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Asu no chikyû sedai no tameni (1975)

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Asu no chikyû sedai no tameni

(1975)–Willem Oltmans–rechtenstatus Auteursrechtelijk beschermd

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27 アクリル・レンマ

アクリル・レンマ(Aklilu Lemma)教授は一九三二年九月十八日、エチオピアのジグジガに生まれ、アジス・アベバのユニハシティ・カレッジで生物学を学ぶ。その後渡米し、シカゴのノースウェスタン大学で研究を継続、ヴィスコンシン州マディソン市のヴィスコンシン大学で動物学を専攻して卒業。一九六四年にメリーランド州、バルティモアのジョンズ・ホプキンズ大学の公衆衛生学部から博士号を授与された。同年、アジス・アベパのハイレ・セラシェ一世大学の医学部に奉職し、寄生虫学の教鞭をとる。一九六六年から七十年まで 同大学埋学部長兼病原生物学研究所長を務めた。レンマ教授は客員教授としてカリフォルニア州メンロ・バ - クのスタンフォード研究所へ赴き、ハーヴ7ードカ学公衆衛生学部で教鞭をとり、カリフォルニア大学で研究活動を終えて帰国。現在、教授は工チオビア国立科学技術研究諮問委貝会の委貝長である他、アジス・アべバのエチオピア科学財団の埋事畏を務めている。そして一九六九年、ケニアのナイロビに国際昆虫生理。内分泌学センターを創設する。現在、ローマ・クラブ会負である。

 

ローマ・クラブの考え方にひかれた理由は何ですが。

 

私とアウレリオ・ベツチエィ博士〔本書第一卷対談70おょび本書対談5参照)とは、国際環境問題研究所の理事会のメンバーでしたので、それ以来博士を存じています。ローマ・クラブのことについては、一九七〇年バリで博士とお会いした時に聞きました。

 

ローマ・クラブに入られてから三年ばかリ経たれると思いますが、現在どぅいウたご感想をお持ちですが。

複雑な感じがあって、未だに自分の意見をまとめきれない状態です。先ず言えることは、ローマ・クラブがほとんど先進諸国の方々で構成された会だということで

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す。したがって、主として先進国としての優位な立場から未来をみつめているということです。

 

産業、財政、つまリ経済一般についてですね。

 

おそらくそうです。『成長の限界』というMITの研究報告が世に出されて、全世界にショックを与えています。もっともアフリヵへはこれまでほとんど浸透し得な かったものですけれども。

 

その理由は何ですか。

 

はっきりした理由はわかりません。おそらく、『成長の限界』が主として先進国の未来問題を扱ったものであるために、こちら侧の問題とは何の関わり合いもないのだという、そういった考え方があるからではないかと思います。他方では、アフリヵ人でこの本を実際に読んだ方々とお話しして感ずることですが、誰もが大きな興味を持っていたということです。MIT研究グルーブが教え示そうとしていることに非常な関心を寄せていました。私は経済学者でも政治家でもありません。ただ一生物学者にすぎません。しかし、生物学者としてさえ、 資源の枯渴問題や人口爆発問題、あるいはェネルギーの限界といった種々の問題の研究を通して、人類の必要とする资源の問題とその生存の問題とを互いに結びつけているこの方法論には限りない好奇心がそそられるのです。ローマ・クラブはこういった人類全体、世界全体にこそ関心を持つものであり、あの研究は特にそのことをよく証明してくれるのです。MITの研究グルーブは、すでに最初の世界モデルをつくり、ありとあらゆる情報をコンピュータに入力して、今から二十年、三十年、四十年後の情勢を予測する答えを算出させてい ます。私がローマ・クラブに関心を抱き、その仕來に貢献することが可能であるとすれば、それはアフリヵの経済学者とコンピュータの卑門家達をして、世界の低開発諸国の将来を予測することにこのシステム・ダイナミツクス・モデルの使用が可能であるかどうかに関心を抱かしめることだと言えましょう。

例えば、先進国と発展途上国との間に格差が拡大されつつあるのは、いったいどういう要因が原因となっているためであるのかについての研究がなされていなければなりませんし、また、情勢を不断に悪化させている主要な原因をつきとめる必要があるのです。われわれは、このような研究結果に照らして、この拡大されつつあるギ

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ャップの原因の治療のために何がなされるべきであるかを研究して行かなければなりません。ローマ・クラブの考え方とその研究は、これまでは、われわれが先進国と呼んでいるいわゆる世界の三分の一の国々のためにしか向けられていなかったのです。

 

それと同時に、MITの研究やこの種の研究のほとんど全てのモデルが技術や経済や財政学の問題を重視しているように思われますが、心理的な要素、人間的要素については考慮されていなかったのではないでしょうか。

 

全くそのとおりです。『成長の限界』には人間的な要因は概して考慮されておりません。技術的・経済的なものが優先的に考慮されているのです。しかし、人間的な要因は当然それ以上に重要なのです。例えば、人間がさまざまな制約下に置かれた時の生物学的適応力ということについては、少しも考慮されておりません。われわれは石油とか石油エネルギーといった物質的資源を使い惯れ、またそれに頼り過ぎてさえいます。これらの物質的資源やェネルギーはわれわれがほんの百年前には利用していなかったものなのであ り、またエチォビァ農村部のように今日でもそれを持たない国々が世界には未だにあるのです。ェチオビアや、似通った状況の国々の多くの地方は、木材と牛馬ふん、農耕用牛馬あるいは運送用ロバ等々といった、局地的に得られる物質的ェネルギー以外の资源は、これまではほとんど使ってきてはいないのです。ェチオピア国民の八十パーセント以上が石油燃料なるものを今でも使っていません。彼等は、だから、まだ持ちも使いもしたことのないものがなくなるからといって悲しがるわけはありません。一九七三年の後半に みられたエネルギー危機は、実際はこのようなエネルギーに依存している人達だけにとっての問題なのです。それがこれまで、あまりにもしばしば考庙から外されている点なのです。

もう一つ私を悩ましてきたものがあります。エチオピアのような発展途上国を例にとってみましよう。われわれは自国の開発のために闘っています。工業を興す考えを持っています。このために先進国はわれわれを手助けしてくれます。そして石油とかその副産物である燃料のような現代的ェネルギーを動力源とする種々の機械類を彼等はわれわれに売ってくれています。しかし彼等は、われわれの買う機械の燃料がおそらく今後三十年後には

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入手不可能になっているだろうということを重々知っているのです。更に彼等は、現時点と、われわれ人類全体が石油を失ってしまう時点までの間にも、石油価格は急速に上昇し続けて行くことも知っているのです。石油価格はおそらく天井知らずに急上昇して行くことと思われます。そうなればその後にはいゥたい何が起きるでしょうか。しかもことはそれだけではすまないのです。

よろしい。石油価格が急上昇するとしましよう。それゆえわれわれが将来生産するものは、それがどういうものであろうとずっと高価なものとなっているに違いありません。生産物のこのような価格上昇は更に加速的なものになりさえするでしよう。

ではエネルギーが使い果たされた後にはいったい何がやってくるのでしようか。先進国にはノゥハゥがあります。機械その他があります。彼等が代替エネルギーの開発を進めていく公算は犬です。そのためには更に洗練された高度の技術が必要となります。しかしこのような高レべルの技術はほとんどの発展途上国が持ち合わせておらず、また残された比較的短かい期問では創出することのできないものなのです。したがって、つまるところは、われわれは将来でもなお低開発国としてとどまっているだろうということです。

私に言わしむれば、これは根本的にまちがったことであり、不公正だと思います。先ほどの人間的な要因のことに話をもどしますが、人間性や人間的要素は充分考慮されることなく、充分な注意も払われていません。MITの研究は、贫困の問題あるいは人類が生存して行くための全ての条件を改善して行く方法を考慮せずに、むしろ不自由のない生活を送るためにはいったいどうすればよいのか、またどうすれば大型自動車を乗りまわし続けることができるのか、といったようなことを研究しているのです。

 

囯の貧富の差を問わず、全ての人類のことを考慮する必要あリということですね。

 

そうです。これは私の信念です。

 

これらのことについて、学生達と話し合うことがあリますか。エチオピアの若者達はこういった問題に興味を持っているでしょうか。

この点についてはあなたのお気に入るようなお答えをすることはどうもできないようです。どういうわけか、

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われわれはほんの目前の問題しか考えたり検討したりせず、それを超えて将来を展望したりすることができないようです。要するに将来の長期展望を持つことができないのです。われわれ発展途上国の人間が、ローマ・クラブの研究から学び得ることはまさにそのことなのです。これはローマ・クラブの第三世界に対する最も積極的な貢献と言えるでしょう。二十年後、五十年後あるいは百年後の将来のことについて考える、ということはわれわれの未だになし得ないことでした。われわれの属する世界では未だに人々 は食に飢えているばかりか、初等教育にも飢えているのです。国民の九十パーセント以上が読み書きさえできません。そのほとんどが非常に辺びな農村地方に置き去りにされています。彼等は貧しいために、生活のかかっている農耕具さえロクなものを持っていないのです。彼等は、最も基本的なものが改善されることを望んでいます。これらの地域では、少数の人々でなく、大多数の人達の条件を拓いてやること、彼等自らの将来をじっくりと見つめることのできるようにしてやることが大切なのです。それだけの格差が 、ここにあるのです。

話は変わりますが、エチオピアではいわゆる人口問題に関する限り、別に問題はありません。事実アフリカにおける発展途上国のほとんどの国が広大な人口過疎地を持っているために、人口過剰といったようなことが問題となる点にまで至ってはいないのです。例えばスーダンを例にとってみましよう。その国土はョーロッバ全土に匹敵するほどでありながら、僅かにニ千五百万人の人間しか住んでいないのです。アフリヵは広大な国土を持っているばかりでなく、天然資源も豊富に持っています。 そういうわけですから、現時点では、人口問題に関して特に心配しているということはありま せん。

アフリヵのほとんどの国が現在直面していてしかも重要な問題はと言えば、農村地域の開発をいかに推進し援助して行くかということでしよう。すなわち、地方の生活水準を向上させ、教育を通して彼等自身と、彼等の農業の方法を改善して行くことなのです。例えば、現在エチオビアは、地方の開発と連携させて教育制度の改革を推進しているところです。

 

現エチオピア政権はすでにこの新しい計画を费民のために始められたということですか(注)。

 

そうです。内外から絶えずいろいろな圧力がありますから。われわれは大きな大学を増設して行くかわりに、

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できるだけ多くの国民に六年までの教育が受けられるようにするためのプログラムを推進しているのです。そこで国民は今、農耕法について、あるいは家畜の改良法、住居の作り方、農耕具の使い方、水道施設の使い方といったことについての教育を受けているのです。その課程を修了すると各自の部落に帰って行くのですが、こうしてほとんどの国民は他人に依存することなく自立した生活を送ることができるようになります。頭のよい一部の少数者は高等教育を受けるため進学して行きます。要するに、エチオピア のような国では国民がほんとうに必要としていることを考慮して行かなければならないということです。ローマ・クラブなどが考えているような、贅沢な生活を続けて行くことができるかどうかを心配しているような先進国の問題とは、本質的な違いがあります。要するに追求すべき価値が全く異なっているのです。

(注)この対談は一九七四年に行なわれたが、それは、エチオビア軍が封建的な支配階級を打倒し、農民大衆のために土地改革を実施した、革命的な事態の進展以前のことであった。

(東江優)


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