Skiplinks

  • Tekst
  • Verantwoording en downloads
  • Doorverwijzing en noten
Logo DBNL Ga naar de homepage
Logo DBNL

Hoofdmenu

  • Literatuur & taal
    • Auteurs
    • Beschikbare titels
    • Literatuur
    • Taalkunde
    • Collectie Limburg
    • Collectie Friesland
    • Collectie Suriname
    • Collectie Zuid-Afrika
  • Selecties
    • Collectie jeugdliteratuur
    • Basisbibliotheek
    • Tijdschriften/jaarboeken
    • Naslagwerken
    • Collectie e-books
    • Collectie publiek domein
    • Calendarium
    • Atlas
  • Periode
    • Middeleeuwen
    • Periode 1550-1700
    • Achttiende eeuw
    • Negentiende eeuw
    • Twintigste eeuw
    • Eenentwintigste eeuw
Asu no chikyû sedai no tameni (1975)

Informatie terzijde

Titelpagina van Asu no chikyû sedai no tameni
Afbeelding van Asu no chikyû sedai no tameniToon afbeelding van titelpagina van Asu no chikyû sedai no tameni

  • Verantwoording
  • Inhoudsopgave

Downloads

Scans (164.25 MB)

XML (1.27 MB)

tekstbestand






Genre

non-fictie

Subgenre

vertaling


© zie Auteursrecht en gebruiksvoorwaarden.

Asu no chikyû sedai no tameni

(1975)–Willem Oltmans–rechtenstatus Auteursrechtelijk beschermd

Vorige Volgende
[pagina 288]
[p. 288]

31 大来佐武郎

日本のロバート・マクナマラとも呼ばれる大来佐武郎氏は、一九一四年中国の大連に生まれ、一九三七年に東京大学工学部電気工学科を卒業した。卒業後すぐに政府機関に動務し、一九五六年経済企画庁の局長となった。一九六三年政府の職を辞し、日本経済研究センター理事長となり、その後ずっと、バリのOECDや世界銀行その他の国際組織と緊密な個人的つながりを打ち建ててきた。一九七三年には、日本の海外経済協力基金の総裁に任命された、大来佐武郎氏はまた、ローマ・クラブとも密接なつながりを持ち、 その常任委員会の委員でもある。

 

中山伊知郎教授が書かれているところによれば、経済に関チる限リ、日本の問題の解決は世界の問題の解決を充分意味し得るそうですね。日本は、全世界が近い将来に出会うあらゆる諸問題の小宇宙のようなものてしょうか。

 

ぉそらく当たってぃる面もぁりましょぅね。と言うのは世界が直面している逋問超の中には、日本である程度集中的に現われているものもたくさんあるからです。例えば環境の制限がそれですね。わが国の土地面積は非常に限られていますし、人口密度も著しく高い。それから経済活動について言えば単位面積当たりのGNP密度も際立つて髙いんです。日本の状況はオランダの状況にょく似ています。歴史的には、わが国は西欧的な要素とアジア的な要素の結合を示しています。日本の産莱は、ヨーロッバや西側世界以 外の土地で育つた最初のものです。

 

ヨーロツパやアメリカから全く独立にですか。

 

いや。われわれは多少とも先進諸国を模倣しています。そしてわが国には世界の諸問題の多くが、結合した形で現われています。この点では、中山教授が、日本が新しい諸問題の解決の発見に成功すれば、そのうちの多

[pagina 289]
[p. 289]

くは世界の他の部分にも応用可能になるだろう、と言われたのはたぶん正しいでしよう。

 

第二次大戦以降、日本は自由主義経済の国となりました。経済を、全く資本主我のエンジンによクて成長させたわけでナね。ところで今日では自由経済の基盤全体を、問い直さねばならないとお考えですか。世界的なィンフレとの関係で、資本主義の心理的な基盤を考慮してみることが必要でしようか。

 

日本が自由主義的資本主義の道を歩んできたという意見には賛成できません。そのような制度は十九世紀的なものです。二十世紀の日本では、われわれはいわば統制資本主義とでも呼ぶべきものを採用しています。第二次大戦後に採用したのがそれなのです。われわれは、市場機構の利点を最も充分に利用してきました。

 

第二次大戦後に統制资本主義になつたとおクしゃるのですか。

 

わが国にはさまざまな形体での政府の統制を含む多種多様な政府指導がみられました。基本的には、市場機構を残す政策をとり、経済を可能な限りダイナミックなものとするようにしてきました。統制资本主義と言っても必ずしも経済を直接統制で縛りつけたわけではなかったのです。ごく基本的な問題について、多少の政府指導があっただけのことです。あなたも言われたように、われわれはその方向におそらく進み過ぎてしまったのかもしれません。急速な経済復興を成し遂げるまでは、まあそれでもよかったの です。だがそれが行き過ぎてしまったために、日本の社会はさまざまな点で损害を蒙っています。環境問題や住宅不足、土地価格の急上昇、それから更にいっそう多くの環境問題等々が起こったために、今では人々は、資源の再配分やより多くの社会資本の建設や、社会保障や社会保険の形をとった所得のいっそうの再分配などについて語るようになりました。

 

日本の富を国内問題に向けるというのは田中首相の政策てはないのですか。

 

これまでだって、わが国の支出はほとんどわれわれ自身の目的のために向けられてきました。もっともこれらの支出は、近代的な鉄鋼業や、大規模石油化学工嶪やその他の生産設備の建設に向けられてきたのです。

[pagina 290]
[p. 290]

しかし、例えば日本の家屋の僅か三十バーセントが水洗便所を持っているにすぎない、という点はいかがですか。

 

それが私の今中し上げたことです。社会資本投資や上水の供給などの問題が、今やわれわれの注意を最も強く引きつけています。

 

私は便所の話をしていたのですが。

 

今言われた比率は非常に急速に上昇していますよ。たぶん今では五十パーセントに達したはずです。農村では、いや都市でさえも、われわれは人間の排泄物を土地に還流させることに努力を払ってきました。そのようなやり方は、突は日本では何百年も前からつい最近まで行なわれてきたやり方です。そのようなやり方は、環境問題に対処する上では、賢明なやり方だと言ってよいでしょう。人間の排泄物を農業のための肥料として利用しながら土地に帰すわけですから。しかし、化学肥料や近代的農薬の使用の增加 もまた非常に大きな問題となっています。われわれはこれらの問題を十年以内に解決するだろうと思います。十年のうちには、全ての日本の家庭には水洗使所が備わっているでしょう。

私がその話を取リあげたのは、あなたが石油化学のことを話しておられたので、むしろもっと基本的な社会問題に話を引きもどしたかったからです。日本への富の集中は、他のアジア諸国をどのように苦しめるでしょうか。他のアジア諸国というのは、中国やその他の東南アジアの地域にある国のことですが。日本の富は、他の場所での社会的な不満や緊張を引き起こしかねないでしょうか。

 

他の国ということですか、それとも日本の他の場所ですが。

 

アジア一般です。急速に增大しつつある日本の富は、日中関係にどのような影響を及ぼしそうですか。

 

やっかみが起こるかもしれませんし、対立も多少出てくるかもしれません。しかし、わが国の経済の生産物を平和目的に利用し破壊目的には利用しない限り、概して、日本経済のダィナミックな性質は、他のアジア諸国にもダィナミックな変化をもたらすようになるだろうと思います。投資が増大したり、贸易が増大したり、場合によつては開発援助を行なったりすることを通じてで

[pagina 291]
[p. 291]

す。このことはすでに、アジアの多くの場所でみることができます。

中国は違ったシステムをとっています。われわれは限定された形での接触を保っているにすぎません。そのほとんどは貿易です。近年では、われわれは多数の使節団を中国から迎えました。中国側は、わが国の技術を学び経験を得たがっているのです。

 

しかし実際問題として、それはどのようにやれるものでしょうか。

 

中国は自ら必要としているもの、自国の某本的な条件に適合していると思うものを吸収するでしょう。日本が過去西欧との関係で行なってきたことがそれなのです。われわれは必要なものを吸収してきました。

経済的にも政治的にも弱体な他のアジア諸国は、日本の圧倒的な経済的影響力に苦しめられるかもしれません。しかし、中国がその点を強く心配しているとは思いません。北京との間には、深刻な問題は何ら生じないでしょう。しかしィンドネシアのような若くて弱いアジア諸国との関係では、われわれとしてはそれらの国々の行政管理能力の向上に助力すべきだと思います。インドネシアについて言えば、日本との関係における人間的な要素は非常に重要であって、彼等はわれわれに圧倒されることを望まないので す。

 

しかし、日本は、その巨大な资金による融資や支援をどの政府に行なうかについては無関心なようにみえる、ということはぼんとうではないですか。お国の首相が一九七三年の東南アジア旅行の間に非常に困った目に会った時、確かジャカルタでは蜂起した学生に事実上監禁されてしまいましたね。しかし覚えておかねばならないことは、これらのデモは何よリも先ず夕ィやィンドネシアにみられるような腐敗した軍事政権に向けられていたということです。これらの軍人達は、全体としての国民の生活条件の改 善には目もくれず、もっばら自分が儲かるようなことばかりしています。

 

いや必ずしもそうではないでしょう。あなたの話は少しばかり極端過ぎます。もちろん、発展途上世界全体にわたって、ナショナリズムが勃興してはいますが。

 

しかし私は、将軍や元帥達が支配しているきわめて腐敗しかつ移リ気な政府に反対して立ち上がつたイン

[pagina 292]
[p. 292]

ドネシアや夕ィの学生の話をしていたのですよ。

 

新聞が反日デモの原因として強調しているのは、海外での日本人の振舞いなのですが。

 

日本人の店、日本人の床屋、日本人のサゥナ風呂、日本人のレストラン、日本食。

 

最近日本のある観光業者の組嵌が、タィを訪問している日本の観光客からアンヶートをとったことをご存知ですね。その結果驚くべきことがわかりました。日本人観光客のぅち日本のホテルに滞在していた人は、たった三バーセントでした。日本食を食べた人はほとんどいませんでした。観光客達は何か外国のものを経験したがるからです。ともあれ、海外の日本企業の中には、おそらくあんまり大きくて目立ち過ぎるためか、ネオンサィンを取り払っているものもあります。われわれは今、かつてみられたわが国の 出過ぎを減少するための措置をとりつつあるところです。出過ぎた振舞いをすればナショナリズムを刺激するだけですからね。

 

最近の『ガーディアン』紙の報道によれば、日本は、十年間の期間にゎたる二〇〇億ドルにのぼる東南アジア諸国向けの日本版マーシャル・ブランを提案したそうですね。しかしみんながそれに反対だとか。

 

そうです。私はその提案を一九七一年にいたしました。そのような援助計画にはさまざまな側面があります。それに反対する批判論のほとんどは、学生からのものです。学生達は、それらの地域での日本企業の経営の仕方に反対しています。例えばこんな批判もありました。日本の企業は能率がよ過ぎる、日本人は働き過ぎる、地場産業は競争に負けている、そのため多くの恨みをかつている、などと。

 

それで、そのようなマスター・ブランの考えは諦めてしまったのですか。

 

実は東南アジアには、ィンドネシアのアダム・マリク外務大臣等のように、これらの諸国の経済発展を促進するため、日本に純粋な努力を行なってもらいたがっている政治家もいます。日本の中には、わが困があまり多くの影響を及ぼさないようにしたいと思っている政治家もいますが、私の考えではこのような企画を売り込むに当たってはかなり慎重でなければなりません。これらの人

[pagina 293]
[p. 293]

人がこの種の計画に絶対に反対だというのではなくて、とりわけ政府の役人や政治の指導者達は、それを押しつけたりしないように注意しているのです。

 

日本が現在すでにその海外投資のうち、東南アジアに向ける分(僅か十九パーセント)よリも北米(二七パーセント)の方が多くなっているのは、たぶんそのためですね。おそらく日本にとっては、アメリカ合衆国に投資する方がもっと容易なのでしよう。日本の企業家が現地に出過ぎるといった問題は生じないし、日米間には同一の商慣習があるのですから。

 

ョーロッパやアメリカとの関係は円滑にいつています。これらの国々は市場経済です。つまり普通の商慣習で対処することができます。やがては発展途上の社会主義国とも取引するようになるでしよう。これらの社会主義国では政府が依然として重要な要素となっています。その場合にはわれわれが西側でとっているような純粋な商取引中心型の接近法とはいくぶん異なるやり方を導入しなければならなくなるかもしれません。

 

メキシコ大統領は、全世界に通用する企業家のための倫理行動綱領をつくることを提案しました。

 

それは結構な考えだと思います。もちろん、未だに国家主権があまりに強調され過ぎています。そのため場合によっては自然資源の積極的な利用が阻害され、とりわけ発展途上国の間で不平等を生み出しかねません。自然資源を持っている国と持たない国との間にはギャッブがあります。石油や鉱物資源の場合にみられるように、そのようなギャッブは更に広がって行くでしょう。

 

ギャップが広がるとはどういうことですか。その点をはっきリさせてください。民族主義的な感情が強くなリ過ぎるためなのですか。

 

いやそういうことではありません。資源に関する国家主権の強調は、発展途上国の間にもう一つ別のギャップをつくるかもしれないということです。つまり豊かな自然資源に惠まれた国と、そうでない国との間のギャップがそれです。その典型はィンドです。ィンドは今では、石油を買うだけのために自国外貨収入の三分の二を使わなければならなくなっています。こういった面もやはり考慮に入れる必要があります。しかし、それはそれとし

[pagina 294]
[p. 294]

てメキシコ大統領は確かに進歩的な考え方に基づいた提案を行なったと思います。問題はそれをどうやって実施するかです。現代の世界では、発展途上国は独立国となりつつあり、民族主義的な感情を持っているので、私企業は、とりわけ外国に進出しょうとする私企業は、一定の行動規律ないし綱領を守り、過度の利潤追求を自制すべきである、という自覚は日増しに強まっています。

 

日本でのローマ・クラブの活動にもどリますが、『二ユーョーク・夕ィムズ』によれば、日本のローマ・クラブ研究チームの一つは次のような予測をしているそうですね。すなわち現在の成長率が続くならば、日本は一九八〇年まてには、その経済状態を維持するためには、年間九〇億ドルの余剰外貨を外に出さねばならなくなる。

 

九十億ドルと言っても、それは国連の決議にょるGNPの一パーセントの援助を実行するだけのものにすぎません。GNPが一兆ドルであったとすれば、その一パーセントは約百億ドルになるでしょう。日本政府は、一九七五年までにはその対外援助をGNPの一パーセントという規準に合わせるようにする、と確約しています。

しかし、日本がそれだけの金を外に出さないとすれば、日本の経済は深刻な困難に卷き込まれる、というのは正しくはあリませんか。

 

それはただやってしまうようなものではありません。その中には民間の取引や投資もあれば、輪出延べ払い信用の供与もあります。商業的取引も入っています。また政府開発援助と呼ばれる援助分も入っています。これはピアソン委員会の勧告によれば、どの先進国でも遅くとも一九八〇年までには、GNPの〇・七バーセントに達しなければならない、とされています。しかし、日本が現在および過去にみられた成長率の趨勢を今後いくらでも持続して行けるかどうか、私にはわかりません。わが国の成長率は非常に高い のでかえって近い将来に成長の限界に直面するかもしれないからです。

 

それはどんな形で現われるでしょうか。

 

例えば、アメリヵ合衆国やその他の市場で、日本の輪出資易の急速な拡大に対する抵抗が強くなるかもしれません。あるいはまた、最近のエネルギー危機の最中にみられたように、日本は生産削減を余儀なくされることに

[pagina 295]
[p. 295]

なるかもしれません。これらはほんのいくつかの例にすぎませんが。

 

ローマ・クラブの活動との関係でみて、現在の世界のエネルギー危機をどうごらんになリますか。

 

私の考えでは、これは、ローマ・クラブが提起していた諸問題が決して非現実的なものでなかったことを示すものです。もっとも、現在のエネルギー危機は、その政治性のためにいくぶん人為的なものとはなっていますが。しかし、それは一般の人々の間に、「成長の限界」、とりわけ、エネルギー集約的な生産物の物的拡大の限界への自覚を巻き起こしました。今後エネルギーははるかに高価なものとなって行くでしょうが、そのことは長期的にみれば人類社会にとってはょいことであるかもしれません。日本につい ては、石油供給の削減は、深刻な打撃を意味しました。と言うのは、日本は石油の輪入に非常に強く - ェネルギー総消費の四分の三ほどを - 依存しているからです。日本は、エネルギーや原材料消費への依存度の低いような産業構造に変えて行かねばならないでしよう。

エネルギー不足の社会をもたらすようなこれらの変化は、日本人の心理や精神にどのような影響を及ぼすでしょうか。

 

日本は、労働時間の短縮とか社会保障の引き上げとか、老齢年金とか、住宅支出の増大とか、レクリユーション施設の整備とか、都市開発、等々といった社会構造の大きな変化を必要とするでしょう。製鋼設備、石油化学工場、造船工場などへの投資をどんどん拡大して行くかわりに、資源配分の道点を変えねばならないでしょう。

 

日本は今公害を輪出しています。言いかえれば、日本は国の外に汚染産業を移そうとしています。

 

実は、日本としては世界の他の部分がこの種の公害問題をわれわれと分担してもらいたいと思っているのです。つまり、全世界的な公害の平等な分配を望んでいるのです。われわれだけがなぜ公害を日本に集中させねばならないのでしょうか。この国の中に世界中から原材料を持ち込み、自然の美やわが国の海岸線を劣悪化したり破壊したりする必要がなぜあるのでしょうか。世界には、

[pagina 296]
[p. 296]

ずっと多くのオーブンスペースが利用でき、ずっと大量の環境容置を持つ場所がたくさんあります。諸国の中には、新しい産業を持ちたいと強く望んでいる国もあります。なぜならば、そうしない限りより貧しい国々の多くにとっては貧困がより望ましくない型の汚染として残り続けるでしょうから。これらの国々は、工業を持つことなしに、所得を增やすことはできません。もちろんわれわれとしては、工業の海外進出を奨励するに当たって慎重でなければなりません。それらの工業は、汚染を防止するための最も 近代的な技術を導入すべきです。わが国は、そのような技術を蓄積しつつあります。なぜならば、われわれ自身汚染問題で非常に苦しんでいるからです。

 

どういった国際機関が、その点についての統制を行なうべきでしょうか。モーリス・ストロング氏〔本書第一巻対談30参照〕でしょうか。どういった機関であれば、環境に加えられる損害がよリ公平になるように、工業を再配分できるてしょうか。

 

現実には、世界政府は存在していません。工業の拡散の問題は、民間あるいは政府間の話し合いをもとにして行なわれています。

それを全地球的な基盤に立って組織すベきではないでしょうか。

 

モーリス・ストロング氏は、おそらく若干の指針を与えることができるでしょう。しかしその実施は、個々の民間產業あるいは個々の政府に任されることになるでしょう。当面の状況は、それ以外のものではあり得ません。しかしながら、この問題については全地球的な見地を持つことが必要になるでしょう。そして捋来には国際的な協力がますます必要とされるでしょう。

 

日本での公害の自覚は一九七〇年頃に始まった、というのはほんとうでナか。

 

そのとおりです。

 

日本は、何かを発見した時には、明らかに世界の他のどの国よリも早い速度で一八〇度の転換を成し送げることができるでしょうね。

 

日本政府は、今年の初めに新五か年計画を作定しました。その計画の目標によれば、三つの主要工嶪地域つまり東京、名古屋、および大阪で、今から五年の間に水と

[pagina 297]
[p. 297]

大気の汚染を半分に減らすことになっています。政府はまた、その目標を達成するための総费用を算定しています。その数字は、五年間にほぼ二五〇億ドルにのぼります。しかしこの程度の支出であれば、わが国の財政能力で充分に達成できます。日本のGNPは、充分大きいからです。それゆえ、この目標は、われわれにとって実現可能な目標です。

 

日本が公害と戦うために、五年間に二五〇億ドルを支出ナると言われましたね。最近ィンドで聞いたところでは、ユニセフは、ィンドの二億人の子供達がビタミンをよリ多く含んだ食事がとれるようにするために、五年間に七千万ドルしか使うことができません。

それはそれとして、日本のローマ・クラブは何をしているかを教えてください。各方面に影響を及ぼしていますか。財界や政府部内に関心を引き起こしていまナか。

 

出だしはかなりゆっくりしていましたが、今ではスピードが速まっていると思います。政府や財界や学会の多数の指導者達がローマ・クラブの考え方にますます多くの関心を向けています。最初にはローマ・クラブは、とりわけMITの報告書は、破局を予測するものだと受け取られました。それはたいへんな誤解でした。ゼロ成長に触れた部分もまた、誤解を受けました。成長の内容はいろいろあります。成長を全て否定してはなりません。われわれは、生活の質の面での成長をも含めて、ゼロ成長を目標にするよりはむし ろ成長の内容を変えることに努力すべきです。今では人々は、ローマ・クラブがゼロ成長の考え方を普及させるための機関ではなくて、生き延びるための手段を発見し、われわれが直面するあらゆる問題に関して積極的な解決案を発見することを目指しているクラブであることを、理解し始めています。ローマ・クラブのこのよぅな考え方は、今では日本国内でますます多くの支持を受けつつあります。

 

例えばグンナー・ミユルーダール〔本書第一卷対談35参照〕のよぅな人は、世界の諸問題について全地球的な規模で解決をはかることは無意味だ、と言っています。他方ケネス・ボールディング〔本書第一卷対談65参照〕は「経済圈」Ga naar margenoot+について語っています。ポールディングの信ずるところでは、これは地球を全体として研究するための理想的な方法だそうです。科学者達の間

[pagina 298]
[p. 298]

では、いろいろと意見が分かれているょうに思われすナ。公衆がこれら全てのことについて理解を持つことは困難です。あなた自身はMIT流のコンビュータにょるアブローチに賛成ですか。

 

コンピュータは、非常に有用な助けになり、有効な手段となります。しかしながら、われわれはコンビュータに振り回されてはなりません。そうではなくて、コンビュータをわれわれ自身の目的のために、われわれの思考を助け問題を解明するために、利用すべきです。コンビュータにょって百パーセント心を奪われてしまってはなりません。わが国の大蔵大臣は、最近ある記者会見の席上で、全世界にとっての大蔵大臣として機能し得るコンピユータは存在しない、と申しました。コンピユータの使用を拡大しても、自 動的な意思決定はできません。誰かが判断を下す必要があります。日本では、国土の規模が小さいことや、変化の速度が急速なことのために、将来の成長という深刻な問題を、きわめて急速に解決しなければなりません。明らかに、科学者をも含む多くの日本人が、今ではローマ・クラブのアブローチにますます関心を強めています。

政治家はどうですか。政治家とのつながりのない科学者には、何もできませんからね。

 

実際それが問題です。私は最近、スゥェーデンのオラフㆍバルメ首相と話したことがあります。彼は、科学者と政治家との間に強い結びつきをつくることの重要性に関心を抱いていました。日本の場合は、政治家と科学者との間の対話は依然としてごく限られている、と私は答えました。しかし、中間にマス・メディアを入れた三角型の対話は現在進行中です。

 

マス・メディアが一般の人々のための通訳をしているわけですか。

 

日本ではそういうことです。われわれは、科学者と直接話のできるような見識のある政治家がもっともっと增えてくれることを望んでいます。この点について言えば、あらゆる方面で、変化が起こり始めています。わが国の政治家の中には、目覚め始めている人も出てきています。

(公文俊平)

margenoot+
ェョノスタェフ

Vorige Volgende

Footer navigatie

Logo DBNL Logo DBNL

Over DBNL

  • Wat is DBNL?
  • Over ons
  • Selectie- en editieverantwoording

Voor gebruikers

  • Gebruiksvoorwaarden/Terms of Use
  • Informatie voor rechthebbenden
  • Disclaimer
  • Privacy
  • Toegankelijkheid

Contact

  • Contactformulier
  • Veelgestelde vragen
  • Vacatures
Logo DBNL

Partners

Ga naar kb.nl logo KB
Ga naar taalunie.org logo TaalUnie
Ga naar vlaamse-erfgoedbibliotheken.be logo Vlaamse Erfgoedbibliotheken