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Soren no tachiba. Detanto no hokani michi wa nai (The Sovjet viewpoint. No alternative to detente) (1983)

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Titelpagina van Soren no tachiba. Detanto no hokani michi wa nai (The Sovjet viewpoint. No alternative to detente)
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Soren no tachiba. Detanto no hokani michi wa nai (The Sovjet viewpoint. No alternative to detente)

(1983)–Georgi Arbatov, Willem Oltmans–rechtenstatus Auteursrechtelijk beschermd

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[pagina 57]
[p. 57]

2 われわれは鎖でつながれている

- さて、われわれはいま新しい冷戦に向けて押し流されているように思うが。A 問題は、次の冷戦が前回よりはるかに危険だという点である。今度、際限のない敵意と対決へと・逆戻りする場合には、破壊手段の開発が新しい水準に達しているだけに、軍事衝突の可能性は前回以上に大きくなるだろうし、その結果はさらに破滅的になるだろう。

しかも、八〇年代の冷戦は、以前よりも、多数の国をその渦のなかに巻き込むだろう。国際紛争にかかわり合いを持つ国の数が増えれば増えるほど、危険も大きくなる。特に、かかわり合いを持つ国のなかに無謀、無責任な行動を起こしがちな国があればなおさらそうである。また、冷戦が再発すれば、核兵器の拡散が事実上、避けられなくなる。

さらにもう一つ重要なことがある。今後の数十年間は、天然資源の枯渇、環境汚染、飢餓といった全地球的な問題がいっそう深刻になるだろう。緊張緩和、軍縮、国際協力が実現されれば、こうした問題を解決できる可能性が大きくなるだろう。しかし逆に冷戦状態のもとでは、問題は手に負えなくなってしまう。

- カーター政権で世論調査を担当していたパトリック・キャデルは、かつてブレイボーイ誌とのイソタビューでこんなことを述べている。「小さな戦争は世論調査の支持率を高める

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ものだ。戦争がない状態は政治上あまり得点にはならない。どんな大統領だって、思い切った軍事行動をとることで世論を自分の味方に結集させることができる。アイゼンハワーには朝鮮とレパノンがあったし、ケネディにはキューバとベトナムがあった。ジョンソン、ニクソン、フォードにはベトナムがあった......」(プレイボーイ、一九八〇年二月号)

A いわゆる「道徳性の高い」大統領のかなりいい例だ。ごく普通のワシントンの主役交代を阻むために、許容される手段として戦争が議諭されるのだから。

キャデル氏の発言は,戦争を政治的成功に歓迎すべき貢献をする手段にしてしまう、政治制度の重大な欠陥を示唆してはいないだろうか。

- キャデルはひねくれた言い方をしているようだが、過去にそういう実例があったとあなたは思うか。

A あったと思う。困難な時期には右寄りに重心を移し、強硬な態度をとるほうが有利で安全と政治家が考えるのは、アメリカ政治の長年の特徴だ。どういうわけか、そうした姿勢をとるほうがいまだに愛国的だと思われている。

しかし核時代にあっては、まさにこうした姿勢こそが国家に一番大きな災いをもたらす。またどういうわけか、そうした姿勢のほうが現実的だともみなされている。しかし今日、軍拡競争と武力行使を通じて安全保障を達成しようというのは最悪の幻想である。

腰だめでピストルを撃つカウボーイは、アメリカではいまだに広く愛されているシンボルには違いないが、こうしたことのありようには、もっと重要な心理的理由があるはずだ。一つは思考の怠惰であろう。つまり,冷戦時代から受け継いできた古い考え方のからを、いまだに捨て切れないでいることである。こうした古い考え方は、人を引きつける単純さゆえに根強いのだ。

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西部劇レベルの単純性

- 単純さというのはどういう意味か。

A 冷戦状況のもとでは、ものごとはみな安っぼい西部劇のレべルで動くものだ。具体的な敵があって、これがすべての悪の源泉になる。目標もはっきりしている。つまり、この敵を倒すということだ。

相手側に打撃を与えれば、それだけ自分に有利になる。それをなんの良心の苛責なくやってのけられる手段を物にし、実験した。好戦的強硬論、狩疑心、暮らしが異なる人びとに対する敵意といった、原始的な感情に訴え、自国民族の優位を求め願うこともできる。人は白と黒だけの二次元の世界に住んでいるし、自分の政治的立場をテレビのゴールデンタイムに一分で全部説明し尽くすことも、かなり大事なことなのだ。

相手側に打撃を与えれば、それだけ自分に有利になる。それをなんの良心の苛責なくやってのけられる手段を物にし、実験した。好戦的強硬論、狩疑心、暮らしが異なる人びとに対する敵意といった、原始的な感情に訴え、自国民族の優位を求め願うこともできる。人は白と黒だけの二次元の世界に住んでいるし、自分の政治的立場をテレビのゴールデンタイムに一分で全部説明し尽くすことも、かなり大事なことなのだ。

さらに一段と理解するのが難しいのは、面倒を引き起こすのがいつも「相手側」だというわけではなく、えてして自分たちの側の誤りや不始末、だれの手にも負えない勢いや成り行きだということである。自制と中庸を保ち、妥協を受け入れる姿勢といった資質は、より大きな英知ばかりでなく、政治的勇気も必要とするが、独善や高慢、肩をいからせたがる傾向よりまさっていることも銘記すべきである。

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最後に、相手側を理解するよう努めることも大事である。自分たちの政策が相手側の目にはどう映っているのか、相手側は自分たちの政策をどのようにみているのか、ということを理解しなければならない。

- あなたは失望しているのか。緊張緩和は複雑すぎて一般大衆には理解できなかった、というのか。

A 緊張緩和というのは一つの過程だ。一九五〇年代には、入り組んだ国際政治を理解できる人はほとんどいなかった。六〇年代になると、理解できる人の数が急速に増えた。七〇年代には、現代世界についてのなにがしかの真実が、何百万もの人びとの心をとらえた。私はいまでも、緊張緩和という考え方が、八〇年代に勝利するだろうとの希望を持っている。

ヨーロッバとアメリカでの最近の出来事には、そうした希望を抱かせてくれるものがある。

- それは一九八一年に始まった反核運動のことを指しているのか。

A その通りだ。

- 緊張はひとりでに高まるが、緊張緩和を維持するには大変な努力を要する、とあなたは言った。その理由は、冷戦の方式が危険なまでに単純であるのに比べ、緊張緩和のほうは知的、心理的に複雑だということにあるのだろうか。

A その通りだが、それだけではない。惰性の力も重要である。緊張緩和は始まってから、たかだか指折り数えるほどの年月しか経っていないが、それに先立つ冷戦は何十年も続いた。

この何十年かは、さまざまな先入観や偏見ばかりでなく、組み込まれたメカニズムを疑つかあとに残した。っまり軍拡競争や現存の軍事、政治同盟のメカニズム、さらには冷戦に奉仕させるために作られたその他の巨大な下部構造、たとえば心理戦争や秘密作戦、その他類似の活動のための官僚機構

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や組織である。

これらのメカニズムはみな、それぞれが確実に生き残ろうと努力する。その意味するところは、国際緊張を生み出し、軍事的敵対関係に拍車をかけ、外部の敵に対する不信と憎悪をはぐくまねばならない,ということである。こうしたメカニズムはアメリカでは一段と強化されている。これらのメカニズムを、経済機構の重要部分や影響力のきわめて大きい権益グループに結び付ける一種の「連絡ベルト」があるからである。

- 安定した緊張緩和というのはありうるだろうか。A 緊張緩和に有利な材料はたくさんある。それ自体にも大ぎな活力がある。人類が破滅を避けるには緊張緩和以外に受け入れられる代案がない、というのが、緊張緩和を支える有力な議論だ。

緊張緩和とは何か

- ソ連がいう緊張緩和とは、厳密にいえばどのようなものか。

A 最も権威ある定義を引用すれば、レオニード・ブレジネフの次のようなものだ。「緊張緩和とは、主として冷戦を克服すること、国家間の関係をより正常、円滑なものに移行させることを意味する。緊張緩和とは、相違や対立を力や脅迫、威嚇などによらず、平和的手段で、交渉によって解決しようとする意思を意味する。緊張緩和とは、ある程度の信頼と、相互の利益を尊重する能力を意味する。簡単にいえば、われわれは緊張緩和をそのように理解している」(モスクワ・ニューズ、一九七九年一 月一二日)

- オーストリアのブルーノ・クライスキー首相は、一九五五年のオーストリア主権回復条約に調印したことがヨーロッパの緊張緩和政策の始まりだった、と私に語ったことがある。

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Aオ-ストリア主権回復条約への調印が、まさにその性質からみても、それがもたらした結果からみても、緊張緩和を目指す行動であったことは間違いない。

しかし、この政治的過程の出発点として、それだけを挙げられるのかどうかはわからない。

- 国際政治はますます複雑になりつつある。にもかかわらず、米ソ関係は相変わらず決定的な役割を果たしているし、全世界のあり方の基軸をなしている。

A確かにそうだ。あらゆる世界の動きをソ米関係のプリズムを通して見るのは閲違いだろうが、両国関係が人類に対して持つ重要性はどう大きく評価しても、評価しすぎることはない。こんな言い方ができると思う。モスクワとワシントンの問の関係改善は、必ずしもあらゆる問題を解決する万能薬ではないが、両者の敵対関係がとどまるところを知らなければ、文明の減亡につながりかねない、ということだ。

- ハーバ-ド大学の心理学者B・F・スキナーに、現在、最も重要な課題は何だと思うかと尋ねたら、即座に「生き残ることだ」という答えが返ってきた。

Aそれほど単純なことなのだ。ソ連とアメリカ相互にとって最大の共通の利益は、まさに生き残ることだ。そのためには二国間の平和共存が絶対必要なものとなる。

いやおうなしに、われわれはお互いに鎖でつながれているのだ。どっちも地球から出ていくわげにはいかない。ソ連人もアメリカ人も地球上にいる。われわれは平和に暮らす術を覚えなければならない。もし成功すれば、生き残るだけでなく、双方にとって、ひいては世界全体にとって利益となるような関係を確立できるかもしれない。

われわれソ米両国民、さらには世界の人類が今後幸福でいられるかどうかは、主として、ソ米両国が平和のためにこれまで以上に大きな努力を払うか、逆に軍拡競争のために資源の浪費を続けるかど

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うかにかかっている。経済的、科学・技術的に世界で最大の能力を持つ両国がお互いに協力できれば、全人類に及ぼす恩恵ははかり知れないものがある。

最後に、いまわれわれが直面している世界全体にかかわる問題は増えつづける一方だが、こうした問題は平和的雰囲気のもとでしか取り組むことができない。

もしわれわれがみすみす、抑えのきかない敵対関係に陥るようなことがあれば、予想できる将来はせいぜい味気ない、陰鬱な生活が続くだけで、悪くすれば、地球上の生命がすべて核の火で燃え尽きてしまうかもしれない。

なるほど、世界最強の両国の関係を改善する仕事は、両国が何十年もいがみ合ってきただけに、とてつもない難題ではある。が、核時代の現実はいまそれを必要としているのだ。

- 関係改善への期待は絶えず裏切られてきた。その結果、失望と冷笑が生まれている。

A 残念ながら、それは事実だ。残念だというのは、緊張を緩和する可能性について否定的な態度をとることは明らかに危険だからだ。

そうした態度が長く続けば、敵意と際限のない軍拡競争、政治的な、場合によっては軍事的な対決しか望めないとする見方を、ごくあたりまえのことと受け取る人が多くなるだろう。そうした絶望的な気分のもとで横行する予言は、そのまま現実になってしまいかねない。

- 過去二、三年間の出来事をみれば、そうした気分になってもあまり責められないのではないか。

A しかし、それは間違っている。最近の出来事でも対決が避けられないとか、冷戦の再来もやむなしとかいったことを証明してはいない。

むしろわれわれが目のあたりにしたのは、両国間の関係改善と国際緊張の緩和を目指したプロセス

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も阻止できるし、事態は容易に悪化させることができるということ、また双方が集中的な努力を注いで過去一〇年に注意深く築き上げてきたものの多くが,ごく簡単にぶち壊せるものだということだった。言い換えれば、よりよい関係を作るだけでは不十分であり.これを守っていくことも学ばなければならないことがわかった。これがソ連側で引き出した結論だ。

「ソ連の考え方が改まらないかぎリ......」

ーアメリカとソ連の間の競争関係がいま盛んに話題になっている。アメリカ政府の高官は、この競争関係が問題の根源だと言っている。その見方に従えば.一定の協力関係と組み合わせることはできても、競争関係はどんな状態になっても続くだろうという。

A なるほど、それがアメリカ側の公式の立場だ。過去二.三年の間に、その立場は「競争ブラス協力」から.「おおむね競争」に変わった。両国の関係には、確かに二つの要因が存在している。しかし、両国関係におけるこのニつの要因(競争と協力)それぞれの比重や相対的重要性は、政治状況が違えば、大きく変わることもあるという点を理解しなければならない。

よく知られたクラウゼヴィソツのことばを借りて言い換えれば,緊張緩和は冷戦以外の、それよりも用心深く安全な手段で冷戦を続けることではない。緊張緩和は、その性格と目的からして冷戦とは相反する政策である。その目指すところは、紛争において核戦争を除く手段で勝利を得ることではなく、紛争を解決し、防止することであり、軍事対決の度合いを下げ、国際協力を発展させることである。

- アメリカの元駐ソ大使マルコム・ツ-ンはかつて、「ソ連の物の見方、考え方が根本的に改まらないかぎり、米ソ間に友好と相互信頼の理想郷が訪れることはあるまい」と語ったことがある。ワシン卜ンでもこれと同じ考えを持っている人が多い。ソ連研究家のリチャード・

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パイプスはレーガン政権の国家安全保障会議のスタッフだったころ、さらに一歩進めて、ソ連がそのやり方を変えなければ、究極的には東西間で戦争は避けられないかもしれない、という意味のことを言っている。

A 近い将来、世界のどこかに友好と相互信頼の理想郷が訪れるとは、よほど楽観的気分にでもならなげれば考えられない。もちろん、そうした理想郷を築くことは望ましいことだが、当面は、何よりもまず生き残るにはどうしたらよいかというような、もっと初歩的な問題に取り組まねばならない。

ところで、ソ連の物の見方、考え方が基本的に改まらないかぎり、ソ米関係を大きくは改善できないといった主張は、緊張を高めるにはもってこいの処方箋だ。これこそまさに、この半世紀以上にわたってアメリカがくり返し使ってきたやり口だ。その結果、ソ米両国は関係正常化ができなかったのだ。どちらの側も、このやり方から何の利益も得なかった。平和共存の要点は、一緒に暮らし、正常な関係、できればいい関係を持ちながら、お互いに相違は相違として認め、相手側に自分と同じよう になることを強要しないということである。

- しかし現にある物の見方の大きな違いは、やはり両国関係に悪い影響を及ぼさずにはおかない。

A 悪影響もありうるかもしれない。しかしだからといって、そうした相違が必然的に国際紛争を招く可能性を、あまり誇大視してはならない。

いま仮に、ソ連の代わりに別の超大国、アメリカとまったくそっくりで、アメリカの生き写しのような超大国がアメリカに相対している状況を想定してみよう。この超大国は、アメリカと同じ物の見方,考え方を持ち、経済・政治体制も同じ、選挙にからむ政治的慣習も同じとしよう。さらに、やたらに強硬意見を吐きたがる議員が多い議会もそっくり、国防総省や産軍複合体、それにマスコミも同

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じとしよう。この超大国は、エネルギー浪費型の生活様式もアメリカと同じ、したがってベルシャ湾や、石油などの世界各地の鉱物資源にもアメリカとよく似た関心を持っているとしよう。

この第二のアメリカが、第一のアメリカ同様、自己中心的、独善的で、救世主のような使命感を持ち、全世界を自分の好み通りに改造し、「アメリカの平和」を築きたくてうずうずしている、と考えてみよう。その世界は、アメリカとソ連が大きくかけ離れたままの現在の世界よりも、果たして暮らしよく、安全な場所といえるだろうか。

- ちょっと待ってほしい。アメリカとソ連の間に根本的な相違があることが、実際は平和のためになっているということか。

A いや、違う。私の言おうとしていることは、そうした相違があるからといって、戦争が避けられないというわけではないし、戦争が起こりそうだというわけでもないということだ。私は、ソ連の政策が平和のために大いに貢献していると間く信じている。

- では、もし第一のソ連と第二のソ連があうた場合にはどうなるか。

A ウリニつのソ連との間でなら、平和を見出すのはもっと容易だと思う、しかしとにかく、それは先に私の言ったこと、つまり、物の見方の相違が必然的に国際紛争を招く可能性を誇大視すべきではない、という点を覆すものではない。先を続けよう。

「自然な競争」をしよう

第一次世界大戦は、無数のもっと小さな戦争と同様に、実際は同じような物の見方や社会経済体制、似たような目的や考え方を持つ国同士の衝突だった。第二次大戦でも、資本主義国同上が戦ったが、一部はソ連の同盟国となった。

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ソ連とアメリカの競争についていえば、必ずしも平和が脅かされるような危険が生じるとは限らない。軍事的競争を抑制し、不必要ないし人為的な紛争を避け、協力を必要とする共通の利害の大きさを忘れなければ、自然な競争にとどめることがでぎる。

- 両超大国の間の「自然な競争」とは何を指すのか。

A 超大国の競争というよりは、異なる社会体制間の競争というべきだろう。二つの異なる社会体制間の自然な競争とは、それぞれの体制が自国民だけでなく全世界に対しても、経済・社会開発や生活の質、文化・思想などの分野で、どれだけのことを達成できるかを示すことである。そうした競争は避けられないが、それが必ずしも国家間の政治的、軍事的紛争を招くとは限らない。

この間題についての誤解や意図的な曲解は、競争についての概念が異なることが原因になっているほうが多い。ソ連とアメリカの間の競争は、アメリカで、はえてして善と悪の闘いという形で描かれ、もちろんアメリカ人が善玉になる。客観的だと自称する人たちは、二つの帝国の間の競争ととらえる人が多いかもしれない。つまりこの競争では、双方ともケーキのできるだけ大きな分け前をとり、世界を支配しようとしているというわけだ。しかし、私はこうした「帝国主義的な」考え方には同意 しない。

- アメリカは一九四五年にに確かに、世界の運命をその掌中に握っていた。しかしいま、その運命はアメリカの手からすでにすべり落ちてしまったように思われる。

A われわれの考え方では、第二次大戦後、アメリカ政府は強力な帝国主義的、覇権主義的な野心を持っていた。アメリカは経済的に強力であったし、核独占に基づく並みはずれた戦略的優位をも誇っていた。アメリカの好みに従って世界をどのようにも作り変えられると感じていた。

- その当時の立場からすれば、アメリカもずいぶん変わった。

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A そう、しかしアメリカはかつて掌中にしていたものを善意から手放したわけではない。要するに世界が大きく変わってしまったのだ。そしてアメリカがいまこの地球上で占めている地位は、目立ちはしているが、一時より穏当なものになっている。

しかしアメリカにとっては、こうした変化を受け入れ、古い幻想や誤った考え方、根拠のない要求を捨て去ることが、ことのほか難しいことがわかった。最近、こうした古い主張がまたもやワシントンの外交政策の指針になりはじめたように見受けられる。

世界制覇の意図があるか

- ソ連がアメリカにとって代おって、最高の地位に就こうとしているのではないか。

A そうした発想は、われわれの見方、考え方とはまったく無縁といってよい。ソ連経済が成長するために海外への進出を必要としないことも銘記すべきである。しかし、仮にこれらをすべて無視しても、ソ連がこの点でアメリカを模倣する意思のないことを示す非常に確固とした実際的な根拠があると思う。

今日、帝国を維持するコストが増える半面、利益のほうは減少するばかりである。アメリカが世界各地へ進出しているおかげで、過去、五年ばかりの間に抱え込んだ困難を見てみるがいい。現在の帝国主義的な衝動も、アメリカが抱える問題をいっそうこじらせるだげだ。今日の世界では、帝国主義は勝ち目のない主張であり、もはや機能していない。

- 現時点での米ソ関係をあなたはどう評価するか。

A アメリカを研究すればするほど、アメリカに対する私の評価も用心深くなる。時々、ソ米関係について尋ねられると、「奥さまはいかが」と聞かれて、「何とくらべてか」と答えた賢明な男のことを

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思い出す。関係を相対的な視角から取り上げてみて初めて、悲観的になりすぎたり、楽観的になりすぎたりすることを防げるのだ。

あなたの質問に答えるとすれば、ソ米関係はいまより悪い時期もあったが、いまよりずっと玄しな時期もあった、ということである。もう少し正確にいえば、アメリカ側から最近両国関係を悪化させるようなことが数多く行なわれた結果、両国関係はおそらくこの一〇年間で最悪の状態になっている。

- それはかなり悲観的な評価だ。

A 私としても、もっと違った評価ができればと思う。しかし、カーター大統領の最後の一年とレーガン大統領になってから行なわれたことを見ると、そうとしか言いようがない。

大変な苦痛と努力を払って築き上げたものの多くが、見るも無残に破壊し尽くされてしまった。まるで、なんとか自制してはいたが、長い間この乱痴気騒ぎを夢に見てきた人たちが、思いのさま暴れ回ったという感じさえした。

軍備管理交渉は、脱線したとはいわないまでも、大きな打撃を受けた。経済関係はほぼ完全に途絶した。領事関係は縮小された。直通航空便についての協定は破られ、科学の分野での協力活動も中断されたものが多い。ソ連を憎悪するグル-プによって、犯罪行為さえ引き起こしかねない雰囲気が作られた。残念ながら、破壊は建設よりはるかに容易なのだ。

- レーガン氏は大統領になるとすぐさま、一連の厳しいことばでソ連の指導者を攻撃した。あれはあまり米ソ関係のためにはならなかった。

A その通り、レーガン政権の発足早々から、政権の有力なスポークスマソたちは機会あるごとに、口汚くソ連を非難した。たとえば、ソ連が国際テロリズムを支持しているとか、化学兵器、生物兵器を使っていると非難した。

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そうした弱い者いじめ特有の言いがかりを補ったのが、これに見合う政策、つまり主として軍拡競争に拍車をかける政策だった。こうした発言や政策の重要な動機は、ソ連を挑発し、その政策を変更させて、冷戦への復帰を正当化することにあったと思う。

第二六回ソ連共産党大会は、こうした試みが失敗に終わったことを示した。大会で、ソ米関係を含め主要な国際問題に建設的な提案を行なった。ブレジネフ書記長は大会の演壇から、ソ連が両国関係の正常化を引き続き重視していくことをくり返し指摘した。

でもいえることだが、けんかは一方的に仕掛けることはできても、仲直りは関係者すべての合意がなければできっこない。

- しかし、仮にワシソトソ側にソ連との関係改善の意思があっても、やはり障害は無数に残っているのではないか。

A その通り、障害はつねにある。しかし最近の歴史は、障害物を取り除くことができることを教えてくれたと思う。もっとも、そういう努力をすることが、双方の共通の利益にとって必要だということを両者が理解すれば、のことだが。また、その努力を続けるだけの価値はあると思う。

- 共存の問題を話題にしているわけだが、かつてフルシチョフが吐いた有名な「君たちを葬ってやる」ということばは、いまでもソ連の態度をかなり反映しているのではないか。

A その表現は、約二〇年前フルシチョフが口にした当時、さまざまの臆測を呼んだものだ。私はこの表現が修辞上、妥当だったと弁護するつもりはない。しかし、その意味が決して攻撃的でも好戦的でもなかったという点は指摘しておきたい。この表現の狙いは、われわれの信ずるところでは、長い目でみれば世界的に社会主義の勝利が避けられないという、資本主義に対する社会主義の歴史的な優越

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[p. 71]

性への自信のほどを伝えようとしたかったにすぎない。

もちろんこの勝利というのも、資本主義国の国民が外からの圧力や強制を受けなくとも、いずれはみずから社会主義を選ぶだろうという意味での勝利である。われわれ共産主義者はそう信じている。そうでなければ共産主義者とはいえない。これはちょうど、資本主義なり、自由企業体制なり、その他呼び名はどうであれ、それを支持する人たちが、自分たちの社会体制の利点を信じ、遅かれ早かれ世界中の国が同じ体制を選ぶと期待しているようにみえるのとまったく同じことである。しかし、こ うした信念や期待が異なるからといって、共存でぎないとはわれわれは考えない。

革命、反革命の輸出に反対

- 西側世界では、共産主義者が社会主義革命をただ傍観するとは考えていない。共産主義者は、革命を支援することを国際的義務と考えている。この点こそが問題を生み、平和共存の余地なしという機運を作り出しているのだ。

A その推論がもっともらしく見えるのは表面上だけだ。われわれは、ほかの国々での社会主義を実現するための闘争の成り行きに無関心ではないし、同情を隠しもしない。しかし、外国の社会主義革命を助ける唯一の道は、われわれが模範を示すこと、すなわち、わが国によりよい社会を建設し、まだ残っている問題をうまく解決することだと考えている。ほかの国々に社会主義を押しつけること、いわゆる「革命の輸出」には反対である。

同時に、いかなる反革命の輸出にも反対する。つまり、外部からの干渉によって革命前の政権を復活させる試みには反対である。歴史が教えるところによれば、反革命の輸出は依然あたりまえのこととして行なわれている。したがって社会主義の敵といえども、とても無関心な傍観者とはいえない。

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- 失礼だが、まさにプ・ロパガンダそのものといった感じがする。

A いや、この問題に対するわれわれの扱いは真剣だ。事実、一九一七年革命のあと党内で行なわれた最初の真剣な討議は、まさにこの問題についてだった。というのも、党内の一部の連中、つまり極左分子のトロツキストは、革命戦争を通じて国境を越え、革命を拡大すペぎだと主張した。党内の大多数はこの考え方を断固として退けた。レーニンは、外国を無理やり革命に押しやることは「マルクス主義との絶縁」を意味することになると主張した。

- モスクワと北京の間でも、同じような対立があったようだが。

A その通りだ。五〇年代終わりから六〇年代初めにかけて、両国間の対立の初期の段階での中心的争点の一つとなったのは、この問題だ。毛沢東とその一派は、平和共存を「革命への裏切り」だと公言し、「権力は銃口から」とくり返していた。これはレーニンが反対して闘ったのと同じ受け入れがたい考え方だった。

- それではアフガ二スタンの場合はどうか。ソ連は、一九七八年以来、次第に干渉を拡大し、いまやアフガニスタンを事実上支配しているが、これは小さな隣国に自分の意思を押しっけたことにはならないのか。武力で共産主義を輸出した古典的な例のように思われるが。

A 一九七八年四月のアフガニスタンの革命に、われわれが「輸出」したわけではない。現地の事情に通じた者ならだれでもこのことを知っているはずだ。われわれは革命のニュースを西側の報道機関で耳にした。

実際問題として、だれもアフガニスタンに革命を輸出する必要などなかった。つまり、当時の情勢は、政治・社会体制を思い切って変える以外に、アフガニスタン国民にとって深刻な危機から脱け出す方法は残されていないところまで進んでいた。アフガニスタンが世界で最も開発のおくれた最貧国

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の一つだということを忘れないでほしい。

アフガニスタンは経済開発や社会的、文化的進歩、千七百万国民にとって中身のある民主主義をぜひとも必要としていたのだ。革命前にはおずおずと改革が試みられたこともあったが、こうした改革はこの国の社会、経済問題を解決できなかうた。近代化の発展はうまくいかなかったが、その一方で変革を求める圧力は高まっていた。

ところで、一九七八年四月の反乱は、旧体制側がクーデターを起こし、労働組合、学生団体、人民民主党といったアフガニタン左翼を排除しようとしたことに誘発されたものだった。「連の殺人事件や逮捕拘禁事件が続いたのに対し、人民民主党が武器をとり、旧体制を覆したのであって、これはアフガニスタンの純然たる内政問題だった。

- しかしソ連は革命側に強い共感を覚えていた。

A その通り。革命の目的はぎわめて崇高なもので、国民が本当に求めるものを反映していた。みずから耕す者に土地を与え、飢えをなくし、女性や少数民族に対する差別を撤廃し、文盲率九〇%に達する国民を教育すること、要するに基本的な人権と社会正義を実現することがその目的だった。革命以来、ソ連はアフガニスタンに対する経済・ 技術援助を大幅に増やした。-もちろん軍事援助も。A その通りだ。革命が自衛する必要があったからだ。革命によって権力や土地や特権を失った旧支配層エリートは、権力を奪い返すためあらゆる手を尽くしている。彼らはアメリカ、中国、パキスタン、サウジアラビア、エジプトから積極的な支援を受けている。カブールの新政権は強力な反対勢力に対抗してきた。

一つ心にとめておいてほしいのは、遊牧民族が出入りするために一部のアフガン国境は事実上、開

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放されているということである。四月革命のほとんど当初から、アフガニスタンは外部からの干渉にさらされてきた。ソ連の軍事援助は、われわれの意思をアフガニスタンに押しつけるためではなく、アフガニスタン政府が外部からの干渉に抵抗するのを助けるためだった。


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