたりする人と、話をしなさいと言われても話ができるものではありません。またこのような人を全北大西洋ブロ

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ックの代表として選ぶこと自体が、使節派逍に対する誠実さとその成功の可能性について疑惑を持たせるのに充分でしょう。これはブロシオ氏の人格と関連した問題の一側面です。だがもう一つの側面があります。すなわち、わが国は他の多くのョーロッバ諸国の立場も考えに入れているということがそれです。換言すれば、兵力削減問題は現存するブロックだけが討議すべき特権を持つべきものであってはならないのです。ョーロッバのおよそ十五か国はNATOにもヮルシャヮ条約国にも所厲していません。ですから彼等の背後 で行なわれる話し合いがたとえどのようなものであろうと、それは、これらの非ブロック国の不服を買うものであり、それが更にわれわれの話し合いの一般的な雰囲気をいっそうかき乱す原因となってくるのです。

私は右の二つが主な理由として考えられていると思います。

 

世界の経済問題とエネルギー危機の問題とを念頭に入れて考えていただきたいのですが、現在年間二千億ドル以上のお金が破壊兵器の製造に浪费されています。この兵器から人類を守るために、軍縮はあらゆるものに優先されるべきだとお考えになリませんか。

 

現在のョーロッバ諸国におけるユネルギー危機は多方面に影響を与えています。特に未来はどうあるべきかという問題に影響を与えていることはまちがいないと思います。この危機を乗り超えるための第一の主要なステッブは軍事対決を中止することです。軍備を縮小すれば莫大な経費の節約ができます。軍事費として年間ニ千傲ドルが計上されていることをわれわれは充分知っています。これらの資金を平和のために使用すれば、現存する地球資源は十二分に利用することが可能なのです。更に、危機を収拾するための主要な 通路は第一に軍縮ですが、しかも、それに加えて、社会制度はたとえいろいろ異なっていても、国家間の大規検な経済的な協力関係を並行して進めることは、いっそう効果的でしょう。平和共存と緊張緩和が実現されるならば、ェネルギー危機のもたらす結果を収拾する上で、これは最大の効果ある保障となることでしょう。これは更に危機が悪化することを防止することにも役立つものと考えます。

 

ご存知のようにMITの研究である『成長の限界』は西欧諸国ばかリでなく多くの国々から多大の関心が

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寄せられています。明白な『成長の限界』、人口問題、貧しい国と富んだ国の間の天然資源利用に関する規則、あるいは地球上の富を社会的に公平に分配をする方法などといった問題について、ソ連の科学者も懸念をお持ちでしょうか。

 

あなたのこの質問は、社会制度のいかんにかかわらず、どの国にとっても非常に重要なことです。ソ連の科学者はこれらの問題についてかなり本も書いておりますし、相互の話し合いもたくさん持っています。しかし、これらの問題が近い将来解決されることがなければ、生態学的問題および人口問题の両面において、著しく深刻な結果をもたらすことになると思います。しかしながら現時点では、これらの問題を解決するような現実的で具体的な議論は不可能なことのように思われます。いずれにしても、非常に詳しくこれら の問題を組織的に研究して行く必要がありますし、世界の科学者達が貢献すべきであることはきわめて当然なことです。社会主義囯や資本主義国における科学者はもちろんのこと、後進国の科学者達も大いにそのことで貢献できると思います。そうすることによって、これらの問題は具体的に判断することができるのであり、更に国連に提出して研究を進めて行くことが可能となるのです。これらの問題には多面的に取り組んで行かなければなりません。われわれも当然ながら、これら問題を無視し回避しようとしているわけで はありません。ソ連の科学者達はこの分野で大いに貢献したいと考えているのです。

最近(一九七三年)、平和愛好国会議がモスクヮで開催されましたが、喜ばしいことに、その特別委負会がわれわれの環境問題をとりあげて熱心な討議を行なってくれました。その他多くの興味深い発表が行なわれ、その成果はわが国の科学研究所で多くの研究に実際的に活かされてようとしております。これらの問題は後日非常に深くかつ十全な分析の対象となるべきものだと考えます。これらの問題の解決方法に対するわれわれの見解は、当然変化して行くものです。しかし、もしわれわれに充分な誠意を示す用意があるならば 、われわれは人類全体を窮棰的には满足させることができるような形で、全ての要因を注意深く検討して行く中で、問題解決の道を発見して行くことは充分可能なことだと確信します。

(東江優)

margenoot+
ャ・ルゃひローム

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