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‘Seicho no genkai’ o meguru sekai chishikijin 71-nin no shogen (1973)

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Titelpagina van ‘Seicho no genkai’ o meguru sekai chishikijin 71-nin no shogen
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‘Seicho no genkai’ o meguru sekai chishikijin 71-nin no shogen

(1973)–Willem Oltmans–rechtenstatus Auteursrechtelijk beschermd

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明日の地球世代のためにー『成長の限界』をめぐる世界知識人71人の証言ー

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1 ウ.タント

ウ.タント (U Thant) 氏はアジアの外交官、政治家であり、一九六一年には国連事務総長代理、一九六二年から一九七二年までは国連事務総長として同機構の重責をになった。一九〇九年、ビルマのバンタナゥに生まれ、ラングーン大学で教育学を修め、一九三一年から一九四二年まで郷里パンタナゥの中学校副校長を勤めた。その後各種政府機関の職に従事し、一九四九年から一九五三年まではゥ.ヌ.ビルマ大統領の秘書官となった。国連事務総長に選出される前には、ビルマ国連代表部首席を五年間勤めていた。現在は ニューョークに住み、回顧録を執筆中である。

 

ウ.タント博士、あなたは国連事務総長の職を去られるに際して、七〇年代こそ、世界がその事態の流れを変えるべき時であり、さもなければ文明は崩壊に直面してしまぅだろぅと強調されました。いいかえれば、世界がたつた今、何らかの効果的な手を打つよう期待されたわけですが。

私は一九六七年に国連総会用の会場のひとつで行なわれたあるセミナーの席上で、その演説をしました。私はその当時、もしも国際社会が全地球的な諸問題-もちろん経済的問題をも含めてですが-にその注意を集中しないならば、もはや人類社会はたかだか十五年程度しか存続しえないのではないかと確但しておりました。今では、以前に増してその感を深くしています。なぜならば、富んだ国と貧しい国との格差はますます拡がる一方であり、私の見方からするとこれは、政治的ィデォロギーに根ざ した世界の分裂ょりも、長い目で見ればはるかに破壊的なものに思えるのです。ご存知のとおり、私は低開発国の出身ですから、これらの貧しい国々が直面している問題の巨大さを十分に承知しています。もし、先進工業諸国がこの点を考慮に入れないならば、人類社会全体が苦しむことになるのではないかと思います。富んだ国と貧しぃ国とが協カしてこれらの問題を考ぇ、とも

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に努力していかねばならないのです。

 

一九七二年の六月五日から十六日にかけてスウェーデンのストックホルムで開催された国連人間環境会議で、インドのインディラ.ガンジー首相は、貧困こそがもゥとも悪質な汚染源であると述べられたそうですが。

 

そうです。私もまったく首相の発言に同感です。もしさしつかえなければ、貧困、病気そして文盲が、といいたいところです。これらは現代人類の癌です。私は今こそ富んだ諸国、すなわち世界の北半分が、この巨大な問题の真の重要性を認識すべき時だと思います。

 

あなたは以前、世界危機の四つの要因を指摘なさいました。それについてもう少し詳しくご説明いただけますか。

 

私の考えでは、今日われわれが直面している危機的な状況を引き起こすもとになった要因には、四つのものがある。第一は、政治的ィデォロギーに基づく世界の分裂です。第二は、たとえば南北間とか持てる者と持たざる者との相違のような、経済格差に根ざした分裂です。思うに、世界のこの分裂は、政治的イデ才ロギーに基づくそれよりもはるかに顕著かつ重大であって、さきほども申し上げたように、長い目でみればずっと破壊的なのです。第三の要因は、植民地主義のなごりに関係した世界 の分裂です。これまた、現代世界を分裂させ、人間社会を分裂させている非常に大きな要因です。第四も、他に比しておとらぬ重要な要因ですが、それは、皮膚の色の違いに基づく世界の分裂、つまり人種差別です。あるいは国連が南ァフリカの事態に関して用いたことばでいうならば、‘ァバートヘイド’ (民族隔離的人棟差別政策) です。皮膚の色によるこの差別はまた、今日の人類社会が直面している非常に悲惨な要因でもあります。

以上四つが、今日対処しなければならない主要な要因です。だれもが知っているように、政治的イデオロギーに関するかぎり、私は民主主義を支持しています。私は自国においても民主主義的ブロセスを擁護してきたし、国連大使としても、また事務総長としてもその立場をとってきましたGa naar eind〔註1〕。これは私の個人的信条なのです。しかし、民主主義的ブロセスの優越性を私自身確信しているからといって、私に同意しない数億の人々がいるという事実が見えなくなつているわけではありません。私

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は、政治的ィデオロギーに基づく世界の分裂は、過渡的な局面であると考えています。なぜならば、すべての政治的ィデオロギーは、今後きわめて長期間にわたって共存していかねばならないからです。私が一番心配しているのは、経済格差に基づく世界の分裂の方です。周知のょうに、第二次世界大戦以来、富んだ国はますます富み、貧しい国はますます貧しくなり、両者の開きはいっそう深まりつつあります。われわれはそのギャッブをうめる努力をしなければならないのです。私が国連事務総 長の職についた一九六一年に、国連は、第一次開発の十年を開始しましたが、その主目的のひとつはまさにそれだったのでした。一昨年、国際社会は第二次開発の十年をスタ-トさせましたが、ここでもその第一の目標は、富んだ国と貧しい国との開きをせばめることにあるのです。この問題が、それのもつ重大性の十分な自覚に基づ く真の熱意をもって、特に富んだ固々にょって取り組まれないかぎり、私は、人類の将来についてそれほど楽観的にはなれないのです。

 

ローマ.クラブGa naar eind〔註2〕の依託をうけてMITGa naar eind〔註3〕のコンビュー夕を用いて行なわれた『成長の限界』の研究Ga naar eind〔註4〕は、資源の限界、経済成長の限界、そして拡大の限界について人々に重大な警告を発しました。すなわち、将来に備えて、諸大陸はよりいっそうの均衡、よリ多くの讓り合い-これはまさにあなたのいわれたことですね-そしていっそう緊密な協力や相互依存を唱道しています。

 

そうです。互譲の精神、特に富んだ国々の側での相手を理解しようとする楮神こそは、人類共同体の出発のための根本的な基盤なのです。国連およびその諸機関は、先進国側がその国民総生産の一バーセントを開発途上国に寄付してはどうかと提唱しました。ご存知のようにこれはまだ達成されていません。それどころか、富んだ国国の中にはこの提案になんの関心も払わない国もいくつかありました。もっとも、この点に関しては、ここで次のことを申しあげておかねばなりません。すなわちカナ ダやオランダ、およびほとんどのスカンディナヴィア諸国-これらはほんの一例ですが-などは、この問題の重要性を十分認識しています。

 

オランダ人のひとりとして、私は、オランダの経済援助はGNPの〇.七八バーセント (すなおち最も高

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率です) に達している一方、驚くべきことに、他を絶して豊かな国である米国がィタリアに次いで二番目に低い援助率しか達成しえていないことを、ここに指摘しておきたいと思いますGa naar eind〔註5〕。

 

そうですね。私はそのこと自体については、特別な論評は加えたくありません。私がとくにオランダの名をあげたのは、この国の経済援助政策に関して私自身詳細な研究を試みたことがあるからなのです。私はこの機会に、オランダ政府がとくにこの問題に関して国連おょびその関係諸機関に対して示された理解と協力の精神に対し感謝の意を表明させていただかねばなりません。

 

ストックホルムの会議では、今後五年間における人間環境の研究.対策と人間環境保全のための資金としてわずか一億ドルの配分が提案されたにすぎません。今日、軍備のためには数十億ドルにのほるとほうもない巨額の支出が行なわれていることを考えると、環境保全の必要性からみて一億ドルという額はあまりにも少なすぎないでしょうか。

 

そうですね。この質問にお答えする人としては、私よりもモーリス.ストロング 氏Ga naar eind〔註6〕の方が適切だと思います。しかし、金額を問題にする場八ロには、相対的な優先順位というものを考えに入れてこなければなりますまい。それはたとえば次のようなことです。私の知りえた昨年の数字によれば、ィンドシナ戦争の当事者全員が一日に費す戦費は、国連の一年間の出費に等しいそうです。これは、もしべトナム戦争がさらにもう一年継続されるならば、その戦のすべての当事者によって負担される支出は、現在の支出水準で国連をさらに三六五 年間維持するに足ることを意味しています。われわれはすべての経費を相対的な額で考えねばなりません。モーリス.ストロング氏なら、かくも巨大な課題に対処するために、五年間で一億ドルという金額はあまりにも少ないときっと感じることでしよう。多くの国々が軍備に費している厐大な経費のことを考えれば、人間の発展の経済的な側面がいかに無視ないし回避されてきたかがわかるでしよう。これは戦争および平和向けの支出に関して、後先順位を問題にする必要があることのほんの一例にす ぎません。私が「平和」というとき、平和の建設と平和の維持の両方をそれに含めています。もちろん国速は、両方の意味での平和に関与しています。一つは平和の建設

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であり、他の一つは平和の維持です。南北のギャッブをせばめることは平和建設の一つの側面です。この基本的必要条件なしに、平和はありえないでしょう。いいかえれば、一国の社会のみならず国際場裡においても、社会正義なくしては平和はありえないでしょう。これは永続的な平和を建設するための重要な基盤なのです。この点が、今日人類が直面している第一の問題です。

 

中東や東南アジアのような、争いが一貫して続いているいくつかの地城に平和をもたらし得なかゥたことは、あなたの人生経験上の挫折ではありませんでしたか。

 

その通りです。私は国連事務総長としての十年間に、满足と感じる瞬間と同様に挫折と感じる瞬間があったといわねばなりません。ブラスとマィナスがあったわけです。私は今、すべての時間を回顧録の執筆にあてています。しかし、この書物は厳密な意味での回顧録にはならないでしょう。それは、この十年間の国際情勢についての私の反省や分析や評価の畲物になるでしょう。私は、この書物の中に私自身を、私の個人的信条や私個人の哲学を、投映させるつもりなのです。もちろん中東におけ る状況は、挫折の一つのヶースです。ベトナム戦争は、私に関していえば非常に極端な挫折のヶースです。ぺトナム戦争の問題は、だれもが知っている理由からして、国連総会あるいは安保理事会の場に持ち出されなかったのです。しかし、ベトナムにおける死者の数や国土の破壊や荒廃の度合は人類史上これに匹敵するものがないほどでした。私の見るところでは、この戦争はもっと早く終わらせることが可能でした。当事者たちがつかまずに見のがしてしまった多くの終結機会があったのです。私 はそれらの主要な展開のいくつかを、回顧録の中で明らかにするつもりです。

中東問題に対する私の考え方やアブローチは、国連のだれもが知っているとおりです。国際問題についての私の見解は、当然のことながら関係する諸加盟国の見解と一致してはいません。私の見方はちょぅど橋の上から眺める人のそれに例えることができるかもしれません。国連の目的は、結局のところ、橋をかけることなのです。私は自分を橋の中央に立つ人間とみなしており、国際的な状況に関する私の見方が、橋のどちらか一方のはじからみた見方とは違っていることは十分ありえます。第二 に、諸国際問題に対する私の評価やそれらの問題の性質

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に対する私の理解が、関係諸加盟国の理解やアブローチと異なっていることも、十分ありうるのです。第三に、ご承知のように私は国連をきわめて強く信頼しています。国連は人類の最後の最良の希望なのです。国家的たると地域的、国際的たるとを問わず、すべての人間機構と同様に、国連もまたいくつかの基本的な規約をもたねばなりません。安保理事会は、国際的な平和と安全の維持に責任をもつ主要機関です。安保理事会が何らかの問題について決議を採択した時、とりわけその決議が五つ の安保常任理事国を含めた満埸一致によって採択された時、その決議はどうしても実施されねばなりません。これが私の仕事の進め方の基本です。議論をはっきりさせるために、私自身の国、ビルマが国際的紛争にまきこまれ、その紛争が国連の場に持ち込まれ、安保理事会がそれを取り上げて私の国の政府に対する何らかの制裁行動を伴うような決定を行ったと仮定してみましよう。その場合、ビルマ政府はその決議に従わねばなりません。もしビルマ政府が安保理事会のその決定、とりわけ満場一 致の決定、に従うことを拒絶したならば、私自身は、自国の側でなく国連の側に立つことにするでしよう。

eind〔註1〕
‘Toward World Peace’ Speeches and Public Statements 1957-1963 by U Thant, Thomas Yoseloff, New York, London, (1964) Selected by Jacob Boal-Teshuva 参照。
eind〔註2〕
アゥレリオ.ベッチェィ博士 (対談70参照) を会長とし、科学者、教育学者、経済学者、人文学者、産業人、政府関係者等各国メンバー約百名からなる国際グルーブ
eind〔註3〕
米国マサチユーセッツ州ケンブリッジにあるマサチューセッッ工科大学。
eind〔註4〕
‘The Limits to Growth,’ A Report for the Club of Rome’s project on the Predicament of Mankind, A Potomac Associate Book, by Donella H. Meadows, Dennis, L. Meadows, Jorgen Randers, William W. Behrens III. Universe Books, New York, 1972. 大来佐武郎訳『成長の限界』、ダィヤモンド社、一九七二年。
eind〔註5〕
Address to the Board of Governors by Robert S. McNamara, President, World Bank Group, September 25, 1972, Page 21 参照。
eind〔註6〕
対談30〈モーリス.ストロング〉参照。

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