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Asu no chikyû sedai no tameni (1975)

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Asu no chikyû sedai no tameni

(1975)–Willem Oltmans–rechtenstatus Auteursrechtelijk beschermd

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28 へリオ・ジャグァリべ

へリオ・ジャグァリべ(Helio Jaguaribe)教授は一九二三年ブラジルのリオデジャネイロに生まれた。教授はリオデジャネイロのボンティフィカル・カソリック大学法律学科を卒業した。以来、教授はブラジルやラテン・アメリカの社会・政治的発展を中心とした、政治学を専攻している。教授は、ハーパード、スタンフォード、MIT、メキシコの各大学で講義したこともある。現在は、リオデジャネイロの大学付属研究所に務めている。教授はローマ・クラブの会員であり、著書には『政治と経済の発展』Harvard U.Pr. 1968 と、『政治の発展』Harper and Row. New York、1973とがある。

 

先ず初めに、故ケネディ大統領が、一九六一年にプン夕。デル・エステでラテン・アメリカのための「進歩のための同盟」といぅ有名な提案をしたことがあリますが、その頃と比べて、ラテン・アメリカの今日(一九七四)の民主主義と自由はだいぶ後退しているように思われるのですが。

 

基本的にはそのとおりだと思います。しかし、先ず初めに述べておきたいと思いますが、ラテン・アメリカの事態の発展はアメリカの政策の影響をごく副次的に受けていたにすぎませんでした。そして結局のところ、現状のような結果になったのは、国内的要因によると思います。確かに、外部的要因の作用はなかったわけではなく、中には、好ましい影響を及ぼしたものもあればそうでないものもありました。しかし、ある地域を研究する者にとって大切なのは、発展は本質的に内的要因によって決定されるという 点を認めることです。

ところで、なぜラテン・アメリカの民主主義が過去数年の間に悪化してきたのでしょうか。私は、この問題は一九四〇年代後半から五〇年代にかけて起こった、典型的なラテン・アメリカ型とでも言うべき人民主義の実験

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の危機と重要な関連性がある、とみているのです。ラテン・アメリヵの社会情勢に照らして、この人民主義を検討してみますと、それは一種の階級問同盟的性質のものであって、その同盟は利害対立と言うよりもむしろ共通の利害があると思う諸階級の間で結ばれたものです。そこで、この階級間同盟の構成を大まかに調べてみますと次のようになっています。最近の産業化の過程に伴って生まれてきた新産業ブルジョアジー、中産技術者階級、それに組锇労働者階級であります。この階級間同盟に対抗するものと して位置づけられる階級には、商人階級 - この人達は別の文脈では、ラテン・アメリヵ風の別称「買弁」ブルジョア階級でも呼ばれています - 、伝統的な中産階級、それに肉体労働者大衆 - そしてある程度まで、根なしのルンべンブロレタリアートもこれに入ります。

一九四〇年代の後半から五〇年代にかけてこのように社会階層に大きな分裂がみられたのですが、結局依然として社会の支配者は新産業経営者、つまり、新しい資本家達の指導下にある集団だったわけです。客観的理由からして当然のことですが、この集団は労锄者階級と協力提携関係を持とうとしたので、その結果としてラテン・アメリカ型の人民主義というものが起こつてきたわけです。

しかし、この人民主義は、非常に不安定で、構造化されていないばかりでなく、ィデォロギー的にも不明瞭でした。この同盟というのは、開発は資本家が労働者階級に補愤して行く充分な余地を与えるものであり、それゆえこの同盟に参加した人達は「人民主義的発展」にょってそれぞれ何か得るものがある、という想定に基づいて いたのでした。

ところが、この開発の過程も一九五〇年代の終わり頃になると - 場合によってはブラジルなどのように一九六〇年代の中頃になって - ストッブしてしまったわけです。いったん産架ブルジョアジーが他の階級へ分け前を与える余裕がなくなってしまうと、階級関係は古典的闘争の形態、つまり持てる者と持たざる者との問の階級闘争になってきました。そして、そうなった時が、この人民主義の危機の始まりでした。この人民主義の危機は二つの傾向をもたらしました。先ず第一に、人民主義者の中でも過激派は社会主義 的方法で事態を打開して行こうとしたことです。もっともこの試みは原則として失敗しましたが。第二は、前者の社会主義的な行き方に反対して、保守的価値と利益の回復を目指してフアシスト的傾向に走ったグルーブですが、この方は、概してうまく

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行ったょうです。ラテン・アメリカの現在の社会は、少数の例外はありますが、保守主義者に支配されています。この人违は、テクノクラート的な傾向を持ち、民間セクターの役割を最大にしたがつています。それと同時に、自分達の特權と両立するものでさえあれば、開発を再開させて行こうともくろんでいます。

もちろんラテン・アメリカの社会構造をとらえるためには、別の観点からの解明も追加しなければならないと思います。ここでは、一般的なことしか述べることはできません。ラテン・アメリカと言つても、いろいろな国があって一ロには説明できないほど多様性があるからです。とは言え、大抵のラテン・アメリカ社会は、人口の大部分、あるいはかなりの部分が小作農民で占められております。もちろん各国で、小作農民の占める割合にはいろいろあります。例えば、アルゼンチンやチリなどのょうに小作農民の 割合が少ない国もあれば、他方べルーや中央アメリカ諸国は逆に非常に多くの小作農民を抱えています。南米敢大の国ブラジルはその中間の状態にありますが、この国は農民の大人ロと幅広く近代的な產業とを結合しています。

アルゼンチンは国民所得が千ドル以上であり、小作農民の割合も比皎的低い上に裕福な生活をしており、人口增加率も低く(約一・五バーセント)、これは社会としてはバランスのとれた、いわば中産階級的社会の国と言えます。そういう点では、アルゼンチンはラテン・アメリ力の社会構造を代表する国だとは言えません。典型的なラテン・アメリカの社会は、例えばペルーのように、貧しく夥しい数の小作農民と爆発的に增加する人口 (年約三バーセント)を抱えているだけでなく、大量の貧農が都市へ流入してくると いう現象がみられるものです。しかしながら、大に都市に流入した貧農達は思うように工業に仕事をみつけられるとは限りません。その理由の一つは、近代化された産業というものは、労働節約的になっているからです。更に、これらの流入農民達は何の職業的訓練も受けていないのです。ですから結局、彼等は、都市サービス労锄者の中でも、限界的股低生活者層を形成する他ないのです。この限界的階層の問題は、ほとんどのラテン^アメリカ社会にみられ重要な特徴だと言えます。この限界的最下層民にも、二つ のタィプがあります。一つは、農村でその日暮しをしている貧しい小作農民であり、もう一つは、靴磨きなどの、都市不熟練サービス労働をしながら、やはりようやく生存水準

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で生きている都市貧民です。

人民主義的発展が崩壊してしまうと、これらの限界的下層民達は、未組織でありながら、富の再配分と公平な社会経済的参加を掲げて、社会主義的解決を指向するような圧力をかけ始めます。今ラテン・アメリヵの上層には、軍隊を含めた中産階級や資本家との間の非公式ながらも効果的な同盟関係がありますが、大衆のこのような要求を実際上受け容れないわけには行かないという問題に直面しています。特に、政治的過程を民主的制度の枠内にとどめようとするならば、それはなおさら回避できないわけです。こ のような事情を反映して、結局、上層は自分達の權益擁護のために軍事体制に訴えて、大衆の期待を封じ込む手段に出たというわけです。

 

中国は核時代の仲間入りを果たすために自分なリの道を行きましたが、ィンドはまだ自由や民主主義の範囲内で検索をしているようです。翻ってラテン・アメリカでは、南米大陸の一角ではキューバやチリなどにみられるような発展が目轚されています。人民革命軍もアルゼンチンで行動を展開していますし、他の多くのラテン・アメリカ諸国でも、ブラジルでみられたような権威主義的支配をもたらすような騒擾、暴力、ゲリラ戦などが頻発しています。そこで、ほんとうに社会的に公正な政策が施行されない のであれば、今後のラテン・アメリカにはどのような衝轚が起こると期待されましょうか。

 

二つの基本的な区別を導入してお話ししなければなりません。先ず第一は、市民の大半を国の社会・経済体制に組み込んで一種の中産階級的社会を形成している国と、多くのラテン・アメリカ諸国でみられるように限界的下層民を大量に抱ぇているような国との間の相違の問題です。第二の区別は時冏の次元に関するものです。

ラテン・アメリカの中産階級社会は、ョーロッバ流の福祉国家モデルを指向する傾向があります。短期的にみベればこのような指向はまだいくつかの社会層の资同を得パていません。そして、この点で時間の次元を考慮する必要が出てきます。アルゼンチンの若いラディカル達は、ジュアン・ベロン氏を迎えて、西ドィツのブラント流社会民主主義を確立しようとする労働組合員達のために、へトロッキー流の^を試みたのですが、彼等は彼等なりに、チリの軍事政権同様誤まっています。チリの軍审政

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權は、国民の大半が国家体制に組み込まれているような国において、ブラジル体制を目指したのでしたが、これも誤まっております。このような中産階級的社会においては、暴力は、主として方向違いの期待を持った極左か計算違いの恐怖心を持った極右から起こっているようです。しかしこの両者は時問が経つにつれて - と言っても、自動的にとは言いませんが - 存続力を持つ社会民主的制度や手続きとうまくバランスがとれるようになるだろうと思います。

ほとんどのラテン・アメリヵ諸国は皆、農村と都市にいる夥しい数の限界的下層民と、少数であって自己の利益防衛型の中産階級とをどう取り扱うかという問題で困っています。これは、中産階級社会とは、全く異なる状況です。

このような国は、現状を維持して行くために考えられる唯一可能な道として、公然もしくは非公然の軍事体制に全てを任せる傾向があります。中産階級諸国家におけるのとは異なり、これらの国では、時間は彼等に組しないわけです。もっともベルーのように、軍事的介入者が与える一定の猶予期間をうまく利用して社会発展をさせるのに成功するようでしたら話は別ですが。しかしこの場合でもまた、成功は自動的に得られるものではありません。軍事的独裁はスペィンをみるまでもなく、思ったよりも長期化し得 るものであり、そういうふうにしながらも、昨日の二重構想的社会から、明日の近代社会へ向けての漸進のための長い橋渡しの期問になるわけです。軍事政権も社会開発が活発に推進されない時には、長期的には、庶民大衆の高まる圧力や、味方内でも中産階級の中の不満分子達の不信感を押さえ込むのがむずかしくなるということも、大いにあることです。

しかし、大衆革命は歴史的にも稀な現象であり、今後は技術の発展によってますますむずかしくなって行くと思います。最後の二つの成功例、すなわち、ロシアと中国は外敵との戦いに敗れて政府軍が解体状態になっていたという状況に依存していたことを知る必要があります。自国軍の分裂は、それだけ、軍による鎮圧能力の衰退を意味し、大衆革命への道につながるわけです。

 

ラテン・アメリカの急進的左翼(怒れる左翼)と共産党(正統的左翼)が戦術の相違のため対立抗争を続け、このいがみ合いを右翼がう苕く利用することができるとお考えでしようか。

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左翼は、どの国でも右翼より分裂しやすい傾向があります。その基本的理由は、左翼の方は「原理」やユートビアのビジョン(実現可能か否かにかかわらず)によって動いているからです。これらは、互いに異説を唱えて争い得るものです。それに反し右翼は、目先の利害に動かされます。この利害も、それ独特の構造を持ち、それに応じた統合機能を持っているのです。ラテン・アメリヵの左翼の分裂 - 例えばオーソドックスな共産党と革命的左派のそれ - は、確かに自らの勢力の弱体化につながっているだけです。しか し、ラテン・アメリヵの左翼の重要な問題は、自分達の内部分裂のことよりもむしろ主要な分派のそれぞれが掲げる戦略と社会の現状との間のギャッブの大きさにあると言わねばなりません。

ここで簡単に、共産党と革命的左派との運動の相違を検討してみましょぅ。共産党は政治的勢力としての意味をいくらかでも持っている場合には、原則として、労働組合の支持を得ています。共産党の幹部の中には、中産階級出身の知識人活動家や労働組合の幹部が多く、彼等は職莱的活動家になる傾向があります。事実、共産党はますます労働党的性格を強めてきており、多少急進的ではありますが、もし彼等がそのスローガンの字面や、組織労働者の現実の行動や窮極的な期待に対して行なう主張を手直しさえ すれば、社会民主的体制と両立できると思います。共産党は自らの革命的スローガンに固執し、穏健左派に対してしばしば(必ずしも常にではありませんが)反対することによって、民主的革新運動を弱め、右派の勢力と口実を強めています。

革命的左派については、ほぼこの逆のことが言えます。彼等は労働者階級の利益を代弁し、その期待を担っているように自ら思い込んでいます。しかし、これに集まる者は、中産階級出身のラディヵルな若者達が多く、組織労働者大衆とは実際上何の関係もない者達です。彼等は大部分の国で、もし充分な活動の自由さえ与えられるならば、政府軍と充分に対決できる革命として農村や都市の限界的下層民からなる兵団を組織し動員することも可能でありましょう。しかしながら、まさにそういう事態が起こること を、政府軍は有効に阻止することに成功しているのです。そこで、革命的左派は、兵を持たない革命軍の将校集団にとどまっているということになります。現状では革命の推進は考えられないので、アルゼンチンなどのように、特に比較的抑圧が少ない社会民主的な国だけでテロ活動を行なってぃるにすぎなぃのです。

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そこで、ちょうど共産党がそのィメージによって、右派の力と口実を強めるのに力を貸しているように、本命的左派もまた、彼等の行為によって同じことをしているのです。

 

ブラジルは、今や戦後の日本の巨大な経済的上昇と対比されるようになっています。貴国の一九七三年の輪出は、五三バーセント伸びて、六二億ドルにも速しています。優れたコンピユー夕を日本に輪出していまナ。去年の経済成長率も十一・四バーセントを記録して、世界一です。ところで、よリカを入れるべき農業や小作農対策は、いったいどうなっているのでしょうか。

 

ブラジルの経済および社会発展の問には、極端な不均衡状態がみられます。こうなった理由の大半は歴史的なものだと思います。つまり、以前の植民地時代から一九三〇年の革命(中産階級による急進的・自由主義的性格の)まで、ブラジルを支配していた寡頭体制からくるものだと思います。一八八九年までの農業は、アフリヵから連れてきた奴隸に依存した農業が中心でした。それ以降今世紀の前半まで、小作農は奴隸の子孫でした。彼等は、確かにタテマエとしては自由でしたが、農場経営者や大地主達に全く依 存していたわけです。

今では人ロの四二バーセントが小作農民です。その九十バーセントは月収約四五ドルないしそれ以下という最低賃金を得ていて、それこそ食うや食わずの生活水準にあえいでいる状態です。過去十年間の軍本政権下でのブラジルの経済発展方式は、富と所得の極端な集中を特徴としていました。ちなみに、全人ロの七割もの低所得層が、国民所得に占める割合は二八・ニパーセントしかなく、人口の一割そこそこの上層者の所得は、四七・八バーセントにも達しているわけです。しかも、この四七・八バーセントのう ち/たった五バーセントしかいない最上層階級の人達の分が三四・九バーセントにも上っています。

このような所得の集中 - それは、過去十年間に更に進行しましたが - は政府の公式見解によりますと、これは望ましくはないが市場体制および自由企業体制下での急速な発展過程の不可避的な現象だというわけです。しかし、一度、経済発展が商い安定水準に達しますと、経済活動を損うことなく富の再配分の施策が可能になるとされています。実際、現在のブラジルにおいては、現体制の支持者の間ですら、それほど抑圧的ではない経済政策をただちに実施することの得失についての論争がま

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すます高まっています。オルランド・ガィセル将軍の新政権は、この政策を推進しようとしているかのように思 われます。

 

そうですか。ところで、あなたは、アィヴ7ン・ィリック氏〔本書第一卷対談32参照〕が言うように、人類は限られた世界に住んでいるのだから、『成長の限界』の事実に合わせた生活をして行くだろうとお考えてすか。また、経済成長にははっきリした限度があるということを、ラテン・アメリカの人達は気づき始めて いるてしょうか。

 

残念ながら、まだ『成長の限界』は少数の知識人の関心事であるにすぎません。しかし、そうは言ってもこの研究は政策決定者達に影響を与え始めています。その意味で、以前の無責任な人口政策は変化しつつあります。若干の政治指導者は、人口の過度な急増と、この人口の生活保障をして行くことの困難さとの間の相関関係を認識し始めています。その最好例が今日のメキシコです。この国は人口の拡大しつつある国であって、年三バーセント以上の人口増加率ですから相当なものです。しかし、メキシコは人口問 題を意識するようになってきたので、今後は積極的な人口計画をやって行こうとしています。

 

教会の圧力があっても......

 

教会の圧力があってもです。ご存知のょうに、メキシコでは何事でも教会の圧力にもかかわらずやってきております。これはメキシコ特有のことではありません。特にメキシコでは、他のラテン・アメリカ諸国とは異なって、教会はまだ非常に保守的です。エチェベリア大統領〔本書対談15参照〕は、社会的諸問題に、メキシコ国民の生活水準を向上させることに、深い関心をお持ちの人ですから、現政府は急增する人口を抑制するための必要な政策を実施しょうとしています。

 

ルネ・デュモン氏は、持てる人々、豊かな国々では市民的・道徳的価値理念の成長が必要だと言っていますが、これにご賛同なさいますか。

 

デュモン氏の本を全部読んだわけではありませんが、キューバに関するものは読んでいます。彼は社会学者であり、かつ農業問題の専門家でもあります。彼はキューパについてニ冊の本を書いています。最初に書いた本は、

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キューバ人を好意的に書いていますが、より近著では少しばかり懷疑を感じているようです。それは、彼が、キューバが彼の考えるような真の社会主義的政策をとっていないと感じているからです。彼は、キユーバは真に社会主義的になるよりは、権威主義的になりつつあると述ベています。

私は世界の先進地域の問題は非常に錯雑していると思います。しかし、このむずかしい問題は、先進地域の人々によっても第三世界の人々によっても、共に単純化されてとらえられていることが時々あります。確かに、世界を全体として概観してみますと、先進国はほんとうによく開発されています。しかし、よく立ち入って先進国の資料を詳しく検时してみますと、つまり例えばある典型的な市民がその環境の中でどのような生活をしているかを詳しく観察してみますと、その人はまだ案外慎ましやかな生活をしてい るのがわかります。私は、先進国といえども、まだ大きな富の再分配を達成する必要があると考えます。私は公正な世界が欲しいとは申しません。公正な世界などはおそらく決して存在するはずのないものです。それどころか、少なくとも今よく言われている、「がまんできる世界」をとつてみたところで、現状はそれからすらもはるかに、はるかに隔たっているのです。アメリ力やョーロッバにも貧乏人は多数いると思います。それゆえ、莫大な量の富の再分配の問題が未解決のまま残されているということになります 。ご存知のように、金持ちはどこの国でも未来をもてあそびがちです。ですから貧乏人達に向かっても、よろしい、諸君は今は貧しいが、明日にはいくらかよくなるさ、と言うわけです。発展が実現されている時には、確かに金持ちが明日の取り分のいいところをほとんどさらつて行つてしまいますが、それでも常に、大衆の分け前も僅かは残るのです。

この現在の瞬間、時点では、そして、未来においてわれわれが得られるかもしれないものを考慮する時、すなわち、世界が飽和に近い状態にあるという条件下では、再分配の問題は恐ろしく重要さを增すと、私は考えます。そして、再分配と言う時、私は先ず第一に、先進国か開発途上国のいずれを問わず、持てる者から持たざる者への富の再分配を考えています。そして、国際関係においても同様に、先進国から後進国への再分配を考えています。人類はちっぼけな惑星に住んでいるのですから。

(中村哲雄)


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