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Asu no chikyû sedai no tameni (1975)

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Asu no chikyû sedai no tameni

(1975)–Willem Oltmans–rechtenstatus Auteursrechtelijk beschermd

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29 ヘルナン・サンタ・クルズ

ヘルナン・サンタ・クルズ(Hernan Santa Cruz)氏は、一九〇六年二月八日、チリのサンチャゴに生まれた。一九二八年サンチャゴ大学法政ギ㈣を卒業した。一九四七年から一九五ニ年まで、駐米大使を務めた、一九五二年から一年間、国連安保理事会のチリ国代表に選ばれた、一九六〇年国連の農業食糧開発機構に務め、一九六六年ローマで開かれた世界初の農業改良会議の譏長を務めた。一九七二年サルバドル・アジェンデ政権の政府代表団の団長として、チリのサンチャゴで行なわれた第三回UNCTAD(国連贸易開発会議)に参加した。一九 七三年のチリ政変後は、政府機関から身を引き、同年十一月、バリにある国際開発センター所長となつた。

 

あなたは、一九七三年アルジェで開かれた非同盟国会議にアジェンデ政権の代表として参加なさったよ、フですが。

 

そのとおりです。ご承知のように、この会議は政治と経済の二つの部会に分かれました。私は経済部会の議長を務めました。

 

その頃すでに、一九七三年十月のエネルギー危機が予想されていたでしようか。

 

予想はされていたと思います。しかし、それがどれほど悪化するかまではわかっていなかったのではないでしようか。このアルジェ会議の最大の特徴は、発展途上国同士の関係改善にあったと、私は思います。特に努力が払われたことは、発展途上国の交渉力の強化をはかるために資源供給国の間で何らかの形の協調関係を打ち建てようとしたことでした。第二に、われわれはまた、ある国際機関の設立をはかりましたが、これは発展途上国が自前で資金を負担して、非同盟諸国の発展の元締めにして行こうというもので した。こういう機関があれば、加盟国間で資金や技術面の提携、援助ができると共に、各

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国間の貿易や產業関係の拡大もはかることができるというわけです。

 

要するに、アルジェ会議は発展途上国自身の世界銀行を設立したわけですか。

 

必ずしもそうではありません。この会議のねらいは、ある点ではそれ以下であり、ある点ではそれ以上だったからです。先ず何より、これまでのところ、それはまだ計画の段階を出ていませんし、その範囲も限られたものになります。第二に、設立するとなると、それは世界銀行にとどまりません。と言うのは、それは発展途上国に対する资金援助をするだけに限定されることになりましょうが、その場合にもヮシントンにある世界銀行とは違った貸し出し条件のものにならなければならないからです。

 

ワシントンの世銀の貸し出し条件というのは、あの有名な親米政策をとるようにという政治的な匕モのことですね。

私達の機関設立の理念は、いかなる政治的ヒモもつけずに運営し、しかも発展途上諸国の協同による産業の確立を促進しょうとする趣旨のものでした。それはまた、資源供給国の団結、その生産品市場の拡大、そして全体として第三世界諸国の技術・資金面での相互援助を強めて行こうとするものでもありました。このこと自体は、これまでわれわれが国連内に同様な国際開発機関の設置を主張してきたことと同じなのです。しかしながら、諸大国間の対立のため、何事も達成されずじまいでした。

事実、この一九七三年の非同盟国会議は、以前(一九六七年)のアルジェでの第一回会議で七十七か国からなるグルーブが表明し、また一九七一年にリマで採択された『行動の諸原則と計画の宣言』でも承認された立場を、今回の会譏でも再びとりあげたということなのです。特に今回の会議では次の事項を確認しております。先ず第一は、発展途上国が先進国と贸易、金融、技術移転、海運等の分野で、また経済協力の促進について話し合ってきましたが、未だに何の進歩のあともみられないということ。更に、一九七〇年 度の国連総会で厳粛に決議された、第二次開発の十年のための戦略の諸目的が同様に未だに日の目をみていないということです。したがってまた、われわれは開発のための国際協力関係が悪化の一途をたどっているこの危機状況では、ますます頼れ

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るのは自分達だけであるといぅことでも意見の一致をみ たのです。

もちろん過去にも、発展途上国同士で、いくつかの地域ではいくつかの計画と、その地方に合った協同開発等を行なってきております。その最も目覚ましい例がヵルダゲナ(コロンビアの都市)条約だと思います。この条約の趣旨は、経済の統合と協力、それに共同市場の設立となっています。この条約はアンデス協定と言われていますが、その加盟国は、ベネズユラ、コロンビア、ベルー、エクアドル、ボリビア、チリとなつています。しかし、それでもその目標は充分だとは言えません。これを著しく拡大し、発展途上国 の力、資源、そして究極的な諸力を真に結集しなければならないと考えております。この力は、決して無視し得ない大きさのものとなり得るはずです。

先ず第一に、世界の現今の原材料不足をみた場合 - エネルギー危機も結局はその一つにすぎません - 過去の二十年間とは比べものにならないほど、発展途上国の資源は欲求されるものになつてきていることは疑い得ません。世界は、晴天の霹靂のょぅに、天然資源の稀少性と、またそれに対するある種の代替物が環境に与える齊威とに気づいたとみえます。第二に、発展途上国もこの二十年間に、疑いもなくこれらの分野で多くの知識と経験を積んできたということです。

 

世界の豊かなもうー半とうまく取引して行く、といったことですね。

 

そうです。また、開発のための経済および技術面での問題の取り扱いにおいてもです。現在では、発展途上国は、自分達の目標を明確に規定できます。またその障害物 - 特に、前進を阻む外的障害物 - が何であるかということも、はっきり見分けられるようになりました。更に、十年前には考えられなかった何千という男女の熟練労働者が出てきました。これだけ多くの熟練労働者を抱えていますから、ずっとよい結果が得られることは確実です。

 

しかし、残念なことには、かなリ多くの熟練労働力は、先進国の「豊かな」生活に魅せられて先進国に引き寄せられていますね。いわゆる頭脳流出をきたして いますね。

 

残念ながらそうなのです。この流出は大きいもので

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す。しかし、他方では、強い愛国心と従来にない価値観を持った新しい世代が第三世界に急速に育ってきております。特に発展途上国のうちでも、社会的・政治的に進んだ国にそれがみられます。

 

先進工業国も、今や石油供給削減と物価高賸といラショック療法を受けました。そこでこれらの国が先ずなすべきことは何でしょうか。今後はどう反応ナベきなのでしょうか。

 

先ず初めに、先進国は低開発国の諸問題がどれだけ大きいものであるか、また世界的にどれだけ重要であるかを認識することだと思います。発展途上固との関係に関する現在の秩序にかわって、新しい国際的な秩序を確立して行くことだと思います。その精神は、一九七四年五月一日の国連特別総会で決議した資源問題に関する宜言にのっとって、主権平等、相互依存、諸国家の共通の利益の尊重という方向でやつて行くべきだと思います。第三世界の経済的社会的発展の促進が、何と言っても第一の課題です。このこと は、政治的にも承認されなければなりません。先進国に認識してもらいたいことは、これは全世界の諸国にとっての最優先事項であるということです。経済を活発化し、生活水準の向上をはかり、何百万、何千万という人々を経済の循環の中にー生産者と消費者として - 組み込み、文化生活の中に組み込み、世界の本流の中に引き入れることです。これが絶対に必要な基礎です。それなしには、発展のための重要な諸政策の真の理解も着手も全く不可能だと私は考えます。

 

これが第一の重要な条件だとしますと、第二の条件は、西欧諸国が持っている技術や科学知識を真に後進国と分かち合うことを学ぶことだということになリましょうか。

 

もちろんそれも非常に重要です。しかし、私の考えでは、第二の条件は、先進世界が、現在の世界の経済関係を支配しているルールや恨行はおょそ時勢に合わなくなつたことを認識することです。これらは、全く新しい国際分業に基づいて徹底的に改造することが必要です。そして当然ながら、この理念、この新経済目標を実現するためにこそ、科学技術の自由な交流に商い優先順位を与えるべきです。私は自由な技術交流を単なる未来のために考えているのではありません。必要なことは、発展途上国が自分の技術を開 発するのを先進国が援助するとい

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うことでなければなりません。これはまた,発展途上国自身の要請やその現実に即応した技術の開発ということでもあります。

財政や経済問題の場合にも同様のアブローチが必要です。発展途上国の社会的経済的発展のために、より多くの資源とよりよい財政条件が与えられるような新方式が案出されるべきです。そうすると、この世界的エネルギー危機が叫ばれているまさにこの時に、発展途上国は持っている天然資源や人的資源、それに消費能力をも発揮して、先進国の窮状を救うことができるということは火をみるより明らかだと思います。今ほど、つまり一九七三年の後半以来ほど、このことが強く認識されたことはなかったと思います。 遂に世界は、人類の三分の二を抱えている地域を開発し、しかもこの地域を再消費地として発展させて行くことが、先進世界に対して持つ重要性を、認識したのです。現在、開発途上世界を全体としてみれば、人口の十ないし十五パーセントを超えない部分が工業製品の真の消费者であるにすぎないことを見出すでしょう。やがて、先進国は発展途上国での工業製品の消费者数の拡大を援助して行くことは、即時的というわけにはいかなくても、長期的ないし中期的には自らの利益になることに気づくでしょぅ。結果的に はそれが自国の経済の安定、社会的・経済的福祉向上に役立つのですから、後進国にとってと同じほど自らのためにも重要な役目を果たすことになるからです。

 

豊かな国と発展途上国との関係は、経済や社会福祉の面でも相互依存的である、といぅことが、今やはっきりした。

 

この考え方は、発展途上国で先ず理解され、主張されたと、私は言いたいのです。それがいったん明確に、広範に理解されますと、とるべき措置も出てくるものです。今までのところは、この相互依存性を認識しているアメリヵやョーロツバの指導的地位にある人達からは、際限もない宣言と声明だけを聞かされてきました。この観念の論理的帰結は、先進国、後進国の間で合意され、全ての人の利益を考慮に入れた新しい世界経済秩序の設立です。

 

でも、あなたの言われることは、やや楽観的にすぎませんか。

 

そんなことはありません。先進国側にこの点の理解が

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必要とされる確信が、すでに充分に存在していると言っているのではありません。一九七四年の国連総会決議でアメリヵや西欧諸国が示した態度留保には、全く失望させられます。しかし、私の確信では彼等もいつか、そのような態度を変更することが絶対必要だと悟るでしょう。私が強調したかったのは、新しいものの考え方が形成されつつあり、そしてそれが一度生じたならば、それを生かすための効果的な措置が生まれてくるものだということです。また、そういう過程の中から、先進国と発展途上国との全く 新しい形の協調関係も生まれてくるものと思われます。一部の国の政府は、まだ古い観念と古い政策にとらわれているようです。これまでは、対決の姿勢しかありませんでしたが、それというのも真の相互理解が足りなかったからだと思います。ここ数年来、ずゥと、国連やその他の会議でも考え方の相異によって対決ばかりしていたわけですが、いまだかつて一度も相手側から私達の考え方がまちがっているというもっともな理由を示してくれたことはありませんでした。私達がそのつど経験させられたことと言えば、 いつも引き延ばし戦術であり、これこれの政策は時宜に合わないとか、やれポンドが下落しているの、ドルが混乱しているの、といった議論だけでした。そういうわけで、アルジェ会議に参加した国は、第三回国連贸易開発会議でわれわれが提案した、発展途上国の発展に向けられた諸施策が完全に正しくまた健全なものだったということを確認し合ったわけです。この確信は、すでに私が述べました国連総会の際の資源特別会でも、力強く再確認されたわけです。

 

でも「金持ち」国クラブは、それらの提案を、おそらくはまじめには受けとらなかったでしょうね。

 

そんなことはないと思います。一番敢近(一九七三年)の国連定期総会では次のような言明がきわめて明瞭になされました。「開発のための戦略」に設定されている目標が、未だ達成されていないばかりか、むしろ、多くの点で事態は深刻な後退を示しているようだ、と。この言明には何らの反対もありませんでした。

 

ご承知のように、ローマ・クラブの『成長の限界』が出てから、成長すべきか否かをめぐる世界的な論争が再び卷き起こっておりますが、第三世界の指導者はおしなべていっそうの急速な成長の賛成論者のようにみうけられますが。

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私もその見解に賛成です。世界は成長を継続する必要があります。しかし、それと同時に、資源保護と消費に関する新政策が取りあげられる必要もあると思います。資源には限りがあり、従来のよぅな浪費では困るからです。他方では、所得のもっと広範かつ適正なる分配を世界中が実施すべきです。各国の国内では、所得の公正な分配の努力が試みられていますが、これと同じ原理が世界経済にも適用されるべきです。私は、ある少数の囯だけが経済成長によって無限に富み、この国の富のおこぼれによって、爾余の 国々が生存ないし成長すべきだとする理論に組することには、絶対反対です。現実は、後進国における成長は非常に限られたものであり、かつきわめて速度の遅いものであり、先進国工嶪のそれは、著しく速いものです。しかし、最近になって、この状態を変える政策がとられるよぅになりました。私は、先進国と発展途上国の両方の協力と理解に基づいて、巨大かつ大胆な計画を突施してもいい時期にきていると思います。

最近、先進国と発展途上国の著名な政治家や学者グルーブが参加したOECDのシンポジゥムに参加 しました。この会議では、OECD開発援助委良会(DAC) 議長の基調報告を聞いて、それを基にして討議をいたしました。一九七三年の活動報告も提出されました。会議では当然のことながら、ェネルギー問題と貧富両世界のあらゆる関係に議論が集中しました。国際的な新しい経済秩序を早急に樹立する必要性についても広範な合意が得られました。資源、環境、金融、開発、通貨体制等の問題の相互依存性は誰の目にも明らかでした。私見ですが、もし今日の世界の指導者達が、あらゆる国の間の経済的、社会的関係の間の確固 たる連関を充分に強調し、更に、一方的な行動をとるに際しては充分神経を使っていたならば、世界は 著しく改善されたものになっていたのではないかと思っています。やっとここにきて、遅ればせながら先進国は、世界的相互依存性と資源の限界に気づき始めたわけです。今ょうやく、一九七三年の石油ショックの後で、先進国も発展途上国に多くのことを。つているということを承認しょうとしています。

私達発展途上国は、これらの問題を前から感知していましたから、以前から、開発は全世界的な観点に立って行なう必要がある、と主張してきたわけです。私達は、繰り返し繰り返し、新しい秩序が緊急に必要なこと、この新しい世界佚序の中では発展途上国は非常に重要かつ決定的な役割を演ずることを強調してきました。最近世

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界が経験した通貨、二ネルギー、環境汚染などの危機は全て、これまでの発展途上国の主張の正当性を証明しています。私達はお返しの伴わない自国に対する特權を要求したりしたことはありません。私達は、ずっと以前から世界的な相互依存性を見通していました。私達は、これまでと違った型の協調性を唱えてきました。なぜなら、あらゆる問題の間の連関をょく認識していたからです。こういう状況下で、一九七三年のェネルギー危機は起こったわけです。先進工業国は予測していなかったショックを受けたわ けです。それにもかかわらず、私は新しいものの見方が広まりつつあるという印象は持っています。一九七四年四月、ニューョークで両側の国々が一緒になって開いた経済問題の会議ほど、世界に大きな反響と影響を持った会議はありませんでした。その模様は、每日のょうに、世界中のテレビで報道されたのです。

 

換言しますと、人類は自らが直面する諸問題に対し、ょリょい認識を有するょうになってきたということでしょうか。この点について、MITの『成長の限界』は、人類の生存に関する意識の高揚をはかるのに、大いに貢献していると言えますね。

 

世界中の人々の考え方が、『成長の限界』の指向と軌を一にしていると断言してもいいと思います。それは無視しがたい確固たる事実だと思います。

(中村哲雄)


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