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Asu no chikyû sedai no tameni (1975)

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Asu no chikyû sedai no tameni

(1975)–Willem Oltmans–rechtenstatus Auteursrechtelijk beschermd

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36 アダム・シャフ

アダム・ゾャフ(Adam Schaff)教授は、一九一三年三月十日ポーランドのルヴォフに生まれた。一九三五年ルヴォフ大学法律学おょび経済学科を卒菜した。一九三五、三六の両年パリの政治科学学校で研究を維統した。一九四一年にはモスクフのソ速邦科学アヵデミー哲学研究所を卒業し、一九四五年に同研究所ょり博士号を取得、第二次世界大戦後ロッジおょびヮルシャヮ両大学で媾兹した。ー九五一年にポーランド科学アヵデミー会負になった。一九六四年以降、教授はユネスコの援助で設立されたゥィーンの曰 ーロッパ社会科学共同研究センタ ー運営委員会議長を務めている。教授の最も著名な著害のいくつかをあげると次の とおりである。『真理についてのマルクス理論の若干の問』 (一九五一年)、『意味論入門』(ー九六一年)、『言語と認知』(一九六五年)、 『生成文法と内在観念の概念』 (ー九七ニ年)。シャフ教授はローマ・クラブの理亊会と緊密な連格を保っている。

 

あなたは、東ョーロッパの科学者としては初めてローマ・クラブに参加なさった方でしたね。

私は、おっしゃるようにユーゴスラビアの友人、レス・マテス博士と共に、東ョーロッパ側からは初めての 参加者だったと思います。参加した理由ですか。それは ローマ・クラブが扱っている「問題複合体Ga naar margenoot+」は、今後ニ十年間の全人頌にとって基本的に重要な問題であると考えるからです。現在研究されている問題は、将来の人頌の発展全体にとって決定的な影響を与えるでしょう。もちろん、ョーマ・クラブは、統一的世界観を持った人 人の集まりでもなければ、意見を同じゅうする者の集まりでもありませ ん。メンバーは、みな互いに異なった人 人で、異なった意見を提出する人達です。しかし、この 人達はみな、問題への基本的接近方針では、すなわちあの「問題抜合体」は実際「問題抜合体」そのものであ

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るという点については、ロンセンサスができていると思 います。

 

しかし、ローマ・クラブには、多くの批判があリます。しかも、その批羽は先進的な西側のマス・メディ アからさえも出されているのですが。それはローマ・クラブは大企業家や大资本家の新しいエリー卜・クラ ブの一つにすぎないというものです。

おっしゃるとおり、そういう批判なるものは、実際あります。左興や知識階級の間にもありますし、東欧諸国 でもこの棟の批判はあります。しかし、そのような批判 はいたるところで急激に減っています。束欧諸国での反 応も、当初よりもだいぶ変化しております。東欧では、むしろ西側の左派系の人達の反応よりも、急速に変わってきているとさえ言えます。しかし、あなたのおっしゃった批判は實際あります。そして、それは、時にはいくぶん次元の低いもののようにみうけられます。次元が低いというのは、私の意見では、もしそう した批判があるならばローマ・クラブが言明している観念の正否を先ず第ーに調べてみたらいいではないか、という気がするものが多いからです。

 

そして同時に、誰かがたまたまラテン・アメリカにフィアット工場をつくったことがあるという理由だけで、彼を不良資本家呼ばわリしないことですね。

そのとおりです。ある人がどんな種類の会社に所属しているのかということは、この際、全く問題ではありません。ー部の人達が批判しているのは、実は、ローマ・クラブの基本的な理念や概念ではなくて、この運動を始 めた人々の一部が、その社会的地位・階層のゆえに攻擊 されているのです。もし、そのょうな考え方で物取をみ て行けば、突際には、マルクス主我運動も含めて、全て の運動を否認すべきであるということになってしまいま す。マルクス主義の古典家逹であるマルクスやエンゲルスを考えてみても、較密には、彼等自身 はプロレタリアートではありませんでした。国際的なマルクス主我運動でも、重要な地位にあった人逹は、ほとんどが、いわゆる、上流階級の出身でした。マルクス主我運動の歴史 通じていまだかつて、指導者の出身階級のみにょって、その運動を評価したり、判断したりするょうなことは決していたしませんでした。パクーニンは货族の出身でしたし、エンゲルスも突業家だったのです。ラサールやレ

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ー二ン、その他全ての俾大な運動家逹の例をとってみてもわかります。レー ニンは、ロシア資族の出身でした。 彼等全てはいわゆる革命階級とは、ほとんど、ないし全く無関係の経歴の持ち主だったのです。

ローマ・クラブにもどりましょう。よく言われたり、侰じられたりしているように、ローマ・クラブを指導するインナー・サークルが、多国籍企業の有力な経営者達のみによって握られているというのは、真実ではありません。実際にはクラブには多くの科学者や有名な知識人逹がいるのです。しかし同時に、いわゆる経営者眉に厲する人々もおります。この事萊の中心である人、つまりそれに数t精神を吹き込んできた人はアゥレリオ・ベ ッチエイ博士〔本書第一卷対談70およぴ本*対談49参照〕で す。たまたま、ベ、チエイ博士は。同時にフィ アット社のリーダーの一人です。しかし博士は、偉大なヒユーマ二ストです。博士を含めフィアットであれ他の大企萊で あれ、他の経営者連の多くが、将来を遠くまで見通して いる方々です。いずれにしても、四十三年間も共産主義運觔をしてきた私ですが、出身階級が違っているからと言って、人を恐れたりは致しませんし、私と異なる運動 に身を。いている人であっても、恐れません。私は、その人達の言い分を聞き、もし彼等が正しいことをしており、またまともなことを言っていて、更にもし私が、社 会発展のために正しいと信ずる 基準に照らして正しけれ ば......

 

そこで、今、成長そのものについての大型論争が登場したわけです。アーノルド・卜ィンビー氏〔本書第ー巻対談5参照〕が、成長は、スローダウンさせる必要があるだけでなく、全く停止させるべきだ、と言ったのはそれほど前のことてはあリません。

私はこの問題に関して、確固とした、ないしは最終的な見解を持っているとは申せません。私達の見解は、この分野についての、実証的な研究に基づくべきです。この点でローマ・クラブの行なったことは、このよぅな問題に対する、既成の解決や既定の解答を与えることではありません。ローマ・クラブの功續は『成長の限界』を提示して真に死活の諸問題を提起したことにあります。今日では、もはや、誰一人としてこの問題を退けたり、無視したり、飛び超えたりして進むわけには行かないのです。人頌が人口爆発に直面しているといぅ ことは、事実です。この問題はただちに研究に葙手すべきです。ど

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の程度まで人類は成長できるのか、あるいは成長すべきなのかを実証する必要があります。

私自身はこの人口学上の問題という観点だけからしても、成長の限界は存在すると確信しています。よく第三世界の人達は、成長の限界という呼び声を聞くと、あまりにもしばしば。それを工業の成長ないし商品の成長と結びつけてのみ考えがちです。彼等は、必ずしも、自分達に特に関わりのある問題、すなわち、止めどもない人間の増加の問題のことは考えないのです。この人口爆発 は、破滅的なものになり得ます。

現実的で、何びとも無視し得ない第二の問題は、産業の成長と結びついた汚染です。海洋、大気および水のことを考えてみるだけで充分でしょう。これらの問題はどこへ行っても、みられるものです。これはあれこれの社会体制の相違とさえも結びついてはいません。これは実際、普遍化された問題です。これらは、何より、その解決方法という観点からみた場合、全地球的な問題だと言えます。誰も解決法を知っているわけではなく。また、確かに単独で解決できる性質のものでもありません。最大の大陸も最先進国もみな適切 な解決や解答を今まで見出していないのです。それは、全地球的ァブローチ、全地球的政策、全地球的解決法を必要とするでしょう。

第三番目に重要な問題は、私達が今身の回りに見、感じているエネルギー危機です。私達は、遂に、資源の中には再生不能なものがあって、世界にとっての入手可能性は制限されているのだということを発見したわけです。再生不能なこれらの資源は、もし、最終的に採掘して行きますと遠からず枯渴してしまうでしよう。それゆえ、ェネルギー問題と直接関連した問題は食懂問題です。これも今やェネルギー同様に、非常に重耍になってきております。私は、人間はマルサスの時代に逆戻りするというつもりはありません。私逹 の今の生活状態は、マルサスの頃とは、全く異なつているということを想起しなければなりません。現在、世界には。食懂生産が可能か不可能かの瀬戸際に立たされている何十億という人 達がおります。これらの問題は真に現実的問題であって、誰ー人としてその解答を見つけた者はいません。「成長の限界」について実際的な研究に着手した一番最 初のグルーブがローマ・クラブなのです。しかし、ローマ・クラブは、人類の活動の傾向とその方向とを全世界的規換で統計的に提示するという以上の志向は持ちませんでした。も ちろん、この全く初めての世界的規換での

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試算に対して多くの批判が出されても当然ですし、私逹の側、つまり社会主義国からも批判があります。批判の中には全く正しいものもあります。しかし、私どもの社会主義諸国では、「成長の限界」は、現実的な問題と感じられています。私逹は、協力が必要であると、ますます確信しています。この死活の重要性を持つ問題は、どの単一の特別なグループだけでも、とうてい解決できるものではありません。どんな大国でも、単独で解決できるとは思いません。そういうわけで、この問題こそ現実の「問題複合体」なのだと 私は確信するようになっております。これらは、人類の将来にとってきわめて苽要となる問題です。それゆえ、あれこれの計算結果をとらえ て、細かしい批判をぶっつけても、答えは生まれてきま せん。問題解決の唯ーの方法は、一緒に座ってこの問題 について1緒に頭をひねって考えてみることなのです。つけ加えさせていただくなら。ローマ・クラブの初めての仕事、特にMITの研究に対する私自身の批判は、世界の現存するいろいろな差異を充分考慮に入れていない、あまりにも全地球的規模で物を考え過ぎたきらいがある、ということです。

 

あたかも、ぼんとうに単一の世界が存在するかのようにですね。

 

そういうことです。

 

ところで、地球の畳かな北半と贫しい南半との間 で、一種の階級戦争が拡大しつつあるように思われます - 食糧、資源、エネルギー等々をめぐって......

 

そうです、これは他の問題に劣らず重大な問題です。 私は、ローマ・クラブの最初の仕审に対するより深刻な批判という点からしても、この南北問題は、少なくとも私の観点からして、先ず第一番に解決すべき問題だと思 います。しかしこの問題に対するローマ・クラプの言い分にも一理はあります。ローマ・クラブは、次のように言っています。「私達もその問題をよく認識しています。 私達が行なったのは、地球的問題を単純化して取り扱う方法を利用することでした。いくらかでも深く突っ込んだ研究をする前に、世界で何が起こ っているのかを、ー般的にみてみる必要があります。それゆえ、私逹は人類 をーつの全体として取り扱わねばなりませんでした。地 球をーつの単ー体としてみなければなりませんでした。

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人類のさまざまな活動の関係が、どのようになっている のかということを検討してみなければなりませんでした。それらは、人口爆発、等々です。私達は、現存する諸資源をとりあげ、それらがどのように速繫しているのかをみなければなりませんでした。これら全ては、地球的規校で何をなし得るかの、第一次的観点を得るために絕対に必要でした。」ローマ・クラブの見解は次のようなものだったのです。つまり、以上の手統きの後で、こうした第一次的な計算をした後で、より深く考えることが、現存するさまざまな差異を考慮 することが、可能になるというのです。なぜなら、当然ながら、クラブも、もし人類全体に関する統計的资料だけを琳純に考慮する だけなら、解答の方も自動的に人類全体の問題に対するものだけになってしまうということを意識していたから です。ローマ・クラブは、問題の解決に当たっては、贫しい途上国と豊かな先進国とでは、そのやり方も完全に相違すべきだということを进々承知しています。先ほどあなたが言われた南北問題のギャップは、ここに関速する問題です。

他にも現実的な問題があります。つまり、階級問題です。私の言うのは、豊かな国でも存在する階級問題です。というのは、結局私達は。进かな国と贫しい国との格差の問題に直面しているだけでなく、各国内の住民間 の内部格差の問題もあるわけです。この問題は、『成長の限界』では考旃されていない稀類の社会問題です。し かし、口ーマ・クラブの新しい研究プロジエタトにはこの問題が含まれています。ー例をあげますと、アルゼン チンのバリローチエ財団で進められている研究では第三世界の国々の研究の中にこの問題が充分 考處に入れられています。あるいはむしろ、この問題を研究の主要側面としてさえ取り扱つています。これらは、更に発展させて行かなければならない種類の研究や計算です。成長に関する世界的な「問題複合体」とは別に、この世界的問題の内部に、それぞれの大陸、別々の国家グループ、あるいは各国内の別々の階級に関わる、下位クラス、下位問題があります。完全な現実は、非常に複雑ですから、 統計分析や、MITグループが使用したような手法をもとにして、ー举に、全地球的規換で示そうとしても、それは無理だと思います。

 

私は、いったいどうすればこれらの問題をただちに政治的、社会的理念の競争に拆えることなく栝し合う

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ために是非とも必要なように思われる、全世界の人々のー種の団結はどうしたら生まれるものかと考えているのですが。

 

これは、たいへんむずかしい問題です。むずかしい以上の難題です。それは、現在の世界の政治的、社会的状況と結びついた、非常にデリヶートな問題に関わってくるからです。というのは、人類は一つだと考えて、世界的規模での計画化を考えて行くにしても、どうしても無視できない次のような問題が生じます。実際、これは第三世界の主要問題にさえなります。もし、成長の制限が卑に経済や産業の成長のみに関わるものであったり、卑に人口爆発の抑止を意味するだけだとすれば、それは、 ユートビア的で正しくない考え方だと私 は思います。発展途上国の贫困大衆が、べビー・ブームの世界的含意を簡単には理解できないという事実を別にしても、発展途上国の現存する社会条件と戦うか、それを変えることを並行して行なわない限り、人口爆発に歯止めをかける作 晚は全く手掛りさえ得られないでしょう。この問題でほんの僅かでも前進したければ、貧しい国をもっと豊かにしてやることが必要だと思います。それ以外に方法はないと思います。これまでの歴史からそれが言えます。

とにかく、賢明な方法で、人口爆発を減少させることが絶対必要です。最先進国では、人口問題はあまりありません。それどころか、すでに人口は減じてさえいます。真の人口問題は、日々、本物の飢えと、惨めな贫困に悩んでいる人類の三分のニの極贫民の間で生じています。しかし、こういった問題を提起するだけでは人口抑制の事業は進展しません。この点もまたローマ・クラプ の『成長の限界』の弱点です。この研究の最後は「入口爆発をストップさせよう」と結んでいるだけです。単にこうしなければなりません。という唱い文 句だけではこの雔題を解決することはできません。そのため にはまだまだ考えるべき多くの要素があります。そうでなければこれは単なるユートピアでしかありません。そして第二に、そのような陳述は正しいとは言えません。ここらあ たりが、ローマ・クラブの活動に対する厳しい批判と反対がー部から出されるゆえんだと思います。というの は、第三世界は次のように言います。しかもそれは正しいのです。

彼等は言います。「仮りに、今私逹が経済成長をやめなければならないとすれば、世界のこの不公平な状況が

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現状のまま残されるということを、それは意味します。それは、われわれ、真の飢えと極貧に苦しんでいる多くの人逹が、このまま苦しみ統けるということを意味するのです。もちろん、第三世界の人達がこのような態度表明をするのは正当なのです。世界の大多数の人々は、人類が慢性的に、本物の飢えに苦しんでいるということを意識していないように思われます。もし発展途上国が一もニもなく経済成長をやめてしまうと、それは亊実上、先進国にいる人類の三分のーの人間だけが、栄え、苗 み、そして浪货的生活を統けて行く ことを意味します。ですから、誰ももはやこの現状に。これ以上がまんできないでしょう。もし、この考え方が近い将来理解されないのであれば、富者と贫者の階級哦争に至る公算が大と苜わねばなりません。更にこの闘争は、同じ国の種々の 社会階層・階級に属する贫富の間だけでなく、異なった国々の間でも戦われることでしょう。そうなつたら、人 類の歴史上最も悲慘な危機になりかねません。それゆえ「成長の限界」に関わる「問題複合体」の中に深く沈潜し、国際的規模で、あらゆる社会関係を考慮に入れる必要があります。 ローマ・クラブがエまさにそういう方向で仕事をしているという兆がすでにあります。 ローマ・クラブの新しい文畨である『新しい出発』はこれらの問 題をその考察とブロジェクトに取り入れています。しか し、ローマ・クラブに新革命ィンターになることを期待したってだめです。それもユートビアでしょう。

 

攻擊は、贫しい国が自らの悲掺な連命を切リ開くための突破□になるかもしれません。他方、豊かな国でさえお互い同士で、枯渴する資源をめぐって、そのうち戦さをするようなことにならないとも限リません。

 

確かにおっしゃるとおりです。私達は、攻擊の可能性を除外できないばかりでなく、合理的に考えれば現在および将来の状況の予測計算に、それを取り入れて行かな ければなりません。

しかし、この問題にはもうーつの側面があって、それは、「全地球屋さん」としばしばあげつらわれる人々が特によく承知しているものです。この人連は、たとえ発展途上国が贫困のままでいることに同意して、悲惨な運命を受容し、餓死し統け、南北間の贫苗の格差を容認したとしても - このようなありそうもない状況の下でさえー、世界経済は、致命的危拽に底面するだろう、ということを知っているのです。なぜかと言うと、地球

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の経済活動は、ますます加速度的に全地球的相互関係に基づくようになっているからです。この地球経済から は、いくら低開発状態と贫困に甘んじていいと自ら決めた世界の一部や地域を取り除こうと思っても、それは不可能なのです。世界経済には、あらゆる植類の等価的バランスが联存します。しかし、ケィンズ理論やその他の経済理論を支持しているブルジョァ経済も含めて全ての 経済学者でも、私が今述べた特定地域の除外は不可能で あるという一点では一致します。これに加えて、発展途上国の飢えと悪化して行く環境にが まんできない人逹からの反対があるわけです。この人逹は、本気で岡うつも りです。私達は、次にやってくる本態の端初をすでに垣 問みております。それは非常に不幸な兆であり、発展途上国自身にとってさえ、あまりためにならないサィンでした。それは石油です。

発展途上国は、大部分があらゆる種類の原材料の生産 者です。石油に限りません。発展途上国は、自国内に全ての原材料を保有しています。それらの資源の多くは有 限です。発展途上国は先ず経済問題で戦いを挑んでくるでしょう、更に、政治面でも対決姿勢を強めてくるかもしれません。このことははっきり言えます。すでに、このことの兆候の始まりは現われています。テロリズムといった現象が現われています。全世界がテニリストの戦 場と化して行くかもしれません。それは、この地上での 正常な生活にとっては、考えもできない 危険以外の何物 も意味しないでしょう。これまでは、テロ活動はー定地域に限られていましたが、今ではそれは拡大しつつあり ます。欲求不満と絶望を感じた人々がテロ活動に訴えたら、その結果はいったいどうなるでしょうか。世界の現 状を変えなければ、この市態は、いっそう悪化することも充分考えられます。

 

最近の国連資源特別会議で、ァルジェリァのファリ・ブーメディエン大統領が行なった演脱は興味深いものでした。大統領は、米国やソ連でなく、ョーロッパにこれらの問題解決のための指針を求めたのです。しかも、同大統領が言っているョーロッパは、全ョー□ッパ、つまり、故ドゴール大統領が言っていましたように、南はリスボンから北はゥラルまでを含めたョーロッパを意味していたに相違ありません。

 

ァルジェリァの大統領にかわって、私がそれに答えることはできません。しかし、今日、ョーロッパについて

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語る時、西ョーロッパだけを念頭に蹬く者などは全くいないでしょう、ヨーロッパとは、西と東のョーロッパの ことです。私もたまたま、ョーロッパこそは、世界の和解と全世界的な問題の解決に非常に、献できると考える 者です。私は一ボーランド人です。ボーランド人と言う だけでなく、マルクス主義者でもあります。私は共産主 義運動に加わっています。私は、マルクス主義に基づいて活動する国は、これらの問題の解決に大きく茛献できるものと深く確估しております。それには、全ヨーロッパ的な問題の共同 解決方法の発見も含めて言っているのです。しかし当面は。こうした協力とはほど遠いのが現 状だと思います。

 

その昔、米ソは匕ッ卜ラーのファシズムに抗戦してしゥかリと同盟を結んだ仲だったわけです。それからしますと、世界の貧困と飢えを追放しようという共通の戰いに、東西のョーロッパが一致協力して当たるということは考えられないことなのでしょうか。

 

可能性はあります。のみならず、私のみるところ、それはまた必然です。私违ョー口ッパ人が、一緒になって活勖して共同の解決方法を見つけるか、しからずんば、一もニもなく世界の大破局を迎えるか、ニつに一つで す。それだから、私はこの必要な協力方法が見出されるだろうと言い得るほどに希望を持ち、楽観的なのです。しかし、他方ではその逆の立場の懐疑論や警告の声もあることを忘れてはなりません。そうです・ナチ・ドィツやヒットラーのような共通の敵と戦う方が、世界の贫困のような問題を解決するために一 緒になって取り組むこ とより、容易だつたのです。どうしてかと言いますと、私達社会主義諸国には計画があります。そこで、私達は次のような首い方をします。「世界の社会的構造を変えようではありませんか。個人所有から、集団的。社会的 所有に転換して行きましょう」、と。こういったベースでは問題の解決はより容易だろうと私は思います。しかし、同時に、私は次のことを理解するに充分なだけ懐疑的です。すなわち、それが容易であるというまさにそのためだけではその解決策を人々が受け容れやすくなるというこ とはない、ということです?でも歴史の教えによりますと、いつもではないけれども、大抵の場合は。人 間は緊急な問題に直面するとしばしばうまく解決を見出してきております。なぜなら、生存して行くためにはそうすることは至上命令だったからです。

(中村哲雄)

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